第3話 藻の観察

「やっぱりわからないわね……」

 里香は、電子顕微鏡で、ガニメデの藻と、地球の藻の比較観察をしながら、そう呟いた。

 反則技ともいえる、植物に直接違いを聞くということもしながらだが、葉緑体と核がなく、根本的に違うということしかわからない。


『ふわふわしてる』『落ち着かない』『隣の子?違う子』『私達とは違う』『元から違う子』

 そんな声しか聞こえてこない。


 植物同士って会話してるのかな、とか思いながら、小さい頃からずーっと植物ばかり見ていた里香は、ついには、植物と会話できるようになってしまった。

 研究者として、それは少しマズイのではないかとは、思っている。

 結局、自分が会話してると思い込んでいるだけで、それは、偏見を持っているということと同じだろう。

 研究活動に必要な視点は、事実に基づいた、フラットな視点であるからだ。

 正直に素直に物事を見る。そうしないと、偏見の裏側にある、真実が見えてこないのだ。


「生えているところを直接観察したら、何かわかるかしら。」

 そう呟きながら、地球のサンプルの中でこれから必要になりそうなものや、顕微鏡などを、基地に送るコンテナに詰め込んだ。

『ガニメデの藻を直接観察しにいきたいのだけれど、付き合ってくれる人はいる?』

 船外活動など、何が起こるかわからず、危険を伴う活動は、安全のために2人以上で行う決まりになっている。

 里香は通信にそう入れ、宇宙服を着ると、接続ケーブルを伝って基地に戻った。


 基地に入る前に全員から返事が来た。ほとんどがNoという返事だったが、医師のアルベルトからは、Noの絵文字で作ったYesが返ってきた。

「どっちよ」

 里香が笑いながら扉の前で待っていると、宇宙服を着たアルベルトが出てきた。

「さて、ガニメデ初のフィールドワークだね!俺も気になっていたんだよ。さあ、行こうか!」


 2人は重力の低いガニメデ上を、ふわふわと飛び跳ねながら、基地建設前に採取した藻の元へ向かった。

 藻を潰さないように這いつくばる……というよりも、うつ伏せに寝転がると、里香は観察を始めた。

 アルベルトは、立ったまま周囲を見渡し、警戒している。


「やっぱり茶色がかった黒ね。地面も茶色っぽいし、同化しやすい色なのでしょうね。葉緑体がないのは観察してわかったけれど……どうやって栄養を補給しているのかしら。」

「太陽光ではないのは確かだろうね。まさか、木星の反射光で光合成しているとか?」

「光が栄養ではないことはわかっているわ。この氷の地面に、何かしら栄養になるものがあるのかしら。」

「少し割って持って帰ってみるかい?道具を持ってこようか?」

「それも必要ね。でも、ここで観察を終えるときでいいわ。少し根本を剥がしてみようかしら……」

 里香はそう言うと、宇宙服のポケットからヘラを取り出し、慎重に根本からめくった。

 藻はなんの抵抗もなく剥がれ、その下の氷の地面に、根のようなものはなかった。ここまでくると、里香には、どうやって生えたのか想像もつかなかった。


「根もないわ……本当にどうやって生えたのかしら……」

「外部要因があるのかもしれないね。タネになるものを撒く生物がいるとか?」

「確かにそういう線もあるわね。生物といったら、昆虫のようなものと、触手の集合体ぐらいしか見ていないけれど、この氷の地面の下には、海があるのだし……」

「触手の集合体はどこから来たんだろうね……やっぱりこの氷の下かな?」

「木星にはガスしかないようなものだし、それぐらいしか思いつかないわね。この氷を割る前に、衛星上の探索が必要だけど、早く海の中を見てみたいわ。」

「俺も地球にいた頃は、魚釣りと解剖が趣味だったし、この星の海の中はとても興味があるよ。でも今日はもう遅いし、探索は明日だねぇ。」

「そうだったわ。まだここに来て、寝てないんだった。観察もこれぐらいにしておこうかしら。氷を割って持って帰りましょう。」

『氷を少し割って持って帰りたいから、道具になるものを、誰かエアロックまで持ってきてくれないかな。』

 アルベルトが通信を入れると、ルイスから、タガネとハンマーを置いておくよ、と返信があった。


「じゃあ持ってくるから、ここで待ってるかついてきてくれないかな。規則的には、ついてきてくれないと困るけど。」

「もちろん基地まで一緒にいくわ。」

 2人はここまで来た時と同じように、ふわふわと飛び跳ねながら基地まで帰った。そして、エアロックに置いてあった道具を持つと、また藻の元へ向かった。


「藻が生えているところと、生えていないところの氷を採取しましょう。」

「成分が違うかもしれないしね。それがいいと思うよ。俺がやろうか?」

「こういうことは初めてだから、上手くできるか少し不安だったのよ。頼んでいいかしら?」

「俺も初めてだけどね……まあ男だから力はあるし、君よりは上手くできるかもしれない。」

 アルベルトはそう言うと、カツ、カツ、と氷を割り、拳大の氷のかけらを2つ採取して、滅菌済みの採取袋に入れた。


「地表面の観察と、成分の観察が必要ね…熱を加えると成分が変わるかもしれないし、明日起きてから成分は調べればいいわね。」

「それがいい。地表面の観察が終わったら、今日はもうゆっくり寝ることにしよう。睡眠は大事だよ!」

 エアロックで宇宙服を脱ぐと、氷のかけらを持った里香は、基地内の研究室に向かった。


 タガネで地表面を薄く削ると、プレパラートに乗せ、顕微鏡で観察した。作業している間に、手の熱でほとんど溶けかけてしまった。

「うーん……違いはほとんどないわね……少し藻が付着している程度かしら……」

 やっぱり成分を調べないと。里香はそう呟くと、2つの氷のかけらを採取袋に戻し、シャワーを浴びて眠ることにした。

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