第四章
第11話 独裁者とは
サルヴァトリーチェは、王宮に来てエルデンと親しくなり、それにつれて今まで興味のなかった外交や政治に関心を持つようになったのだが、当たり前に享受している今のミスティカルナの平和は、なぜ保たれているのかだんだん疑問に思うようになった。
山脈を挟んだオートクラシアが、なぜ十一年前の侵攻以来何もしてこなかったのか。そしてなぜ今になって生物兵器投入未遂などという事件を起こしているのか。
「エルデン、もしかして独裁政権って意外と不安定なものじゃないの?」
ある日、時間があったので聞いてみた。
「そうだろうね。ミスティカルナは実質的民主主義だから、いまいちイメージしづらいかもしれないけど…そもそも、独裁者って独りで成立すると思う?」
「ん?」
難しい方向に話が持っていかれるようだ。サルヴァトリーチェも真剣に考え始めた。
「うーん…カリスマが一人は必要かもしれないけど、結局その体制で一番得をする連中が多ければ多いほど…ん?」
サルヴァトリーチェは首を傾げた。
「もしかしたら、独裁者って特定の個人というかキャラクターを、ハリボテ人形としてまつりあげてるだけで成立するんじゃ…」
「正解」
エルデンが微笑んだ。
「オートクラシアには『カリスティオ・ヴェルナー』はもういない」
「いな、い…どういうこと」
身体から血の気が引いた。
「カリスティオ・ヴェルナーさんは…どうなってるの?」
「指導者の方なら、もう政権を追われた」
「でもこの前、ヴェルナーさん宛に処方箋を」
「うん、カリスティオ・ヴェルナー自身は存在する」
「え?」
「君が自分で言っただろう。ハリボテだ」
「待って、ハリボテ宛に処方箋を?」
わけがわからない。時々エルデンは、こういう話し方をして翻弄するのが好きらしいことはわかってきたのだが、…慣れない。
「ごめん、意地悪して。わかりやすく言おう…カリスティオ・ヴェルナーは、今はいないはずの人の名前だよ。そして、俺が時々会っている人でもある」
「…国交はないはずだったよね」
この大陸以外の国との交易は盛んだが、オートクラシアとは断絶状態だ。たまに国境線を越えてくる難民の受け入れはするが、それだけの関係に過ぎない。
「…サルヴィ、なぜ俺が『ミスティカルナ人全滅作戦』の情報を手に入れたか、わかるかい?」
「えっ、その時点から?」
そういえば、そうだ。
エルデンは医学博士として得た情報だと言っていた。他の医学博士の手に負えないから自分に回ってきた情報だと。
「…エルデン、何か嘘ついてた?」
「いや、誓って嘘はついてない。ただ、カリスティオから『真っ先に』情報を手に入れ、極秘で医学博士たちに話を回したのは、俺だってこと。結果として国内の医学程度では埒が明かないから、俺個人の問題として処理した」
「ということは…国政不干渉のルールを…」
「ミスティカルナ国内の政治は、ということだ。オートクラシアの政治に関することには、些か首を突っ込んでいるが…はっきり言おう、カリスティオ・ヴェルナーは隠れ場所を転々としながら、かろうじて、でも確かに生きている。だが、政治的には死んだも同然だ」
「ラジオでヴェルナー総統万歳って言ってるのは…」
「あれはミスティカルナの国民に聞かせるためのもの。ミスティカルナは地球で言うAMは受信できるが、超短波のFM受信ができるラジオはまだ開発されていない。しかしとっくの昔に、オートクラシアでは全てのラジオ放送をステレオのFM放送に切り替えている。…あの放送は、ミスティカルナ国内向け放送なんだよ。そもそもあの高い山脈を、ラジオの電波が通ってくること自体おかしいだろう?」
「確かに…あんなにはっきり聞こえるのはなぜなのか、疑いもしなかった」
サルヴァトリーチェは自分の頭を叩きたくなったが、その手をそっとエルデンが止めた。
「…これでわかったね、『オートクラシア』という国はもう存在していない。ミスティカルナ国内でのラジオ放送の中にしか存在しないんだ」
