七言目 柚木原さんと本

 柚木原さんは読書が好きだ。

 今も私の手を引っ張って図書室にやってきて、私の隣でなんかルネサンスの画集みたいなのを眺めている。白いテーブルに頬杖を突いて、ぱら、ぱらとページをゆっくりと捲るその様子はまるで彼女自身が画集の中の絵画になってしまったみたいで、本当にこうしていると文句のつけようのない美少女に見える。


「柚木原さん、それって面白いの?」

「うん。例えば……」


 私が問いかけると、彼女はぱらぱらと少し速い手つきでページを遡る。そうして「あれ?行き過ぎたかな」みたいな顔をして探すこと1分弱。「あったあった」と彼女はそのページを開き、私の方へ見せてきた。


「ほら、ボッティチェリの「春」の三美神って左が1番おっぱいおっきいんだよ」

「誤差じゃん」

「……確かに、かなり誤差だけど」

「うん。私じゃ違い分かんないよ」

「心の中の男子小学生が教えてくれるよ」

「……そっか」


 心の中というか柚木原さんの視点そのものが男子小学生のそれだと思う。


「……あ、えっちなボッティチェリ、勃──」

「流石にストップだよ柚木原さん」


 今はたまたま人がいないとはいえ、ここは公共の場。流石にライン越えと咎めると、柚木原さんは「そっかぁ……」と少し残念そうに呟いた。そんな顔をしても駄目なものは駄目なのに。

 そして柚木原さんはドラクロワの「民衆を導く自由の女神」を名残惜しそうに眺めた後にパタンと本を閉じた。「男子中学生向け 少しえっちな西洋美術」というタイトルだった。


「ねえ、咲楽は何読んでるの?」

「あ、えっと……「和泉式部日記」ってやつ」

「それ知ってる。不倫略奪日記だ。アヴァンチュールってやつだ」

「まあ実際そんな感じなんだけど……」


 「わー、咲楽もそういうのに興味あるお年頃かー。ハイスペ男と不倫恋愛に落ちたい感じかー」なんて柚木原さんはクスクスと笑う。

 確かにこれはそういう話だし、なんなら愛人側が完全勝利という現代だと賛否両論のありそうな結末だ。でも私は自己投影してるわけではないし、なんなら学校側から「古典をなんか一冊くらい読んでくるように」と言われただけだ。被害者側だ。

 そんなことを断固として主張すると、柚木原さんは「じゃあ私にもチャンスあるんだ」とまた嬉しそうに笑う。はあ、と私はため息を吐いた。


「っていうか柚木原さんは大丈夫なの?次の授業でレポート書かされるって言ってたじゃん」

「大体そのへんは中身覚えてるから大丈夫。私最強だから」


 なんだか見覚えのある手印を作って彼女はドヤ顔して見せる。言動やらなんやらのせいで忘れそうになるが、柚木原さんは学年トップの天才であった。いや、忘れそうになるのは私だけか。


「……あ。悪い平安貴族、折檻政治」


 彼女が思い出したかのようにそんなことをつぶやくと、まるでオチをつけるかのようにチャイムが鳴った。「ヤバくない?」「ヤバいね」と私達は顔を見合わせ、一目散に駆け出した。

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