お針子と魔法使いの恩返し(強制)

春奈恵

お針子と魔法使いの恩返し(強制)

 もうすぐ、お城では華やかな舞踏会があるのだという。


 王子様がお妃選びをするための宴。国中の娘から選ぶとは言っても、結局選ばれるのは美しい貴族の姫君だろう。ただの町娘には関係ない。


 ましてわたしみたいに器量の悪い娘なんて。




 またエラが叱られている。下の階から母の声が漏れ聞こえてきていた。


 末の妹のエラは何事にも注意が足りなくて、たとえば買い物に行かせたら、何か忘れてきたり、違うものを買ってくる。おまけに、道草ばかりしてなかなか帰ってこない。


 今日もなにか失敗をやらかしたに違いない。


 叱られるのは、引き受けた仕事ができないからだ。


 でも、端から見たら母がエラだけに厳しくしていると思われるらしい。


 前に、暖炉掃除でしくじって灰まみれになったまま外に飛び出したりしてくれたこともあった。おかげでご近所の人たちから、故意に母がエラを灰まみれにしたと、誤解された。以来、エラは可哀想な「灰まみれエラシンデレラ」として悲劇の女主人公だ。


 叱られていることには別に同情しない。母はわたしや上の妹のマリアにも公平に厳しいし、理に適わないことで叱ったりはしないから。


 それに、エラは家事はまるっきり出来なくても、わたしよりもずっと恵まれていると思う。




 鏡をみるといつも思う。


 エラみたいにもっと背が低くて女らしい丸みがあったらいいのに。この癖っ毛の赤っぽい金髪が、エラみたいな蜂蜜色の輝く髪のようだったらいいのに。せめて、鼻の上に散ったそばかすが消えて、エラの曇り一つ無い白い肌のようになればいいのに。


