5
「失礼なことをいうな」
俊樹は目の前に座る刑事に怒りを込めて吐きつけようとした。しかし――できなかった。声が出ない。言葉に動揺したせいだ。拍動のテンポがあがる。鼓動が、体の中で反響しているのを全細胞で感じた。言葉は唾と一緒に喉の奥に飲み込んだ。
そして、脳裏に、あの時、自分の目で見た光景がよみがえった。
※
ゆりは短いうめき声をあげた。そして、前に倒れる。
バタン。
かなり強い力で殴りつけたが、サスペンスドラマのように簡単には死なない。視界はおそらく歪んでいるだろうが、ゆりは、床を這い、逃げようとした。
今度はさっきよりもスパナを強く握りしめ、頭めがけて振り下ろした。
潰れる音がして、ゆりはピクリとも、動かなくなった。
※
着信音の音で我に返った。
下総がズボンのポケットからスマホを取り出して、画面に表示された相手を確認した。
「すみません、少しお待ちいただいてよろしいですか」
「えっ、……ええ」
笑みを浮かべながら下総は立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。
ドアが完全に閉じた。途端に、体が震え、長い息が吐き出る。呼吸も運動後のように荒くなった。冷や汗も吹き出し、急いでハンカチで拭う。事務員が入れたお茶をすべて喉に流し込んで、深呼吸。目を閉じた。
映像はまだ続いていた。殴り終えたあと、俊樹は握っていたスパナを見つめていた。べっとりと、絵具よりもきれいに感じるほど鮮やかな赤色の血液がついている。
人の血をまじまじと目に焼きつけたのは生まれて初めてだった……。
ドアが開く音がした。目を開けた。下総が入ってきた。
「仕事の電話でした」
「そうですか……」
自分自身でも驚くぐらい声が掠れた。下総が先ほどまで座っていたソファに再び腰を下ろすと、
「先生」
「……なんですか」
「お話しすることがあります。聞いていただけますよね」
俊樹は一瞬、心臓が止まったかと思った。下総の目がとても鋭かったから。
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