エルデンの表情は厳しかった。サルヴァトリーチェは、エルデンが大事なことを言おうとしているのを察した。
「…前の両陛下が『亡くなった知らせ』は、エルデンは受け取っただけで…遺体を見たという話は、一度もしてなかったよね」
「そうだね。でも、たった十二歳の俺には、そこまで思いもよらなかった」
「つまり、先王夫妻は」
「そうだよ。君の考えついた通りだ。もうあの国はオートクラシアではない…国境周辺の辺鄙な場所では、まだオートクラシアという呼び名が残っているが、それだけのこと」
「言い換えれば…両親は…エルデンの両親は、十二歳の時に『エルデン・エルディナールの両親であること』をやめた、つまり『愛情が死んだ』…エルデンを『棄てた』だけ…」
「そう、命のあるなしでいえば、生きている」
冷や汗が流れるのを、サルヴァトリーチェは袖口で拭った。ハンカチなんか出す精神的な余裕などはなかった。
「…ごめんな、動揺させてしまって…」
「大丈夫…多分」
おそらく、カリスティオ・ヴェルナーという人は、逃げ回りながらもエルデンに情報を送り続けた。エルデンの両親が新しい独裁政権を作り出すのにたまたま十一年が必要だったから…殺人ウイルスもその間に開発したし、それをいち早くエルデンに伝えたのもカリスティオ。
「彼は用意周到でね。いずれ独裁政権は崩れると予測して、ミスティカルナに通じる地下通路を作っていた。カリスティオはそこを利用し、残り少ない近しい友人たちを使って俺に連絡をしてきた。地下通路を作らせた作業員は『口封じ』をしたらしい」
エルデンの声は微かに震えていた。自分では何も出来なかった悔しさが滲んでいた。
「俺が最初から、こちらから工事に手をつけていれば、そんな犠牲など…でも、お飾りの国王には、何もできなかった…」
「エルデンのせいじゃない!」
サルヴァトリーチェは必死でエルデンにしがみついた。エルデンの心を埋めるために、こうすることしか出来ない自分が辛い。
「エルデン…今なら言える。あなたを、愛しています。心の底から。仮の婚約でも、なんだっていい。婚約解消されて離れても私は一生、あなただけを愛し続けます。あなたをかつて愛した両親には及べないかもしれないけど、それでも愛しつづけます。…こんなちっぽけな小娘の愛情なんか、取るに足りないかもしれないけど…」
「そんなことない。俺も君が好きだ、サルヴィ。ここまで俺を思い、必死になってくれる女性は生まれて初めてなんだ。媚びを売る女は腐るほどいたが…サルヴィのような人は初めてだ」
ようやく、エルデンに笑みが戻った。
「婚約しといて今更なんだけど…この問題が解決したら、結婚しような、サルヴィ。もう二度と離したくない…俺と結婚してくれ。君にはできるだけ負担をかけない」
「エルデン…ありがとう…」
まだまだ、考えなくてはならないことは沢山あった。カリスティオを蹴落とし首がすげ変わっただけのオートクラシア…いや、今はアルバスティアという新国家。ミスティカルナに勢力を伸ばすために、様々な手練手管を使おうとしてくるだろう。
「明日になったら、民衆議会に顔を出す。全てを説明して、この件に関する全権を、何がなんでも俺に認めさせる。…やれるのは、俺しかいない」
「私もいるよ」
「ありがとう、サルヴィ。頼もしいよ…本当に」
そして微笑み、サルヴァトリーチェの頬をそっと撫でた。
「両親の最大の誤算は、俺が記憶転生を起こすことで、国王としてしっかりやってこれたことだろう。十二歳でそれをやってのけるなんて、考えもしなかっただろうな」
「そうだね…記憶転生が、エルデンを大人にしたんだもんね」
エルデンは、少し考え込んだ。
「ただ…解せないのはなぜ、母親はわざわざ遺書を残したのかということだ。本当の魔力を手に入れるためには、覚醒が必要だというあれだよ」
「確かに…言われてみると、謎だわ」
「なぜ、俺を魔法使いにしたかったんだろうか」
エルデンはどうしても腑に落ちないようだった。
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