第2話 ウンコの町

 ここは、王都サーイッショから少し離れたエンザインの町。転生勇者のユーシアとその幼馴染のナージはこの町に先ほど到着したばかりであった。

 金髪ツインテールの騎士ユーシアと紫の長髪をなびかせて歩くナージは、常ならば通行人の注目の的ともなろうものだが、今はこの町に漂う悪臭に耐えかねて鼻をつまんでいるため、むしろ好奇の視線を浴びている。


「それにしてもクッサイなーー。

 サーイッショの町もそうだったが、この世界の町はどこもこうなのか?」


「排泄物は容器に溜めて道に棄ててるからね、こんな人口密集地で。

 あたし達は田舎の生まれで本当によかったわ」


「近くの森や茂みで用を足すのだって、水洗便所が当たり前だった世界から転生してきた俺にとっては難易度高かったけどな。

 転生前の世界じゃ中世ヨーロッパの町に憧れる奴も多かったが、このトイレ実情を知ったらどんな顔をする事やら。

 一応窓から排泄物を棄てる時は通行人に一声かける事になってはいるが、それを守らない奴だって普通にいるし、みんなでクソや小便を投げつけ合ってるようなものじゃないか!」


「だから、マントを着ているんじゃない。これがあれば、不意にウンチが飛んで来たって防げるからね。

 日傘も、シルクハットも窓から飛んでくる汚物を避けるのに便利だから流行ったファッションよ。ハイヒールだって、道端に落ちたウンチをつま先立ちで避けやすいように作られた物なんだから」


「マジかよ……」


「今は女性が履くようになったけど、元々は男性が履いてた靴よハイヒールは」


「どうりで、疫病が流行ったわけだぜ」


 二人は周囲の建物の窓を警戒しながら、今夜泊まる宿を探して歩いている。しかし突然、武装した兵士達が、その前を遮ってしまった。


「その顔は間違いない! 貴様等よくもおめおめと昼間に出て来れたものだ! ひっ捕らえてやる!!」


 隊長と思われる男の号令と共に、部下達が一斉に二人に掴みかかった。



         *      *      *



「なんであんな奴等に大人しく捕まってあげたのよ、ユーシアは。逃げる事なんて簡単だったじゃない」


 地下牢の中でナージが口を尖らせるが、壁に寄りかかったユーシアは涼しい顔だ。


「あそこで逃げたとしても、その後どうする気だったんだナージは?」


「どうするって、なんで兵士が私達を捕らえようとしたか調べて……、それから証拠を集めて冤罪をはらして……」


「なら捕まった方が早いじゃないか。どうして誤解したのか、取り調べの時にでも聞かせてくれるだろうしさ。

 だいたい根も葉もない事なんだから、ちょっと調べればすぐに人違いだって分かって貰えるだろ」


「あたしはどうしてユーシアが、そんなに役人を信頼しているのか分からないわ。例え冤罪だったとしても、犯人を処刑したという事にしてしまえば、その人の手柄になるのよ。本物でなくても、本物だったという事にすればいいだけなんだから。

 それにさっき押収された私達の剣だって、どこかに売って牢番の小遣いにされてるかもしれないわよ」


「なんだよそれ! ちゃんとしたお役人だろ相手は! どうなってんだよ、この国の倫理観は!」


「倫理観って言ってもねぇ、町じゃ縛り首や火あぶりを娯楽にしている町人だって多いのよ。いくらちゃんとした地位があっても、他人のモラルなんて早々信用できる訳がないじゃない。

 魔法が普及する前は、魔女裁判だって流行ってたくらいなんだから」


「げっ! とんでもねぇな、この世界の町は!

