第2話 珍しい花
二人は八国山へ分け入った。数分程歩くと、先程の珍しい花が咲き乱れていた地点へと辿り着いた。
「この辺にいっぱい咲いてたよね?」
栞が確認を求めるように美咲にそう訊ねる。美咲は間違いないと確信した上で、そこには花がただ1輪のみが寂しげに、そして美咲と栞の来訪を心から嬉しんでいるように咲いているのを確認した。
「間違いない」
「花全然ないね」
栞が言う。栞は昔から騙されやすい性格をしており、冗談とそうじゃないものの区別もよくつかないほどである。それ故にすぐに花の思う壺になってしまったのかもしれないと栞、美咲の双方の意見が合致した。そこで栞はあくまで花は愛でるほどにしておき、美咲が花に興味を持ったふりをして花に接近を試みることにしたらしい。
「わぁ〜すごぉい、こんな花初めて見たぁ〜」
赤子でも演技と分かる程度に棒読みの演技をしながら美咲が花に話しかけるようにあまりに大きな独り言を吐いた。
栞はやっぱり心から思わないと、演技じゃ無駄なんじゃないかと、このとき心底思った。そして、美咲の絶望的な演技力に呆れさえ感じていた。
「今、下手な演技じゃ無理と思ったでしょ」
と美咲。図星である。栞は思わず目を横にずらすがバレバレである。
「確かにこの花は最終的には意識や心をのっとることを目的としてるけど、初めはそんなこと気にしてないと思う」
と美咲が持論を華麗に披露してみせた。栞側になんらかの不利益が発生しそうもないし、ひとまずそんな美咲を栞は見守ることにした。
「わぁ〜すごぉ〜いかんどぉ〜しゃちょぉ〜」
社長って誰だよ。
そんな端からみたら心が甚く病んでいるようにしか見えない花への讃美タイムを数十分ほど続けた所で周囲に変化が見え始めた。
「おい、美咲…これって…」
気づけばあたり一面珍しい花が広がっているのがすぐに分かった。しかし、美咲はそのことに気付いていないのか、依然として一人花に致死量の褒め言葉を与え続けていた。
「おい、美咲!もういいんじゃねぇか?」
そういいながら栞は美咲の肩を叩く。
「うるせぇ!」
美咲はそういいながら栞の方へ振り向くと、爪を立てて栞の頬を引っ掻いた。栞の頬には人差し指、中指、薬指の爪が作り出した痛々しい裂傷が出来上がった。
「な…」
見ると美咲の目は瞳孔が酷く小さく縮小した上に、目を1時間ぶっ通しで擦り続けたように充血しきっていた。おまけに目が回遊魚のように休みなく、かつ乱数的に動き回り目が合わない。
「これが…花の力…」
どうやら美咲は花に完全に意識を乗っ取られたように見えた。
何度か美咲と会話をしたり、目を醒ますように訴えかけたりしてもまるで会話は成立せず、それどころかこちらの声が届いているのかも怪しいような反応、例えば露骨すぎる無視や話の途中に奇声を発するなど、を見せていた。
「これも演技なんだよな…」
そう美咲に言い聞かせても何も答えてはくれなかった。第一、あんな大根役者も驚くほどのひどい演技しかできない美咲がこんな、カメレオン俳優もびっくりするほどの迫真の演技を見せることはあり得ないと、本人を除けば自分が一番よくわかっているはずである。自分自身が今の現実から目を逸らしたいだけだった。
しかしそこは頭の良い美咲、今なることも想定して栞との打ち合わせの際に取るべき行動を事前に栞に伝えていた…はずだった。
「まずい…頭が真っ白で何も思い出せない…」
栞は狂おしいほどに焦った様子を見せるとそう呟いた。栞は目を見開き、少しの涙を目元に含ませ絶望に打ち拉がれた様な表情を見せながら下を向いていた。
「おちつけ…」
「思い出せ…」
「焦るな…」
そう自分には言い聞かせていはいるものの、焦りは留まることを知らず、寧ろどんどん焦りの底なし沼にハマっているようにも感じられた。
「何か…ヒントを…」
栞は思い出す手がかりはないか、記憶をはじき出すトリガーがないかそこら中をキョロキョロと見渡しながら小さな声でブツブツ物を言い始めた。
「花…森…山…絶望……焦るな」
「花…意識を食べる………」
「意識を食べる………?」
栞は何かを閃いたかのような表情を一瞬作ると大きな声で叫んだ。
「思い出した!」
そう、美咲の計画はこうである。