 だけど、それは叶わない望みだ。


 それに比べたら、エラの欠点はある程度努力でなんとかなるんだから、恵まれている。




 だけど、最近、嬉しいこともある。


「アンナ。あんたはほんとに仕事が早いねえ。うちのお針子じゃ一番だよ」


 縫い上がったものを見て、仕立て屋のおかみさんが褒めてくれた。


 針仕事は母に厳しくたたき込まれたおかげで、得意にしている。お嫁のもらい手がなくても、針仕事で食べていこうと思っているくらいだ。


 このごろ、舞踏会効果で名士のお嬢様方が競って一斉にドレスを新調するので、お針子の仕事が増えた。


 滅多に触れないような上等な生地を扱えるのは、自分の腕を磨く好機でもある。だから、わたしは仕事が楽しくてしかたなかった。


「だけど、あんたは舞踏会に行かないのかい? 招待されてないのかい? あんたの家は三人も娘がいるんだろうに」


 国中の娘から選ぶと言っても、王宮に恥をかかずに入れるのはある程度の資産家や貴族の娘たちだろう。実際、どのくらいの招待状が出されているのかはわたしもしらない。


「うちは招待なんてされません。それに、わたしは他のお嬢様方のドレスを縫っているほうが楽しいです」


 綺麗なドレスは好きだし、着てみたいとは思う。だけど、わたしにはきっと似合わない。


「欲がないねえ。けど、あんたのところのエラなら、お妃様にえらばれるんじゃないかい?」


「そうですね」


 わたしは曖昧に微笑んで内心を取り繕った。


 エラなら。その通りだと思う。


 陶磁のような美しい肌、サファイアの瞳。輝く金色の髪。どんな貴婦人にも負けない。


 舞踏会に出れば、きっと王子様だって見過ごすことはできないだろう。


 だけど、お妃に選ばれるのは幸せなんだろうか、と思う。


 見かけだけで選ばれて、王子様と結婚するのって、幸せなことだろうか。


 できることなら、エラには、彼女のことをちゃんと分かってくれる人に嫁いで欲しいと思う。外見だけで妻を選ぶ男なんて、最低だと思うから。




 そう。エラをちやほやしている男たちと来たら、ほんとに最低なんだから。




 昨日のことだ。


 市場で一人の老婆がふらふらと歩いていた。


 薄汚れたフードのついた外套を羽織り、曲がった背中と袖口から覗く節ばった手で木の杖を握りしめている。あまり見かけない人だから、どこかからの流れ者かもしれない。


 市場の店主たちは眉根を寄せて、さっさと行ってしまえ、という表情で睨んでいた。


 店に近づこうものなら、手をひらひらさせて追い払う。


 人でごった返していたので、気になって目で追っていたら、おぼつかない足取りで歩く老婆は、広場の中心で若い男に囲まれて話しているエラに、よろりとぶつかった。


 転んだエラは大げさに悲鳴を上げて騒いだから、男たちが老婆を怒鳴りつけて、蹴ったりなぐったりし始めた。


 エラは怯えた様子でその場から逃げ去ってしまった。すると、男たちはそれに腹が立ったのか、さらに暴力的になる。


「お前みたいな醜いヤツは、何の値打ちもないんだよ」


 その言葉に、わたしは拳を握りしめた。


 いくらなんでも、それは酷すぎる。


 それに、このままでは老婆が大けがをしてしまう。死んでしまうかもしれない。わたしは歩み寄って、男たちに怒鳴りつけた。


「やめなさいよ。お年寄り相手でしょ」


 老婆はうずくまって、石畳の上に座り込んだままだ。汚れた衣服からは、異臭がしていたし、伸び放題の白髪で顔もよく見えない。


「お前みたいな不細工な性悪がよく言うよ」


 男の一人が脅すようにあごをしゃくり上げるが、あいにく私は彼らの誰よりも上背がある。そうしたことをされても恐いとは思えない。


 わざと上から見下ろすように、腰に手を当てて見下ろしてやる。


「性悪で上等よ。あんたらみたいにお年寄りによってたかって乱暴する卑怯者に褒められたら、吐き気がするわ」


 エラがさっさと逃げ出したのにも腹が立った。


 遠巻きに見ていた周りの人たちも男たちに冷ややかな目を向ける。


「いい加減にしてくれよ。その嬢ちゃんの言うほうが正しい」


「弱いもんいじめしてるんじゃないよ」


 口々に非難されて男たちは興がそがれたのか、さっさと広場から立ち去って行った。


「おばあさん、歩ける?」


 相手は黙って頷くと、杖を支えに立ち上がった。人混みから離れたところに案内して、手足を動かしてもらった。どうやら骨を痛めたりはしていないらしい。


「よかったわ。人が多いところは危ないわ。気をつけてね」


「……ありがとう。娘さん。恩に着るよ」


 しゃがれた声でそう言うと、老婆はふらふらと歩き出した。




 あんなことがあったから、見かけだけで女性をちやほやする男は信用できない。


 だから、エラは着飾れば誰よりも綺麗だろうとは思っても、舞踏会に行かせることがいいことだとは思えなかった。


 見かけの品評会みたいだもの。


 仕事が一段落して、片付けを終えた頃、外はうっすらと暗くなりかけていた。


「アンナ、うちの息子に送らせようか?」


 仕立て屋のおかみさんがそう言ってくれた。


 けれど、その息子というのが、エラに言い寄っている男の一人で、広場で老婆を足蹴にしていたのだ。


 こっちから願い下げだ、とは思ったけれど、顔に出さずに丁重に断った。


「ありがとうございます。すぐそこですから、大丈夫です」


 おかみさんはわたしのことを認めてくれる数少ない人だけれど、息子のことは信用できない。


「そういえば、うちの息子はエラのことを嫁に欲しいって言ってるけど、あの子は縫い物一つ満足にできないんだねえ。あの子の着ている服は、あんたが仕立てたんだろう? 針目を見ればすぐにわかったよ。できたらあんたに嫁に来てほしいくらいなんだけどねえ」


「自分より背の高い娘が相手では、息子さんの方が嫌がられますよ」


 そう言って店を後にした。


 冗談じゃない。あんな男に嫁ぐくらいなら、一生一人でいた方がましだ。




 日暮れが近くなっていたので、足早に家路をとった。もう少し、というところで、家の前に立っている一人の老婆に気づいた。


 ……あのときの。


 背中の曲がった様子と、フードから覗く白髪。


「……おばあさん? うちに何かご用?」


 そう問いかけると、老婆はこちらに向き直った。顔ははっきり見えないが、皺が刻まれた口元がゆっくりと綻んだ。


「あのときの嬢ちゃんだね」


 不意に何か黒い影が、老婆の背後に現れた。それが背の高い男だと気づいたのは、その輪郭がはっきりしてからだった。まるで、夕暮れの薄闇から浮かび上がるように現れた黒衣の男は、不機嫌そうに老婆を睨むと、無造作に襟首を掴む。