 そういう事ならすぐにでも脱獄しようぜ。この程度の鉄格子なら、素手でも曲げるのは簡単だしな」


 ユーシアが鉄格子に手をかけようとしたその時だった、コツンコツンと石造りの床を誰かが歩いて来る音が響いてきたのは。

 ユーシアは慌てて鉄格子から離れ、誤魔化すようにヒューヒューと口笛を吹いている。


「失礼いたしました、勇者様。すぐに牢から出して差し上げます」


 二人の兵士を引き連れてやってきた中年の男は、その一人に命令して牢の鍵を外させた。


「私は、このエンザインの衛兵隊長をしている者です。

 実は、夜な夜なこの町を襲う二人組の女悪魔がおりましてな、その悪魔達の顔とあなた方がよく似ていたので、部下が勘違いをしてしまったのです。申し訳ございません」


「なぜ、私達が勇者一行だとわかったの?」


 ナージが首を傾げる。


「あなた方が持っていた剣は、魔王退治のために王が与えた特別な聖剣。

 部下が報告に来た時にそれを見て、傍と気づいたという訳です」


 衛兵隊長はユーシア達に剣を返して、町中まで送り返した。

 牢の中で一晩明かしたためもう日は高く上がっており、ユーシアは日差しを遮るように手を額に当てて目を細めている。


「それにしてもアレだな。無理矢理騒動に巻き込むために、登場人物をやたら無能にしたり、有能にしたりというのは不自然極まりないな。

 いくら顔が似ていると言ったって、夜な夜な現れる魔物がロクな変装もせずに昼の町を歩いていたら、おかしいって思うのが普通じゃないか。

 それに偶然にしたって、二人共顔がそっくりってのはやり過ぎだ。一人だけ顔が似ていたっていうなら分かるが、二人共って……いくらなんでもデキすぎだよ。ご都合主義だと読者に呆れられちまう」


「まぁまぁ、それよりどうするのよこれから? 王様の言いつけを守って魔王退治を急ぐなら、途中で寄り道なんてしない方がいいんだけど」


「わざわざそっくりな偽物を登場させたって事は、こいつを退治して物語を盛り上げようってんだろ。

 見え透いたやり方だけど、無視しても盛り下がるだけじゃないか。気は進まないけど、冒険者ギルドにでも寄って、情報収集しようぜ」


「なるほど、そのために立ち寄った冒険者ギルドで、”まさか! あの勇者がこの町に!”とか”驚いた! 勇者の実力がこれほどまでとは!”なーんてイベントも用意されてるってわけね」


「面倒だから、そういうシーンはカットしちゃおうぜ。あんなの読者の承認欲求を満たす肩代わりを俺達がしてるだけの事だし、読者がカタルシスを感じるように大袈裟に驚く一般人のリアクションを考えるのだって、冷静になって考えてみればバカげた作業なんだぜ」


「ふーん、でもなんで承認欲求に飢えた読者が、そこまで多いのかしらね?」


「ピラミッド型の競争社会にドップリ浸かってるからだろうなぁ。上を見上げては劣等感を募らせ、下を見ては優越感でその劣等感を癒すのが当たり前になってるんだから。下の者にヨイショして貰うのが至福なんだろ」


「病んでるわね……」


「病んでるけど、転生前は俺だって自覚してなかったよ。むしろ誰かに定められたとおりの基準で他人と自分を比較し、常に上下を意識する事で客観的に自分を見る事ができるとすら思い込んでたくらいだ。

 悟れたのは勇者なんて特殊な立場になって、ピラミッドの外に放り出された後の事さ。

 勇者として多彩な才能はあっても俺が人より劣ってるところなんて山ほどあるし、かと言って誰かに認めて貰わなければ落ち着かないほどの劣等感を抱いている訳じゃないからな、今の俺は」


 剣を担いだユーシア達は、すぐに冒険者ギルドを見つけてその扉をくぐっていった。



         *      *      *



 エンザイン北の洞窟。ここに自分達にそっくりなサキュバス達がいると聞いたユーシア達は、その日のうちに乗り込んで来ていた。


「こういう洞窟探索って、困るんだよなぁ」


 ランプで周囲を照らしながら、洞窟の入り口でユーシアが愚痴る。


「困るって何が? ボスのサキュバスは強敵かもしれないけど、あたし達の実力ならそこいらのモンスターくらい、簡単にやっつけられるじゃない」


 一方ナージは笑顔で、初めての洞窟探検にノリノリの様子だ。


「だから困るんだよ。RPGだったらダンジョンを探検する楽しみもあるけど、小説だと描写が助長になるだけじゃないか。

 伝説の前人未到のダンジョンとか、厄介な特殊能力を持つ魔物の巣窟になっているとか、そんな設定でもない限りダンジョン探索なんてこれといった盛り上がりもなく終わってしまうものだろ。かと言って、次のページでいきなりダンジョンの最奥に到達してたりしたら、それはそれでおかしいしさ」


「あー、そういう……」


「俺達目線だと退屈な描写が続くだけだし、ここはいっそ敵目線に切り替えてもらおうぜ………………



         ◇      ◇      ◇



………………ズドン!


