第二章
第5話 ミスティカルナの危機
やはり、サルヴァトリーチェの実家では両親がひっくり返ったらしい。
エルデンが通話機(地球で言う電話)でサルヴァトリーチェの実家の番号にかけたところ、イタズラ通話と判断されて切られたらしい。
仕方がないので、エルデンが直々にペガサスの一番速いやつに騎乗して(ペガサスのバイク的な使い方)実家にアポ無し突撃したそうだ。そこでようやく事実だということが判明し、二人とも固まって動けなくなり、そして倒れた。それはそうだ、娘が転生したと思ったら、今度は国王陛下と電撃婚約だ。
思えば両親が一番不憫かもしれない、とサルヴァトリーチェは思った。
で、花嫁修業と称して、ついこの間まで普通の女学生だったサルヴァトリーチェは王宮住まいになった。正規の家庭教師がつけられて、ちゃんと学歴は取れるようだが、この家庭教師が曲者だった。
いや、家庭教師そのものが曲者というわけではなく、家庭教師とのマンツーマン授業というスタイルが曲者なのだ。今までは大勢の中の一人で、教科書を読むのも席順で当てられるだけで、順番が回ってくるまでボサッとしていても、特に問題はなかった。
しかしマンツーマンだとひたすら集中していないといけない。逃げ場がない。非常に疲れる。初日でサルヴァトリーチェは音をあげた。
途中で集中力が切れて泣きそうになっていたところ、教師が察して授業は昼過ぎまでになった。そして自室で寝ていたら、ピエシスが無言で現れた。声をかけるまもなく、金色の液体の入った小瓶をサルヴァトリーチェに手渡すと、
「…飲んでください」
とだけ言って、消えた。
(エルデンは良い奴だと言ってたな…で、名医だって…)
サルヴァトリーチェは起き上がって、瓶のコルク栓を抜いた。いい匂いがする。
(もしや…これが『万能薬』では?)
ちょっと舐めた。…んんっ?
「ちょ…これ、オロCじゃん! しかも、めっちゃ美味いオロC!」
もちろん全部飲んだ。するとめちゃくちゃ元気になってしまった。
後でエルデンに確認したら、やはり彼も「あれは間違いなくオロC」だと言っていた。
それなりに多忙なエルデンには会う日も会わない日もあったが、会えたら会えたで転生記憶の話で盛り上がった。
楽しくやっていたが、ある夜、エルデンが難しい顔で外から帰ってきた。
たまたま夜食でも…とキッチンをうろうろしていたサルヴァトリーチェは、そこでエルデンと鉢合わせた。
「あ、ただいまサルヴィ」
難しい顔のままエルデンは挨拶した。
「おかえり。ブライト夫人がパウンドケーキ焼いて帰ったみたいで。食べる?」
「食べる」
しかし、エルデンはあまり嬉しそうではない。いつもは、つまみ食いにキッチンにやってくるほどブライト夫人のお菓子に目がないのに。
「何かあった?」
エルデンは一瞬迷ったが、頷いた。
「何が」
「…まあ、サルヴィならいいか。あのな…生物兵器って記憶ないか?」
サルヴァトリーチェも固まった。
「知ってるけど…なんでそんな物騒な単語がこの世界で出てくるのよ」
「情報が入った。ミスティカルナ人絶滅作戦だそうだ」
「は?」
そもそも、ゾルガルージュ山脈という天然の要塞に囲まれているではないか。…と言いかけて、こちら側の記憶…オートクラシアが飛行機を発明して、ミスティカルナに侵入し戦争になったことを思い出した。
「ちょっと待った。あの時の飛行機は、確か五機に一機しか山を越えられないヘナチョコ戦闘機だったはず…」
サルヴァトリーチェまで難しい顔になってしまった。
「十年も経てば改良はしているだろうな。それにウイルスを積んだ一機だけ山を飛び越すのが目的なら、資金とテクノロジーをバンバン詰め込んで改良してきてる可能性が高い」
エルデンはそう言った。しかし、ここまでシリアスな展開になったのは初めてだった。
「国王は一応、政治不干渉なんだが…今回は医学博士としての俺に来た相談なんだ。いや、俺以外の医学博士に一通り当たった上で、俺に来た話というのが正解かな」
「あのさ、ワクチン作る技術ってこの国にはないわけ?」
「ないわけじゃない。抗体を作らせるための丁度いい鳥さんがいる。ドードーっているだろ、あのでかいやつ」
「見たことないけど、名前は知って…」
待てよ、とサルヴァトリーチェは首を捻った。
「…あのさ、かつて地球にいたというあのドードーと関係ある?」
エルデンは腕を組んで、やはり首を捻った。
「地球の絶滅種でドードーという鳥はいたよ、確かに。でもこっちの世界のドードーは見た目がやたら派手で、変な声で鳴くし、あと半端なくデカい。地球の記録に残ってるドードーとは違って、たまたま名前が共通だった可能性が高いな」
「そっか…で、ワクチンの話は」
サルヴァトリーチェは諦めて話を戻した。
「ワクチンという概念がまずこの国にはない。薬草から作る民間療法的な医薬品と、魔法治療が殆どだからな…予防医学的な面では相当遅れてるんじゃないかなって、こっちの医学の勉強しつつ危惧はしていた」
