第3話 賢者覚醒

 いや、いいからお前も戦えよ。と僕は睨んだ。当然、彼女はそれを気にする素振りもない。

 戦って、と言われても僕には凪早のような武器がない。けど――。

「要するに殴ればいいんだろ?」

 飛び込んで来るポヨポヨのタイミングに合わせ、バレーのスパイクの要領で叩き落とす。スパイクとは違い、拳はグーに握り込んでいる。

 あのぶつかってきた衝撃に比べ、叩いた感触は軽く、柔らかくて冷んやりしていた。こっちからの仕掛けた攻撃ならダメージはないみたいだ。倒すのもそう難しくない。

 飛ばされたポヨポヨは呆気なく砂に埋もれる。ポヨポヨが砂塗れにならないのはそのツルツルが故だろうか。僕の服はこんなにも砂でぐずぐずで動き難いのに。

 ポヨポヨの体力バーが削れる。僕の攻撃によって、体力は……一割ほど削れていた。

「待って。素手、弱いんだが」

 それから。僕はバスケのドリブルでもするみたいに、執拗にテンポよくポヨポヨを叩いて回った。叩いて。しばらくしたらまた飛び跳ねてくるから、その瞬間に叩いて――。その間にも他所から別のやつが飛び掛かって来て、まるでモグラ叩きみたいな感じだった。そうして一体につき計十回叩くと、ポヨポヨは青の煙になった。

 一方、凪早はボコ、ボコと二発で倒せる。そんなに木の棒って強いの? と甚だ疑問なんだけど、実際にポヨポヨの体力バーは一撃で九割が無くなる。

 僕が倒したのは全部で二体。かなり休みなく叩いた。その間、凪早が倒したのは九体。今、十体目へ一撃目を加えたところだった。

「凪早?」

「何?」

 凪早は残す一匹に集中しているのか、振り向きこそしなかったが僕には答えてくれた。ただ煩わしそうに返事をしたのは確かだった。その一瞬集中を欠いた隙を縫って――。

「もらい!」

 僕は三体目を掠め取った。腕で横から掻っ攫うラリアットで丁度ポヨポヨは雲散霧消する。

「ラスヒげっとー」

 しかし。これなら最初から九割の凪早と一割の僕で協力すれば良かった。

「……別に、良いけど」

 ちょっとだけウザそうにする。小さくてあどけない感じの凪早を揶揄って、機嫌を損ねても何も思わなかった。けど、今の大人びた凪早はかなりキツい顔が出来るようになっている。もともとクラスで四番目くらいには可愛かった凪早が、若干異国ふうになったのと、グラフィックが少し下がったので普通に知らない人なら緊張するくらいの美少女になってしまった。

 ――あんま怒らせんとこ。少なくとも今の凪早のクールビューティー感のある顔に見慣れるまではそうしようと決意した。

「すごいッ勝っちゃうなんて! ……実は眠っているポヨポヨに毎日毎日奇襲を仕掛けていたら、そのうちワタシの顔を見るだけで怒るようになっちゃって」

 後ろで離れていたモモルが駆け寄って来た。

 序でにシンボルエンカウントであることと、バックアタックを代表に敵の隙を付いて戦闘を開始させると非常に有利である……という説明が目の前に現れた。視界一杯に。僕の意思に関係なく、他に何も見えなくなって、男友達に「だーれだ?」とか言ってダル絡みされたような気分になった。

 夢なのに、しっかりしなくて良いっての。

 あと、話を聞く限りじゃあモモルはやっぱり碌でもないヤツだ。

「これで、とりあえずは大手を広げて村を歩けるってもんですよ! 本当にありがとうござ……」

 モモルは途中で言葉を切り、口をあんぐり開けたままで固まっている。

「ん? どうしたの?」

「はあ、早く進めろ」

「……う、うしろ」

 振り返るとサーモンピンクの壁があった。

 ――ポヨポヨキング Lv21

 直径二メートルはあろうかという巨体の球体がそこには居た。その敵意は、今さっきか弱いポヨポヨの群れを蹂躙した僕らにも向かっている気がした。

 このポヨポヨキングが一体どのくらい強いのかは分からない。しかし、Lv21という数字が洒落にならないくらい高いのは僕でも察しが付いた。

「た、退散だー!」

 走り出すモモルの後に直ぐ僕は着いて行く。だって僕はポヨポヨLv1でさえ十発はかかる男なんだから、上手くヒットアンドアウェイしたところで適うわけがない。絶望的だ。

「おい! 凪早、逃げるんだよ」

 僕は剣を構えた凪早の手を引いた。凪早はすっかり自信が付いたらしいけど、僕の直感は一撃貰うと死んじまうぞと訴えていた。

 ――しかし、もう手遅れだった。

 巨大な水の塊が作る強大な表面張力に押され、僕は大きく吹き飛ばされた。飛ばされた先もまた水だった。海面に叩き付けられる。あまりに一瞬のことで理解が追いつかない。本能でもがいてみるものの、頭の前後のどちらが上を向いているのかも分からない。――しかし、幸いなことに直ぐにもがいた足の裏が砂に着いた。遅れて手も。

「ぶは!」

 僕は四つん這いの姿勢のまま、首から上を海面へ出した。

 ――バックアタック!!

