第2話 そして不可避に

 * * *


 導入はかんかん照りの太陽と波打ち際――。

 実に夏らしい感じだった。

 口に入る砂が塩っぱく、打ち付ける波は意外と冷たい。夏らしい感じではあるけど、夏ではない。日本の蒸し暑い夏に比べると空気はもっと乾燥して、気温も太陽光込みで少し暑いくらい。

「んお――」

 全身はくまなく倦怠感に支配されている。

 僕ら人間の身体はその水分量から偶に水風船に例えられたりするけど、砂袋にでもなったみたいに重かった。

 僕は消え入るような唸り声を上げながら、一生懸命に立ち上がった。砂は軽く、意地悪に足を取ってくる。

 服の表面や中にまで入った水気を含んだ砂が落ちた。

 僕が着ていたのは上下セットのスウェット。夏のエアコン下で着れるよう、あまり暖かくは作られていないオールシーズン用だったが、水を含めばかなりの重さだった。

 ……意味不明な夢だ。

 僕は砂を落としながら、鈍い頭で考える。

 何故、海に居るのか。そもそも、ここが何処なのか、全く分からない。身に覚えがない。

 ……何となく、長いこと眠っていたような気がするから、夢なんだろう。身体の感覚がそう言っている。

 空を映した水色の海。砂浜にはパステルピンクやネオンブルーの色をした貝殻や星型の何かが落ちている。大きなヤシの木はかなり幹が沿っていて、葉の枚数が少ない。――というか、グラフィックがやけに低い。

 ゲームする夢を見たことはあるけど、ゲームの中に入ったのは始めてだ。……僕のグラはそんなに低くない。チグハグだ。

 取り敢えず、周囲を観察してみていた僕は、少し遅れてあるもを見つけた。

「……東京おかあさん Lv1」

 それは多分、凪早だった。海岸に打ち上げられていたのは凪早と思しき人物だった。頭の上に馴染みの名前とレベルが書いてある。

 女子高校生らしいボブの髪型が、学校がなかったから校則ギリギリアウトくらい長いのは全く凪早そのまんまだ。

 服も凪早の持ってるやつだ。あまりお洒落にこだわりがなく、それらしいのを着回すタイプだから見たことある。

 ただ、七分丈のティーシャツが五分丈に、腿の半分くらいまでのデニムショートパンツがホットパンツぽくなっている。

 つまり、大きくなっていた。もとの百四十八センチが百七十センチくらいになったんじゃないんだろうか。併せて、大人びたプロポーションになっているし、髪なんかスカーレットに染まっている。

 一番におかしいのは背中に木の棒をくっ付けていることだ。握り易いし、振り易そうな真っ直ぐな木の棒はさながら初期装備っぽい。いや、初期装備なんだろう。

 それなら僕は? 僕の初期装備は? ――と、背中に手を回してみるものの、僕の方は何も持っていない。

 やはり夢か……。

「ナギサ?」

 僕は半信半疑で声を掛けてみた。

「んん……」

 呼び掛けると直ぐにナギサは砂の中に吐息を漏らす。ゆっくりと身体を起こし、まだ寝惚けているのか顔に付いた砂を乱暴に腕で拭った。砂は水気で張り付いているし、腕にも砂が付いてるから、ちっとも綺麗になってない。

「おい、待て待て」

 顔が傷だらけになりそうなので、仕方なく僕がナギサの顔を拭いてやる。

 スウェットをぱんぱんと叩いて砂を落とし、凪早へ駆け寄った。

「んん……ここ、どこ?」

 ようやく目が開いた女が言った。まだ凪早本人なのかは確信が持てない。

「ナギサなのか?」

「……ん? ハルト、いつもの†レオンハルト†になってるよ。しかもレベル」

 ふわふわな思考をガラガラの声にする。凪早は僕より早起きするのが得意だけど、その分寝起きに声が酷いことになる。

「――え? 嘘。これってゲームの中?」

 凪早は薄目をカッと開いて、声を裏返らせた。

「いや、うん。まあ、夢なんだけど」

 なーんか驚き方がリアルだなぁ。胡散臭い。

「そっか。なんだ。これ、夢なんだ。……でも。夢の中に出て来る人って『これは夢ですよ』って教えてくれなくない?」

「お前こそ。夢の中の凪早なんだから、僕を余計に混乱させるようなこと言うなよ」

「え?」

「は?」

 怪しい雰囲気が漂う。どうやら夢じゃない可能性が少――。

「もしかして! そこのお二人さん?」

 砂浜の向こう。遠くまで続く海岸線の奥から走って来た少女が叫んでいる。大声が馬鹿みたいに鮮明に聞こえる。後ろに砂煙を従え、ギャグ漫画のような疾走を見せた。

 僕と凪早は「私たちのことかな?」「さあ?」という感じで若干引いていた。

「……ハアハア。はじめまして、ワタシはモモル。この始まりの村の祈り手よ」

 なんか来た。金髪碧眼の少女は赤のスカートと白ブラウスの上に革のガードを着けている。いかにも新米冒険者然とした格好だ。頭の上には例の名前表記。レベルは同じ1だ。

 あるあるな説明役の登場に、僕はいよいよ心を閉ざし深く考えないようにした。隣では僕の混乱を代弁するみたいに凪早が小首を傾げている。

 夢なんだから真面目に付き合っちゃダメだ。と僕は凪早の顔を見て注意するけど、そう言やコイツも夢の登場人物に過ぎなかった。反応が妙にリアルなのだ。

「祈り手?」

 ッ出たよ。選択肢的には「はじめまして」と「祈り手?」の二択だったんだろう。凪早が馬鹿正直に訊いた。

「祈り手はね。祈りの力で奇跡を呼び起こす、ジョブのひとつなんだよ」

 ――ジョブだあ? ジョブなんていかにもゲーム用語な上、なんて曖昧な紹介なんだ。という感想の諸々を僕は胸に秘めたままにした。もしそれを口にして「ジョブっていうのはね――」と始まっては手に負えないと思ったからだ。