「おい、ババア。怪我が治ってないのに、勝手にふらふら出歩くなと言っただろう」


「おやおや。もう見つかったか。実はこのお嬢ちゃんが命の恩人なんじゃ。なんぞ礼をしたいと思ってねえ。それじゃ、おぬしが代わりに恩返ししてくれんか?」


「なんでオレが?」


 明らかに嫌そうな口調の男に、老婆は大げさに腰をかがめる。


「おお、痛い痛い。やはり怪我が痛むわい。それに、婆の恩人はおぬしの恩人じゃろう?」


 男は老婆の孫らしい。長い黒髪と、真っ黒い衣服。鋭い目がじろりとこっちに向く。


 そんな怖い顔で恩返しって、何をするつもりなの。


 顔立ちは整っているが全身から険悪な空気があふれ出ていて、わたしは慌てて両手を振った。


「結構です。恩返しなんて要らない。だって、そんなすごいことしてないわ」


 男は老婆から手を離すとすたすた歩み寄ってきた。威圧感たっぷりに上から見下ろしてくる。


「そういうわけにはいかない。恩義を忘れないのがうちの家訓だ」


 いや、だから、家訓だとか、義理とかで、無理してくれなくていいから。


 わたしより背がはるかに高い男の人って、滅多にいないので、見下ろされるのには慣れていない。だから、わたしは戸惑って、答えることができなかった。


「明日、もう一度来る。それまでに考えておけ」


 強制? 恩返しって強制なの? 考えておかないといけないというの?


 唖然とした次の瞬間、男と老婆の姿は闇の中に溶けるようにふっと消えた。


 ……幻……?


 恩返しさせろと脅迫されるって、ありえない。


 でも、現実だとしても、あまりに途方もなさ過ぎて、わたしはしばらくその場から動けなかった。


 そこへ、家の中から転げ出るような勢いでマリアが駆けだしてきた。


「アンナ姉さん。大変よ。一大事なの」


 上の妹のマリアは快活なのは結構だけれど、落ち着きに欠ける。何を大騒ぎしているのかと呆れながら様子を見ていると、じれたように向こうからしゃべり出した。


「きたのよ。舞踏会の招待状が。王宮の舞踏会に出られるわ」


 今更?


