第8話 初めての注文

 そして、その日は割とすぐに訪れる。3日後金曜日の昼休み、わたしは合わせた3人の机の真ん中に封筒をスッ……──と置いた。


「ほほえみ証券の口座でございます」

「わあー!」


 パチパチパチ! 音と蓮ちゃんの拍手を受けてなんだか誇らしい気分になりつつ、わたしは2人にメモを渡す。


「IDとパスワードはこれだよ。ログインできるか試してみて! あと、取引パスワードってのが必要で、わたしの誕生日にしちゃった」

「あ! パスワードにウチの誕生日も入ってる! やりぃ!」

「……このメモ、絶対なくさないようにしなきゃ……」


 蓮ちゃんがなんだか青くなってるけど、メモじゃなくてメールで送ったほうがよかったかな? まぁいいか。


「それで、昨日連絡した通り……。今日はみんな、“アレ”……持ってきたよね?」


 わたしはどこぞの闇商人のように、ファイルからちらりと1つの封筒を取り出して見せた。封筒はみずは銀行でもらってきたもので、薄いし軽いけど別の重みがある。蓮ちゃんはさらに顔色を青くしてこくりと頷き、音はビッと親指を立てた。




 放課後になり──わたし達は戦いに赴くような心持ちでコンビニの自動ドアをくぐった。目指すはATM! 軍資金である9万円を、ほほえみ銀行に入金するのだ!


「うはー、なんか緊張するぅ」


 音が手で顔のあたりをパタパタと扇いでいる。その後ろを、ゲッソリと頬をやつれさせたわたしと蓮ちゃんがよぼよぼ追った。


「はぁ……やっと解放されるぅ。朝から大金を持ってるのがもう怖すぎて……」

「わ、私も……ほぼ、全財産だから……」


 大金を持っていると思うと、ひったくりとかスリとか、普段考えない「こうなったらどうしよう」的ネガティブ発想が極めて高まってしまうことを初めて知った。学校にいるときはロッカーに入れておけば安心だけど、電車の中や街中での緊張感ときたら……周りの人すべてが敵に見えるという恐ろしさ! しかしATMに入れてしまえば、もう安心なはず。

 いそいそとコンビニの奥にあるATMに向かい、ほほえみ銀行のカードを入れて、取引開始ボタンを押した。コンビニのATMは引き出しでしか使ったことがないので、入金は初めてで勝手がわからず指が迷う。


「えっと……入金だよね」


 なんとかボタンを操作するとお金を入れるところがぱかっと開いた。わたし達はそれぞれ手に持っていた封筒から3万円を取り出して、入れる。


「……投入!」


 わたし達の気持ちが詰まった9万円よ、いざ行け──。

 必ず生きて戻れよ……!


 9万円は難なくATMに吸収されていった。


「こ、これでいいはず……」


 預け入れが完了してからすぐにスマホを確認すると、ほほえみ証券の口座残高が9万円に増えている。


「はぁ……! 入ってる! ほほえみ証券の口座に9万円が入ったよ!」

「これで準備が整ったね……!」


 やつれていたわたしと蓮ちゃんのほっぺたが、ぷくりと通常の状態に戻った。ふー。

 って、なんだか一仕事終わった気分だけど、まだまだこれからだ。




 わたし達はマクドルに移動して、宿題を発表することにした。最初に買う銘柄の件である。


「じゃあ、ウチからね! ウチが調べたのはぁ……」


 トップバッターは音。「ドゥルドゥルドゥルドゥル……」とやけに長ったらしいドラムロールを真似してから、「ジャン! 本愛堂!」とようやく発表した。


 ほう、本愛堂ね。

 本愛堂はあちこちに店舗があるお馴染みの本屋さんだ。


「ニコタマにあってさ、たまに行くんだ。株価は340円。マジ安いっしょ!?」

「へぇー! いいじゃん!」

「身近なチョイス、素敵だよ」


 そう言う蓮ちゃんの目元は爽やかな笑顔だけど、口元を両手で抑えているせいで若干籠った声になっている。な……なぜ? まぁいいか。


「じゃあ次はわたしね。わたしは、ワイアドベンチャーって会社だよ。音、わかる?」

「えっと……知ってる気がするぞ。あ! わかった、ゲーム会社だ!」

「正解! これも580円だよ」


 宿題が出てからというもの、あらゆる会社の株価を検索しまくった。最初はわたしの愛するケーキ屋さんから調べたけど、たくさん店舗があるような大手のケーキ屋さんでも上場しているところはなくて、見つけられたのは藤井家だけ。でも藤井家も株価が2300円と23万円するのであえなく断念となり……。それから部屋の中にあるもので何かないかな~と探していたら、棚に入っていたお菓子作りゲームの開発会社がワイアドベンチャーだったので、調べたらビンゴだったのです!