 海水が染みる目をやっとに開くと、視界には上下の赤い規制線に挟み込まれる形でそう表示されていた。

 やかましいわ、と思った。

「――ぶほ!」

 直ぐ隣で水柱が立ち上がった、のかと思いきや、それは僕と同じく吹き飛ばされたモモルだった。それにしても汚い声だ。

 ――凪早は? 凪早はどうなったんだ?

 腕を離してしまった僕は辺りに目を配って凪早を探したが、凪早は一人戦闘中だった。緋色の髪を振り、一心不乱にポヨポヨキングを叩いている。

 ポヨポヨキングのブルブル不規則に変形する攻撃に弾かれては立ち上がり、果敢に飛び掛かって行く。

 ポヨポヨキングの体力は四割削れている。しかしバーの上には『×5』と出ていた。四回叩いて四割だとして、あと四十六回か、それとも五十六回か。

 凪早の頭の上、プレイヤーネームの下にも体力バーの表示があって、通常黄緑色のゲージが黄色になっている。凪早の残す体力は四割を少し切っていた。

 ゲームで見るよりも機敏に動く凪早は上手く直撃を避けていた。身体と敵との間に木の棒を挟んで受けたり、回避したりして、何とか凌いでいる。

「モモル。ヒールは?」

 僕が重たいスウェットを引き摺って海から上がっていると――スキルについて、とカットインが入る。

 ……強敵を相手する場合、積極的にスキル(必殺技)を使用しましょう。スキルは非常に強力ですがクールダウンがあります。

 そもそもスキルなんてどう使うんだよ。ゲームならタップするだけの簡単操作なのに。

「おい、モモル!」

 回復技を持ってるはずのモモルはぼうっと突っ立っているだけだ。その間に、凪早の体力はどんどんと削れ、残り三割に。黄色からオレンジになった。

 駄目だ。コイツNPCだからか話しが通じねー。

 それともさっき言ってたクールダウンか、畜生……。僕なんかにヒール使いやがって――。

 僕はポヨポヨキングに向かって走った。武器もなしに正面での戦おうとはしない。横から回り込むようにして殴って見る。

 無理だ。……与えられるダメージは凪早に遠く及ばない。それにしたってコイツ体力多過ぎだろッ。

「……このままじゃ。負けちゃう。せっかく一緒に戦う仲間が出来たのに。……いやだ。ワタシはこれで終わりたくないよ!」

 戦わないで騒ぐだけ。何してんだモモル、役立たずだな。

 凪早が頑張っているのに。今にもダウンする(もしくは死ぬ)のに、と僕は苛立った。

 ポヨポヨキングへ、どれだけの殺意を拳に込めて殴り付けても――。

 モモルへの怒りを込めて殴り付けても――。

 何も出来ない悔しさと、焦る気持ちで連打したって……。

 一撃のダメージは一緒だ。微々たる減り。でも、ちょっとは違うかもしれない。拳をぶつけた時の音が違った気がする。バシッからズゴッくらい差があった。クリティカルというやつかもしれない。与ダメージにクリティカルの倍率が相乗されたのかもしれない。

 ――でも、もともと極僅かなダメージだ。それでもジリ貧なのは変わらない。

「――うっ!」

 徐に回転し、ブヨブヨの慣性力を振り回す攻撃で僕はまた吹き飛んだ。まるで荒波の体当たり。重たい衝撃が全身を攫う。

 痛みはあのポヨポヨの体当たりよりも少ない。衝撃はさることながら、痛みは殆ど感じなかったほどだ。けれど、その一撃で僕は動けなくなる。

 背中の後ろに砂浜があった。かんかん照りの太陽が真上にある。真っ白の太陽。空は青みを失ってグレーになっている。

 身体は重く、金縛りの如くピクリとも動かない。

 ……多分、僕はダウンした。

 死亡じゃなくダウン、凪早も最悪ダウンするだけ。一先ずは安心していい。

 何だよ。負けイベかよ。夢なのに本気で焦らせてくるな。悪夢は最後までとことん悪いことが起きるものだが、流石は僕の想像力だ。ゲームにおける最悪は死じゃなくダウン。完全ロストのサバイバルゲームにのめり込まなくて良かった。