「……とにかく、家に入りましょう。話はそれからよ」


 往来でこんな話をしていると、また何の噂を立てられるかわかったものじゃない。




 父は官吏だけど、さほど地位があるわけではない。なのに招待されるなんて思いもしなかったので、家は大騒ぎになった。


 母は落ち着かない様子で、わたしと妹たちを見た。母もうちのような平凡な家庭にそんな晴れがましい機会が来るとは思っていなかったようだ。


「困ったわね。ありがたいけれど、今からではドレスを仕立てる時間はないよ。アンナ、仕立て屋はどこも予約でいっぱいなんだろう?」


「そうね。どこも今からじゃ間に合わないわ。今持っているドレスを着るしかないでしょうね」


 わたしが答えると、上の妹のマリアが不平そうに口を尖らせた。


 マリアもあまり器量がいい方ではないが、わたしと違っておしゃれには余念が無い。それに、華やかな舞踏会にあこがれているようだった。


「え? あれって父さんと母さんの結婚式のときのじゃないの。あんな古くさいドレスじゃ王子様に踊っていただけないわ」


「しかたないでしょう。どうしても行きたいのなら手持ちのドレスで行きなさい」


 母がそう言って溜息をついた。マリアはまだ不機嫌そうに頬を膨らませている。


「ねえ、マリア。だったら、今のドレスを手直ししてあげるわ。少し袖を細身にして、裾に飾りをつければ今風になるわ。それでどう?」


 古い、と言っても生地は悪くない。流行のデザインに仕立て直せば見栄えがするはずだ。


「いいの? 姉さんだってお仕事いそがしいんでしょ?」


 マリアが嬉しそうに顔を輝かせたあとで、顔を曇らせる。こういう素直なところは可愛いから、嫌とは言えない。


「だから、本当に手直しだけよ。でも、できるところは手伝ってね」


「じゃあ、胸元に刺繍したいの。綺麗な金糸が手に入ったのよ。刺繍は自分でやるから、お願いしてもいい? なんなら姉さんのドレスにも刺繍入れてあげるわ」


「わかったわ」


 形だけの出席なんだから、わたしのドレスなんて何でもいいんだし。手直しだけなら全部縫うほどの時間はかからない。


 それにマリアは刺繍が上手い。彼女が手を加えるなら素晴らしい作品ができそうだ。


 エラが困惑したような顔をしているのがちらりと見えた。


「じゃあ、マリアのことはアンナに任せることにするね。エラ、あんたはどうするんだい?」


「……今のドレスで行きます」


 そう言うと、エラは悲劇の主人公みたいに両手を握りしめる仕草をした。エラは手先が不器用だから、自分でドレスを直したりすることはできないのだ。


 わたしもさすがに二枚も仕立て直す時間はない。だからそれ以上のことは言わなかった。




「まあ、あの子ならお妃候補になれるんじゃないかい?」


「いいことじゃないか。後妻と二人も小姑がいるような家にはいたくないだろうしねえ」


「だけど、話じゃ新しいドレスを仕立ててももらえないらしいよ。上の娘だけは作らせてるらしい」


「酷い話だねえ、前の奥さんにそっくりの美人だから苛められているのよ」


 ……聞こえてるってば。


 部屋で針仕事をしながら、勝手に外から聞こえてきた噂話に、溜息をつきたくなった。


 近所のおばさん達が話しているのはエラのことだ。


「……何にも知らないくせに」


 たしかに、母はわたしとマリアをつれてこの家に後妻にきた。父の連れ子のエラとは血は繋がっていない。だからといって、分け隔てなんてしていない。


 母は、三人ともいつかお嫁に行くのだから、と家事全般を厳しくたたき込もうとしている。わたしもマリアもそうやって叱られてきた。ただ、エラは何をやらせてもいい加減で、失敗だらけだ。


 それが傍から見たら、継子を苛めている、という風に映るのだ。


 エラは確かに美人だ。あれだけの器量なら、縁談なんていくらでも来るだろう。家事くらいできなくてもいいっていう男だっているかもしれない。


 たとえば、王子殿下とか。


 わたしは窓をこっそりと閉めると、やりかけたドレスの直しを続けることにした。


 そして、しばらく没頭していると、いきなり目の前から声をかけられた。


「おい。願い事は決まったのか?」


 そこに昨日出会った背の高い無愛想な男が、身をかがめるようにわたしの手元を覗き込んできていた。


「え?」


 わたしは目の前に立っている男を見て、それから閉じた窓に目を向けた。


 この人一体どこから入ってきたの?


「……なんだ、ババアは何も言わなかったのか? オレとあのババアは魔法使いなんだ。だから願い事がなんでも大概かなえてやれるぞ」


 魔法使い? 言い伝えには聞いたことがあるけれど、見るのは初めてだ。


「……それは何をしているんだ?」


 男はわたしの手にしている縫いかけのドレスを見て、不思議そうな顔をした。


「妹のドレスを手直ししているのよ。舞踏会に着ていくドレスを新調する時間がないから」


「そんなことができるものなのか。ドレスくらい、魔法で作れるのに?」


 わたしは男の顔を見上げた。


「なんで自分で出来ることを、魔法でしなきゃいけないのよ?」


 そんなことに魔法を使う理由が分からない。


 予想外の回答だったのか、男が軽く目を見開いた。魔法使いに対して魔法を否定するような事を言ったから、怒ったんだろうか?


 そう思っていると、男は腕組みして、眉を寄せる。


「じゃあ、他に何を望む? さっさと決めてくれないか?」


 ああ、やっぱり怒ってる。


 とにかく何か頼まないと帰ってくれないような気がして、わたしは必死に考えをめぐらせた。


 自分に出来ないこと……出来なかったこと。そうだ。


 エラのドレス。あの子だって綺麗なドレスを着て舞踏会に行きたいはずだろうに。


 あのときは、余裕がなかったからしかたないと思った。


 でも、最近のエラは、ふさぎ込んでいることが多かった。取り巻きの男たちが老婆に乱暴するのを見てから、エラはあまり外出しなくなっていた。


 そのうえ、せっかくの舞踏会の招待状も、流行遅れのドレスでは気が引けるだろう。


 せめて、綺麗なドレスで舞踏会を楽しむことができれば、気晴らしになるだろうか。


 どうせダメでもともとなんだから。わたしは決意して頷いた。


「……だったら、末の妹のエラが舞踏会で恥をかかないように着飾らせてあげて。あの子のドレスを直してあげる余裕がなかったのよ」


 男は軽く眉を動かした。


「そのドレスも自分のものではないのだろう? どうして、自分のドレスは古いもので構わないのに、妹たちには着飾らせる?」


「マリアは舞踏会を楽しみにしているんだもの。だったら、少しでも綺麗なドレスを着せてあげたいわ。それに、エラはあれだけ綺麗な子よ。本当なら舞踏会で誰より注目されるはずなのよ。もしそうなったら、わたしは『あれは自分の妹だ』って堂々と自慢できるじゃないの」


