テレパシー・ロマンス

豆ばやし杏梨

前編

「植え込みの中に子どもがいたんだ」

 昼時の学食、テツはユウトと向かい合わせに座ると、いきなりそう切り出した。

「はひ?」

 突拍子もない発言に、ユウトは掛け蕎麦をすする手を止めた。眉間にしわを寄せ、急いで咀嚼する友人の返しを待たず、テツは自身の身に起きたことを話し始めた。

 残暑を抜け、ようやく感じる肌寒さが心地よい朝5時、コンビニの深夜バイトを終えたテツは、一服しようと店の前で缶コーヒーを開けた。ふと、歩道の脇に植えてある低木の街路に目をやると、4歳くらいの子供が埋まっているのを見つけた。もちろん、本物の人間ではない。肌質、いや材質は不二家のペコちゃん人形と同じで、表面がつるつるしていて固そうだ。不思議なのが、なぜそこに埋めることができたのかという点だ。街路樹は細かな枝葉が密集していて、子供でも人形でも入り込む隙間はない。枝が折れているわけでもなし。テツには目の前のそれが、植物と一体化しているように見えた。

「粗大ごみでもなさそうだし。そもそも木の中に埋めるなんて手間かけないよな」

 テツがぼやくと、ユウトは無言で席を立ち上がり、丼を食器返却口まで持って行った。そのまま出口に向かいそうな雰囲気だ。

「おい、まだ話は終わってねぇって」

 慌てて、テツは椀に残った白飯を味噌汁で喉に流し込んで後を追いかけた。急いでラックに置いたせいで、トレイの上の食器がガチャガチャと音を立てる。前方を歩いていたユウトはさりげなくドアの前で立ち止まり、軽く頭を傾けて、なんとか追いついたテツに向かってこう言った。

「それ、今日、見に行こうぜ」

 テツは知っている、この男がこういった話に目がないことを。ガラス越しに見えたユウトは涼しげな表情をしていたが、内心は面白がっているに違いない。

 テツは、都内の私立大学に通っている。留年してまで入学を望んだ大学だが、2年生にもなると他と同じく怠惰な学生生活を送るようになっていた。テツとユウトは保育園からの腐れ縁で、20年近くも一緒にいる。ユウトが「やりたいことが違った」と高校3年で文系の進路に転じたおかげで、2人はさらに4年、同じ学び舎で肩を並べることになった。

 どうせ見るなら夜にしよう、というユウトの提案から飲み屋に寄り道したため、コンビニに着いたときには日をまたいでいた。テツがバイト先に選んだところは、住宅街のど真ん中にある。駅から離れた立地だが、目の前を走る片側2車線の車道が路線バスの運行ルートと重なるため、停留所も近く、通勤・通学時間には混み合う。時給は繁華街の店舗と比べて安いが、体力があり、日中の遊ぶ時間を確保したいテツには、家から近い場所での深夜バイトがうってつけだった。

サインが見えると、酔っぱらいのユウトは駆け出したが、植え込みの前で立ち止まり、テツに不満げな眼差しを投げた。

「子供、いねぇじゃん」

 はぁ?!と、テツは思わず声を荒げた。

「ダルマがいるじゃん。え、見えないの?」

 ユウトは眉をしかめ、今度は植え込みを隅々まで見渡してみたが、ないものはないと言わんばかりにかぶりを振った。テツはその様子を見て、愕然とした。遠目から視認できるほどの、たっぷりとしたボリュームの赤いダルマが目の前にあるにもかかわらず、ユウトは見当違いの方向を見ていたからだ。

「スマホにも映らないなぁ」

 次にユウトはスマホのカメラを植え込みに向けて撮影を試みたが、青い顔をしたテツしか映らなかったので諦めた。そして灰皿を見つけると、ボディバッグから電子タバコを取り出し、フィルターを吸い口に差し込んだ。

 テツはというと、時間差で襲ってきた恐怖に抗うように、ぐっと拳を握りしめていた。初めて植え込みの子供を見たときは、好奇心が勝っていた。しかし今、同じ場所にいるのにユウトと視界を共有できていない状況に、テツは一人だけ異次元に迷い込んだかのような不気味さを感じ、震えていた。

「いやいやいや、え、まじ?」

 半袖から出た腕に鳥肌が立っている。テツは身を守るように胸の前で腕を組み、植え込みに背を向けた。頭を垂れ、足元の赤いレンガ風に並べられた歩道の化粧タイルに、意識を集中させる。ユウトがフーッと煙を吐く音が聞こえてきた。