「「私もできる限りの注意をするが、私の意識を乗っ取られる可能性はいうまでもなくある。いや、寧ろ高い。そんなときは私を気絶させろ。奴らは私達の意識を餌として捕食している。もし、その意識そのものがぶっ飛んでしまえば食べるための、乗っ取るための意識がなくなるわけだからこちらを捕食する意志はなくなるだろう。」」
「私は…美咲の意識を失わせなければならない…」
栞は落胆とも絶望ともとれる口調で、溜息まじりにそう呟いた。意識を失わせるといってもそう簡単にはいかない。自分にそんな力があるとも思えないし、あったとしても親友の後頭部を殴打するなんてとてもじゃないができる気がしなかった。
足元には1m程の長さを有する落枝が確認できた。太さはスーパーで売っている一般的なソーセージより一回り大きいくらい。恐らく、栞を気絶させるには十分な威力があるだろう。
栞はその落枝に目をとめると一瞬悩んでみせた。いくら本人の頼みとはいえ、親友を痛めつけるなんてことができるのだろうか、いやそもそもやって良いことなのだろうか…そもそも私に出来るのか。
しかし、美咲の目を見た瞬間に栞は決心した。
「きっと美咲も苦しんでいるはず…この苦しみから逃れられる方法はただ一つ…私が気絶させること」
そう小さく呟くと、そのぼっこを拾い上げ大きく後ろに回し、美咲の後頭部を思いっきり殴打した。
その衝撃はぼっこを通して間接的にしかし生々しく自身の手に伝わってきた。はっきり言って気味が悪い。栞はこの瞬間、殺し屋には向いてないだろうということが分かった。
栞が美咲の後頭部を殴打した瞬間、美咲は一瞬だけ正気を取り戻したように「痛!」と言うとそのまま倒れてしまった。息はしている。ただ、いくら揺すっても起き上がる気配はニュートリノの半径ほどもない。
美咲が意識を消失させてから数分、花たちが次々と枯れるように俯いては消えていくのが見て取れた。これは逃がすまいと、美咲は1輪の花をガシッと掴むとその花を引っこ抜こうと地面とは反対方向に向かって引っ張り始めた。
通常の花であればこれくらいで抜けるか、茎や根が千切れるかするはずだが、とても華奢なその花はいくら引っ張っても抜ける気配がなかった。もし、これが勇者の剣であれば、自分は勇者じゃないと確信し引っ張るのを止めるところだが、彼女は止める気配はなかった。寧ろ引っこ抜いてやろうという気持ちはどんどん強まっていった。
花はまるで動物が引っ張られるのを拒むように地面からびくともしなかった。否、その花は最早動物であると言って差し支えない程度に意思を持っているように栞の目には写った。
「おりゃぁぁぁあああああ」
そう叫びながら栞が花を火事場の馬鹿力の数万倍とも思われる馬鹿力で引っ張るとようやく花を引っこ抜くことができた。引っこ抜いてみると案外根は浅く、そして茎や根、草には全くと言って良いほど傷がついていなかった。
その花は、本当にそれまであんなに抜けなかっただろうかと思うほどひ弱で健気な可憐な花に見えた。美咲からの忠告もなく、且つ美咲がこんな酷い状況になっていいたりしなければ、この花に強く惹きつけられたに違いないと栞は思った。
「これ、どうしよう…」
栞が元気なさげに横たわる花を掌の上に載せ、そう溜息まじりに呟いた。
すると、何故か分からないが、突然その花がのたうち回る様に動き出した。
「うわぁ」
あまりの気味悪さに栞はその花を地面に叩きつけると、気を失った美咲を自らの背中におぶしょり、逃げる準備万端という感じで登山口の方へ向かった。ここから登山口まで1kmあるかないか、本気で走れば美咲を背負ってるとはいえそこそこの速さで着けるはず。そう確信した栞は登山口に向かおうとした瞬間
「ガサッ」
と花の方から大きな音がした。まるで、枯れ葉の敷き詰められた山道に鳥が落っこちた様な音。
すぐに逃げれば良いものの、人間こういうときはその正体が気になり、一瞬逃げることを忘れその音源の方向へ振り向いた。
「なっ…」
そこにいたのは、倒れた女性だった。
人間だとすればちょうど大学生くらいだろうか。きれいな洋服はボロボロで、ダメージシャツとかダメージパンツとかの域を大きく逸脱していた。
「大丈夫…です…か?」
栞はおぶっていた美咲を近くの木の幹の所へ座らせると、その人に近づきそう訊ねた。大丈夫なはずがない。
「んん…」
「あ、何か言ってる?」
