第5話 後悔の夜


 マクドルでの楽しい時間から、一転。自分の家に帰って、わたしはリビングのテーブルに突っ伏して白目を剥いていた。猛烈に後悔しながら。


 あーーーーーーーー

 調子のったーーーーーーーー


 よく考えたら、当たり前だけど、損する可能性だってあるんだよね? 普通に考えて大事な貯金をそんなのに突っ込めないって! 確かに、うまくいけば儲かるかもだけど……初心者でそんなにうまくいくことってある? ないよ!


 その場の雰囲気と蓮ちゃんの笑顔が可愛くて流されてしまった……。もしかして、わたしって詐欺に遭いやすいんじゃ? 大丈夫?


 グゥ~と間抜けな音がして、お腹が空いていることを思い出した。こんなに思い詰めていても、お腹は減る。すこし頭を上げて壁掛け時計を見ると、時刻はちょうど19:30。1階のおにぎり屋は21時まで営業しているので、まだまだ両親は戻ってこない。

 わたしはキッチンにできているスープをお椀にすくって、電子レンジに入れてあたためボタンを押した。


 わたしを悩ませる原因は他にもある。3人で一緒にやるのはいいとして、なぜか成り行きでわたしが代表者になってしまったのだ。証券口座を作るのに、家にパソコンがあって使うのも慣れているという理由でわたしに決まってしまい……。一番やる気のない人に代表を任せるなんて、間違ってるよ、2人とも!


 はぁ……でも、あそこで断ったら仲間はずれになっちゃってそれも嫌だし、もしも2人がうまくいってたら逆に「わたしもやればよかった」って思ったかも……? ああああ。どうすればよかったの?


 モヤモヤぐるぐると考えながらも夕飯を食べ終えて、食器を片付ける。そしたら、次はうーすけの餌やりだ。うーすけはわたしが10歳の頃から家にいるペットのうなぎで、おじいちゃんが飼っていたけど、おじいちゃんは3年前に他界。それからは一番懐いている(と思われる)わたしが面倒を見ている。うなぎをペットにしてると言うと高確率で「いつ食べるの?」と聞かれるけど、食べないよ!!


「うーすけゴハンだよ~」


 うーすけを呼ぶと、住処の土管からひょこっと顔をだした。エサを求めて水面に向かって伸びてくるうーすけの口めがけて、エサを投入する。


 うんうん、今日もうーすけは元気そう。


 パクパクと食べる可愛い姿に癒されて、少し気が晴れてきた。


 ……そうだ、こうやってうだうだしていてもしょうがない。ちょっとでも調べてみなきゃ。




「うーん……お、あった」


 自分の部屋の本棚から、高1の時の公共の教科書を発見した。


「確か最後の方だったっけ……」


 ぺらぺらと教科書をめくると、終わりの方の「金融」というテーマの中に株式投資のことが書いてあった。約300ページの厚い教科書だけど、株について書いてあるページは2ページしかない。


「将来に必要な資金を形成するために、銀行にお金を預けて運用するだけではなく、より積極的な投資が推奨されている……」


 ……ああ、ちょっと思い出してきた。


 日本は少子化が進んでるから、将来にもらえる年金の額が少なくなるって先生が言ってたっけ。今からじゃ想像もつかない遠い話だけれど、いつか65歳になって自分が仕事をやめたときのために、しっかり老後の資金を貯めておかなきゃいけないって。

今は銀行に預けておいてもお金は増えないけど、お父さんとお母さんが若い頃は銀行に預けておいたら勝手にお金が増えたらしい。何、その最高な時代? わたしもその時代に生まれたかった……。

 で、しょうがないから自分で投資してしっかり資産形成しようねってことになる。ていうか教科書で投資を勧めるほどって、かなりガチめにヤバイの? わたし達世代の老後って……。

 将来に対する不安が雨雲のようにもにゃりと広がって、わたしは眉をひそめる。

 老後のためには、堅実に資産形成した方がいいのでは?という気持ちが膨らんできた。……となると。あれ、もしかして、株って将来避けられないものなんじゃ? 大人になってやらなきゃいけないなら、今からやってても別に悪いことない、むしろ良い……?

 ……うう。でも、損することもあるんだよ!? それについてはどうなんだ、教科書よ!


 次のページを見たら、ちゃんとそのことも書いてあった。「金融商品にはリスクとリターンが発生する」。


 うんうん、そうでしょ!? 


「さ……債券? 投資信託? 株式など、様々な商品の内容や違いをよく把握してから購入しよう」


 ……と言われても、そんな日本語聞いたこともないよ。


 わたしはさらなる情報を求めてページをめくったが、次は違うテーマに変わっていて、投資の説明は以上だった。


 ──みじかっ。

 こ、これじゃ何もわからーん!




 教科書からのこれ以上の情報の取得を諦めて、居間に移動した。蕪木家の居間には、家族兼用のノートパソコンがある。ちょっとした調べ物ならスマホでするけど、パソコンの方が画面が大きくて見やすいのでわたしは好き。

 インターネットで「ほほえみ証券」と検索すると、すぐにホームページが出てきた。株を始めるには、まずは証券口座を開くところから始まるらしい。世に証券会社はたくさんあるらしいけど、蓮ちゃんのおすすめである「ほほえみ証券」でやることになっている。

 知らない単語がたくさん並んでいるホームページをぼんやり見ていたら、「初めての口座開設」という初心者マークのイラストがついたバナーが目に留まった。


 あっ、はいはい! わたし、初めてです。初心者です!