「最後は私ね。私は、コニシミノルデルンって会社だよ」

「こにしみのるでん?」


 蓮ちゃんが調べてきたコニシミノルデンは、オフィス用の複合機、印刷機、液晶ディスプレーのフィルム、医療向け製品など様々な事業を展開している会社らしい。株価は420円とお手頃だ。


「コニシミノルデン……どこかで聞いたことがあるような……?」


 今聞いた事業の分野的にわたしが知っているはずないのに、なぜか聞き馴染みがあるのはいったい……?


「他には、プラネタリウムの開発もやってるみたい」

「あっ、それだ!」


 プラネタリウム、ついこの間、音と2人で行ったばっかり! 映像の最初に社名が出てきたんだ。


「ほんと! どうだった?」

「うん、映像がキレイで、すごくよかったよ!」

「アロマのいい匂いがして、ガチ癒されたわ~!」

「いや、音はずっと寝てたでしょ」

「だからガチ癒されたって言ってんじゃ~ん?」

「な、なんかうぜぇ……」


 さて、こうして3人の候補が出そろったけど……。


「蓮ちゃん。この中からどうやって決めるの?」

「うん、チャートを見てみるね」

「チャート……?」


 蓮ちゃんがスマホを操作して、棒グラフの画面を見せてくれた。


「これがチャートと言って、株の値動きを表したものなの」

「へぇー」


 チャートと呼ばれるそのグラフには、下側が日付で右側には株価の目盛りがあった。日付ごとの株価を表しているのはわかったけど、棒は長さがマチマチで長いのも短いのもある。


「うーん? これじゃ、株価が結局いくらなのかわからなくない?」


 と聞いたら、蓮ちゃんがほっぺに両手をあててうっとりと目を細めた。


 えっ、なにそのリアクション!?


「あ、ごめん。新鮮な疑問が嬉しくって……」

「しんせんなぎもん」

「これはね、株の1日の値動きがグラフになってるの。株価は1日の間にどんどん変わってくものなんだよ。だから、例えばこの本愛堂の7月1日は、右の目盛りの350円から345円にかかっているよね。すると、350円から345円に下がったってことがわかるよ」


 音はふむふむと頷いて聞いていたが、ん?と首を捻って尋ねる。


「下がった? 値動きしてるのはわかるけど、下がったか上がったかってどうやって見分けんの?」


 またもや蓮ちゃんは心臓に手をあてて夢心地のような表情をした。


「上がったか、下がったかは棒の色でわかるの。棒──ちなみにこの棒はローソク足っていう名前があるんだけど、赤と青の色のがあるでしょ?」


 たしかに、ローソク足と呼ばれる棒には赤色と青色の棒がある。赤い方は棒の中が白くて青い方は塗りつぶされている。


「この赤い方は株価が上がったことを表していて、青い方は下がったことを表してるんだよ」

「なるほど~、7月1日は青いローソク足だから、下がったってわかったんだね」


 わたしの言葉に、蓮ちゃんが満足気に頷いた。


「それでチャートを見てみると、本愛堂のここ数か月のチャートは、ほぼほぼ340円近辺でウロウロしていて、値動きがあまりないね。こういう状態だと、持っていても利益になりにくいかな」


 利益になりにくい──ねぇ。


「そういえば、株ってどうやって儲けるの?」


 なんとなく利益とか儲かるとか聞いてたけど、そういえばどういう仕組みなんだっけ? って、こんなことも知らずに株を始めようとしていたのか、わたしって……。

 疑問と同時に自己嫌悪にもなっていたら、音が「カンタン、カンタン!」と笑った。


「株は『安く買って高く売る』でしょ、なるっち?」

「うん、その通り。会社がこれからもっと成長する、株価が上がると思える会社を買って、狙い通り株価が上がったら売れば、その分の差額が利益になるんだよ」

「なるほどぉ……」


 考えれみれば、うちのおにぎり屋も同じだ。たしか原価は70~100円くらいだってお父さんから聞いたことがある。だけど販売価格は300~400円くらい。もちろんこれを50円で販売したら赤字なわけで……。安く作って高く売る。安く仕入れて高く売る。それができれば商売として成り立つ。これぞ商売の基本なり!