「ん、あれ?」
声を出したのは美咲だった。紛らわしい。見ると確かにその人間は口を動かしていない。単に間違えただけだったようだ。
「美咲!大丈夫!?」
「いや…大丈夫だけど…何かあったのか」
美咲は当然これまでどの様なことが起こり、その結果今このような状況になっているのかは知っているはずがない。もしも知っていたとしたら美咲はとんでもないカメレオン俳優であり、こんな田舎で不思議体験をする前にどこかの事務所へ行ってきたほうがよっぽど良い。
当然そんなことはないわけで、栞は美咲に今までのことをできる限り詳細に教えてやった。
「なるほど…、ひとまず助けてくれてありがとう」
と美咲。
「それで、あの女性は何なんだろうな」
と感謝の言葉を伝えたと思ったらその疑問を栞にぶつけるように、しかし独り言のように呟いた。
「う〜ん分からないけど」
と首を捻るしかない栞だったが、一つだけ予想を持っていた。
「これはただの予想なんだけどさ」
「何?」
「多分、この女性は花にすべての意識や心や、更には体までも乗っ取られたんじゃないかな」
それを聞く美咲は無表情のように見えたが、何かを思いついたような表情を一瞬だけ作ると
「確かに、それはありえる」
と言い放った。
しかし美咲はどうも納得がいっていないようだった。栞は絶対にこの主張正しいでしょと言わんばかりのしたり顔である。
「でも、1つ気になるんだけど」
と美咲。
「今はお花が1輪も見えないよね?」
美咲の言う通り辺りには、その珍しい花を目視では1輪たりとも確認できなかった。
「たまたまじゃない?全部見てきたわけじゃないし」
栞の言うことももっともで、八国山から無作為に抽出した5000地点とその半径1メートル以内に花が1輪も確認できなかったのならまだしも、今栞達がいるのは無作為に選んだ訳でもない、たまたま前に花を確認できた場所である。
「私達が最初ここに来たとき、1輪だけ咲いてたよね?」
と美咲。それに対して栞は無言で首を縦に振り、同意のニュアンスを美咲に伝えた。
「花は消えたり出てきたりはするが、その位置自体は変えられないんだと思う。そして、あの1輪の花は消えたりせずに最初からあって、引っこ抜いたあとも、人間に姿形を変えたものの消えずに実存を続けている。」
美咲はそういうと、栞は実にキョトンとした顔をして美咲の方を見続けた。説明を求めているらしいことは長年友達をやっている美咲には直ぐに分かった。
「簡単に言うと、いや結論から言うとあの人間自体があの花たちの親玉だと思う。」
と美咲は言った。
「え…!?」
栞は一瞬だけ沈黙を与えたと思った刹那、驚いて見せた。
「じゃぁ、あの人は人じゃないってこと…?というか、ならあの人殺さないといけないの…?え、でも私捕まりたくない!高校生前科者なんてやだよ…」
栞はそうとう焦ったのか、あるいはどうすれば良いのか全くわからなくなってしまったのか早口によくわからないことを言い始めた。はっきり言って栞がここまで自我を失くしたかの様に焦り、取り乱しているところは珍しく、動画でも撮って記録しておこうかとも美咲は思ったが、明らかに今じゃないと察し、スマホをポケットへ仕舞った。
「大丈夫だ」
美咲が栞を宥める。
「恐らくあの花人間はまだ死んではいないようだ。少し話を聞いてみよう」
美咲がそう栞に言うと、美咲は栞の手をギュッと握る。この行動に美咲のどんな意識が込められているのかは、美咲自身にしか分かるまい。
美咲が手を離すと、ちょうど美咲が殴られた木の棒を持って“花人間”を殴打した。確かに目を醒ますかもしれないが、あまりに乱暴である。
「んぅ…」
運良くその衝撃によるものかは不明だが、意識を取り戻した。
「ここは…」
と、真夜中に電話が鳴って起こされた人間のような重そうな瞼でそう訊ねる。
「ここは所沢市、ちょうど八国山の東端附近です。」
と美咲は冷静に今の地点の情報を伝える。
「だめだ…!今はこんなことをしている場合じゃ…!」
そう急ぎながら言うと、立ち上がり何処かへ走ろうとした。しかし、ついさっき美咲に殴打された箇所が痛むのか、いてて…と言いながら直ぐに蹲る。
「そんなに急いで何処へ行くんですか?」
いつの間にやら冷静さを取り戻した栞が訊ねる。
「西の山へ行かないと行けないんです。」
