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「先生、あなた、南条ゆりさんの住んでいたマンションには何度も行かれたことがあったんですよね」

 下総は手帳を見ながら質問をした。


 俊樹は、腹の底から、またため息を吐き出して、

「ええ、そうです」

 と、答えた。「下総さん、そのことについては前にもお答えましたし、なんなら他の刑事さんにも同じように返事をしました。僕は山ほど仕事を抱えていて忙しいんです。時間の無駄ですから、一度した質問は繰り返さないでください」


 どうやら、この下総という刑事には、同じことを何度も尋ねるというクセがあるらしい。下総と頻繁に顔を合わせるようになってもうすぐ五日となるが、毎度、今のようなことの繰り返しだ。そのたびに俊樹は目の前に座る壮年刑事に対してうんざりするが、同時にこんな捜査手法で果たして捜査がちゃんと進展しているのか心配にもなった。


 そんな俊樹の顔など気にしていない様子の下総は、ひとさし指を立てた。

「では、一つお尋ねします」


「な、なんでしょう」

「マンションにはエレベーターがありますよね。それが、エントランスのどこにあるか分かりますか」


 唐突に出た妙な問いかけに少し驚いたが、

「管理人室の横を奥に進んだところですよ」

 即答して見せた。「それがどうかしましたか」


 下総は俊樹からの問いに答えることなく、別の質問に移った。


「山形に到着された時刻は十二時半でしたよね」

 ゆりが殺害された日、彼はたしかにその時間に到着する山形新幹線つばさ号の便を利用していた。以前、グリーン券を下総に確認させている。俊樹はまた首を縦に動かした。


「で、ホテルにチェックインされたのが――」

 午後一時です、下総がいう前に俊樹の口から告げてやった。「それから、一人、部屋の中でずっと仕事をしていました」


「山形市内を観光するということは、なかった」

「何度もいってますけど、ぼくは忙しいんですよ。つねに仕事が山積みで、とにかく少しでも片付けたかったんです」

「リモートでお話をされていた方はどなたでしたっけ」

「私の講演会を主催してくださった方です」

「山形県在住の方ですよね」


「そうです。天童市出身の方でしてね、講演会終わりにお土産としてあれをくれたんですよ」

 俊樹は事務机の後ろにあるショーケースを指さした。飾り駒といわれる天童将棋駒の置物が、ショーケース中央の段に置かれている。大きさは約十五センチ。昔からダルマや招き猫と同様に縁起物とされてきた。これをくれたあの職員によると、彼の出身地では、お祝いに飾り駒を送る風習があるらしい。


「以前から飾られているのは気付いていましたが、しかし、立派なものですね」

「これでもかなり小さいサイズらしいですよ。一尺サイズといって、およそ三十センチのものや、それよりも大きな駒もあるそうですから」

「そんなもので頭を殴られでもしたら、きっと、死んでしまうでしょうね」

 またたく間に、部屋の中が静まりかえった。壁かけ時計の秒針が、時を刻む音しか響いていない。俊樹の顔に浮かんでいた笑みも、スーッと、消えた。


「失礼なことをいうな」

 俊樹は目の前に座る刑事に怒りを込めて吐きつけようとした。しかし――できなかった。声が出ない。言葉に動揺したせいだ。拍動のテンポがあがる。鼓動が、体の中で反響しているのを全細胞で感じた。言葉は唾と一緒に喉の奥に飲み込んだ。

 そして、脳裏に、あの時、自分の目で見た光景がよみがえった。

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