第2話 転校生がやってきた
「ぜぇ、はぁ……!」
歩いて6分はかかるところを、ダッシュして4分で自由が丘駅に到着。
ふぅ……間に合った。
胸を撫でおろしたところで、背後でサッと影が動く気配を感知した。が、もはや避ける体力は残されておらず、そのまま──
「おっはにゃりーっす☆」
抱き着かれた。謎の掛け声と共に。
「おはよ、音」
「って、反応うっす!? 驚くっしょそこは!」
「だって、こんなことするのは音しかいないじゃん……」
「たしかに? アハハッ!」
突然抱き着いてきたこいつ──派手なギャル。彼女の名前は祢宜 音(ねぎ おと)。同じ学校のクラスメイトであり、小学校からの幼馴染である。
猫っぽいはっきりとした目鼻立ちで、首元は緩くスカートも短めと実にギャルっぽい。小学生の頃はスポーツ少女でズボンばっかり履いていたのに、いつの間にかどんどんスカートが短くなっちゃって! はぁ……お母さんは心配ですよ!
短いスカートから見える生足が眩しければ、髪も眩しい。白っぽい金髪のショートカットで、太陽の光がキラキラと反射してわたしの目を潰しに来ている。
さらに前髪にはカラフルなピンを留め、髪の側面には星型の跡がついているという手の込みよう。スタンプ型ヘアアイロンというのがあって、毎朝それで髪を熱して星型の跡をつけているらしい……。時間がかかることを毎日平気で続けているという音のおしゃれガチ勢っぷりにはまじで尊敬しかない。
平凡で大人しいわたしとこのギャルが一緒にいるのは不思議、とよく周りから言われるけど、音がギャルになったのは高校生に入ってからだから! 高校で新しく音と出会っていたら、絶対友達になれていなかったであろう……! そんな音とは、毎朝自由が丘駅で待ち合わせして一緒に登校している。
「もー、汗かいてるから」
音の身体を押して引き剝がすと、音は一瞬きょとんとした顔をして、それからなんかウザイ顔をしてプスーッと吹き出した。
「へ?」
「ここ、海苔ついてんよ」
音は笑いながらわたしの鼻の下に指を伸ばして、ご飯粒が張り付いた大きめの黒いかけらを取ってそのまま自分の口に入れた。
え……海苔……?
もしかして、おにぎりの……。
わたしは顔がかーっと熱くなるのを感じる。
わたし、鼻の下にでかめの海苔つけてたの!?
完全にちょびヒゲじゃん!? ちょびヒゲ装備で走ってたの!?
そういえば、すれ違ったサラリーマンがこっちをちらっと見ていたような……。
「あ……ああああああ!!!」
「あははははは!」
もはや居ても立っても居られない。わたしは身体中をかきむしりたくなるような衝動に身を任せ、全速力で駅の階段を駆け上った。
わたし達が通っているのは、東京都立谷畑(やばた)高等学校。2年4組の日の当たる窓側、前から4列目がわたしの席だ。
「なんと、このクラスに転校生が来ます!」
朝のHRは、担任の佐藤先生が告げた衝撃の一言で始まった。ちなみに佐藤先生は爽やかな笑顔が特徴的な30代半ばくらいの男の人で、教科担当は英語である。
ざわっ!と教室が期待に揺れて、みんなが目を見合わせあう。うわぁ。なんか、こう自分のクラスに突然転校生が来るのって青春ぽくて憧れだったけど……今日、それが叶うなんて! テンション上がってきたぁ!
男か女かと予想する間もなく、「じゃあ、入って」と先生が廊下に向かってちょいちょいと手で合図する。数秒置いて教室の戸の影から現れたのは、一人の女子生徒だった。
わわっ……かわいい!
彼女の白い肌と、胸の下までゆったりと編まれた黒い髪とコントラストが際立っていてなんというか可憐な感じがする。目にはフチの細い眼鏡をかけていて、それもまた知的で良い。わたしには絶対に出せないミステリアスな雰囲気、憧れるぅ……!
だけど、彼女はずっと床を見たまま、長い睫毛を伏せて一向に目線を上げてくれない。どうやら、すんごい緊張してるっぽい。だ……大丈夫かな?
「鳴戸さん、自己紹介を」
彼女はコクリと頷いたあと、ぼそぼそっと何か呟いた。
「……です、……します」
……ん??
