光華諸学院奇譚

此寺 美津己

第一章 影王異物

第1話 水晶姫は見逃せない

放課後というのは、どんな優等生にとっても心休まる時間だ。

そんなひとときの安寧の刻に。


紗耶屋水琴ささやみことは、眉間にしわがよるのを自覚した。


金剛派の貴族の一角として、水琴の家には、長く伝わる家訓がある。


流麗な筆致で流れるように書かれた巻き物は、現代の活字印刷に馴れたものには、読みにくいほどだ。


長々と、書かれたそれは。





水琴みことは、ひらりとスカートをひるがえして、その現場へと歩み寄った。





水琴みことの家訓を、一言で言えば。


「力こそ正義」。


弱いものは倒れ、強いものの糧となるのが世の定め!




その家に生まれ、育ち、いま毀誉褒貶も甚だしい光華諸学院の総代を務めるその、彼女にしても。



これはあまりにひどい。


そう感じたのだ。


取り囲んだ学生たちは、 水琴みことの歩みに、一刀両断されたかのごとく、道を開ける。




講堂の入り口に置かれた掲示板は、コルク素材でできていて、学生たちは、そこにてんでにサークルの募集やら、集会の知らせやら、豪の者になると自作の詩を貼り付けたりしているのだが。




いまは、びっしりと手紙のようなものが、貼られている。


小柄な少年は、それを剥がそうとして、何度も突進するのだが、その度にクラスメイトたちに阻まれて、失敗に終わっている。


少年は、転校生。

名前はたしか、槇村流斗まきむらりゅうと。1週間ばかり前に、転校してきたばかりだ。


沿海州の出身だと聞いた。


出会いからして、最悪だったし、細っこい体も、優しげな顔立ちも、水琴には入らない。


イジメ?


紗耶屋ささや伯爵家のものなら、異口同音に、言うだろう。


「なぜ、やり返さない。」


と。


勝つ勝たないは、ともかく、抵抗しないことなど、この脳筋伯爵家には、辞書から抹消された概念なのだ。


だから。


なよなよのちびのやせっぽちの少年が、いじめられているのを見ても、 水琴みことはなにも思わなかっ


いや、むしろ、なんの抵抗もせずに、あいまいな笑顔でやり過ごそうとする槇村琉斗に、嫌悪感を抱いたほどだった。



だが、これは違う。


これは醜い。



水琴みことは、そう感じた。そう感じたときには体が動いていたのだ。



突き飛ばされて、尻もちをついた 槇村琉斗まきむらりゅうとを庇うように、立ち塞がった。



掲示板に貼りだされていたのは、彼のもとに届いた家族からの手紙だった。



槇村琉斗まきむらりゅうとをはやし立てていたひとりが、怒って、水琴をつき飛ばそうとして・・・すんでのところで思いとどまった。


「す、水晶姫・・・」




透明感のある硬質な美貌。めったに笑顔をみせないことから、彼女はそう呼ばれていた。


ただし、陰である。面と向かってそう呼ばれることは不快だった。




「退きなさい。」


怒るほどに、彼女の指示はシンプルになり、口にする単語は少なくなる。


ここらは、学院中の者が全員知っていた。


いや、知らない者もいた。 槇村琉斗まきむらりゅうとである。


彼は、のろのろと立ち上がると、彼をいじめていたひとりに向かってこう言った。



「あのさ、これでもういいかな。殴ったり蹴ったりもいいし、ほかの荷物も諦めるけど、手紙だけははがさせてくれないかなあ。すごく嫌なんだけど。」




紗耶屋ささやさん。」


いじめの主犯格と思われる生徒、海堂淳さいどうあつし水琴みことに呼びかけた。うっかり彼女を突き飛ばしかけた生徒は、海堂の陰に隠れるように縮こまって、震えている。


「実際にこの手紙の内容は、風紀委員として、見逃せないものがあるんです。」



そう、海堂はクラスの風紀委員だった。


いわば‥ 槇村琉斗まきむらりゅうとへの、この一週間のいじめは、学校として公認のものだったのだ。通りすがりに、足を引っ掛けるという、シンプルなものから、話しかけない、食事に誘わない、彼が食堂のテーブルに座ると同時に周りのものが、席を立つといった精神的ダメージを狙ったもの。



放課後に呼び出されて、殴られた金銭をたかられるといったシンプルなものまで、ほぼクラスの半数がなんらかの形で参加して続いいていた。


これは、光華諸学院の悪しき伝統行事でもある。このくらいのことに耐えられないのならば、


光華の生徒ではない。戦う意志のないものは、去れ。


新入生たちの半数は、9歳で上級生たちからこれをやられている。




前にも述べたように、水琴みことは「力こそ正義」を教えられて育ち、己にも友人となる者にも、あるいは敵対者にしても、研鑽を常に要求してきた。


だが、その中である事実に到達している。


いじめられた者ほど、いじめる側にまわったときに、酷いことを平然とやる。



水琴みことは、掲示板を眺めた。


貼り出されているのは、槇村琉斗まきむらりゅうとの家族からの手紙らしかった。



昨晩届いた郷里からの、仕送りの荷物は、本人の手に渡ることなく、解体され、服は切り裂かれて、教室の彼の席に詰まれ、金に変えられるもには変えられ、そして中に入っていた家族からの手紙は、こうして掲示板に晒されているわけだ。


踊るような筆致のなかなか見事な手紙は、遠い異国の地へ留学することになった彼の身を、案じるとともに、学業への邁進を叱咤激励するもので、その古風な言い回しから、祖父母からのものだろう。


内容は似ているが、簡潔で、筆ではなくペンで書かれた手紙は、父親のものだろうか。


母親からと思われる手紙は、かなり長く、便箋何枚にもわたっていた。



かなり息子を溺愛し、また遠い地に送ることに葛藤があったのだろう。


彼女がいかに、息子を大事に思っているかを綴るだけで、便箋2枚が消費されていた。


それから、延々と生活上の諸注意、生水は飲むな、とか歯を磨けとか、挨拶はきちんとしろとか、それが数枚にわたって続いたあと、再び、遠く離れた異国への留学が心配になったのだろう。


最初の2枚と同じ内容が、こんどは5枚にわたって、延々と語られていた。



これはこれで、かなり恥ずかしいのだが。


問題は次の手紙だった。


おそらくは、彼の姉からのものなのだろう。こちらは、細かな筆致で丁寧に書かれた手紙で、便箋では3枚と、母親のものに比べれば、かわいい分量だった。


だが、その内容は。


一言でいってしまえば、それは、槇村琉人と彼の姉の道ならぬ恋を暗示したものになっていたのだ。


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