渇望4
「…………これを見て」
互いに見つめ合って、何十秒が経った頃だろう。女性が観念したように懐からなにかを取り出して、こちらに差し出してきた。
女性の手のひらに乗せられたそれは、懐中時計だった。
高級そうな品物だ。しかし今の価値はそう高くないだろう。なぜなら蓋と時計を繋ぐ蝶番部分が破損しており、時計と蓋の二つに分断されていた。
「これはおばあちゃんから譲り受けた形見なの。それをあの男、この町の町長は踏んづけて壊したのよ!」
先程までの雰囲気はどこへやら。女性はヒステリックに叫び声を上げた。
「おかしいでしょ⁉︎ これはおばあちゃんがくれた大切な物なのに、あの男ときたらたった一言すまないね、って、それだけよ⁉︎」
どうやら女性が町長に恨みを募らせているのは祖母の形見を壊されたことから来ているらしい。
町中で彼女が落とした懐中時計を、町長が踏んづけて壊してしまった。それに対する対応が気に食わなかったようだ。
「これは私とおばあちゃんを繋ぐ大切な思い出なのよ。なのに、たった一言の謝罪だけですませるなんでありえないわ!」
「うーん、けど謝ってはくれたんだよね?」
「ええ、そうよ。けど私はおばあちゃんの孫よ? おばあちゃんはあの男の家で長年使用人として仕えていたの。そんな人の孫に対する扱いじゃないじゃない」
「……ん?」
それは話が別なのでは、と思い口から疑問符が漏れた。
いくら自分の家に使えた使用人の孫とはいえ、いや使用人の孫の顔など町長が覚えているとは限らない。
かつての使用人の親族を特別扱いしろと言いたいのだろうか。
「それだけじゃないわ! おばあちゃんはあの家に献身的に仕えてきた。なのに、あの男ときたらおばあちゃんが病気に罹った途端、いとも簡単に切り捨てたの! おかげでおばあちゃんはこの家に籠るしかなくて、この狭いお家で生涯を終えたの!」
たしかにこの家はそう広くはない。小道を通らなければならず、交通の便も良いとは言えない立地だった。
「表向きは療養に専念しなさい、って言われたらしいけど、本当は汚いものに蓋をしたかっただけなのよ。おばあちゃんが
「……ああ」
この子はそういうタイプの子かと項垂れた。
彼女は熱心な信者なのだろう。その中でもめんどくさいタイプの信者だ。
「神捨病、神に見放された者がなる病気、だったか」
「ええ、そうよ。おばあちゃんは神様に見放されて、挙句には仕えていた主人にも見捨てられたのよ」
神捨病。それは一部の信者の中で恐れられている髪色が変色する病気だ。
この国の人間は生まれつき明るい髪色の者が多い。そういった人間が突如として髪色を黒に近しい色に変化させる。
病気にかかるメカリズムは判明されておらず、髪色が変色する以外は他者への感染があるわけでも寿命が短くなるわけでもない不思議な病気だ。
命に関わる病気ではないものの、黒色は神から一番遠い色とされており、信者にとってはあまり好ましいものではない。
故に神に見放された者がなる病気、神捨病と呼ばれる。
というのが、長年の旅で身につけた知識だ。
実際に神捨病になった人を見たことはなく、なった人の話を聞いたのもこれが初めてだ。
ただわかっていることは、この病気を異常に嫌っている信者は総じて面倒な神の熱狂者だということ。普段ならあまり関わりたくないタイプだ。
この手の者は白い髪の者をまるで神のように崇めたてまつり、黒髪の人間を毛嫌いする。
俺の元の髪色を見れば暴言を吐いてくることだろう。いや、今の髪を見られるのはそれはそれで困る。勝手に聖職者扱いされて追いかけ回されてしまうかもしれない。
「ええと、つまりきみは祖母が神捨病に罹り仕事をクビにされて、その祖母が遺した形見を壊した町長を許せないと」
「ええ、そうよ。町長だけじゃないわ、この町のみんなも嫌い。だってみんなあの男のことを庇うもの。おばあちゃんへの扱いは間違っていなかったって」
女性は恨めがましそうに表情を歪めた。
大切な人をぞんざいに扱い、その人の遺した形見を壊した男と、その男を庇う人間に復讐したい、そういったところか。
「……それはちょっと、なぁ」
いくらなんでも八つ当たりが過ぎるでのはないかと思う。
たしかに使用人が病気になったとわかるや否やクビにするのは冷徹かもしれない。しかし罹った病気の種類が神捨病なら、信仰心の高い人ならそうする可能性はじゅうぶんにあるし、そもそも使用人など簡単に切り捨てられる駒の一つだ。いくら長年仕えていたとしても、特別扱いしてくださいという方が無理なことだ。使用人は雇い主よりも下の立場にあるのだから。
「……トアちゃん」
俺が言葉に困っていると、背後から声が聞こえた。
音の移動して来た位置からして隣の家の住人がこちらにきたようだ。
「おじさん!」
俺の背後に立っていたのはやつれた男性だ。歳は六十あたりだろうか。
なにかの病気なのか不健康そうな顔色をしている。
「トアちゃんはそんなことを思っていたのかい」
「だって、おばあちゃんがかわいそうでしょ。私が……」
「ちょっとそこのお方、わしの話を聞いてはくれんか」
「……え、俺? はぁ、別にいいですけど」
急に話を振られて驚きながらも頷く。
男性は満足そうに微笑むと口を開いた。
「わしは昔からこの家の隣の家に住んでいてな。一時期はトアちゃんのおばあちゃんと一緒に町長のお屋敷で働いていたこともあったんだよ」
「え、おじさんもあの男の元で働いていたの? そんなの一言も教えてくれなかったじゃない」
「はは、わしは本当に短い間だけだったからの。言うほどのことではないと思ったんじゃ」
「それで、俺に聞いてほしいこととは?」
「トアちゃんはとんでもない勘違いをしておる。その誤解をわしの代わりに解いてほしいんじゃ。町長はそんなお人ではない、とわしが言ったところで今のトアちゃんが聞く耳を持つ気がせん」
「それは……たしかに」
トアと呼ばれた女性は興奮状態だ。
いくら知人の話でも冷静に聞いて、それを受け止められるとは限らない。
「トアちゃんの祖母のことじゃが、実は――」
「なるほど」
トアの祖母の隣人によって、ことの真実が語られた。
その様子をトアはじっと見ていた。
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