第6話 エルディナール博士の私信
結局「ミスティカルナ人絶滅作戦」は失敗に終わったらしい。
結果としてミスティカルナの国民全てが健康になっただけでめでたしめでたし…というわけではない。オートクラシアのラジオが、独裁者のヴェルナー様万歳節から、悲痛な避難情報のニュースに変わった。生物兵器の殺人ウイルスが研究所から漏れたようだ。
これ、エルデンもおそらく知ってるだろうな…とサルヴァトリーチェは思った。そしてある願いを秘めてエルデンの自室に向かったが、ドア前の護衛に聞くと不在だそうだ。なぜこんな遅くまで戻らないのか、心当たりはないかと逆に聞かれてしまった。
まさか執務室か…?
そう思って向かってみると、ドアの隙間から灯りが漏れていた。やはりここにいたか…
「あのさあ、エルデン…」
ノックの代わりに声をかけた。入っていいよ、と返事が中から返ってくる。
そうっとドアを開けると、何やら分厚い本を何冊か積み上げ、書き物をしている。
「こんな時間まで、仕事?」
「違うよ」
エルデンはニッコリした。
「これは仕事じゃない、使命」
「使命?」
「人としての、ね」
人としての使命…?
「あのさエルデン、それ急ぎ?」
「ああ、一秒でも早く」
「実は…オートクラシアの件で」
「もしかして、あの薬の処方箋をオートクラシアに送る方法がないかって、聞きに来た?」
「なんでわかったの?」
「今やってるんだ。良かった、サルヴィも人としての使命を忘れない人で」
サルヴァトリーチェは困惑した。
「いや、そんな大層なもんじゃないのよ。たださ、可哀想じゃん…治療薬もないみたいだし」
「その『可哀想』と感じる心が、人としての使命なんだ。難しいことじゃないんだよ」
また、エルデンが笑顔を見せた。
なぜか、ひどく頼りになる男に見えた。
「…それ、何なの」
サルヴァトリーチェは、エルデンが書いている書類を見つめた。
「処方箋をオートクラシア語で書き終わったところ。あの薬、治療薬にもなりそうだし。…届ける方法ならいくらでもある」
それに、とエルデンは付け足した。
「今回、あっちの支配者カリオスティオ・ヴェルナー氏への、医学博士エルデン・エルディナールからの私信という形をとる。国王じゃないぞ。だから他の連中には、シーッな」
いたずらっぽくエルデンは口の前に指を一本立てた。サルヴァトリーチェもつられて笑顔になって、同じポーズを返した。
なぜだろう、エルデンがものすごく大人に見えた。というか、さすが国王で大司祭だと思った。過去の記憶とか関係なく、エルデンは二十三歳なのに立派に国王をやってる。大司祭としての、清らかな心も持ってる。
…私はどうなんだろう?
サルヴァトリーチェは自省した。
成り行きとはいえ、今は国王陛下の婚約者だ。手を繋いだことすら一回もないけど、プリンセス扱いを受けて、大事にされて…
「エルデン、私に出来ることって何かないのかな…エルデンみたいに」
「サルヴィ、『ノブレス・オブリージュ』って言葉があるんだ、フランス語だけど」
「フランス語…全然わかんない、ごめん」
「そういうことじゃない、大丈夫。フランス語の知識と言うより、ロイヤルファミリーの生き方としての心構えみたいなものなんだ。『貴人は慈善行為をする義務がある』…そんな感じの意味」
そこで一息ついたエルデンは、何枚か重なった書類の最後に、丁寧に署名をした。
本当に『ドクター・エルディナール』とだけ。
「あのさ、サルヴィ。君はまだミスティカルナ人としては十七歳なんだ。だから考える時間はいっぱいある。あと、君は庶民として育った。そこから見えてきたものや、いや…地球から持ってきた知識の中からでもいい。ゆっくり、自分が出来る『オブリージュ』を探せばいいんだよ」
ぽん、とサルヴァトリーチェの頭を優しく撫でてくれた。あったかくて、ほわんとした。
あれ…ちょっと待って。
この感じ、覚えてる…?
サルヴァトリーチェはハッとなった。
わかった!
「さえないちゃん!」
「えっ?」
忘れてた。なんで忘れてたんだろう。
小学六年生の時の担任だった…佐伯大地先生。
小太りで冴えない独身のおじさんだけど、それでみんなさえないちゃんって呼んでたけど、優しくてみんな大好きだった…
「そ、そうか…俺、小学校の教師だったのか」
「私、田中優希!」
「あっ、うさぎが死んでずっと泣いてたゆうきちゃん!」
そうなのだ。生き物係していて、クラスで飼っていたうさぎが多分寿命で死んだ。それでみんなに申し訳ないのと、なんで生き物って死んじゃうんだろうってやるせなさとが、ぐちゃぐちゃになって授業中に泣いてたら、さえないちゃんが保健室に連れて行ってくれて、大丈夫、これはゆうきちゃんが優しいからだから、ここでずっと泣いてていいからねって優しく頭をポンッてしてくれた…
「そうか…ゆうきちゃんも転生してしまってたのか」
困ったように笑った。
「ただ、今の俺はエルデン・エルディナール。もうさえないちゃんって呼んじゃダメだよ?」
「もちろん、わかってる」
サルヴァトリーチェは泣き笑いでエルデンを見上げた。
「私のことも、ゆうきちゃんって言っちゃダメだよ?」
「うん、大丈夫。…あの君なら、ノブレス・オブリージュを実践できるよ。さて、外に出ようか」
エルデンは書類を大切そうに封筒に入れて封をすると、立ち上がった。
「魔法で送信するんだよね。…国境警備隊に撃ち落とされないかなあ」
「俺が高等魔法使ったの、見たよね」
「うん」
「いい方法があるんだ」
そして中庭にやってきた。
「…コルンバ・アルバ」
そっとエルデンが唱えると、手紙が一羽の白い鳥に化けた。
「この鳥…茶色いのは見たことあるけど」
「そう、ミスティカルナからオートクラシアまで広い範囲に住んでいる大型の鳩だ。この世界の鳩は山脈も楽々超えていく飛翔力がある。鳩には国境がないんだよ。そして白いのは、俺からの私信である印…」
そらっ、とエルデンが空に鳩を離した。鳩はくるり、と上空で円を描いて飛んでから、オートクラシアに向かって飛んで行った。
(私がさえないちゃん…じゃなくてエルデンと婚約している間に、何かひとつでもノブレス・オブリージュがしたいな…私、仮の婚約者だもんな)
エルデンと一緒に、月夜にもよく見える白い鳩を見送りながら、そんなことを思った。
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