後編

「ァックッシャンッ!!」

 テツの盛大なくしゃみと鼻をかむ音が室内に響き渡り、受講者の視線が一気に注がれた。テツは何度も頭を下げ、目立たないように背中を丸くしながら「情報処理II」のノートを開いた。出席で単位が取れると人気の講義で、席もほぼ埋まっているが、多くが机に突っ伏している。講義も半ば、教授は一度咳をしてから、学生にこう問いかけた。

「皆さん、テレパシーを知っていますよね?」

 テレパシーとは、言葉や表情、身振りに頼らずに、直接相手の脳や心に自分が思っていることを伝える方法だ。いわゆる超能力のひとつで、学問としても成立しており、物理的に説明できない超自然現象を研究する「超心理学」に分類されるという。

「では、テレパシーが科学的に再現できるのは知っていますか?」

 その言葉を聞いて、別科目の内職をしていたユウトがペンを置いて、教授の顔をじっと見つめた。教授が説明するに、BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)という、脳と機械を接続する技術をもってすれば、体に麻痺がある人でも「思う」だけで、パソコンや車椅子を動かすことができるという。思念、つまりは脳から発せられる神経信号を読み取るには、脳に直接専用のチップを埋め込むか、外部装置の装着が必要らしい。その技術の開発を続けてきた、とある米国の会社は、チップを埋め込まれた猿が手を使わずにコンピューターゲームで遊ぶデモ動画を一般公開した。ユウトがすかさずスマホで検索をかけると、その動画はいとも簡単に見つかった。

 前にテツが見た海外のSFドラマでは、人がチップや特殊レンズを体に埋め込み、体ひとつでメールや電話、撮影などができるようになった話があった。科学的テレパシーの辿り着く先に、人間スマホがあるのだろうか。

「テレパシーのままのほうが、ロマンがあるな」

 テツは素直な意見を吐露すると、思いのほか、ユウトが反論してきた。

「超心理学を医療分野に役立てようと奮闘する人々の汗と涙を茶化すな」

 それだけ言うと、足早に教室を出て行った。たまにユウトの沸点がわからない、とテツは考えながら小さく肩をすくめ、後を追う。

「そういえば、植込みの子供はどうなった?」

「どうもしないよ、まだいる」

 初めて植え込みの子供を見てから、もう1ヵ月が経ち、テツはすっかり「見える」状況に適応していた。それはダルマ、猫と姿形を変えていたが、最近は子供の姿で安定していて、困ったことに、肌や髪の質感が本物の人間に近づいており、ホラーじみてきている。しかし、バイトの度に顔を合わせていると、植え込みの子供は日常の風景に馴染んで同化していき、最近のテツはもうわざわざ植込みに目を向けることがなくなっていた。

 今、テツの頭を占めているのは、女子大生だ。話しかけられて以来、2人は簡単な会話を交わすようになり、彼女がコンビニから遠くないアパートに住んでいることもわかった。テツにとっては願ってもない「進展」だったが、女子大生との距離がこれ以上縮まるようには感じられなかった。

 その日も深夜0時に来店した女子大生はフリル付きのブラウスを着ていた。なんと、肩が出ている。手に取るのはドーナツや菓子パン、発泡酒は甘口のサワーに変わっていた。そして挙げ句の果てには……

「あ、タバコ、やめたんですよ。ごめんなさい、せっかく覚えてもらったのに」

「あ〜……了解っす!体に悪いっすもんね」

 作り笑いでごまかし、テツは左手の中にあるタバコを中華まん什器の後ろに隠した。

 自然体の姿を好ましく思っていたテツにとって、女子大生の変化は予想外であり、テツの心を大きく乱した。着飾った姿が似合うか似合わないかの話でなく、彼女に変化をもたらした要因を想像するたびに、心がギュッと締め付けられるのだ。考えに考えた結果、導き出された答えにテツはまた溜息を漏らした。


「彼氏ができたんじゃないの?」

 スマホをいじりながら、ユウトは容赦なくそう言った。2人は明日期限の課題を片付けようと昼食後も学食に残っていたが、腹の膨れた学生がパソコンを開けるわけがなかった。

「そう……だよなー……」

 言葉に詰まったテツは、天を仰ぐ。心にぽっかり穴が開いているのに、食欲に負けてカツ丼を選んだ自分が恨めしい。どうしたってちょっとした幸福感に包まれてしまう。

「ん?」

 テーブルにもたれながらスマホを見ていたユウトが、突然起き上がった。目はまだ画面に釘付けになっている。

「なぁ、これってアレ?」

 テツに向けられたスマホの画面には、SNSのとある投稿が映っていた。

『藝大祭2日目! コイデさんが描いた「かくれんぼ」がSNS上で大バズり中

#怖カワイイ #植え込みのこども』

 テツは目を疑った。投稿された画像には、自分にしか見えないはずの植え込みの子供が映っていたからだ。いや、正確には、植え込みに隠れる子供が描かれたキャンバスが映っていて、その絵はテツの視界をそのままトレースしたかのようにリアルだった。