 バナーをクリックすると、男女のポップなイラストと共に「ほほえみ証券は選ばれて証券口座開設数No.1」と紹介されていた。取引手数料がないとか、ポイント還元があるとかが人気の理由らしい。


 ん? これって……。株をやることになってる前提の人への話? 株をやるメリットとか書かれてるのかと思ったのにぃ!

 投資信託? IPO? 米国株式? なんだそりゃあ。知ってて当然のことのように書かないでよね!


 内容は株に対して猜疑心を抱いているわたしへの後押しをしてくれるようなものではなくて、結局「よくわからない難しいもの」というイメージが膨らんだだけだった。

 ていうかこれまでお金の勉強なんて一切してこなかったし、社会とか経済のこともまったく詳しくない。新聞はテレビ欄しか見ないし、テレビのニュースもほぼ見ない。そんな人間が株だって? 無理に決まってるよ……。


 半ば泣きたい気持ちになりながら、「口座開設はこちら」というボタンをクリックしてみる。すぐに口座開設をする気はないけど、とりあえず見るだけのつもりで。

 メールアドレスの入力画面が表示されたが、その下に「未成年口座フォームはこちら」と書かれている。

 

 ……ん?

 未成年は専用の申し込みフォームがあるの?


 リンクをクリックしてみると、未成年が証券口座を開くにはまず親権者が口座開設をする必要があると書いてあった。


「……えっ! 先に親が口座開設しないといけないの!?」


 お父さんとお母さんから株の話なんて聞いたことがないから、多分やってない。毎日忙しいのに、わたしのために口座開設をお願いするのは気が引けるなぁ……。そもそも、「そんな危ないことやめなさい!」って言われるかも?


 わたしはポンと手を打つ。


 そうだ! もし親に反対されたら、株ができないのも仕方ないよね。なんてったってわたしは未成年だし。親が許してくれなくって──そういう理由なら2人にも正々堂々とごめんねって言えるし、わたしも諦めがつく。


 自分じゃいくら考えても、やった方がいいのかやらない方がいいのか踏ん切りがつかない。ちょっとずるいかもしれないけど、お父さんお母さんの意見に任せて──


「株に興味あるのか?」

「ンギャアアアッ!!」


 真後ろから声がして、プテラノドンみたいな叫び声を上げてしまう。


「あ、ゴメン。驚いた?」

「驚いたよ!!」


 声をかけてきたのはお父さんだった。


「いやぁ、一生懸命パソコン見てるから何かなって思って」

「後ろから覗くなんてプライバシー違反だと思いますっ!」

「なんの話―?」


 続いて、片付けを終えたお母さんも上がってきた。時計の針は21:10を示している。


 あれっ、もうそんな時間だったんだ。油断した……!


「花が株のこと調べてるんだよ」

「えっ、株?」

「え、えーと……」


 両親が「さぁなんでも聞くよ」という顔でテーブルに座った。心の準備がまだだったけど、まぁ機会としてはありがたい。わたしは転校してきた子と音が株を始めようとしていて、自分もやろうかどうか迷ってると正直に話した。

 両親はふんふんと真面目に話を聞いてくれていて、株というワードに対して即座に拒否反応を示すというようなことはないみたいだ。

 でも、なんか話せば話すほどやはり無謀なことをしようとしているんじゃないかという気になってきて、諦める方向に気持ちが傾き始めた。


「高校生でも証券口座は作れるみたいなんだけど、でも株ってリスクも大きいじゃん? やっぱり高校生には早いから──」

「いいんじゃない?」


 諦めようと思う、と言おうとしたら、かぶせ気味に何か言われた。


 え、今、なんて……?


「いやぁ、花はお釣りの計算が早いなぁと思ってたんだよ」

「そうよねぇ! 数字に強い才能を活かせそうじゃない?」


 両親はニコニコして頷きあっている。


 えーっ! 賛成されたーっ!?


「ま、待って! 株だよ!? 損するかもしれないんだよ!?」

「んーでもお母さんのイメージでは、花は慎重だから、そんなに大きく出られないと思うけど」


 そ、それは確かにそう! 今だってビビってるくらいだし。


「投資額はいくらの予定なんだい?」

「えっと、3万円だけ……」

「それなら損したっていいさ、いい勉強代だよ。大人になれば嫌でもお金のことを考えなきゃいけないんだ。高校生のうちから興味を持ってやろうとするのは、お父さんはすっごくいいことだと思うよ!」

「お父さん……」


 お父さんもお母さんも、「将来のためにやってみたら」という器の大きさを見せてくれた。


 ……って、普通なら感激するところかもだけど! わたしとしては逃げ場を失った気分だよ! 「スカイダイビングって一生の体験になるよね!」と言われてヘリコプターの飛び降り口に置かれたみたいな!


「で、でもね、未成年が口座を開くには先に親が口座を持っていないいけなくて……」

「実はお父さん、ほほえみ証券の口座持ってるんだ」

「えっ、そうなの!?」

「キャンペーン中だったから、作るだけ作ったんだけどさ。でもそのあと結局何もしてなくて、放置中」


 お父さんは苦笑しながら、恥ずかしそうに言った。


「俺の代わりに花が頑張ってくれたら嬉しいなぁ。もしかしたら大成功して、来年には倍になってたりして!」

「花、頑張ってね! お母さん応援してるからね!」

「あ、あははは……」


 どうしよう……うちの両親、ポジティブすぎ。


 こうして両親を盾に前言撤回するルートは潰れ、株開始ルートを歩み始めることになってしまったのでした……。


 はぁぁ……。どうなる!? わたしの3万円!

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