「西の山…?」
美咲と栞が息ぴったりに聞き返す。
その後、花人間は頼んでもいない説明を突然始めた。
「私の名前は黒谷ユマ(くろやゆま)だ、名乗りが遅くなりすまなかったね。私の自己紹介は一旦置いておいて、実は今埼玉県附近の山々で様々な異常現象、いや怪奇現象と表現すべきかな、まぁともかく不思議な事が色々発生していてね、私はその辺を調査してたんだよ。」
ふむふむと適宜首を振ったり相槌を打ったりしながら美咲と栞の二人はユマの話に耳を傾けた。
「その中で、飯能の天覧山という低山で新種と見られる花が突然数千輪ほどにわたって咲き始め、登山道が使い物にならなくなったときいて調査をしようと思ったんだ。」
「紫色の背が高いやつですか?」
美咲が聞き返す。
「いかにも。私がその花について調査しようと、花を摘んだ瞬間に突然強い目眩と頭痛に襲われてね、気付いたらここに居たってわけさ」
それまでユマの目を凝視しながら興味深そうに話を聞いていた美咲と栞だったが、話が終わったことを悟ると美咲は一旦考え事をするかのように目を閉じた。
「もしかしたら」
美咲が言う。
「もしかしたら、その花は人間の意識を乗っ取って移動してきたのかも」
美咲が今まで聞いたこと、そして経験したことをもとに推測したであろうことを突然言い出した。
「なるほど。でも、証拠がな…」
「証拠とは?」
「もし、それが本当だとしたらまだ手の打ちようがあるかもしれない。例えば誰かが囮になって移動する方向へ一緒についていくとか…でも、証拠がない以上そんな危険なことはできない。」
その言葉に美咲は一瞬黙ってしまう。
「大丈夫!」
話を遮るように栞が立ち上がりながらそう大きな声でいう。一体何が大丈夫なのだろうか。
「証拠は私達が見つければ良い。それだけでしょ?」
「どうすりゃいい?」
「知らないわよそんなの。適当にケセラセラで行きましょう。」
こう思い込んでしまった栞は親だろうが校長だろうが、総理大臣だろうが誰が止めようと止まらないだろうことは美咲が今までの経験から一番と言って良いほどよく分かっていた。
「分かった。天覧山へ向かうのは良いが作戦とかを決めてからにしよう。」
美咲がそう提案した。栞もその言葉に多少冷静さを取り戻したのか一瞬だけ考え込んで
「そうね」
と同意した。
「何か危ないことに遭遇したら…」
と美咲がいうと
「私が責任を持ってなんとかしよう。」
そうユマが発言した。まだこの言葉を信用できるほど仲良くもないし、且つお花にされてしまった経緯もあることを考えると若干心許ない気もしたが、仕方ないのでそこはユマに任せることにしたらしい。
「まぁ、そこは臨機応変ということで」
美咲がひとまずそうまとめる。
「一番重要な移動手段だが」
美咲が言い終わるか言い終わらないかギリギリのタイミングで発言する。
「自転車が良いだろう。」
その発言に栞と美咲の両者が絶句した。それもそうだ、自転車じゃ何時間もかかるだろうし、体力も持つかどうか分からない。普通に考えたら電車か、百歩譲ってバスである。
「なんで自転車…?」
栞がそう訊ねる。当然の疑問であり、ユマもその質問は想定していたらしく少しの間も空けずその疑問に対する答えを吐き出した。
「我々が相手にするのは山々の怪奇現象。電車で山を通り過ぎてしまっては何の解決にもならない。その点自転車であればある程度の速度で、一つ一つの山や怪しい地点を巡ることがてきる。」
そのユマの答えにひとまず納得するしかなかった二人はその主張を聞き終えた後、二人目を合わせ「分かりました」と同意をあらわした。
「でも、自転車なんてどこで買うんですか?」
美咲がユマに聞く。
ユマの質問に対して、栞が答えた。
「近くのコンビニの前に確かレンタサイクルがあったよ」
「よし、それでいこう」
ユマはそのレンタサイクルに乗り天覧山方面に向かうことを同意したようだった。
ここから二人は近くて遠い天覧山へと向かうことになったが、その道程は決して楽ではないだろう。
「よし、行こう!」
栞の掛け声にあわせてユマと美咲も出発した。向かう先、西の空には暗く重たい雲が立ち込めていた。
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