「なんか、最近、あった?」

 ユウトの言葉に、テツは必死で頭をめぐらすが、恐怖で頭が混乱して何も思いつかない。

 しばらくして自動ドアの開閉音が鳴り、テツは反射的に顔を上げた。ヨレヨレのTシャツワンピースを着た黒縁メガネの女子大生が店から出てきて、前屈みになっているテツをちらりと見ては通り過ぎて行った。

「……常連さんのタバコの銘柄を当てたわ」

 なんだそれ、とユウトが眉をしかめている。冷静さを取り戻したテツは姿勢を直し、酔い覚まし用に買ったペットボトルの水を一口含んでから、昨晩の出来事を話し始めた。

 コンビニの深夜帯は人が少ないので、物覚えの悪いテツでも常連客の顔を自然と覚えることができた。深夜0時に自動ドアを開けるのは、さっきの女子大生で、黒縁メガネに、薄汚れたパーカー、ジャージを合わせた格好が印象に残っていた。彼女は毎回、買い物カゴを取らずに、店内を一周し、発泡酒と柿ピーを取って、最後に、これは“たまに”だが、レジで今どき珍しい紙たばこを買う。

「あの」

「メンソールライトですよね」

 目を丸くして見上げた女子大生と目が合った。ちょっと早すぎたか、テツは心の中で舌打ちをした。入店したときからタバコの箱を握りしめていたテツは、彼女に差し出す瞬間を今か今かと待ち侘びていたのだ。

「あ……はい」

 女子大生は返事をすると、サッと目をそらし、タッチパネルを手際よく操作する。その間、テツはマニュアルに従って口頭でレジ袋を確認しながらも、手ではもう袋に商品を詰め始めていた。彼女がエコバッグを持参したことは、今まで一度もないからだ。

「ありがとうございます」

 女子大生は小さな声でお礼を言うと、足早にコンビニを去っていった。思い出すと少し胸が痛い。しかしおかげでテツは、頭を冷やすことができた。

「アオハルか。いや、オメーの恋バナとかいいんだわ」

 ユウトは3本目のフィルターを外し、灰皿に投げ入れた。

「それが一昨日の話。んで今朝、初めて植え込みの子供を見たんだよ。だからなんか関係あるかなって」

 テツの抗議は無視された。もう帰りどきと判断したのか、ユウトはバッグに電子タバコを仕舞い、最後に最適と思われるアドバイスをテツに贈った。

「とりあえずさ、霊能者に相談してみたら?」


 外はピーカン、行楽日和。「汚さない、傷つけない」を条件に、親に土下座して借りた車。車内にひとり、大音量で流れる90年代グラムロックに負けないくらいのシャウトをあげ、テツは高速で飛ばしていた。

「なんで俺は5万も払って、貴重な休みを潰さなきゃいけないんだ!!」

 イラついているのは、通りがかった川のほとりでギャルたちが乾杯していたからではない。高い相談料を手に、片道2時間もかけて高名な霊能者の元に駆け込んだにもかかわらず、何も進展がなかったからだ。

 訪れたのは郊外にある大きくて古い日本家屋で、大広間には寺でもないのに豪華な仏壇が設えられていた。テツが緊張して正座で待機していると、のっそりと老人が現れ、テツを見るなりこう言った。

「おやおや、特攻服の兵隊さんが付いてきているね。まあ大きな問題ではないだろう」

 それからテツは後ろを振り返ることができなくなった。バックミラーを見るのも恐ろしく、目を細めて後方確認するが、今事故にあったら、なんて言い訳をすればいいのだろう、とばかり考えていた。

 陽が暮れ、ようやく都内に戻ることができたテツは、実家の駐車場でエンジンを切ると、力が抜けて動けなくなった。安堵したのだろう。テツは抗うことなく目を閉じた。

 すっかり固まった背中と腰を、運転席で伸ばしていると、センターコンソールのスマホが振動した。このタイミングは、ユウトに決まっている。違いない。テツは幼馴染の呼び出しに、少し気持ちを持ち直した。

「んで、どーだったのよ?」

 大学近くの安い居酒屋に顔を出すと、1日パチンコに費やしたユウトが、ひとりご機嫌に祝杯をあげていた。

「なんもなかった。どうやらご先祖様に平家出身の超絶美人なお姫様がいて、俺を大事に守ってくれているらしい」

「そうか、よかったな」

 ユウトのそっけない態度にカチンときたテツは、腹いせに店自慢のぼんじりを串ごとがぶりついた。遅れをとったユウトは「あ」と小さく声に出し、恨めしそうにテツを睨みながら、ビールを一口含んだ。

