第2話 攪拌、貴重性コントラスト


 もしかしたら小春さんは、不良なのだろうか。


 バスを降りて前を歩く彼女に対し、疑問が浮かぶ。学校サボりませんかという誘いに、僕は「ノー」を突きつけることは出来なかった。一度踏み外した日常のレールは、たやすく外へ外へと僕を連れて行く。


 時刻はちょうど、午前九時を回ったところ。


 スーツに身を包んだ分かりやすい社会人とすれ違うことはあっても、この時間帯になれば学生の姿はほとんど見当たらない。既に始業の時間を迎えているからだ。


 どう間違っても小春さんの背中に不良の二文字は似合わず、けれどあまりにも堂々とした歩調に疑念の色が深まり始める。


「あ、すみません」


 少し歩くと小春さんは足を止め、ポケットからスマホを取り出した。


 花柄のケースに包まれたそれを耳に持っていったのを見るに、誰かと通話しているのだろう。学校の先生か、彼女の親か。念のため会話が聞こえないよう、僕は若干の距離をとる。


 といっても、今いる場所は人の往来が激しい。雑多な話し声まで飛び交っているので、たとえ聞き耳を立てたところで具体的な会話は聞き取れない。


 視界の隅にあるのは“SENDAI”――ここが仙台駅前である事を主張するモニュメントが、これ見よがしにでかでかと鎮座していた。


「お待たせしました。時生さん」


 僕は目を滑らせていただけのスマホをしまい、


「全然。……なんか、こんな感じなんだ」

「と言いますと?」


 考えの読めない、無垢むくにも思える瞳がこちらを見る。


「こんな時間に制服着て歩いてても、結構みんな無関心なんだなって……もっと注意とかされるものだと思ってた。サボるのも初めてだし」

「あるいは、人に構ってる余裕が無いからかもしれません。朝はみんな時間がないです。トーストが焼き上がるまでの三分で、はたして何が出来るのか……」

「朝、パン派なんだ? 僕と逆だ」

「ライ麦派ですか?」

「和食だよ。ライ麦って、パンの原料だよね?」

「てっきりげんナマでいける猛者なのかと」

「僕、なんだと思われてるの……?」

「お上手ですね。パンだけにナン、さもありナン――」


 一人で合点して歩き出した小春さんに再びついていく。なるほど、僕が「だと思われてるの」と言ったから小春さんはインドにたどり着いたのか――という遅れてきた納得は、胸の中にしまっておく。


 駅構内には入らず、高架橋を降りて歩道を道なりにまっすぐと。

 交差点に差し掛かったところで、じき切り替わりそうな赤信号につかまった。


「どこに向かってるの?」

「アーケード内にカフェがあるので、そこへ。いくつか候補があるのでちょっと歩きます。混んでたりするので」


 青信号。動き出した人波に飲まれぬよう、僕たちは足並みを揃えて歩く。


 ゲームセンターか、あるいはカラオケにでも寄って思うまま遊び尽くすのだろうか。サボりましょうと持ち掛けられた時はありきたりなイメージがよぎったが、現実は想像の斜め下だった。


 懸念されていた通り、一件目のお店は混んでいたのであえなくスルー。二件目のお店は比較的空いていたので、ここにしましょうかと適当な飲み物を注文する。


 内装や雰囲気はチェーン店にありがちな、いわゆるモダンカフェといった具合だ。


 一分もしない内に小春さんには春限定らしい、桜色を基調とした淡く鮮やかな色合いのドリンクが。いで僕の手前には、いかにも抹茶ですといった風貌の青々としたドリンクが届けられる。


 ストローでかき混ぜると、コントラストを描いていた抹茶の緑とミルクの白が、じわりと溶け合い始めた。


「抹茶スキー、トキオ・クゼハシ……」

「っふ、なにそれ」思わず吹き出してしまい、「でも悩んだらだいたいこれだね。小春さんは?」

「期間限定スキーのコハル・マキシマです。対戦よろしくお願いします」


 律儀にも手を合わせ、「いただきます」と言ってから小春さんは口をつけ始めた。


 普段はしないが何故だかそれにならいたくなって、僕も同じような所作を経てひと口。馴染みあるほろ苦さと、ほのかな甘みが舌を喜ばせる。けれど心の中で燻っていた緊張感を埋めるには、まだ足りない。