「買った値段と同じくらいの値段で売っても、しょうがないよね」

「うん。それからワイアドベンチャーは……先月まですごく上がってたけど、今ちょっと下り坂に入ったって感じ。今買っちゃうとさらに値下がりする危険が高そう……」


 そんな未来を想像して、ぶるっと背筋に震えが走った。


「うわあ、絶対やめよう! コニシミノルデンは?」

「これなんだけど……」


 と、蓮ちゃんが見せてくれたコニシミノルデンのチャートは、全体的に右肩上がりだった。小さく上がったり下がったりを繰り返しながら、徐々に株価を上げている。


「うぉ! いいんじゃね? これ!」

「安く買って高く売る、できそう!」

「だよね。この華麗な右肩上がり……胸がこう、キュンってするよね!」


 ケーキ趣味に関してはわたしはオタクだと思っていたけど、蓮ちゃんの方がずっと深刻だった。ずっと限界集落に暮らしていた子供が初めて友達に出会ったみたいになってる。なんか、かわいそう……大事にしてあげたい。


「本当はもっと業績とか指標とか見なきゃいけないんだけど、おいおい紹介するね」

「う、うん!」

「うっし、最初の株はコニシミノルデンに決定だぁ!」


 音が掲げた手に、わたしがハイタッチして、それから蓮ちゃんも続いた。パン!と気持ちのいい音が鳴り響く。

 そんなこんなで、記念すべき最初の株は、コニシミノルデンに満場一致で可決しました。


「……で、株ってどう買えばいいの?」

「さっそく注文をしてみよう。花ちゃん、ほほえみ証券を開いてくれるかな」

「は、はい!」


 ほほえみ証券のアプリを開いて、コニシミノルデンと検索して銘柄情報を開いた。


「注文ボタンから『現物買い』で、数量は100株、価格は『指値(さしね)』で420.0円」


 言われるままにポンポンと入力を進めていく。これでもう買えてしまうのかと思うと、ドキドキしてきた。

 スピード感が早い! ちょっと休憩したいって言おうかな!? と焦っていたら、「指値って何?」と音が質問してくれた。


「注文の仕方は指値と成行(なりゆき)ってのがあって、指値は買いたい値段を指定して注文することで、成行はその時ついた値段で買うことだよ。成行は絶対買いたいって時に使うんだけど、すごく高い値段で買っちゃうこともあるから、私はあんまり使ってないんだ」

「「ヘェ~」」


 なるほど。いくらでもいいからとにかくほしい! ってのが成行か。わたしにそんなお金の余裕と度胸はないな……。


「あ、花ちゃん。執行条件は来週中にしてね」

「来週中? 今日じゃなくて?」

「今日はもう株式市場が終わったから。15時までなの。それに土日祝はお休みだから、この注文が通るのは来週の月曜日からだよ」


 ホッ! なーんだ、今じゃないんだ。来週かぁ! それなら心の準備ができそう。


「最後に、口座区分は特定でね」

「うん!」


 暗証番号を入力すると、あとはもう注文ボタンを押すだけだ。コニシミノルデンの値段は420円だから、100株で42000円。


「じゃあ、注文で」


 蓮ちゃんと音が、期待の眼差しでわたしの指が動くのを待っている。だけど……。


 え、待って、こわいこわい。途端にリアルな実感が襲ってきた。これって、4万円の買い物するってことだよね? 4万円の買い物なんてしたことない! このポチッとで注文になっちゃう。手が震えてきた!


「お……押せないよ。こわいよ……!」


 わたしはスマホをテーブルに置いてしまう。


「アハハ! 押すくらいで何ビビってんの?」

「じゃあ音が押してよ!」


 余裕ぶっこいてる音にずいとスマホを押し付けると、「ん……」と音も肩を強張らせた。


「あれ~? 音もビビってんの? ねぇ?」

「も~、うっさーい!」


 煽り返されて、音が赤くなって怒りだした。へへーん! 人をバカにしたからだよー。

 すると、音が突然「あ!」と声を出した。


「そーだ! 赤信号、みんなで渡れば怖くない。これで行こう」

「へ?」

「はいはい、お手を拝借♪」


 音がわたしの手を取って、人差し指を伸ばす。


「みんなで押せば怖くないよね!」

「み、みんなで……?」

「こうやって……みんなのパワーを集めるんだっ!」


 わたしの手の上に自分の手を置いて、さらに蓮ちゃんの手も引っ張ってきて重ねた。みんなで押すって、こういうことか! さすがにこれなら心細くない。


「花ちゃん、大丈夫そう?」

「う、うん!」

「ほんじゃ、行くよ。ちゅー、もんっ!」


 2人の手に導かれるがままに、ぽちりと注文ボタンを押した。「注文完了」ページが表示される。


「はー……!」


 やっちゃった! 注文できちゃった!

 わーーーー、こわいよーーーーーっ!

 神様、どうか初白星を、よろしくお願いします……!

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