 チュートリアルは短いほど良い。それが僕のスマホMMOの歩き方ってやつだった。

「自分で言うのも変なんだけど。実はワタシ、すっごく弱くてね。一人じゃポヨポヨも倒せなくて」

 うるうると目に涙を浮かべるモモル。あの、ポヨポヨも倒せないらしい。ポヨポヨが何かは全然知らんけど。

「でね。ワタシ祈ったんだ。一緒に戦える仲間が欲しいって――。そしたら、砂浜に流れ着いた二人を見つけたの♩」

「たの♩――って見つけたんだったら、直ぐに助けに来いよ」

 涙目がいきなり素に戻ったのを見て、僕は流石に黙っていられなかった。本能のままシンプルなツッコミを入れた。

「これって奇跡のチカラだよね。そうだよね? ……もしそうじゃなくても、お願い! 今だけでもいいからワタシと一緒にを戦ってえぇ!」

 清々しいほどに無視され、台本は進む。

 モモルは器用にもまた号泣し、僕らに向かって飛び込んで来る。――かと思いきや、僕と凪早の間を通り抜け、彼女がもといた所には巨大な水の塊がいくつも現れた。

 ――いや、それは水の塊じゃなくスライムだ。色はライムグリーンとベビーブルー。ツルツルとしてフヨンフヨンした球体には申し訳程度の顔があった。各種の記号で構成される絵文字みたいな顔だ。それが眉の外側を吊り上げるみたいなキリリとした表情で、襲いかかって来た。

「え?」

 ――バトルスタート!!

 というアナウンスが目の前に突然現れる。

「なになに?」

 これには凪早も困惑していた。

 デカデカと出現して間も無く消えて行った『バトルスタート』にも驚いたが、そう言えば目の前のスライムの群れが現れる時にも『ドタドタドタ』という効果音と集中線が微かに見えていた。実際は音もなく跳ねていたけど。

 現実とゲームの混線ぶりに頭がバグってくるが、これは夢だ。夢だから。と頭に言い聞かせると、「何だ、そうか」と違和感も徐々に平気になって来る。

 それより、今気になるのは視界右端の表示。

『ポヨポヨを倒す 0/12』

 改めてバレーボールほどのサイズのスライム――ポヨポヨLv1たちに目を向け数えると、なるほど本当に十二匹だった。

「凪早、見えてる?」

「ええ何が?」

「コイツら全部倒せばクリアらしいぞ」

「そうなの? でも倒すって?」

「そりゃあ、その背中の棒を使うんだろ」

 赤髪凪早の背中にくっ付いたままの木の棒。長さは六十センチくらい。驚くほど真っ直ぐで握り易そうである。何より、その木の棒は落ちることがない。凪早がうつ伏せから起き上がった時も、立っている今だって背中に貼り付いて動かない。……見るからに、装備されていた。

 武器は装備しないと意味がありませんよ、とは言うが、凪早の背にある木の棒はまさしく意味ありげだった。

「背中? あ、これ?」

 背中の棒を取り出して、身体の前で構えた凪早。バドミントンを習っていたからか、かなり様になっている。

「来ます!」

 モモルが叫ぶ。ポヨポヨの一匹が凪早に向けて飛び込んで来るところだった。凪早は無心にそれを叩き落とす。慈悲なんてない。このモンスター可愛いなんて言いながら、普通に経験値に変えるくらいには凪早もゲーマーだ。

 ポヨポヨの下に体力のバーが現れ、その九割ほどが色が薄れて……多分、削れている。そんな死に体でもポヨポヨは果敢に飛び込んで来て、また凪早は叩き落とした。さっきと全くと言って良いほど違わない挙動だったから無理もない。殴って下さいと言っているようなものだった。

 叩き落とされたポヨポヨは目をグルグルと回し、やがて霧散した。水色の光る煙になって空気に溶けてしまった。

「――ウッ。……いってえな」

 よそ見していたらポヨポヨの一匹が僕に体当たりした。それが腹に直撃した僕は、内臓に浸透する衝撃に思わずに退いた。多分、足元まで近寄って来て、下から上へも突き上げたんだろう。股間目掛けて突進されていたら、と冷や汗が出る。

 痛みこそあるものの、身体の機能は申し分ない。吐きたくなったりはしなかった。

 ぶつかって来たポヨポヨは「どうだ」と言わんばかりに力強く僕を睨んでいる。――正直、怖い。凶暴な小型犬と対峙しているみたいだ。

「大変! 今ワタシが治しますからね。んー。んー。ナオレー。ナオレー。――ほいッ!」

 手を胸の前で組み合わせ、場違いなほど呑気にぶつぶつモモルが言うと、ファーンという効果音がなった。

 何だ? 何してんだ? とかなり冷たい視線を送っていると、極々小さな緑色のオーロラが僕の頭上直ぐのところに浮かび上がった。何だかその光が心地好い。憑き物が落ちるように活力が湧いて、心が洗われるようにハイになった。

「回復ならワタシに任せて、安心してっちゃって下さい!」

 後方でモモルがサムズアップしている。

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