 わたしがどれだけ着飾ったって大木がひらひらした布を巻き付けたようにしか見えないだろう。誰も注目なんてしないし、小馬鹿にされるだけだ。


 だったら、妹たちを着飾らせて何が悪いというの。


 それに、エラなら、王子様の目にとまるのも夢ではない。


「ずいぶんと妹思いだな。どの家の娘も我先に目立とうと必死になっているというのに」


「馬鹿ね。わたしなんかが選ばれるはずがないでしょ。着飾ったって無駄だわ」


 男はわたしが即答すると、一瞬黙り込んだ。意味が分からないというように。


 見れば分かることじゃない。この人ってなんか、他の男性と反応が違う。


「……まあ、つまり。君の妹を、舞踏会で他の姫君にひけを取らない程度に飾り立てればいいんだな? それで妹が王子の妃に選ばれればさらに満足する、と?」


「そうよ」


 だけど心配はある。外見だけで結婚相手を選ぶような人に嫁いで大丈夫なんだろうか。


 だったら、エラのそそっかしさも欠点も、ちゃんと受け止めてくれる人かどうか確かめたい。


「だけど、一つだけ条件をつけてもいい? エラが舞踏会で何か一つだけ失敗をするようにしてほしい。それでも王子様がエラを選ぶのなら、わたしはそれを祝福するわ」


「わかった。その願い叶えよう」


 男はそう言うと、まるで溶けるようにふっと姿を消した。




 迷っているうちに舞踏会の日がやってきた。マリアは仕立て直したドレスを自慢げに着て、そして、私はほんの少し刺繍で飾ったドレスで。


 けれど、エラはドレスに袖を通すこともせず、ぐずぐずしていた。


「もう時間がないよ、エラ」


 母の言葉にエラは決意したように顔を上げた。


「わたし、お城には行きません。お留守番しています」


「ドレスのことを気にしているの?」


 わたしが問いかけると、エラは首を横に振った。


「……だって、わたし、お姉様たちと違ってそそっかしいもの。お城でなにか失敗してしまったら、お父様のお仕事にも迷惑がかかってしまうわ」


「じゃあ、本当に行かないの?」


 あの魔法使いの男がいつ現れるのかは分からない。本当に来てくれるかどうかも保証はない。


 それでもなぜか、わたしは確信していた。きっとあの男は約束を違えない。


「じゃあ、気が変わったらあとからいらっしゃい」


 わたしはそう囁いて、馬車に乗り込んだ。


 


 お城に向かう馬車が長い行列を作っていた。王子様のお妃選びには、それこそ多くの娘たちが招かれているのだろう。


「もし選ばれたらどうしようかしら」


 マリアが無邪気にはしゃいでいる。そんなことあるわけないでしょう、と母が諫めた。


「お妃というのは、楽なお仕事ではないのよ。教養も気品もないといけないのだから、たくさん勉強しなくてはいけないの」


「うわー……お勉強は嫌だわ」


 マリアがぺろりと舌を出した。


「このたびは弟君のお妃選びだから、王后になるわけではないのでしょうけれど、それでも大事なお仕事なのよ」


「……そういえば、兄君もご結婚なさってないのね。いっそお二人ともご一緒にお妃を選べばいいのに」


 マリアの言葉に、母が困ったような顔をした。


「さすがに将来の王后となると、そう簡単には選べないのでしょうね。どちらにしても、王族の方を目にすることだけでも、滅多にない光栄なことなのですよ。ご無礼のないようにね」


 たしかに。私たちのような庶民には、お妃なんて関係の無いことだから、物見遊山のつもりで気軽に行けばいい。エラもそんな風に簡単に考えられればよかったのに。


 あの魔法使いは、魔法でどうにかしてくれるだろうか。




 お城の中は信じられないことずくめだった。高い天井、見事な装飾の大理石の柱。壁にはめ込まれた絵画。何もかもがきらきらと美しかった。


 そして、大勢の若い娘たちが着飾って、王子殿下の登場を待ち構えていた。


 もっとも、王族の方々がおいでになる場所はすでに貴族のご令嬢がずらりと並んでいて、わたしたちのような町娘は遙か遠くから見ていることしかできなかった。


 華やかなラッパの音が響いた。口上とともに、国王陛下と王后陛下、そして王子殿下がご入場あそばしたらしい。わたしのいる場所からでは、栗色の髪で青い上着を着ているくらいしかわからない。


「遠すぎて何にも見えないわ。残念ね」


 マリアはそう言って肩をすくめる。


「こうなったら、ごちそうだけでも楽しまなきゃ損よね」


 マリアは用意された料理の方へ歩き出す。ついていこうとしたわたしは、背後から強い力で腕を引っ張られた。


 物陰に引き込まれそうになったので、驚いて振り返ると、背の高い男性が立っていた。


「どうして……?」


 その男は今日も黒い衣服を身につけていた。黒髪の間からのぞく目には、明らかに不機嫌そうな表情があったが、口元に指を当てて手招きしてきた。


「こっちだ。よく見えるところに案内してやる」


「え?」


「妹がどうなっているか、見たくはないのか?」


「もしかして……エラが来ているの?」


 男は黙って頷いた。


 人気の無い廊下を抜けて、鍵がかかった扉をいくつも抜けて、そして、再び明るい場所に出てきたときは、そこは一番華やかな場所だった。


 楽団が軽やかな曲を奏でる中、美しいご令嬢や、貴公子がくるくると踊っていた。


 人々が注視する中、一組の男女が軽やかにステップを踏んでいた。


「……エラ?」


 蜂蜜色の髪を結い上げて、水色の美しいドレスをまとった娘は、生まれながらの貴族の令嬢のように気品にあふれていた。その手を取って踊る男性は、まさしく、たった今遠目で見ていた王子殿下だった。


