第3話 鳴戸さんの秘密
4限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。ああ、待ってました、この鐘を! さてさて、高校生活における一番の楽しみ、お弁当の時間です。もうハラペコなのでいつもならさっさとお弁当を机の上に広げるんだけど、今日のわたしはちょっと違う。ライオンが獲物を狙うように、ぎらつく目で教室のとあるエリアを見定める。
「ハラペコーニョ~ゴハンタベタイーニョ~」
そこへ、音がルンルンとやってきてわたしの机の上にお弁当箱とペットボトルを置いた。
「ねぇ音、いつもわたし達は2人でご飯を食べているけどさ」
「うん?」
「今日は3人で食べない?」
「そ! それはもしや……!」
そう! 鳴戸さんを誘ってみようと思います!
なぜなら、さっき鳴戸さんを囲んでいたクラスメイト達はさっさと食堂に行ってしまって、今鳴戸さんは一人ぼっちなのである。
思い返せばあれは中学2年生の時(突如始まる回想)──クラス替えをした中に1年生の頃の友達は誰もいなくて、さらにわたし以外は友達がいたらしくすでに友達の輪ができており、わたしだけ友達がいないという絶望的な状況に陥ったことがあった。あれはまじできつかったですねぇ……。その時は別のクラスの音が遊びに来てくれて、音の友達を紹介してくれてなんとか生き伸びることができた。だから音には大変感謝しているし、それ以来ぼっちの子を見かけたらなるべく声をかけるようにしているのです。
ただ、これまで出会ったことはないけど、1人が好きというパターンもあるかもしれない。どちらにせよ声はかけてみようと思い直し、さっそくわたしは鳴戸さんに近づいた。後ろから『怖いもの見たさ』みたいなタイトルが付きそうな顔した音もついて来ている。
どうしよう、なんて声をかけようかな? 優しく丁寧に……あっ、音みたいなギャルがいたら怖がらせてしまうのでは……? しまった、音は置いてくればよかった!
わたしは後ろを振り向いて、音に「止まれ」とアメリカ特殊部隊のハンドサインを送った。が、通じなかったようで首を傾げながらついてきた。ま、いいか。
鳴戸さんは机の上に鞄を置いて、その中で何か手を動かしている。状況的に、おそらくスマホをいじっているのだろう。声をかけようと彼女の横に歩み出た時、鳴戸さんが「あっ!」と声をあげた。思わぬ事態にわたしも飛び上がるほどに驚く。が、この後目にする光景に、もっと驚くことになる。
なぜなら鳴戸さんはスマホを見て目を見開き、それからとろけるような極上の笑みを浮かべたのである。
えっ……!?
思わず呆気に取られていたら鳴戸さんが徐に立ち上がり、そしてわたしの存在に気が付いたらしい。ハッと表情を引き締め、ペコリと礼をしてそそくさと教室を出て行った。
「あ……」
狩り、失敗──。
音が近づいてきて、「ねぇ、何今の!?」とわたしのスカートを引っ張った。わたしが知りたい。ていうかスカートを引っ張るな。
放課後、自由が丘に帰ってきたわたし達は例の件についてくっちゃべりながら街を歩いていた。例の件とは、もちろん鳴戸さんの件である。
「……あれは、彼氏がいるねっ!」
飛躍した結論に一瞬思考が止まったが、すぐにポンと手を打った。
「休日はデートしてるってこと!?」
「そぉそぉ! 自慢になると思ってわざとウソついたんじゃね?」
「わ~お」
スマホを見てとろける笑顔になってた鳴戸さんの行動からして、音の推理は一理ある。デートのお誘いが来たとか、何か嬉しいことを言われたとか、理由は無限に考えられそう。でも、「嬉しいことがあった」なら可能性は他にも考えられるよね?
