第4話:眠らなくとも明日は来るから

 彼女は好きだった人の話をする時、"好きな人"や"あの人"という言葉を使っていた。彼とも、彼女とも言わなかった。それはたまたまなのか、意図的なのか。意図的に性別をぼかす表現を使っていたなら、彼女の好きだった人はきっと同性なのだろう。だとしたら、彼女はどちらなのだろう。私と同じなのか、それとも違うのか。

 風呂から上がり、ソファに座る彼女に声をかける。彼女は「おかえりなさい。少しはリラックス出来ました?」と柔らかく微笑んだ。


「……」


「……どうかしました?」


 仮に、彼女が女性を好きになる人だとして。今日はきっと、彼が亡くなったあの日の夢を見る。眠るのが怖い。だから今日は隣で寝てほしい。そう甘えたら、彼女はどういう反応をするのだろう。


「……灰塚さん?」


「……嫌だったら、断ってくれて構わないんですけど」


 そう前置きして、彼女に伝える。今日は隣で寝てほしいと。


「今日は久しぶりに彼の話をしたから。多分、一人で寝たら、彼が亡くなったあの日の夢を見る気がして」


「……そうですね。あたしもきっと、あの日の夢を見ると思います」


 そう言うと、彼女は一呼吸置いて、私から目を逸らして言った。「良いですよ。部屋で待っていてください」と。


「……はい。ありがとうございます」


「……うん。じゃ、お風呂、入ってきますね」


「……はい」


 全部推測でしかないけれど、きっと彼女は、私のことを異性愛者だと思っている。そして、元カノと同じように、この人は異性を好きになる人だから自分とは違うと一線引いている。そんな気がした。

 別に、勘違いしてほしかったわけでも、何かを期待して欲しかったわけでもない。じゃあどういう反応をしてほしかったのかと問われると、分からない。そもそも全部、私の推測でしかない。彼女の好きな人が同性だったのか、そうだとしたらそれはたまたま同性だっただけなのか、同性しか好きにならないのか。そんなの本人から直接聞かないと分からない。そんなこと、私が一番よく知っている。だけど聞けない。確かめたところで、引かれた一線を超えられるとは限らない。むしろ、余計に遠ざかる気がする。あるいは近づくかもしれない。だけど、それも怖い。


「灰塚さん」


 声をかけられてハッとする。色々と考えている間に、彼女は風呂を済ませて戻ってきていた。


「……すみません、ボーっとしてました」


「……眠るの、怖いですか?」


 彼女は私の隣に座り、問う。それだけでは無いけど、それもなくは無いから黙って頷く。すると彼女は「あたしもです」と、静かに同意した。


「けど、明日は昼から学校あるから。それまでには鍵取りに行かないと。……眠らなくても明日は必ず来てしまうから。明日も一日頑張るためにも、ちゃんと休まないと」


 それはきっと自分に言い聞かせた言葉でもあるのだろう。だけど私の心にもしっかりと響いた。


「……そうですね。鍵、どこにあるか分かったんですか?」


「はい。帰省した時に実家に置き忘れたみたいです。電車一本で行ける距離ではありますけど、片道一時間くらいはかかってしまうので。できれば十時前にはここを出たいですね」


「……そうですか」


「灰塚さんは? 仕事? 仕事なら灰塚さんの出る時間に合わせますよ。鍵預かるのも怖いですし」


「私は八時半には出ないとまずいです」


「そっか。八時半か……いつもは何時に起きてるんです? 八時前くらい?」


「いえ。六時半です」


「ええっ。二時間も早く起きてなにしてんすか? 弁当作ったりするにしても時間あまらない?」


「心配性なんです。私。八雲さんはギリギリまで寝るタイプなんですね」


「そうっすね。朝は寝ていたいです。でも、頑張って起きます。六時半は……ちょっと厳しいかもだけど。七時半までにならなんとか」


「じゃあ、それくらいの時間に起こします。……寝ましょう」


「はい」


 眠るのは怖い。だけど、眠らなくとも明日はやってくる。明日も頑張るためにちゃんと休まないと。八雲さんの言葉を心の中で復唱して、寝室へ向かう。寝室には一人で眠るには大きすぎるベッドが一つ。彼と暮らしていた頃から使っているベッドだ。買い替えるお金が無くてそのまま使っているのだと八雲さんには説明したが、本当は違う。いまだに私は願ってしまっている。彼がこの部屋に帰ってくることを。そんなことはあり得ないと、分かっているのに。


「……すみません。故人が使っていたベッドで」


「いえ。あたしはその辺気にしないです。ここで亡くなったわけじゃないでしょうし」


 そう言いつつも彼女は、一瞬躊躇ってからベッドにはいった。奥に詰めてもらって隣に寝転がり、電気を消す。彼女は女性にしては背が高い。多分、彼とそこまで変わらないくらいあるだろう。だからだろうか。彼女の姿が彼に重なってしまう。甘えたくなってしまう。


「……あの」


「はい」


「……もう少し、寄っても良いですか」


 私の問いに彼女は答えなかったが、腕を伸ばして私をそっと抱き寄せた。身長は彼と同じくらいだけど、やはり男性と女性では身体つきは全然違う。違うけれど、安心する。すれ違ったら挨拶を交わすくらいの距離にいた人なのに、今日一日で一気に近づいてしまった。それは私にとって、彼女にとって、良かったことなのだろうか。これ以上近づいても、良いのだろうか。

 恐る恐る、彼女の背中に腕を回す。「眠れそう?」と問う声が優しくて、この人に愛されることを期待しそうになる。未だに彼のことは引きずっているし、なんなら元カノのこともずっと引きずっている。それなのに私は今、この人にときめいてしまっている。それはきっと、恋ではない。ただ、似たような経験をした人に優しくされて心が揺れているだけだ。そう自分に言い聞かせて、現実から目を背けるように目を閉じた。

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