 カップを置いて、僕はあたためていた会話のカードを一枚、切る事にした。


「小春さんって、このあたりの学校に通ってるの?」

「そうですね。少し離れていますが、近いと言えば近いです」

「……なんて学校なのか、聞いても?」

蒔苗まかなえ女子高校。私立の学校です」


 女子校に関してはまったくと言っていいほど知識がない。なので検索エンジンに校名をそのまま打ち込んで調べてみる。

 すると、いくつかのトピックスがずらりと並んだ。


「……新設校……制服、かわいい……?」


 私立蒔苗女子高校。


 ここ数年の間に出来た新設校であり、偏差値は平均からやや高め。制服のデザインがおしゃれで可愛らしく、一時期SNSでちょっとした話題になった事もある等――画像で見た校舎も真新しく、清廉せいれんでフレッシュなイメージをそこはかとなく抱かせる。


 いわゆるところの“お嬢様学校”とは、またおもむきが違うのだろうか。


「……小春さんって」


 素人しろうと目にもしっかりした学校である事は理解できた。しかしだからこそ、いくつもの疑問が水面に浮かぶ泡のように浮上する。


 小春さんはちゃんと学校に通っているのだろうか。

 あるいは何か、のっぴきならない事情を抱えているのでは。


 けれど会って間もない人間に遠慮なく聞けるほど、僕は図太い神経をしていない。


「……なるほど。これもなかなか、抹茶オブ抹茶の味わい……」


 ――目の前で僕の抹茶ドリンクをすすっている、小春さんと違って。


「あっ」

「あっ――じゃないよ……! 小春さん、もう自分のがなくなったとか」

「いえ、最初に飲んだだけで全然あります」

「……本当だ。むしろ僕のが半分、持ってかれてるんだけど」

「すみません。普段なかなか頼まないので……そうだ、フタを開けてください」


 小春さんは自分のドリンクのフタを外し、


「私のを注げば量も増えて、新たな味も誕生するのでは?」

「小春さん。ここ、カラオケのドリンクバーとかじゃないから。それにハズレだった時のリスク、ぜんぶ僕に降りかかってくるから」

「それはいけませんね。ではオーソドックスに、私のを半分差し上げましょう」

「……ありがとう。でももったいないから、ひと口だけ――」


 さっきまでの自分は何を真面目に考えていたんだろう。


 抹茶とは真逆の、甘酸っぱい風味が喉を潤してくれる。呆れるくらい大きな脱力感。苛立ちや怒りを置き去りにして、僕は小春さんのマイペースさにただただ翻弄ほんろうされていた。翻弄されながらも、小さく笑っていた。


「おお……」


 対面からどこか感嘆かんたんの入り混じった吐息が漏れる。

 小春さんはドリンクをひと口含んでから、


「時生さんは、何か嫌な事でもあったんですか? サボりましょうと持ち掛けられて本当にサボる人、なかなかレアかと思われます。こう見えて、実はワル?」

「だったら漫画みたいだね。そうじゃないけど、そうだな……」


 学校を避けた理由とは違う、個人的な理由を求められている。もし仮にそうだとしたら、この問いかけにどう答えるべきだろう。


 少しの逡巡しゅんじゅんを経て、僕は首の後ろを掻いた。


「これだけ話しといて何を今さら、って感じなんだけどさ……僕、人や物事に興味を持てないんだ。あんまりね」


 あまりにも自然体で話せてしまったから、口が軽くなっていたのはあるかもしれない。しかし言い訳のように一言添えたところで、本心は誤魔化せない。


 自他を問わず、興味関心を持つことができない。


 僕の根っこは偽れなかった。

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