 あまりにお似合いで、わたしは二人から目が離せなかった。


「これで満足か?」


 男が相変わらず無愛想な顔で問いかけてきた。


「……ええ」


 すると男は、窓の外の時計塔に目を向けた。


「君は一つだけ条件をつけた。妹が一つだけ失態を見せるようにと。だから、彼女には言ってある。この美しいドレスは魔法にすぎない。十二時の鐘が鳴り終わったとき、ドレスは古い流行遅れのものに戻ってしまうと。だから、彼女は十二時にはこの場を立ち去らなくてはならない」


 十二時? それではこの音楽が終わるまで持たない。


 見かけだけでエラを選ぶような男では不安だから、何かエラがしくじっても寛容にうけとめてくれるかどうか、確かめたかっただけなのに。それでは、せっかくの機会を失ってしまう。


「そんなつもりじゃなかった。そんなことをしたら、エラはお妃さまに選ばれないわ……」


 わたしはそうつぶやいてから、男の顔を見上げた。男は無表情に口を引き結ぶ。


「君はあの娘がお妃に選ばれてもいいと言った。だが、オレはあの娘は妃にふさわしいとは思わない。祖母が殴られていたとき、止めもせずに逃げ出したというではないか」


「そんなことはないわ。あんな乱暴な場に居合わせたら、普通の女の子は怖くて何も言えないものよ。……あの子が王子殿下にふさわしくないとは思わない」


 あまり褒めてないけれど、わたしに言えるのはこれが精一杯だ。


 男はわずかに口元をゆがめた。


 一見凄んでいるようにしか見えないが、もしかしたら笑っているのかもしれない。


「そうか。ならば、もう一つ魔法をかけてやろう」


 言葉と同時に高らかな鐘の音が響いた。十二時の鐘だ。


 エラが顔をこわばらせ、王子殿下の手をふりほどいて走り出した。その後を殿下が追いかけていくのが見えた。


「魔法? ……いったい何を?」


「王子のために、あの娘を探す手がかりを残してやろう。もし王子が苦労して探し当てたなら、妹が妃に望まれても異存はあるまい?」


 まるでわたしの望みを読み取ったかのように、男はそう言った。


「ありがとう」


 わたしは深く一礼した。そして、顔を上げるとすでに男の姿は消えていた。




 舞踏会が終わって数日、少し気の抜けたような日々が続いた。仕立物の仕事は減ってきたし、マリアは舞踏会の思い出に浸りきって、ぼんやりしていたし。


 エラは出歩く事もせず、黙って床磨きをしたり、部屋に閉じこもっていたりしていた。


 取り巻きの男達が尋ねてきても、誘いを断っていた。


 どうやら、本当にあの王子様に恋をしてしまったのだろうか。


 魔法使いは、王子に手がかりを残してくれる、と言っていた。だけど、王子が自分との踊りを投げ出して、さっさと帰ってしまった令嬢のことなんて、すっかり忘れてしまっていたら。エラのことを気にも留めていなかったら。


