第9話 サルヴァトリーチェ、覚醒

 小林くん事件は、肉体的ダメージより精神的ダメージのほうがキツかったようだ。

 何しろ、

 ・あの場でいちばん弱いと判断された

 ・エルデンを悪魔と呼ばれた

 ・エルデンを殺すと言われた

 ・エルデンを軽く扱われた

 ・エルデンを…

 と、大半がエルデンに関することだったのだが、本人はまったく気がついていない。

 ちなみにアイレーネーは、コミュニケーションを司る宝石の精として、殺す、死ねなどという言葉の刃物や物理的暴力がどうしても許せなかったそうで、はしたない場面を見せてしまったとサルヴァトリーチェに平謝りしていた。

 「ううん、助かったしカッコよかった。ありがとね、アイレーネー」

 サルヴァトリーチェに礼を言われると、アイレーネーはホッとしたようで、嬉しそうに微笑むとサルヴァトリーチェのラピスロクスに戻った。

 どうも、ラピスロクスの宝石たちは、持ち主の「ありのままの感謝」を一番喜び、またそれで力を増すようだった。


 もちろん、エルデンも心配して会いに来た。

 そして真っ先にこう言った。

 「サルヴィ、心は痛くないか?」

 エルデンにはわかっていたのだ。怪我の方はピエシスが完全に治すだろうけど、心までは治せないだろうことを。

 なので、エルデンの言葉にサルヴァトリーチェはボロボロ泣き出してしまった。なぜ、ピエシスがよく効く炎症止めを作ってくれたのに胸が痛むのかわからなかったのを、エルデンが指摘してくれたからだ。わかってくれたからだ。

 「…サルヴィ」

 「だって…だって…エルデンをあんなにひどく言われて…」

 もう何も言えない。こんなに優しくて心が暖かい人を、何であんなふうに…

 「…わかっているよ、サルヴィ」

 エルデンはそれ以上何も言わなかった。ただ、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 サルヴァトリーチェは驚いた…エルデンに抱擁されるなんて、初めてのことだ。

 でも、すぐに意味はわかった。

 心に効く薬は、言葉じゃないんだと。

 もしかしたら、心に効くのが言葉の時もあるかもしれない。でも、今のサルヴァトリーチェには「大丈夫」も「気にしてない」も、多分効かなかっただろう。…全身で伝えてくる「俺のために泣いてくれて、ありがとう」という感情を、サルヴァトリーチェはしっかりと受け取った。

 ありがとうは、こっちだ。

 こんな人が存在してくれたことが嬉しい。

 こんな人と巡り会えて嬉しい。

 ほんのひと時だけかもしれないけど、人生の線と線が偶然交われて嬉しい。

 …私は、この人を尊敬する。

 心の底から大好きだ、エルデン・エルディナール。

 サルヴァトリーチェは、ギュッと抱きしめ返した。


 すると…

 ズキンと痺れた胸の奥で、何かが弾けた。

 どこからか清々しい泉が湧き出して、身体じゅうに流れ込んでくる。まるで自分が空っぽの瓶だったようで、そこに清らかで透明なものが注がれて、溢れて、注がれて、溢れる。

 三つのラピスロクスにも満ち溢れて、中の宝石たちが驚いたのまでわかる。

 気がつくと、サルヴァトリーチェは何か違うものになったかのように、呆然と立ち尽くしていた。

 

 「何、これ…エルデン…」

 エルデンは、優しく微笑んだ。

 「覚醒したんだ、俺のように」

 「覚醒って…?」

 「強い魔法を操るためのもの。…本当の魔法には、エーテルは要らないんだよ」

 「え、ちょ、なんでこのタイミングで覚醒?」

 「それは、自分に聞くといいよ。人によって違うと、母上は遺書に書いていた」

 「え」

 「君のきっかけが何だったのか、教えてくれないか?」

 エルデンはニッコリした。

 「俺は知りたい。教えてくれよ」

 いや、これは絶対わかってて聞いてる…

 サルヴァトリーチェは焦った。

 「い、や、その…なんていうか、ハイ…」

 「教えてくれないのか?」

 「こ、心の準備というものが」

 「残念だな。…俺の場合を教えてあげるよ」

 「エルデンの、覚醒のきっかけ…?」

 「そうだ。俺の場合は…『生きるという本能』」

 「本能…?」

 エルデンは頷いた。

 「俺はあの時、オートクラシア軍に追われた。見つかったら王太子の俺は殺される。殺されたくない、と必死で思った。両親が残した俺という命を生かしたいと思った…もう、頭の中はごちゃごちゃだったけど、ほら、記憶転生があったからね。でも、生きたいという気持ちはハッキリとあった」

 当時のことがありありと目に浮かぶのだろう、エルデンは少し辛そうな表情になった。

 「そして、銃弾が俺の脚をかすった。倒れた。痛かった。嫌だ、生きたいと強く念じた。…気がつくと、俺は覚醒して、兵士たちを吹き飛ばすほど強力な魔法を発動していたんだ」

 「もしかしたら…お母さん、じゃなかった王妃様も…?」

 「もう少し大人になったら教えてあげると言っていたから…あと、生まれたのがあのオートクラシアだ。やはり何か、辛い状況で覚醒したんだろうな。だから、わからない」

 それと、とエルデンは続けた。

 「覚醒の力が真の魔法には必要だ、ということは確実なんだが…俺たちのラピスロクスが三つある理由について、考えていることはある。ただその謎はまだ解けていない。…サルヴィにそれを知る勇気があるかどうかだけ、聞かせてくれ」

 「なぜ…」

 「歴史が覆される」

 サルヴァトリーチェは、前に読んだ生物歴史学の教科書の内容を思い出した。…あれが、覆される…それってどういう意味…?

 でも、多分エルデンは知りたいんだろう。知る勇気がある人だから。…でも、他の人がそうかどうかはわからない。だから確認しているんだ…

 「私たち二人だけで共有するなら、知りたい」

 それは本当だ。エルデンとなら、どんな恐ろしいことも共有できる。今なら言える。

 「エルデンとなら、分かち合いたい」

 「わかった、ありがとう」

 エルデンは笑顔を見せた。

 「俺の名はエルデン、古い言葉で『炎』…君はサルヴァトリーチェ、意味は『救世主』…知ってた?」

 「えっ、私の名前、そんな意味だったの?」

 「そうだったんだよ。ミスティカルナでは名前は音の響き重視で、意味は特にないから、びっくりはするだろうね。でも、そういう意味があるんだ」

 とんでもない。毎日、私は救世主ですって名乗って、みんなに救世主って呼ばれてたのか…

 「さて、俺の仕事が増えた。サルヴィに魔法の使い方教えないと。魔力だけあっても、使い方を知らなかったら意味がない。明日から授業だからね」

 覚醒しただけではダメらしい。

 つまり、使いこなすための努力…また勉強が増えるのか、とサルヴァトリーチェはぼんやり思った。

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