全然聞こえなかった。なんて?
「鳴戸蓮(なるとれん)さんです」
先生が黒板に「鳴戸蓮」と書いてくれて、ようやく名前が判明する。この自己紹介で、すっごく恥ずかしがり屋さんであろうことがみんなに伝わった。なるほど、これも立派な自己紹介だね。
鳴戸さんは扉側一番後ろの席に座って、そのあと先生が連絡事項などを告げたあと、HRが終わった。さっそく転校生を近くの席にいるクラスメイト達が取り囲んで、彼女はあっという間に人気者になってしまう。
しまった、出遅れた。こういう時、わたしはどうもまごついちゃって強く出れない。今年のお正月、デパートでワゴンに群がるおばちゃん達を傍から呆然と見ていることしかできなかったときもそうだった。あのワゴンには新春セールのチラシで見た「超おトクあったか靴下セット」があるというのに……! 数量限定だと言うのに……! そのために来たっていうのに……! ああ、苦い記憶を思い出しちゃった……。
「ね、ウチらもなるっちのとこ行くー?」
音が彼女の方を指して、ウインクする。「なるっち」とは鳴戸さんのことらしい。この一瞬でニックネームをつけたとは、さすがギャル。距離感を詰めるスピードがえぐい。そうだ、音ならきっとあのワゴンの宝にも辿りつけたのかもしれない。来年の新春セールは音を連れて行こうかな。
なんてどうでもいい考えはほっぽり出して、わたしは鳴戸さんの机をちらりと見る。
「うーん、行きたいけど……」
大勢に囲まれた鳴戸さんは、緊張した様子で縮こまっていた。わたし達があの輪に加わったら、さらに彼女を怯えさせちゃいそうだ。
……よし、離れたところから聞き耳を立てることにしよう。あのですね、これは決して日和っているのではなく、鳴戸さんを慮ってのことなのです!
「鳴戸さんは今までどこにいたの?」
「お父さんの出張で、関西に……」
「じゃあ関西弁が出たりする?」
「いや、特に」
「部活は何してたの?」
「部活は……書道部」
「そうなんだ~」
そこまでは順調だった。だけど、次のなんてことない質問からムードが変わり始める。
「ねぇ、休みの日って何してる?」
すると、鳴戸さんは「休みの日……」と呟いてから、ちょっと戸惑うように目をそらしたあと「特に……」と言って俯いた。
特に……? 休みの日に特に何もしてない? 寝てるってこと……?
みんなが首を傾げたのが伝わったのか、焦った感じで「……あっ、読書とか……」と付け足すのが聞こえた。
「読書かぁ。何が好きなの?」
「何が……うーん……」
鳴戸さんはまたもや困った様子で唸る。単純に好きなものがありすぎて答えに迷っているというよりか、聞かれたくないことを聞かれて答えに悩んでいるような……そんな雰囲気。
んん? 今のって聞いちゃいけないことだった? 別に普通の質問だよね?
しばらくしてから、一生懸命言える範囲で考えたという風に「……実用書」と答えた。実用書……。
ぱっとしない返事の連続に、クラスメイト達も反応に困ったようだ。「ま、またね」と告げて、ぽつぽつと自分の席に戻っていく。隣から「やべぇ……やべぇ……」という呟きが聞こえてきて、なんだと思ったら音が真っ青になってガクガク震えていた。
「休日に何もしてない……? そんなネクラがこの世にいるなんて……やべぇよ! マジでやべぇ!」
「そこ!?」
いやいや、音が知らないだけで実はけっこういるから!
わたしの叔父さんとか「仕事以外に何をしたらいいのかわからない。趣味がない。退職したらどうしよう……」っていつも言ってるんだぞ。
休日も趣味に遊びにと忙しい音にとって、相当カルチャーショックだったらしい。語彙力低下の症状が見られる音をなんとかなだめて席に連れて行って座らせてから、わたしも自分の席に戻った。
しかし、鳴戸さんはおじさんの例とは違くって……。きっと転校初日にあんな風に囲まれて、緊張して頭が真っ白になっちゃったんじゃないかな。恥ずかしがり屋だし。初日から大変だったねぇ、と心の中で彼女の肩をポンと叩いて労う。
でも……。
それにしてはなんとなく不自然な態度だったような……?
引っかかりを感じつつも、1限目の授業に向けて気持ちを切り替えた。
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