 ……わたしがつまらない条件さえつけなかったら。せめて最後までエラは王子様とダンスができたのに。


 わたしが余計なことをしたから。あんなこと言わなければ良かった。


 そんな風に過ごしていたある日、お城からのお達しがあった。


 舞踏会に出席した娘の中で、ガラスの靴に合う足を持つ者を、王子様が探している、という。


 そして、我が家にもその使者一行が訪ねてきたのだ。




 エラは部屋に籠もっていて、その使者たちに会おうともしなかった。けれど、わたしはこれが魔法使いの男が作ってくれた機会だと確信した。


 マリアが華奢なガラスの靴に強引に足を入れようとしているのを尻目に、わたしはエラの部屋の扉を叩いた。


「王子様はガラスの靴に合う娘を探しているのよ。あなたはそれでも出てこないつもりなの?」


 エラは思い詰めたような顔で、扉をほんの少し開いた。


「……姉さん、どうして知っているの?」


「舞踏会であなたが王子様と踊っていたのを見たのよ。ガラスの靴もそのときに見たわ」


「だけど、わたし……怖くなっちゃったの。お妃さまなんて無理だわ。わたし、何にもできないし、不器用だし……」


 だけど、あなたは人に好かれる魅力があるんじゃないの。


「そういうのは王子様にお会いしてからおっしゃい。わたしに言っても意味ないわ」


 わたしは有無を言わせず、エラの手を掴んで使者の前まで引っ張って行った。


「この子も舞踏会に出ていました。試す資格はありますよね?」


 品の良さそうな男性が恭しくガラスの靴をエラの前に差し出した。


 促すと、エラはおそるおそる足をその靴に入れた。


 華奢で小さなエラの足は、靴にぴったりと合った。


 王宮からの使者はそれを確認すると、深々と一礼した。


「蜂蜜色の髪と、青い瞳。まさしくあなた様は王子殿下がお探しのご令嬢で間違いございますまい。どうか、今すぐ殿下の元においでいただきたい」


 エラは困惑した様子でわたしと母を見た。


「でも……わたし……」


「申し訳ございませんが、使者様。女には支度の時間が必要です。少し時間をいただけませんか?」


 母が落ち着いた口調でそう告げた。使者たちは、後で迎えの馬車を寄越すことを約束して立ち去った。


 何も事情が飲み込めていないマリアがエラを問い詰めようとした。それを制して、母とわたしはエラを奥の部屋に連れて行った。


「半信半疑だったけどねえ、アンナがエラを舞踏会で見かけたというから、こんな事になるかもしれないとは思っていたよ」


 エラは思い詰めたような顔をして、わたしをじっと見ていた。


「家で留守番をしていたら、魔法使いだと言う人が、わたしを訪ねてきたの。『お前の姉への恩義があるから、その姉の望みを叶えに来た』って。魔法で古いドレスを新しくしてくれたの。ガラスの靴もその人が……。全部、わたしの力じゃないわ……本当にお城に行ってもいいのかしら」


「王子殿下はドレスや靴を好きになったわけじゃないんだから、それでいいのよ」


 わたしは部屋の隅に置いてあった衣装箱を開けた。若い木の芽のような淡い緑色のドレスを引き出して、エラに差し出す。


「……舞踏会が終わってから、少し暇になったし、お手当もいただいたから、作ってみたの。魔法使いのドレスには勝てないかもしれないけど、舞踏会で見てきた最新流行のドレスよ。これを着て、堂々と王子様にお会いしてきなさいよ」


 舞踏会のときに何もしてあげられなかったのは、わたしのほうだから。


 わざとエラに失敗させるような魔法を使わせたのはわたしだから。


 誰も悪くなんて無い。


 こんなもので帳消しにはならないかもしれないけれど。


「アンナ姉さん……」


 エラが目元を歪ませて、涙をあふれさせていた。


「ごめんなさい……わたし、何にもできないって、最初からあきらめて。母さんに叱られるたびに、自分には無理だって思い込んでた。これからは自分でがんばってみる」


 母も微笑んで、そうしなさい、と頷いていた。


 そこへマリアが慌てた様子で駆け込んできた。


「姉さんにお客さん。すごく横柄な男なんだけど……あれ、知り合いなの?」




 マリアの言った『すごく横柄な男』は、あまりに背が高すぎたのか、入り口の梁に頭をぶつけそうになっていた。


「……魔法使いさん?」


 エラがぽそりと呟いた。男は無愛想に口を引き結んだまま頷いた。


「どうやら、うまく行ったみたいだな。王子はガラスの靴のご令嬢のことが寝ても覚めても忘れられないと、大騒ぎになっていた。早く支度をしたほうがいい、待ちかねて向こうからやって来るかもしれない」


 男の言葉にエラは頬を染めて、奥の部屋に戻っていった。


「ありがとう。あなたのおかげだわ」


 わたしがそう言うと、男はぬっと手を差し出してきた。


「何? この手」


「報酬を受け取りにきた。妹のドレスと舞踏会の件は、ババア……じゃない、祖母の件の礼だが、追加の魔法については、追加料金が必要だからな」


 わたしは呆然と相手を見上げた。


「だけど、わたし、お金なんてないわ」


 仕立て屋さんからいただいたお手当はエラにお迎えが来たときのためにと、ドレスの生地を買い込んでしまったから、全く残っていない。


 大体、魔法の代価がどのくらいの相場なのか、全く見当がつかない。


「……なら、君を連れて行く。ババアからさっさと嫁をもらえとせっつかれているから、ちょうどいい」


 顎が外れるかと思った。


 何この人、そんな面白くなさそうな顔で、求婚しているつもりなの?


