男の子の涙、そして『あの人』。

 あ、あれれ?


 予想外の方向に向かった流れに、絵里は目をパチクリさせる。


「パパのお話はいっつもすごいんだよ!」

「……そっか、パパさんすごいね! お話作る人だ!」

「えへへ! でしょ!」


 男の子は人差し指の背中で鼻をこすって、誇らしげに笑う。


(もしかして……パパさんは作家さんで、お話を考えつつタイピングしてるから……のんびりさんなのかな?)


 絵里は男の子に詫びた。


「お姉ちゃんはパパさんみたいにお話作ったりできないの。ごめんね」


 すると。


 男の子はしょんぼりと俯いた。


「……最近、パパが新しいお話してくれないの。まだできないからごめんなって、ずっと言ってるの……パパ、僕にお話するの嫌になっちゃったのかな? お姉ちゃんも、僕にお話するの……やなの?」


 絵理の喉が、ヒュッ!と音を立てた。

 俯く男児に慌てて言葉をかける。


「そ、そんなことないよ! きっとパパさんはすっごいすっごいお話を作ってて時間がかかってるんじゃないかな!」

「……」


 絵里がそう話しかけると、男の子は無言で顔を上げた。顔を歪ませて、涙を目にいっぱい溜めている。


(ああっ! ダメえ! この子泣いちゃう!)

 

 絵里は、どうしよう! どうするの! と必死で考える。


(いいこいいこ、よしよしする? でもそれじゃ、この子の言葉を否定できてない!) 


「パパさん、絶対に頑張ってるんだよ! キミを喜ばせたくって、読んでほしくって絶対に絶対に! だから、あ、あの、泣かないで?」

「う、ぐすっ。ふうぅ……」


 必死で言葉を紡ぐ絵里の目の前で、男の子の目から澄んだ透明の一粒の涙が、零れ落ちた。


(ダメ、悲しくなっちゃって止まらないんだ。う、うう、うううー……こうなったら!)


「う、えええええ……」

「じゃ、じゃあ! じゃあじゃあ! 頑張ってお話を作ってるパパさんの代わりに、私がお話してみよっかな! しちゃおっかな~?」


 男の子が声を上げて泣き始めたタイミングで。絵里は、ぴんっ、と胸の前で人差し指を立てて笑った。


「ううぅ…………ほんとっ?!」

「うんうん! だから、泣かないで? どっのおっはなっしに、しっようっかな~♪」


 絵里はにっこりと笑って、手で「おっけー!」のサインを男の子に見せた。そして人差し指の先を顎にあてながら、見上げた天井に向かって、むむむー、と声を出す。


 男の子は涙を手の甲でグシグシと拭きながら、クッションから身を乗り出して絵里が語るのを嬉しそうに待っている。


(私の馬鹿っ! 馬鹿ぁっ! こんな事言っちゃってどうするの?! でも、でも……寂しくて泣いちゃうのは悲しい。それに……あの人なら)


 たらり、と冷や汗が流れていく感覚に焦りながらも、絵里は去年の出来事を思い浮かべた。


 それは。


 駅で酔っ払いに絡まれ、困っていた絵里を助けてくれたスーツの男性の事であった。


(あの人なら、こんな状況だったらきっと……)

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