第4話 退屈で錆びついた


 思わず拍子抜けしてしまった。


「――そうか。次からはちゃんと、先に連絡を入れるように。親御さんも心配するだろうから、な? 久世橋」


 やんわりと釘を刺されたものの、担任教師の口ぶりはどちらかと言えば温厚的。諭すように声を掛けられた僕は内心を気取られぬよう、つとめて申し訳なさそうに頭を下げた。


「はい……次からは気を付けます。心配をおかけして、すみませんでした」


 まさか「学校をサボって他校の女子生徒とお茶していました」なんて、堂々と言えるわけがない。


 登校中に具合が悪くなって病院に行っていたら、思いのほか混んでいて時間がかかってしまいました。用意できる言い訳はこれぐらいで、今か今かと破裂の坂を上り詰めていた緊張感は、しかし職員室の扉を閉めると同時に下り坂を転がり落ちていく。


 喉元過ぎればなんとやら。

 はっと息を吐きだして、僕は昼休みの廊下を歩きだす。時間は大丈夫。午前の授業が終わったばかりだから、昼食をとる時間は十分にある。


 教室に戻ると、何人かのクラスメイトが声を掛けてきた。


 珍しいね久世橋くん、具合悪かったの? ああそうだ、五時間目体育に変わったから注意しろな――それぞれに相槌あいづちを返しながら、僕は席に着いてお弁当を食べ始める。


 声を掛けてくる人の輪郭が、僕にはひどくぼやけて見えるから分からない。


 今話しかけてきたのは制服を着崩した女子と、髪色の明るい男子。その人を示す大雑把な記号は、僕にとってはありがたい。


 名前もすぐに出てこないが、そのうち思い出すだろう。


「……あんな注意でいいんだ」


 はたして模範的と呼べるかどうかは分からないが、学校での僕の生活態度は取り立てて良いわけでも悪いわけでもない。課題は提出期限を守っているし、科目による得意不得意はあれど、授業態度も右に同じ。


 だからこそ、先生に強くとがめられなかったと思うのはおこがましい事だろうか。


 人畜無害の凡庸ぼんような生徒を貫いてきたから目こぼしされたのだという見解は、そう大きく外れていない気がする。であれば、今までの自分の素行に感謝すべきなのだろう。


 白米やおかずを口に運びながら、思考はやはり午前の一幕――小春さんの事へとシフトした。


 独特な雰囲気をもつ女の子だった。


 容姿だけに目を向ければ可憐そのものだが、彼女から発される言動の数々がユニークの四文字でそれを上書きしてしまう。加えて僕をサボりに誘える行動力はどこからやってくるのだろう。


 地に足がついていないというか、浮世離れしているというか――とにかく本当に、今日はおかしな日だ。


 今頃は昼食か、あるいはもう午後の授業が始まっていたりするのだろうか。

 それとも保健室登校であれば、そのあたりの勝手も学生をやっている僕とも異なるのか――


「……普通の人間は、意図的に学校サボろうなんて考えない」


 咀嚼したものを麦茶でひと息に流し込む。

 空になった弁当箱をしまい、ジャージに着替えて校庭へ。頬を撫でる風は、まだかすかに肌寒く。


 気だるげな始業のチャイムが鳴り響いた。




 放課後を迎えてすぐ、僕は学校からやや歩いたところにあるスーパーへと向かう。ここで買い物をする事もあるにはあるが、目的はアルバイトだった。


 担当業務は、主に品出し。レジに欠員が出た時はそちらを任されることもあるものの、頻度は極小と言って差し支えない。僕はエプロンの胸元にネームプレートをめ、いつものように菓子パン類が並ぶコーナーへ台車とともに足を運ぶ。


 最初のうちはバーコードリーダーの操作を間違えたり、細かい数字が合わなかったりで注意をされることもあったが、慣れてしまえばあとは楽だった。


 同じアルバイトや従業員の人と会話する機会も最低限で、あとは近くがお客さんを通り過ぎるたびに「いらっしゃいませ」と鳴き声のように発するだけ。


 唯一不満があるとすれば、高校生ゆえに時給が少ない点だろうか。とはいえ身分はどうにもできないので、これについては目をつむる他ない。


 ほぼ手隙てすきになった脳内は、考え事をするのに最適だった。


 給料日は来週火曜、帰ったら漢文の日本語訳の課題を片付ける。

 週末は暇だし、どこかへ出かけるのも悪くないか。読みたかった本も発売されるし、ついでに本屋へ寄るのもありかもしれない――


 お金の使い道はだいたい本か、音楽配信サービスのサブスク代で、残りは貯金。好きに使えるお金があれば、いくらか将来の足しになるはず。


 学生がアルバイトを始める理由なんて、がいしてそんなものだろう。


「お疲れさまでした。お先、失礼します」


 耳にはめ込んだイヤホンから、プレイリストに入れた曲がランダムに再生される。バスの車窓から覗ける街並みは暗く、街灯が光の尾を引きながら過ぎてゆく。


 これが僕の、いつもの日常。


 退屈でびついたレールの上を、僕は数日歩き続けた。


「……終わった、っと」


 金曜日の放課後。バイトのシフトが入っていないのをいいことに、僕は仙台駅構内にあるカフェの一角で土日の課題を片付けていた。


 過度に騒がしくなければどこでも集中は出来るが、好きなドリンクを飲みながら自分のペースで勉強を進められる環境の力は、存外馬鹿にできない。


 それでも勉強が好きな訳ではないし、まして成績が良いわけでもなかった。


 僕の成績は甘めに見積もっても、せいぜい“中の上”くらいが関の山だろう。自分なりに努力してこれなのだから、気を抜けばすぐについていけなくなるに違いない。


 枠で仕切られたガラス窓の向こうでは人、人、人――忙しなく人同士がすれ違っている。僕はこの人波を眺めている時間が好きだ。何もしなくても勝手に景色が変わってゆく。


 例えるなら、パチパチと音を立てながら燃えている焚き木を眺めている感覚に近いだろう。


 喉の渇きが飲み物に手を伸ばさせる。僕の目は不意に、視界の端で釘付けになった。


「……真顔でピースしてる……」


 無感情に顔の横に添えられた二つのピース。あれは撮影待ちなのか、それともかにのモノマネなのか。


 目が合うと小春さんは足元の鞄をひょいと掴んで、黙々とこちらへ歩いてきた。


 僕から視線を、らさないまま。

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