第7話 発覚
「広瀬、さん……?」
驚愕の表情のまま、工藤店長が私の名前を呼ぶ。
それに合わせて、隣に立つスーツ姿の男性もこちらへと視線を向け、首を傾げた。
じーっと向けられる視線に戸惑っていると、何かを思い出したような感じでスーツの男性がぽんっと手を叩く。
「ひろせ? って……あ! 広瀬ってもしかして―――噂のゆづきちゃ……っむごっ!」
―――むご?
言いかけた台詞をそのままに、スーツ姿の男性がなぜか、工藤店長に口を塞がれ羽交い絞めにされていた。工藤店長の素早さと、一変した空気に、私の思考が再び止まる。
―――え、と―――?
今のは……?
わけがわからず、固まる私を余所に工藤店長はスーツの男性に向かって何事かを耳打ちし、そしてそれを聞いた男性は、先ほどまでの厳しい表情をどこへやったのか、にんまりと笑顔で彼に頷きを返していた。
え?え?ええ??
二人の変わり様に、私の頭がついていかない。
というか、さっきのやり取りはどこへ?
どこかコミカルとさえ言える雰囲気に、先ほどまでの空気はなんだったのかと呆気に取られる。
明らかに普通じゃなかった……よね今。なのに、今のこの空気は一体何。
頭を疑問符でこれでもかというほど埋め尽くしている私の元に、工藤店長とスーツ姿の男性が歩いてくる。目の前まで来たところで、二人がなぜだか互いの肘で互いを小突きあっているのが見えた。
まるでじゃれ合うみたいな姿に、さらに私の頭が混乱する。
てっきり、『借金か何かの取立て』かと思ったのに、その取立て屋さんらしき人と工藤店長は親しげにしていて、先ほどのやり取りなどまるで無かったかのようだった。
「あーあ。見られちゃった。どうするよ?なあ孝弘?」
スーツの男性が、ニヤリと笑いながら工藤店長の顔を覗き込むと、彼は酷く苦い表情を浮かべ、まるで黙れとでも言う様に威嚇の視線を向けていた。普段の温和な雰囲気とは相反する空気に、驚きと同時に戸惑ってしまう。
工藤店長がなんだか変……?
それに、さっきまで凄く恐い感じで「アンタ」って言ってたのに、今はなんだか呼び捨てで仲良さそうだし。
呆然とする私に目を向けた工藤店長が、諦めたみたいな溜息を零す。
「……だから店には来ないで下さいって言ってたんですよ。君のせいですからね。責任とって下さいよ」
恨みがましそうにジト目でスーツ姿の男性を睨む工藤店長に、スーツの彼はふふんと鼻を鳴らして彼の頭をぽんぽん叩く。
「んなの知らねーよ。締め切り守らないアンタが悪いんじゃん。だからさっさと二足の草鞋なんて卒業しろって言ってんのに。人の言う事全っ然聞かねーから」
「それは……まぁ、返す言葉も無いですが」
そう言いながら、少しだけ肩を落とした工藤店長が、頭を叩き続けているスーツの彼の手を鬱陶しそうに払いのけた。そのやり取りは、どう見ても友達同士・・・・・・というか、旧知の仲にしか見えない。
自分の早とちりだったろうかと悩んでいると、スーツの男性が「さてと」と一言告げて私へと視線を寄越す。なぜかまじまじと見られている気がして、少し焦った。
工藤店長と並んでいるからあまり気にならなかったけれど、この人もとても整った容姿をしていた。黒い髪をオールバックで撫で付け、男っぽいきりっとした眉と奥二重の凛々しい瞳。
デキるビジネスマンといった風体は、優しげな容姿を持つ工藤店長とは正反対のタイプだ。
「初めまして。広瀬さんだよね。俺は
「編集者……さん」
にこにことした笑顔のまま、倉澤さんがスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出し中から一枚を手渡してくれる。その白い小さなカードには、今彼が告げた通りの事が書かれていた。
書店員だから出版社の名前はメジャーからマイナーどころまでほぼ把握しているけれど、そうでなくてもAL出版と言えば大手中の大手、小学生の子供さえ知っている子の多い出版会社だ。私自身、新刊の発注願いなどで、AL出版の営業さんとは何度か話をした事がある。
でも、工藤店長がどうして編集者さんと……?
編集者と言えば、『本を作る側の人』であって販売側の書店には用があるようには思えない。
そう思って首を傾げていると、倉澤さんが小さく笑い声を出した。そして、工藤店長に人差し指をすっと向ける。
「そ、編集者。んで俺は、この人の担当ってわけ。この新進気鋭の新人作家、折笠慧センセーのね」
……。
………?
……おり、かさ、けい?
見開いた私の瞳が、倉澤さんが指差した一人の人に向いていた。
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