第9話 最古と親子

 二人が近付いて行くと、電話をしていた女性が気配に気づき振り返った。

 耳にスマホを当てながら、怪訝な表情を浮かべ二人を見る。


 怪しむような瞳を向けられてもなお、犬宮は歩みを止めず、いつもと同じ冷静な口調で声をかけた。


「ねぇ、電話している相手を教えてもらえると嬉しいのだが、答えてもらえるか」


 突如現れた見ず知らずの男性に声をかけられ、女性は不審に思い後退する。

 軽蔑するような表情を浮かべたかと思うとすぐに顔を逸らし、反対側へと歩き始めた。


「ねぇ、私限界。よくわかんない人に話しかけられたんだけど、早く来てよ」


 気持悪いと言いたげに、女性は電話の相手に愚痴をこぼす。


 自分のことを言われているのはわかっているが、犬宮は表情一つ変えず女性の背後に近づき、スマホを奪い取った。


「…………え?」


 見ず知らずの人に、まさかスマホを取られるとは思っておらず驚愕。

 放心してしまったが、すぐに気を取り直し「返しなさい!!」と、犬宮に手を伸ばすが、意味はない。


 彼は返す気ゼロで、上にスマホを上げ渡さないと意思を示す。


 女性が頑張って背伸びをしても全く届かず、まだ繋がっていた電話は、無情にも犬宮の親指によって切られてしまった。


「ちょっと!!! 早く返しなさいよ!!」


「俺の質問に答えてくれたら返してあげなくもない。電話の相手は、誰?」


 上からかけられている圧力に、女性は後ろによろめきながら下がり、悔し気に目線をさ迷わせる。


「っ……。男友達よ。名前を言ったところであんたになんてわからないでしょ! 答えたんだから返しなさいよ!」


「まだ質問はある。君はただの男友達に、あんな甘ったるそうな声で会話するのか?」


 ――――肩が今、ピクッと動いた。なにか、誤魔化そうとしているんだ。


 冷静に心優は、二人の会話を見続ける。

 何かあれば、駆けだせるように準備だけは欠かさない。


「私の元々の声がこんな感じなの、仕方がないじゃない」


「まぁ、それはどうでもいいか。君達は、毎日のように会っているみたいじゃないか。夫がおり、子供が二人いる君が、他の異性に毎日。これは、立派な浮気じゃないか?」


 今の言葉に、なぜそこまで知っているのかと目を見開き、よそへ向けていた顔を思わず犬宮へと向けてしまった。


「な、なんで……」


「その、”なんで”は、何に対しての質問なのかわからないけど、俺には関係ないな。それより、浮気は認めるのか?」


 重要なところは話さず、犬宮は自分が欲しい情報だけを質問し続ける。


「…………ふん。証拠がないのに、そんな出まかせがよく言えるわね。私は、男友達と遊んでいただけよ、浮気じゃないわ」


 鼻を鳴らし、女性は自信満々に言い放つ。


 ――――どこからその自信は出て来るのか。


 心優が呆れつつ、改めて女性の姿を見る。

 男性を誘惑するために着ているのかと聞きたくなるような服装に、げんなりした。


 スタイルが浮き出るインナーシャツに、白い上着。

 太もも辺りまでのスカートに、ヒールの高いロングブーツ。

 濃い化粧をし、明らかに狙っているのがわかる格好だ。


 そんな女性を、犬宮は冷めた目つきで見る。


「ちなみに、スマホを奪われている件については何も思わないの?」


「別に? 調べて見なさいよ。どうせ何もないんだから」


「確かにそうだね。君のスマホには何もなかった。これを奪ったところで意味はないのは知っている」


 犬宮の言い分に眉を顰めた女性だったが、直ぐに余裕な笑みに戻り勝ち誇る。


「なら、早くスマホを返してここから去ってくれないかしら。邪魔なのだけれど」


 もう、勝った。そう、言いたげに赤い唇が横に引き延ばされる。


 白い歯を見せ、女性は手を伸ばし言い放った。

 すると、奥から我慢出来なくなった拓哉が姿を現し、女性を呼んでしまう。


「ちょっ!」


 心優の隣を通った時に咄嗟に止めようと肩を掴むが、女性の視界にしっかりと映り込んでしまい、隠すことが出来なくなってしまった。


「母さん……」


「なっ、拓哉。なんで、貴方がここに…………」


 いきなりの息子の登場に驚き、女性は口をパクパクと動かし指をさす。


「母さん、もうやめてよ。もう誤魔化さないで。これ以上、罪を犯そうとしないでよ」


 涙を浮かべ、必死に止めようと鈴実の息子を目に、少しでも心が動いてくれたらと、心優は淡い期待を持つ。

 だが、その期待は、次の言葉により崩れ落ちた。


「意味が分からないわ。私はただ友達と遊んでいただけよ。なに、親になったら友達と遊ぶ事すら出来ないの? それって理不尽過ぎない?」


「そんな事言ってないよ。遊ぶのはいいと思う。でも、回数は抑えてほしい。家も酷い有様になってて、俺達はご飯すら食べられない。そんなの、あんまりだよ」


「黙りなさい、誰が貴方達をそこまで育ててあげたと思っているの? 母親に意見が出来るくらいに成長したのなら、もう一人で何でも出来るでしょ。なんでもかんでも私を頼らないで」


「何でもなんて無理だよ。そもそも、出来たところで家には何もないんだ。お金だってもう無い。どうすればいいんだよ」


「そんなの知らないわ、自分でどうにかしなさい。そうよ、貴方もう中学生でしょ?  バイトでもして家にお金を入れなさい。そうすればご飯くらいは買ってあげる。コンビニのおにぎりくらいだけどね」


 フフッと笑い、拓哉を蔑むような瞳で見つめる。


 ――――今の、親子の会話とは思えない。


 二人の会話にふつふつと怒りが芽生え、心優は顔を赤くし、拓哉を後ろに下げ前に出た。


 ――――許せない。一発、ぶん殴ってやる!


 そう思ったが、犬宮が拳を作った心優を止めてしまったため、殴れなくなってしまった。


「親が子供にそこまで言えるのは本当にすごいと思うよ。でも、どんなに言い訳をしたところで意味はない。君の悪事はもう全て、俺が嗅ぎ取った」


「っ、どういう事……」


 犬宮の言葉に、笑っていた女性は怪訝そうな顔を浮かべ問いかけた。


「今までの君の行動や男とのやり取り。それらを全て見させてもらったんだ」


「そ、そんなのありえないわ!!! 彼との会話は必ず消しているし、行動範囲にも気を使ったもの!!」


 焦りのあまり余計な事まで言ってしまった女性。


 すぐに自身の失態に気づき口元に手を当てるが意味はなく、犬宮は口元に歪な笑みを浮かべた。


「言っておくけど、今のは完全なる自白だよ。録音させてもらった。まぁ、これでは証拠不十分になりかねないから、僕が調べ上げた証拠達も一緒に弁護士に提出するけどね」


 スーツの胸ポケットから小さな録音機を取り出し、煽るように見せつけながら言い放つ。


「弁護士って…………」


「うん。あくまで証拠集めが俺達探偵事務所の役割。裁判とかそういうのは専門職にお願いするのが手っ取り早いでしょ」


 当たり前のようにその場から去ろうとする犬宮を止めようと、女性は「待って」と彼の腕を掴もうと手を伸ばした。

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