第8話:ただの同情じゃない

 彼女のことを考えているうちに、気づけば時間が過ぎていた。慌ててベッドから飛び起きて、あらかじめ準備しておいたカバンを持って家を出る。講義が始まる数分前になんとか講義室に滑り込めた。教授が来る前に急いでいつもの席に座っていた友人の隣に座る。


「ああー……焦った……」


「なに。こんな時間まで寝てたわけ?」


「いや……ちょっとね」


「……はーん。なるほど。女だな」


 ニヤニヤしながら指差す彼に違うと反論しかけたが、違うとも言い切れないことに気づいて口籠る。彼は「冗談のつもりだったんだけど」と目を丸くした後「後で話聞かせてよ」と楽しそうにあたしを肘で突いた。彼とあたしは男女だからか周りからはカップルだと勘違いされることもたまにあるが、それはない。絶対に無い。お互いに同性にしか興味が無いから。彼はゲイで、あたしはレズビアン。性別は違うけど、同性愛者という共通点がある。その共通点があたしと彼を繋げた。性別の違いで見てる世界が違うと感じたことはある。それですれ違うこともある。だけど、同性愛者という共通点だけでは繋がれなくなるほど大きなすれ違いを生んだことはない。それに比べて、灰塚さんとあたしの相違点はそれほど些細なものではないと、あたしは思う。だけど——。


『全部同じじゃなきゃ、駄目なの? 一部だけじゃ……繋がれないの? なんであなたがそんな顔するの。先に手を差し伸べたのは、あなたの方だったくせに』


 彼女の悲痛な叫びがずっと引っかかっている。彼女にそう言わせた人は、彼女とどんな共通点で繋がって、どんな相違点がきっかけで彼女を突き放したのだろう。分からないけれど、あんな辛そうな顔はさせたくない。相違点なんてどうでも良いから側にいてくれと望むなら応えたい。そう思うのはもう、同情の域を超えてしまっているだろうか。


「以上で本日の講義を終了致します」


 教授の声が聞こえて、ハッとする。せっかく間に合ったというのに最初から最後まで何一つ入って来なかった。ノートも全く取っていない。


「重症だね」


「うぅ……」


「その様子だと、付き合ってるわけじゃなさそうだね」


「片想いです……」


 彼はあたしとは中学からの付き合いで、あの人のことも知っている。だけど、灰塚さんのことは知らない。灰塚さんが恋人を亡くしているという部分はぼかして、彼女とはとある共通点があってそれをきっかけに繋がったという話をする。


「なにその共通点って」


「それはちょっと……あんまり他人に話すべきじゃないことだと思う……」


「……ふぅん。分かった。続けて」


「ありがとう。といっても、話せることがあんまりないんだけど……えっと……とりあえず歩こうか」


 次の講義に向いながら、あたしは彼に話をする。


「彼女には大切な男性が居て……その人のことめちゃくちゃ引きずってて……」


「大切な人? 元カレ?」


「いや……元……ではないかな」


 彼女は恋人と死別しなければきっと今も付き合っていただろう。流石に元カレ呼ばわりはできない。


「あー……もしかして君の好きな人って……未亡人?」


 その問いには答えず沈黙する。彼はそれを肯定と受け取って「めちゃくちゃ重い話じゃん」と頭を抱えた。


「ごめん。こんな話聞かせて」


「いや、良いよ。聞かせてって言ったのこっちだし。で、好きなの?」


「……分かんない。ただ、同情してるだけかもしれない。けど……」


「けど?」


「……あたしが側にいて、少しでも傷を癒せるなら、寄り添ってやりたい」


「……それで君が傷つくことになっても?」


「……うん。と、言いたいところだけど、彼女、優しい人だから。自分のせいであたしが傷ついたって知ったら、罪悪感覚えちゃうかも。でも……彼女は、あたしに側にいてほしいって思ってて……あたしはそれに応えたくて……」


「……それもう、恋というかもはや愛じゃない?」


 苦笑いしながら彼は言う。愛。その単語の意味を頭の中で処理するのに時間がかかった。


「い、いや、あたし彼女とちゃんと話したの昨日が初めてだし! それまではただのお隣さんでしかなかったし! 噂で聞いてて、同情はしてたけど……愛とか……そんなの生まれるほど、あたしはまだ彼女のこと知らないよ」


「……ふぅん。だとしても、同情の域は超えてんじゃない?」


「……やっぱりそう思うよね。はぁ……」


「……ごめん。話聞かせろって言っておきながら申し訳ないけど、思った以上に重くてなんて言ってやったらいいか分かんないや」


「いいってば。聞いてくれてありがとね」


 結局何も解決はしてない。むしろ、話したことでこれはただの同情だと言い逃れ出来なくなってしまった。いや、どちらにせよ、遅かれ早かれ認めざるを得なかっただろう。この感情は恋であると。


『君が男の子だったら良かったのに』


 あの人の最期の言葉が蘇る。灰塚さんは知らないかもしれないが、あたしと彼女には大きな相違点がある。あたしは同性しか好きにならない。だけど彼女は違う。あの人と同じ異性愛者だ。その違いは大きい。それでも、彼女が望むなら寄り添いたい。いつか自分が傷つくかもしれないとしても今は、その気持ちを優先したい。そう話すと彼はため息を吐いた。だけど、やめとけとは言わなかった。ただ一言、こう言った。「その恋が終わっても死なないでね」と。


「死なないよ。あたしまだ、あの人に会いたくないから」


「ならよし」


 この時のあたしも彼も、彼女は異性と付き合っていたから異性しか好きにならない人なのだと当たり前のように思い込んでいた。彼女があたしに向ける感情はあたしが彼女に向ける感情とは違う。そう思っていた。同じかもしれないなんて、考えもしなかった。

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