第2夜 『花咲くいろは』 第18話
ぐったりとしていた。
春の嵐に揉まれながら帰路を歩く。仕事の量は繁忙期を終え落ち着いている。
それが返って、良くないのかもしれない。
忙しさの中に身を置いていると、余計なことを考えないで済む。暇だと、職場の人間との空気感に気を揉んで、気疲れしたりする。
そんな1日だった。
「ブンちゃん」
街灯の下を通りかかったところで、声をかけられた。
「コッコ、どうした?」
てっきりもう部屋で飲みはじめているかと思っていた。
「緑茶なかったから買ってきたのよ」
コッコが片手にぶら下げていたエコバッグから2リットルのペットボトルを見せる。
「あとこれ!」
「蜂蜜?」
「緑茶割りにちょっと垂らそうと思ってさ」
ブンとコッコは甘い酒も嫌いではない。
エレベーターでアパートを上がり、部屋に帰り着く。
昨日買った鳥ももを、唐辛子を一緒にした醤油ベースのタレに漬け込んでおいた。
シャワーを済ませキッチンに立つ。
ジップロックから出した鳥ももを蒸す。その間に添える葉物などを用意してしまう。
鶏肉の中まで加熱できたら、ダイアモンドコーティングのフライパンで皮面を下にしてカリッとなるまで焼く。
「今日はなに観る?」
ブンは鳥ももを盛り付けた平皿を持ってリビングに出る。
コッコが、じゃん!とセルフで効果音をつけて出してきたのは『花咲くいろは』のDVD。
「いいね。て、ずいぶん中途半端な巻だな」
「なんか無性に、このキャラメインのあの話観て〜って時ない?」
「あー、」
「てことで、18話観よ」
話数を言われても、咄嗟にどんな内容の回だったかは思い出せなかった。
小さじ一杯分の蜂蜜を溶かした緑茶割りは、微かに吐息が溢れる甘みがした。
蜂蜜が溶けやすいよう、緑茶はコッコに湯煎で温めさせた。鍋で温めるより、緑茶の風味は損なわない気がする。
「走るねぇ」
「そうな」
『花咲くいろは』2期op曲『面影ワープ』
「1期op曲もいいけど、こっちも疾走感あって好きかな」
「あー、ブンちゃんはそうよな。話なら緒花ちゃんが徹さん迎えに行く回が一番?」
「いや、別に走ってるの見るのが好きなわけじゃないのよ。曲調の話」
「なーる」
「まぁ、あの回たしかに面白かったけど。プレッシャーでダメになってる蓮さん、一言で元に戻す徹さんかっこよかったし」
「ほへー」
そこはそんなに響かなかったらしいコッコである。
本編がはじまる。
「菜子ちゃん回か」
冒頭でわかった。観るのは二度目で、話もなんとなくは覚えている。
「菜子ちゃん偉いよなぁ。学校行って仕事して、家で兄弟の面倒見ながら家事までこなすって」
「実は作中一番スペック高い気がする」
「そおなぁ。1番好き。ブンちゃんは?」
「1番かぁ、誰だろ、蓮さんかな」
コッコがテレビに顔を向けたまま首を傾げる。
「めちゃ渋いのにコミカルな感じ、よくない?」
「ほぉ?」
「ピンときてないな」
「実は辛辣な一面もある菜子ちゃんいい。言われたい」
「コッコって、ちょっと気持ち悪いときあるよ」
「ブンちゃんに言われても嬉しくないのよ」
「喜ばせようと思って言ってねーんだわ」
会話の流れをぶった切って観てる途中に感想を口にするのは、コッコもブンもお互いやるので気にしないのだ。
Bパート。溌剌と振る舞う『なこち』の辛辣っぷりは、たしかにクスっとさせるものがある。
「変な革ジャンて言われて落ち込む蓮さんかわいい」
「たしかに」
観ながら、皿に箸を伸ばす。鳥ももの下に敷いたレタスごと巻いて口に運ぶ。味は染みていて、レタスと合わせるとちょうどいい塩梅だった。
隣で観ているコッコの表情には目を向けない。アニメを観るアニオタの顔は直視しない。これ社会のマナーにしてもいいんじゃなイカ?
さておき。
仕事で失敗して落ち込む菜子。女将部屋でのシーン。
「大切なことだよなぁ」
「どったの?」
「いや、女将さんいいこと言うなぁて」
「たしかに、こんな風に言われたら宙泳いじゃうよな」
「およ、ぎはしないけど、嬉しいよ」
評価されたら仕事を頑張れる。それはあるだろう。けど、仕事を頑張る、というか仕事に真摯でいたから、菜子は評価された。
常に真摯でいること。大切なことだ。
「わかっちゃいるけど〜ぉ」
適当なメロディで口ずさむ。
曲名は「わかっていても常にはむり」
こういう作品を観て、自分はどうだろう、と内省する。そんなところが、ブンにはある。
エンディング。色鮮やかな紅葉。
「風景とかの色彩もいいよな」
「聖地巡礼しちゃう?」
「しちゃわないです」
ブンとコッコは聖地巡礼しない主義である。ただミーハーなところはあるので、アニメの影響を受けてキャンプとかDIYに手を出してみたりはする。
「ブンちゃん、今度は劇場版観よーよ」
「あ、それは観たことない。観たいな」
「劇場版もね、いいのよ。メインはやっぱ四十万家三代の話なんだけどさ、菜子ちゃんの絡みもね、いいのよ」
「語彙力」
ブンは苦笑し、蜂蜜入り緑茶割りを呑む。
緑茶の渋味に、ほんのり甘い蜂蜜の味。
そういえば、とブンは思い出した。
「緒花ちゃんとママと女将さんの3人で呑む話、あれもよかったな。あれ何話だっけ?」
「13話!」
「即答!」
コッコは結構この作品が好きなようだ。
濁々日記~あにめを肴に酒を呑む~ 井ノ上 @haru1881
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