「それかさ、人に言えない趣味っていう可能性もあるくない?」
その趣味で何かいいことがあったとか。音は顎に手を当てて「人に言えない趣味……」と呟いてから、「アニメ好き、BL好きとか?」と続けた。
「うーん、もっと尖ったやつだよ!」
と言っておきながら、想像力が平凡すぎて例えが出てこない。
えーと、えーと……。
「そうだ。麻雀とか、プロレス!」
尖ってるの言えた! って思ったけど、音は「いや」と肩をすくめる。
「それならまだ言える。言えないレベルなら、これしかない。恐竜のう〇こオタク!」
「ぶはっ」
こいつ……オシャレタウン自由が丘のど真ん中でう〇こって言いやがった!
「恐竜のでも女子高生がう〇こにとろける笑顔見せるわけないだろ!」
「ある! 朝バナナう〇こ出たら嬉しいもん!」
「恐竜どこいった!? ていうかもうやめて!!」
忘れてたけど、わたし達はブックスオフに向かうところだった。この間見つけた、超かわいい子猫の写真集を音に見せてあげようと思ったのだ。可愛い猫を見てさっきの話はきれいさっぱり忘れたい。可愛さと愛おしさで洗浄力の限界突破。心の汚れをすっきり落とします。
ブックスオフの階段を昇って、2階にやってきた。
「たしかにこの列だったかな……」
列ごとに本棚のジャンルを確認しながら店内を進んでいると、列の奥にわたし達と同じ制服を見つけた。あ、谷畑高の子だ~と思ってよく見たら、それはなんとあの──
「鳴戸さん!」
つやつやした黒髪。知的そうな眼鏡。横顔だけど、見間違えるはずがない。鳴戸さんだ。思わず呼んでしまったけど、鳴戸さんはまったくこちら気が付かず熱心に本を読みふけっている。
「気づいてなくね?」
「うん……」
そんなに夢中で、何の本を読んでいるんだろう? 近づいて見ると、彼女が読んでいるぶ厚い本は『株で勝つための7箇条』というタイトルだった。
「株……?」
呟いた声が聞こえたのか、鳴戸さんがふとこちらを見た。そして、目を見開いたまま固まった。もしかして、鳴戸さんはわたしのことを覚えていないかもしれないと思って、慌てて名乗る。
「あ、鳴戸さんだよね。わたし、同じクラスの蕪木花。こっちは祢宜音だよ」
「……あ……」
鳴戸さんは何か反応しかけたが、音が本を指差して言った「ねぇそれ、面白いの?」という言葉で今度はサーッと顔を青くした。
「あ……あの、これは……忘れて」
鳴戸さんは慌てて本を棚に戻すと、くるりと踵を返す。
えっ、行っちゃうの!?
「ちょ、ちょっと待って!」
わたしは思わず鳴戸さんの腕をつかんだ。
それから10分後──わたし達3人はブックスオフの向かいにあるマクドルの中にいた。わたしはオレンジジュース、音は夕飯前だというのにチーズバーガーまで食べている。テーブルを挟んでわたしと音の向かいの席に座っている鳴戸さんは、ホットティーを両手に持ってじっと俯いている。その表情は絶望に満ちていて、断崖絶壁に立って奈落を見下ろしているようだ。
この時わたしの中である仮説が存在していたが、それを裏付けるにはやはりこの質問をしなくてはならない。わたしは精一杯優しく聞こえるよう気を遣いながら話しかけた。
「あの……鳴戸さんの趣味って、もしかして株?」
「……。……はい……」
鳴戸さんはたっぷりと沈黙を続けたあと、証拠を突き付けられた犯人みたいに観念して頷いた。
おぉ、認めた! っていうか……。
「全然言える趣味じゃんっ!!」
わたしの代わりに、音が突っ込んだ。わたしも全力で乗っかる。
「そうだよ! むしろ株なんてすごいよ! かっこいいし!」
「え? え?」
混乱している鳴戸さんに、「だって隠すからには、よっぽどヤバイ趣味なのかと思ってたんだよ」と説明する。そのうちに、わたし達の反応が鳴戸さんの想像と違ったのか、緊張感が抜けてただ驚いているだけになってきた。そして、恐る恐る「株って……変じゃない?」と聞いた。
「うん。確かに高校生でハマってる人は少ないだろうけど、別に隠さなくてもいいんじゃない?」
そう尋ねると、鳴戸さんはつらそうに顔を歪ませる。
「……前の学校で、株にハマってるって言ったら、その……いじめとまではいかないんだけど、嫌味言われたり、変人扱いされたから……」
ええっ、ひどい! そんなことがあったなんて。
「だから打ち明けるのが怖くて……嘘をついて、ごめんなさい」
打ち明けてくれた内容にもショックだし、鳴戸さんがわたし達に謝っていることもショックだ。だって、鳴戸さんは1ミリも悪くないのに!