 画像を1枚、2枚と横にスクロールしていくと、4枚目でまた衝撃が走った。

「あの子だ」

「え、なに」

 ユウトがスマホを後ろに倒して、仰向けになった画面を覗き込む。

「さっき話していたコンビニの子?」

 テツは無言で何度も頷く。

「植え込みの子供は彼女の創作?ってこと?」

 声に出した途端、テツの中で次々と疑問が湧き上がった。なぜ二次元の作品が現実に出てきたのだろうか。なぜあのコンビニに現れたのか。そして、なぜテツにだけ見えているのだろうか。わからない。度重なる衝撃に混乱したテツは一旦考えるのをやめて、古びたプラスチックの椅子に全身を預けた。

 ユウトは同じ画面をじっと見つめ、ようやく考えがまとまったのか、「あのさ」と遠慮がちにテツに話しかけた。

「これってテレパシーじゃないのか」

 ユウトの案にテツは思わず聞き返した。

「あの子が?俺に?植え込みの子供のイメージをテレパシーで送ったってこと?」

「ん~……どうだろ、そうだと思うんだけど。でもなぁ」

 ユウトは頭をガシガシ掻き、自信がなさそうに両手で目を覆って、逡巡する。しかし、忠犬のように、ただユウトが話し出すのを待つテツの姿を見て観念したのか、ユウトは「あくまでも仮説だ」と念押しして、少しずつ話し始めた。

「この前、講義でテレパシーの話を聞いたばかりだから、安直な発想かもしれない。けど、やっぱりそのコンビニの子がテツにテレパシーを送ったんだと思う。無意識か意識してかは知らんが」

「どうやって」

「……お前が、テレパシーにロマンがあるっていうから、そういう風に説明するよ。テレパシーは、人の思念を直接心に届ける方法だよな。どうやってか。声が音の波となって空気を振動させて耳に届くように、思念も何かを媒介して伝播すると思うんだ」

 ユウトは息継ぎをする。

「あと、日本には“物に魂が宿る”という考え方がある。怪談でも呪いの日本人形なんて定番だろう? 他にも“心をこめる”、“願いを託す”というように、日本語にはモノに感情を載せる表現が多いんだ。この2つの話を合わせると、コンビニの子の思念は何かモノを媒介して、テツに伝わったと考えられる」

 テツは、ユウトが発する一言一句を逃さないよう必死に追いかけているようで、目を瞑りながら時折うんうんと小さく頷いた。

「なんだかオカルトだなぁ」

 するとユウトはすかさず反撃した。

「実はそうでもないんだ。“気配を感じる”ってよく言うだろう。あれは第六感が働いているように考えられているけど、実は人が纏っている電気の膜を感じ取っているんだ」

「電気の膜?」

「そう、人間が腕や足を動かせるのは、脳から神経信号が出ているからだろ。つまり人の体には常に微弱な電気が出ていて、その電気は体内にとどまらず、全身を包み込むように、膜を張っている。この膜が準静電界といって、気配の正体と言われているんだ」

 テツの頭には疑問符しか浮かんでいない。

「つまり?」

「コンビニの子の思念が何かモノを媒介して、テツに伝わったとする。電気は移動できるだろう。思念、もしくはコンビニの子の頭に浮かんだ創作イメージも神経信号、つまりは電気だ。だからその子が植え込みの子供を想像しながらモノに触れば、その神経信号が体を伝って、モノに移り、またそれに触れた相手の体を伝って脳に届くんじゃないかなって」

 その電気が伝わった相手がテツだったのだ。もちろん触ったモノが電気を通す素材であることが条件だけどな、とユウトは付け加えた。テツの疑問符はまだ消えない。それにユウトの話には全然ロマンを感じられなかった。

「え、何、彼女が超能力者ってこと?」

「それは知らんけど。まぁでも誰でもできるってわけじゃないと思うけどな」

 ユウトは続けた。

「質量が関係するなら、思いの強さや大きさでテレパシーの成功率は上がると思う。あくまで仮説だけど。ということで、何か彼女から受け取ってないか? もしくは、お前自身がその子に何か渡してないか?」

 ユウトがまっすぐ俺に向くと、くっきり二重を携えた目が、テツに圧力をかけた。

「そんなこと言われたって、こっちは店員だし、あっちはお客さんで……あ……? 」

 テツはかつての失態を思い出した。そうだあの日は。いや、でも、あれで?