「じゃあさ、その子供だかダルマだか、植え込みにいる奴らに接触してみたら?」

「接触?」

「幽霊じゃないってことは別の何かだろ。もしかしたら意思を持っているかもしれないし、接触してみるのもアリだろ」

 目から鱗が落ちた。周りと同じように10代の思春期を経てきたテツには、自ら積極的に周囲と関わりを持とうなんて気遣いは持ち合わせていなかった。そうだ、自分にしか見えないのだから、もしかしたら自分との接触を待っているかもしれない。

「あとは……」

 ユウトは追加オーダーしたぼんじりにかじりつきながら、別案を挙げてくれていたが、テツの心は既にここにあらず。植え込みの連中から一体どんな反応が返ってくるのか、好奇心がテツの心を満たしていた。

 翌日、シフトが入っていたテツは、さっそく植え込みの連中との接触を試みることにした。住宅街にあるせいか、22時近くなると車の往来はあっても人通りが少なくなる。そのため、バイトの前でも、人の目を気にせずに試すことができると踏んだのだ。

 今日植え込みに隠れているのは、大きな猫だった。緑に映える、オレンジ色のトラ猫で、大きな耳と額、前足に、尻尾の先が茂みから出ている。しかし、いくらテツが猫好きとはいえ、この大きさはいただけない。

「えーと……ヘ、ヘロー」

 ぼそぼそと小声で話しかけてみるが、反応はない。その後も、周りを気にしながら声量を上げて、何度かトライしたが、すべて無駄に終わり、羞恥心しか残らない結果となった。次はいよいよ、触ってみることにする。

テツは2、3回深呼吸をしてから手を伸ばしたが、指先がどうしても震えてしまう。幽霊など心霊現象は苦手なテツだが、UFOや超常現象、都市伝説などは好きで、世界には人に解明できない部分があったほうが面白くて良いじゃないかと常々考えていた。そのほうが未来に、人の考え方に余白があって良い。ただし無邪気な好奇心がそれらの謎を解き明かそうとすると、体が警告するかのように、必ず恐怖心が立ちはだかるものだ。テツは手を引っ込め、深呼吸をして「大丈夫だ」と言い聞かせてから、もう一度手を伸ばした。グッと奥歯を噛み、猫の額に手の平を乗せる。

「あ?」

 予想外の手触りに、思わず声が出た。短毛猫らしいツンツンとした毛の感触ではない。紙?いや、この粗さは布に近い。テツは高校の美術室でそれに触れたことがあった。

「キャンバス?」

「あの……」

「ヒャあ!!」

 突然後ろから声をかけられて、テツは情けない声をあげた。振り返ると、女子大生が驚いた表情で立っていた。

「あああ、す、すいません」

「ごめんなさい……あの……何をしているんだろうと思って」

 メガネとお揃いの黒いブラウスに、細身のデニム。今日は耳元で何かが揺れている。

「あ、いや、えっと……引っかかったゴミを取ろうと思って」

 制服を着ていないからか、カウンター越しではないからか。身を守るものがない丸裸のテツは、女子大生の目を見ることができない。照れ隠しで俯いた顔が、ただただ熱い。

 ふっ…と息が漏れる音がしたので、顔を上げると、女子大生が笑っているようだった。

「前は、水をあげていましたよね」

「へ?」

 そうだっけ。テツは腕を組んで、必死に昔の記憶を手繰り寄せた。

「ああ、入りたての頃。そういえば、店長に怒られたな。そこはうちの管理じゃねぇって」

 植え込みの青い花が咲き始めた5月は、雨が少なかった。なんとなく花に元気がないような気がして水をあげてみたが、結局、花は夏の暑さにも負けず、台風にも負けず、今も静かにしぶとく咲き続けている。

「ルリマツリって可愛いですよね」

「ルリマツリ?」

「あ、この花の名前です。……私も最近知ったんですけどね」

 お辞儀をして帰って行く女子大生の後ろ姿を、テツは見えなくなるまでぼうっと見つめながら送った。ようやく裏口から入ると、テツと交代する夜勤の先輩に、人差し指を立てながら半笑いで「貸し1ね」と言われた。見ると、時計の針は22時を10分過ぎていた。

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