と思っていたら、隣から本日2度目の「やべぇ……やべぇ……」が聞こえてきた。音は俯いてわずかに震えながら「なるっち!」と強く呼びかけた。わたしが小声で補足する。
「鳴戸さんのことだよ」
「私……?」
「そんな奴らの言うことなんか……」
ゴゴゴゴゴ……山が揺れる気配がする。
「絶対に、絶対に、気にすんな!」
どっかーん。火山が噴火した。
顔を上げた音の目には、悔しさと憤り、火山のごとく熱い思いやりが宿っている。そして、鳴門さんの肩をガシッと掴んだ。
「え……?」
「株でも麻雀でもプロレスでも、好きなものがあるっていいじゃん。株なんてカッケーのに、そいつらのせいでなるっちがつらい思いしたり、隠さなきゃいけないなんて……間違ってるよ! だって、勿体ない! せっかく好きな趣味があるのに、言えないなんて……だから、気にしなくていい! 自信をもって行くんだ!」
「ね、祢宜さん……」
音はさらに肩を揺さぶって「わかった!? ねぇ、わかった!?」と聞く。
「は、はいぃ!」
ちょっと手荒だけど、音の必死な訴えは、鳴戸さんの心に響いたようだ。鳴戸さんの心を支配していたつらい感情がほどけていくのが、目に見えてわかった。
「あ、あの……わたしもそう思うよ。よかったら株のこと、聞かせて?」
「そうそう! ウチ、株って大人になったらやりたいって思ってたんだよねー」
「えっ!? そうなの!?」
音の意外な発言に仰天する。100億円ほしいとは常に言っているけど、いつの間にそんな野望を!?
「だって、株でお金稼いでるとかカッケーじゃん☆ 働かなくてもお金がもらえるなんてサイコーだし」
な、なんて明け透けな言い分なんだ。下心しかない。そんなこと言って鳴戸さんが呆れてないかなぁと心配したけど、鳴戸さんは心からホッとしたような、ふわりとした笑顔を見せてくれていた。
「……ありがとう。蕪木さん、祢宜さん。そう言ってくれて、すごく嬉しい……」
……わぁ。鳴戸さんの笑顔、かわいいっ!
これまで暗い表情しか知らなかったので、花がほころぶような笑顔の可愛らしさに胸がキュンとする。
「もー、音でいいよ、なるっち!」
「わたしも花でいいよ、鳴戸さん……あ、蓮ちゃんって呼んでもいい?」
「うん、もちろん。……じゃあ、音ちゃん、花ちゃんって呼ばせてもらうね」
久々に感じる友達になりたてのふわふわした雰囲気に癒されていたら、蓮ちゃんがすぅと息を吸った。
「株をやってるとね、もちろん利益が出るのは楽しいけど世の中のこととか、会社の仕組みとか、勉強になってそれもまた楽しいんだよ。社会と自分が株を通して繋がってる感覚っていうのかな。高校生で働いてないけど社会の一員になれてる気がするんだ。私が投資したお金で企業が新しい価値を生み出してそのサービスを享受したり余ったお金をもらえたりすることで私に恩恵が戻ってくるんだよ。この循環って素晴らしいと思わない? ああ、早く大人になって働いて、自分の好きな会社に投資したいな」
先ほどの温かな笑顔のまま、蓮ちゃんの口から洪水のような株語りが流れた。
……なんて???
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