「タバコを渡した」

「タバコ?」

「彼女が吸っていた銘柄の紙タバコ。子供が見えた日の前日、もしかしたらと思って、彼女のためにあらかじめ用意しといたんだ」

 唾を飲む音がした。

「その子のことを強く想って選んだモノか?」

 改めて言われると、すごく恥ずかしい。テツは目を伏せ、「う……ん」と曖昧に返した。

「でもなんでそれが特別なんだ?常連なら、商品のやりとりは多いだろう」

「彼女は禁煙したんだ。結局それが、俺が彼女に渡した最初で最後のタバコになった」

 彼女は決してヘビースモーカーではなく、買うのが稀だったからこそ、あの日勝負をかけたのだ。テツは当時の自分の健気さを想って、ほろりと心の中で泣いた。

 ユウトが息をついて、ペットボトルのジュースを飲む。その姿を見て、テツもなんだか喉が渇き、プラスチックの湯呑に残っていた緑茶を飲み干した。ユウトはすべてをやり切ったような、清々しい表情をしているが、テツの疑問がすべて晴れたわけではない。

「でも、なんで俺に?」

「ああ……」

 ユウトは面倒くさそうに、そしていかにも投げやりな感じで生返事をした。そして突然思いついたように指を鳴らし、とんでもないことをテツに提案したのだ。

「お前、次のバイトで、その子に告白しろよ」

「は?!」

 大きくのけぞったため、軽いプラスチックの椅子が後ろに吹っ飛び、テツは激しい音と共に床に転がった。学食中の視線が集まる。

「いやいやいや、だって、お前、さっき、彼氏できたかもな~なんて言ってたじゃん」

「それは間違いだ。俺の勘違いだ。大丈夫、いけ、テツ、男を見せてこい」

 これまでの雄弁は何だったのか、ユウトはもう口を閉じ、何事もなかったかのように、パソコンを開いて課題を始めた。

 一方テツは、床に座り込んだまま、呆然としていた。例えユウトが何か話しかけてもテツには聞こえないだろう。それほどに、彼の心臓は激しく波打っていた。


 覚悟ってどう決めたらいいのだろうか。

 友人に焚きつけられたからって、大事な告白をしても良いものなのか。いや、一度は考えたことがあるし、ただタイミングがなかっただけで……。

 悶々と悩んでも、0時を過ぎると、待ったなしで自動ドアの開閉音が店内に響く。

「い……いらっしゃいませ」

 深夜にもかかわらず花柄のワンピースを着た女子大生は、テツに軽く会釈していつものコースを回り始めた。ドア脇の雑誌コーナーを抜けて、ドリンクケースへと直進し、今夜の一缶を選んでから、菓子のコーナーでラインナップをチェックする。手に取ることはない。おつまみの前で必ず立ち止まるが、惜しそうな表情で去り、裏にあるパンのコーナーで目についた品を手に取って、ゴールのレジへと向かう。

 カウンター越しに見守ってきたテツだったが、伏し目で財布からカードを出そうとする女子大生を見たとき、何かが腑に落ちた。

「バズってましたね」

「え?」

「藝大祭……でしたっけ」

「あ……そう、そうなんです」

 女子大生は照れを隠そうとしたのか左手を頬に当てて、目線をテツから外した。

「俺、見たことありますよ」

「え?」

「植え込みの中の子供」

「え、あ」

 2人の目と目が合う。

「それで、もし気分じゃなかったら、全然、断ってもらっていいんですけど」

「はい」

「俺とデートしてくれませんか」


「はい」


「……あ、えっと、じゃあ、あの、メッセでいいですか、連絡先」

「あ……はい、あ……名前……」

「あ、俺、土屋哲っていいます」

「小出美羽です。よろしくお願いします」

 ぎこちなく、2人でぺこぺこ頭を下げ合う。

「あの、仕事中、スマホ、いいんですか?」

「あ。いいんです。よくないけど、別にいいんです。先輩、休憩中だし」

 ようやく緊張が解けたようで、美羽はふわっと微笑んだ。小さな鞄から取り出した、背面が傷だらけのスマホに、哲は安堵する。

「これで……」

 美羽のスマホ画面からQRコードを読み取ると、哲はすぐさま目についたスタンプを「コイデ」に送信した。

 シュポッ

 その音を出したのは、美羽のスマホからか。もしくは外の植え込みか。

 朝になったらわかるだろう。

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テレパシー・ロマンス 豆ばやし杏梨 @anri_mamemame

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