 轟音と共に、洞窟が揺れている。


「町の奴らめ、ようやく本気で我々を討伐する気になったようだな……」


 金髪をツインテールに結わえた姉のサキュバスが呟く。彼女が纏っているのは、白く薄い布のみで、ボディラインがくっきりと服の上からでも見てとれる。男どもを誘惑して虜にするために作られた、この悪魔の装束というわけだ。

 背中に生えたコウモリの羽と棘の生えた尾を揺らし、彼女は寝床から起き上がり周囲を見渡した。


「どうやら、侵入者はすぐそこまで来ているようですわ、お姉さま」


 紫の髪を腰まで垂らした妹のサキュバスは、すでにこの広間の入り口にむかって身構えている。


「やれやれ、やっとボスか。最短距離を突っ走ったつもりだったけど、思ったよりかかったな」


 まず最初に二人の前に姿を現したのは、金髪の女騎士だった。しかし奇妙な事に、彼女の腰に下げた剣が見えない。常に右半身を前に出し、左半身を後ろに隠すようにして、その女騎士はサキュバス達のねぐらに侵入して来た。


「死ねぇ!!」


 そう叫んで妹のサキュバスが宙を舞い、その首に爪を突き立てるべく襲い掛かるが……



ザシュ……


 次の瞬間、その首を刎ねられていた。侵入者の隠していた左半身……、その陰から剣が物凄い速度で抜き放たれていたのだ。


「貴様! その剣は!」


 姉のサキュバスは妹が討たれた事よりも、その目にも止まらぬ剣技よりも、女騎士が手に持った剣に驚愕した。その切っ先の輝きからそれが聖剣であること、そしてそれに込められた理力が桁外れである事を悟ったからだった。もし使いこなす事が出来たならば、魔王を討伐することさえ可能な力を帯びた聖剣だったのだから。


「ちょっとユーシア、あたしが来る前に始めないでよ」


 紫髪の女騎士が続いて姿を現し、サキュバスが聖剣から一瞬視線を動かした。その瞬間だった。


「この剣が気になるなら、ちょっと貸してやろうか」


 金髪の女騎士は、サキュバスにむかって無造作に剣を放り投げる。


「え?」


 放物線を描いて飛ぶ剣の軌道をサキュバスが目で追うのと、紫髪の女騎士が掌を前に構えるのはほぼ同時の事だった。


ボシュ……


 サキュバスが頭上に落下してくる剣を受け取ろうとした瞬間、女騎士の掌から放たれた光球がその上半身を焼いていた……



         ◇      ◇      ◇



「やっぱ、似ていたのは髪型だけだったな。ギルドで”そっくりな魔物”なんて話を聞いてたから、ちょっとは期待したのに……」


 剣を拾いながら、ユーシアがまた文句を垂れている。


「それよりユーシア、あんな不意打ちみたいな戦い方でよかったの? そっくりではないにしても、女同士、それも二対二の対決だったんだから、もっと戦いを盛り上げる事だってできたでしょ」


 ナージは不満そうに頬を膨らませているが、ユーシアは先ほどの戦いに満足しているのか、その笑みを崩さない。


「何言ってんだよナージ。最初に俺がやったのは、居合に伝わる奥義、剣を帯びている事を悟らせない抜刀術だ。つまり、転生前に漫画で覚えた知識をこの世界で応用した、典型的な異世界マウントじゃないか!」


「じゃー、剣を放り投げて魔法を直撃させたのは?」


「あれはナージの見せ場を作ったんだよ。ちゃんと二人の連携になってたし、ナージに止めも刺させてやったろ。完璧な戦闘シーンじゃないか!」


「あたしが期待してたのは、あんなすぐ終わっちゃうようなあっさりした戦いじゃなかったのに……、ターン制で見せ場が交互に回って来るみたいな」


「ま、あの程度の敵はこれからわんさか出てくるんだろうし、最初から長期戦なんてしてたら終盤でネタ切れになっちゃうよ。だから今はあれでいいんだよあれで。

 それに、俺達には旅を急がなきゃならない理由もあるしな」


「理由って?」


「まぁ、それは長くなるし、洞窟を出てから話してやるよ」


 首を捻るナージに向かって、ユーシアは少し憂鬱そうに答えた。

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