 僕は走馬灯でも観るようにゲーム人生を振り返る。

 視界の端に凪早の体力バーが少しだけ見えた。もうミリだ。時期にダウンして、あとは後ろで騒いでいるモモルがやられたらイベント回収だろう。

 ――あ、言ってる側に凪早がやられた。

 前衛二人がダウンした。ポヨポヨキングはのそのそと砂浜を整地するように、空中に飛び上がらない小さな跳躍で後衛へ――。モモルに迫った。

「……ダメ! まだ始まったばかりなの。こんなところじゃ終わらない。お願い、ワタシの祈りよ届いて! 奇跡を起きて!」

 モモルの詠唱らしくない詠唱。単なる身勝手なお願いだけど、あんなで奇跡が本当に起きるわけが――

 胸の前で組んだ手に弱々しい白の輝きが見えた。それから足元へ光の糸みたいに見える微風が集まり、それらはどんどんと増えて強くなる。モモルを包むように回転し、ぎゅうぎゅうと力を溜めて……やがて光の星屑が空へ解き放たれた。

 ――ギュインギュインと鳴る音が頭に響く。

 重かった身体はふわりと宙を舞い上がり、僕はまるで風に抱き抱えられ、起こされた。

 世界が色を取り戻す。頭の上の体力バーを見上げると全快していた。

 それどころか――。

 攻撃力上昇↑↑

 防御力上昇↑↑

 命中率上昇↑↑

 回避率上昇↑↑

 叡智力上昇↑↑

 急所率上昇↑↑

 全耐性上昇↑↑

 いきなりに仰々しい明朝体ぽいフォントの漢字の羅列が身体の周りをぐるぐると回転している。

 横へ目をやると、凪早も似たような状況だった。

「晴翔、行くよ!」

「――あ、うん」

 飲み込みの早い凪早の号令で、僕は戦闘中だったことを思い出す。

「――スキル! 連続回転斬り!」

 カッコよく宣言した凪早はコマのようにその場で高速回転したかと思うと、いかにも鋭そうなオレンジ色の火花を纏ってポヨポヨキングに突っ込んだ。

 体力がゴリゴリ削れて行く。秒間二撃。一撃で体力の四割を削る凪早の早技が七秒続いた。そして、回転が止まったかと思うと、それまでの横回転の勢いを縦にする、上から垂直に振り下ろす一閃。

 ポヨポヨキングの体力は最後の一秒くらいはもうゼロで、フィニッシュの唐竹割りは完全に死体蹴りになっていた。それでも、全ての攻撃を受け切ってから、ポヨポヨキングはたくさんの光になって消失した。

「やった! 私倒したよ!」

 興奮した様子の凪早が飛び跳ねている。

「ねえ! 見てた?」

 ねえ、ねえと凪早は止まらない。ぐいぐいと歩み寄って、何か言って欲しそうだ。よく分からないけど、頭でも撫でてやればいいのか?

「見てた見てた。凪早、強いんだな」

 正解が分からないまま、僕は凪早の頭に手を置いた。

 恋人らしいことはしてない僕らだが、頭を撫でてやったことくらいはある。手を繋いだこともあるし、添い寝というか、あんまりくっ付いてはなかったけど一緒に寝たこともある。キスもある。子供の時に。

 とにかく、僕がこれでいいんだろうかと探り探りの手つきで頭を軽く撫でてやると、凪早はやや頭を下げて犬みたいに甘んじてそれを受け入れた。

「珍しいじゃん。普段からそんなふうでもいいんだよ?」

 照れ隠しに凪早が何か言っている。

 しかし、ここまで分かりやすく喜びを体現するのは子供の時以来かもしれない。

 何だか、僕まで嬉しくなって来た。近年、稀に見る達成感の波が脳に押し寄せる。快楽物質の波動がニューロンを掻き分け、アハ体験なんて桁違いの刺激が……。頭が真っ白になって……。

「ああああっ」

 ゾワゾワと身体が震えて――。

 ――レベルがアップしました。

 トゥルル……チャキン、トゥルル……チャキンという音で僕のレベルは五まで上がった。

 いや、正直に言おう。気持ち良かったです。そりゃあもう。あの・・気持ち良さとは少し違うが、頭がふわふわするうたた寝の依存性というか、旨味の宝石箱的な何かがあった。

 ……でも。こうして冷静になってから。よくよく思い出して見ると、僕はさっきの戦闘で何もしていない。それが余計に僕を賢者にさせた。

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