「じゃあ、作ったら?」
「あのなぁ、サルヴィ。ウイルスがいないと抗体の作りようがないんだよね…」
「そうなの? …てか、エルデンて地球でお医者さんだったりした?」
「そんな記憶はないなぁ。多分これ、一般常識の範囲だと思うぞ」
ということは、私は日本では一般常識に欠けていた可能性が高いのか、それとも元の世界のエルデンのレベルよりずっと下なのか、とサルヴァトリーチェは凹んだ。…が、すぐ顔を上げた。
「予防医学…あのさ、オロCで何とかならないかな、あのピエシスの万能薬」
「あっ、その手があったか!」
それは、こういうことだった。
オロC(本当はロンバルという聖なる薬らしい)を全国民に服用してもらい、体力を底上げする。
効果はあるはずだ。現に、あの薬を飲んだ後で城内でしつこい風邪が流行ったが、サルヴァトリーチェはひとりだけピンピンしていた。
「ただ問題としては…ピエシスを国内全域回らせるわけには」
サルヴァトリーチェはそこを心配した。
「いや、とにかくピエシスと話をしてみよう」
すると、すぐさまピエシスが現れた。ただ、相変わらずすぐ消えそうな雰囲気だ。
「ピエシス、例のオロC…じゃなくてロンバルだが、大量に作って配る方法、思いつかないか」
エルデンが言うと、首を横に振った。
「だよなぁ…」
エルデンが眉間に皺を寄せかけると、ピエシスはぼそりと答えた。
「感染症予防に、特化したものなら…」
「なるほど!」
エルデンはハッとなった。
「『万能』でなくても、抵抗力をつけることに特化させればいいのか…なら、再現できるか?」
こくり、と頷くと、どこからか大きい紙を取り出した。そしてペンも出すと、キッチンのテーブルの上で、すごい速さで何か図形を描き始めた。
「…なにこの、魔法陣みたいなやつ」
サルヴァトリーチェがその様子を見ながら首を傾げた。
「この世界の化学式だ」
「は? これが…ベンゼン環みたいなやつじゃないじゃん」
「だから、ミスティカルナの世界の医学だよ」
しばらくすると描き上がった。どう見ても魔法陣だ。
「陛下…これ…」
ピエシスは、紙をエルデンに渡した。
「よし…うん、確かにこれは効くぞ。本当にありがとうな、ピエシス」
嬉しかったのか、一瞬笑ってからぺこりとお辞儀をすると、ピエシスは消えた。
「見ただけで、何で効き目が」
サルヴァトリーチェにはさっぱりわからない。
「いや、言い換えればこれは、薬剤師や医者しかわからない暗号みたいなものだ。…行くぞ、サルヴィ!」
バタバタと慌ただしく執務室まで走った。
「サルヴィにも手伝ってもらわないと」
とのことだが…
「化学式の紙を見やすく持っていてくれないか」
「それだけ?」
「助手は重要なんだ」
そして、エルデンは呪文を唱えた。
「コルンバ・アルバ!」
書類棚が大きく開き、何枚も紙が飛び出してくる。そしてサルヴァトリーチェが持っている化学式の紙にちょっと触れると、ヒラヒラと机の上に落ちていく。見ると、化学式の魔法陣がそっくりそのまま写っている。
(すごい…ミスティカルナにはまだコピー機ないのに…エルデンって一体…?)
エルデンは魔法陣がコピーされた紙に、手当たり次第に国王のサインをしている。サインされた紙には魔法で玉璽が浮き上がってきて、きちんと積み上がっていった。
(確かにミスティカルナは魔法大国。でも、ものをちょっと動かしたり浮かせたりする程度…こんな魔法の使い方、見たことない)
きっちり五十枚の紙がコピーされ、サインがされ、玉璽も押された。エルデンはその紙を手に取り、揃えてからまた机の上に置いた。
「よし、これで全国の大病院に送る処方箋が出来た。後は、明日の朝に議会を通すだけだ…俺は政治不干渉とはいえ、一応は医師免許のある医者だからな」
ようやく、エルデンにいつもの笑顔が戻った。
「エルデンって、一体何者…?」
「それか。…まあ、今の見たらそう思うだろうな」
サインし続けて疲れたのか、手を軽く揉みながらエルデンは言った。
「これはあまり知られたくないことだから、伏せていて欲しい。俺の母上は庶民だということは知っていると思うが…実はオートクラシア人の難民だ」
「えっ?」
「しかも、オートクラシアで魔女だった女性なんだ。意味はわかるか?」
サルヴァトリーチェは固唾を飲んだ。
エーテルが存在しない世界で、魔法が使える人とは…? どういうこと…?
「俺のラピスロクスが三つある理由はそれなんだ。…サルヴィ、君のラピスロクスも三つに増えてる。過去の記憶の話ばかりでなく、もしかしたら課せられたかもしれない運命に、そろそろ気づくべき時かもしれないよ。…もう遅いから部屋へ帰った方がいい。おやすみ」
エルデンの笑顔はとても優しかったのだが、サルヴァトリーチェは、ただ困惑していた。
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