「嫁って、そんな嫌そうに言う?」


「別に、嫌ではないぞ。オレの無愛想は生まれつきだ。おかげで人当たりのいい弟の方が跡取りにふさわしいだのと年中言われているからな。オレは祖母から話を聞いて、君のことを調べてきた。読み書きも家事もこなすし、男相手でも意見を言えるほど物怖じしない。そのくらい胆がすわった娘なら、オレの妻でもつとまるだろう」


「ちょっと待ちなさいよ。こっちの意見とか、選ぶ権利とか……」


 そう言い返すと、男の眉がぴくりと動いた。怒鳴られる、と思って私は慌てて言葉を継いだ。


「だから、踏み倒したりしないから、せめて分割払いとか……」


 そりゃ、わたしみたいに不器量な娘をこの先嫁にと望んでくれる人がいるかどうか分からないけど、魔法の代金だなんて、モノみたいに。


 それに何より、この人のことを何にも知らないのに。


 そう思っていたら、表が賑やかになった。


 おそらく、エラを迎えに馬車が到着したんだ。


「なんだ。もう来たのか」


 男は全く動じない。すぐに玄関の戸が開いた。と思ったら、豪奢な衣服を纏った男性がお供を連れて入ってきた。


 舞踏会で見た王子殿下だ。御自らエラを迎えにいらしたの?


 そして、わたしと男の姿を見ると、にこりと笑いかけてきた。


「おや、兄上。どうしてこちらに?」


「おまえと似たような理由だ。この娘を連れて帰ろうと思うのだが、どう思う?」


 王子殿下は目を見開いて、わたしを見つめてから、穏やかに微笑んだ。


「もしかして、おばばさまのおっしゃっていた『赤い髪のお嬢さん』なのですか?」


「……え?」


 やっとここで話の内容が繋がってきた。


 この人って……魔法使いじゃなくて、兄王子様だというの?


 ってことは、わたしが市場で見かけた老婆は、現国王の母后だったというの?


「あの偏屈者のおばばさまが大層褒めていらしたので、どのような方なのかと思っていました。どうか兄をよろしくお願いします」


 王子殿下がにこやかに微笑んでわたしの手をとると、軽く一礼した。


「よろしくって……あの……」


 一体何事? 王子殿下がエラを迎えに奥の部屋に行ってしまうと、男がそしらぬ顔でわたしを見た。


「……そういうわけだから、城に来てもらうぞ。分割払いは認めない」


「だからだから、無理だって……わたしみたいに背が高くて不器量な娘なんて……」


 冗談じゃない。あの王子殿下の兄ということなら、将来は国王になる人だ。そんな人の奥さんなんて絶対無理だ。わたしが慌ててまくし立てると、男は不思議そうな顔で問い返してきた。


「背が高い? オレより低いではないか。それに、不器量とかいう基準はオレには分からん。女というのはオレのような無愛想な男は恐ろしく見えるらしくて、誰も近づかないからな。今まで見てきた女の怯えて引きつったような顔に比べれば、君の落ち着いた様子はむしろ好ましい」


 ……今まで女性に恐れられてきたから、女性の顔の基準が分からないということ?


 って、この人がわたしを気に入ったのって、自分を怖がらない女だから?


「弟が妃を選んだと言ったら、うちの親がオレがまだ嫁を迎えていないのでは格好がつかないと嫌みを言うのでな。君が拒めば妹の結婚式は遅れるだろうが、それで構わぬのか?」


「いいわけないでしょ。それじゃ困るわ」


 完全に脅迫としか思えない。男は軽く頷いてから、言葉を継いだ。


「だったら君がオレのところに来れば済むことだ」


「……ものすっごく、填められたって気がするんだけど……」


 外堀からじわじわと埋め立てられたような気がした。


 この男にとって、自分を怖がらずに何でも言う女が珍しかっただけかもしれない。


 世継ぎの王子に言いたい放題できる人間なんかそういないし、この無愛想ぶりでは大抵の人間が引いてしまうだろう。


 わたしがそれ以上何も言わなかったら、あきらめたと思ったのか、男は口元にわずかに笑みを浮かべた。


「では、オレの妻になっても構わぬのだな?」


 なんでそんな嬉しそうな顔をするの。


 その表情に胸が高鳴って、断れない気分になってしまった。




 その日のうちに、二人の王子がそれぞれの妃を決めたという知らせが国中に伝わった。


 ことに変わり者で滅多に人前に出てこない世継ぎの王子が妃を迎えることに、国民は安堵したという。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お針子と魔法使いの恩返し(強制) 春奈恵 @megumiharuna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