渇望5
「わしは部屋に戻る。最近体の調子が悪くての。もう長くはなさそうじゃ」
はは、と自嘲気味に笑いながら隣人は自身の家に帰って行った。
やはりなんらかの病気に罹っているようだ。いや、年齢を考えるにただ老衰しているだけの可能性もある。
この世界の人間の寿命はそう長くはない。
「おじさんになんて言われたの」
「話してもいいけど、その前にその懐に隠した刃物を俺に渡して欲しい。話はそれからだ」
「私、刃物なんて持ってないわ」
「俺にその手の嘘は通じない。上着左の内ポケットの中に果物ナイフを忍ばせているだろ」
俺がそう言うと、トアは目を見開いた。そして観念した様子で内ポケットから果物ナイフを取り出して足元に放り投げた。
「よくわかったわね」
「……まぁな」
元暗殺者がそれくらい気が付かないとでも思ったか。と言いたいところだが、話がこじれてしまうので適当な相槌で済ませた。
「それで、おじさんはなんて言ってたの?」
「ああ、それは……きみにとってはショックな話だろうな」
トアは眉を顰めた。
耳を塞いだり逃げ出そうとする気配はない。一応話を聞く気ではあるようだ。
「まず、きみの祖母は見捨てられていない」
「そんなはずはないわ。だってクビにされたもの」
「クビにされたなら、その後の人生の金はどうやって工面する? 町長はきみの祖母に毎月支払いを送っていたそうだぞ。そして時折使用人がやってきて食事を用意したり、献身的に介護をしていた」
「それはおかしいでしょ。おばあちゃんは神捨病に罹りはしたけど、体の方は健康よ。介護の必要はないわ」
「病気になっていたんだよ。神捨病とは別の、関節が徐々に動かなくなってしまう病気にね。だから働き続けることができず、家で療養することになった。きみが散々悪態をついていた町長は冷徹どころかいい人じゃないか。普通なら使用人一人のためにここまでしないよ」
病気になって、働けなくなったならクビにしてそのまま放置。そういうものだ。なのにこの町の町長は働けなくなったトアの祖母のために自腹を切ってまで療養費を払い続けていた。
これが優しさではないなら、なんていうのだ。
「それは……それはありえないわ。だって私がこの家に遊びに来たとき、おばあちゃんはいつも元気そうだったわ。ベッドから出ておやつも用意してくれた」
「それはかわいい孫が遊びに来たから、心配させまいと無理にでも体を動かしていたんだろう。祖母なりの愛情だよ」
「……嘘よっ!」
一度拍を置いたあと、トアは叫んだ。
間が空いたところを見るに、祖母との思い出の中に心当たりがあったのかもしれない。
「それと、壊れた懐中時計だけど。それは元々町長のものだよ。あれは使用人が持つには高級すぎる。おそらく町長にこれを売って金にでも変えてくれと渡されたものなんだろうね」
「な、それじゃあおばあちゃんは」
「ああ、きみの祖母は少なくとも町長のことを恨んでいない。だって恨んでいたなら、普通嫌いな人間から貰ったものを大切に保管しておかないだろうからね」
がくり、とトアは膝を床についた。
トアはずっと祖母が町長を恨んでいると思い込んでいたのだろう。それが違うとわかったときのやるせ無さは計り知れない。
「だって、なら、なんで……? なんのために私は、いや、でもあの男がおばあちゃんの形見を壊したのは本当のことよ?」
「これは俺の憶測でしかないんだけど……町長がきみの懐中時計を壊したとき、彼はきみがかつて自分に仕えていた使用人の親族であることに気がついたんだと思う。だから修理を申し出た、けど、きみは話を聞かなかった。違う?」
「……それは」
トアは俯いて黙り込んだ。
おそらくだが、彼女は復讐の相手を見付けたかったのだ。
大好きな祖母を失い、その悲しみをぶつけるための誰かが欲しかった。そんなときに町長が偶然にも形見を壊してしまった。
そこで彼女は町長を恨むことにした。
町長を復讐の相手だと思い込もうとした。
遣る瀬無い悲しみを、怒りに変換して誰かに押し付けたかったのだろう。
祖母の死によって生まれた激しい感情の行方を、町長に向けることで悲しみを心の中に溜め込むことを回避しようとしたのだ。
溢れかえる感情をうまく処理できなかったから、人に押し付けようとしている。少なくとも俺にはそう見えた。
「……だって」
彼が私の大切な形見を壊したのは間違いではないでしょう、そう問いかけるトアの目は虚ろだった。
図星だったのだろうな。
遣る瀬無い感情を無理やり町長に向けていたのに、俺にそれを指摘されてこれがただの八つ当たりであることを自覚してしまったのだろう。
「形見が壊れたのは悲しいことだけど、だからって人を傷つけてもその感情は消えやしない。むしろ激しさを増してきみを呑み込むだろう」
「……」
俺の言葉にトアは口を噤んでしまった。
きっと頭の中で、それならどうすればいいのかと思案しているのだろう。
町長に八つ当たりをしない、それなら町長に向けることで抑えていた感情はどこにぶつければいい、とそんな目をしている。
「……人はこういうとき、泣くのではないのか?」
「ん、そうだな」
頭に直接響くディーの声に肯定する。
俺はつい怒りに駆られてしまったが、大抵の人は大切な人を亡くしたとき、悲しみで涙を流す。
おそらくトアはそれができなかった。涙がすべてを綺麗に洗い流してくれるわけではないが、それでも感情の整理に力を貸してくれる。
それをできず、いつまでも祖母の死を心の中に残して日々感情を溜め込み続けた。それはきっとつらい毎日だっただろう。
「私のおばあちゃんはもういないのに」
トアの瞳が潤み出す。しかし惜しいところまでいっているのに、涙は流れなかった。
「もしかして本当はまだ祖母の死を受け入れられてないんじゃないか? 泣いたらおばあちゃんが死んだことを認めることになる、みたいな」
だから涙を流すことを体が拒否している。そう考えたが違うだろうか。
「……そう、なのかも」
トアはゆらりと立ち上がった。
トアの懐にあった果物ナイフは回収済みだ。トア自体も思っていたより落ち着いている――現実を受け入れられなくてまだ感情的になっていないだけかもしれない――ので、今すぐ自害することはなさそうだ。
「……今の私に必要なものはなんだと思う?」
「自分と向き合う時間じゃないか?」
「……やっぱりそうよね。一度家に帰るわ。
そう言ってトアはふらふらと家を出た。
その足取りは弱々しいが、迷うことなく一点を目指して歩いていた。
彼女にはまだ自分の気持ちと向き合う時間が必要だろう。しかし彼女の中に流れる復讐の炎は途絶えた。
あとをどうするかはトア自身で決めることだ。
「ディーはどう思う? あの子、またこっちに戻ってくるかな?」
「いや、女というものはなかなかどうして強いものだ。明日にはころっと前に進んでいるのではないか?」
「さすがに一日でそこまでは変わんないだろ……」
ディーとそんなことを言い合いながらも、少なくともトアが復讐の道に進むことはないだろうと、なんとなくだが確信していた。
元々これは復讐という言葉を当てはめるには少し特殊なものだったのだ。感情の整理さえできれば、トアはまた前に進むことができる。
人の命は短くも強いものだから。
トアのあとを追うようにして家を出る。すると上空に花が咲いた。
「……耳が痛い」
「ああ、ディーは大きな音は苦手だったか」
不満を漏らしながらも、ディーは夜空に浮かぶ短命な火花に視線を釘付けにしていた。
俺も夜空に視線を向けて、綺麗だな、とただそう思った。
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