渇望2

 王都近郊から外れた、言うならば地方都市のような町で俺とディーは立ち尽くしていた。

 今日の天気は悪く、雨が降っている。いくら死なない体とはいえ、体を冷やしたら風邪を引く。それは困るので、この町の宿に泊まろうと思ったのだ。

 俺の今の主な生活資金は町で人助けをした際の謝礼で、細々ではあるが問題なくやりくりできている。

 一番金がかかるのはディーの食費だが、それはディー本人に狩りをしてもらうことで抑えられていた。


「……高いな」

「そうだな」


 王都から離れた土地。しかし宿の料金はそう安くはない。それは安い店はもう満室で、高級な宿しか残っていないからだろう。

 なんでも明日この町ではお祭りがあるらしく、それを目当てに遠くから来た観光客が前乗りして、安い宿を押さえてしまったようだ。


「この宿はペット可だって」

「我はペットではないが?」

「いや、世間体的にはそういうことになってるって設定にしただろ」

「……そうだったな」


 今のディーは大型犬程度の大きさだ。子犬くらいのサイズにもなれるのだが、それは気が進まないらしく断固拒否されている。

 犬にしては凛々しい顔だちではあるが、神獣がそう町をほいほい歩いているわけがないという人々の先入観のおかげで、ディーの存在は怪しまれていない。


 ただ昔王都近辺の街で神獣を連れた神父が現れたという噂は経っていた。

 間違いなく俺たちのことだろう。

 グローと関わったときにディーがうっかり自身を神獣だとバラしてしまったのだ。その際俺も致し方なく神父を演じたものだ。

 あれからもう十年も経ったとは。時の流れは早いものだ。


 ちなみにグローは風の噂で聞いた話によると極刑を言い渡されることはなく、情状酌量の余地があるとして禁固数年ほどの罰則を言い渡されたらしい。

 グローの愛犬、ローを殺した子供家族には罰金が課されただけのようだったが、話が街中に広まってしまい周囲の視線から逃げるようにして街を出ていったそうだ。

 まぁ、順当な結末だろうと思う。

 謎の神父と神獣が現れた話は噂になったが、その神父の詳しい話が出ていないのはきっとグローが俺に気を遣って復讐云々の話を黙ってくれたのだろう。

 もしまた彼に会うことがあったなら、その時は礼を言わなくてはならないな。


「どうする、野宿か?」

「いや、さすがにこの雨の中野宿はつらいだろ。痛い出費だが、この宿の部屋をとることにするよ」


 ディーに問われて、俺は高級宿の部屋を一室予約した。

 通常の宿の二倍の金額は懐にダメージを与えたが、嵐になるのではないかというような強風を含んだ雨の中、野宿するよりはマシだろう。

 いくら体毛がもふもふとしたディーでもこの寒さで野宿するのは耐えられないはずだ。

 さっそく通された部屋に入ると紅茶を淹れる。さすがは高級なだけはある、部屋のアメニティも随分と豪華だ。


「ほう、この部屋から花火が見れるらしいぞ」

「ああ、明日の祭りの最後、夜に花火を打ち上げるんだってな。ディーは花火好きなのか?」

「いや、べつに」

「だと思った」


 十年も一緒に旅をしているのだ、少しはディーの性格や好みは理解できているつもりだ。

 ディーはきっと音の大きな花火は好きではない。しかし祭り事に浮かれる人々の姿――活気のある人々の営みを見るのは好きなのだろう。

 絶対、自分から言い出すことはないのだろうが。


「ディーもお湯飲むか?」

「ああ」


 紅茶を淹れるために沸かしたお湯を皿に入れて、ディーに差し出す。するとディーはペロペロと舐めるように飲んでいた。


「こういう姿見るとただの犬……」

「なにか言ったか?」

「いや、なにも」


 おっとしまった。口から声が漏れてしまったようだ。

 苦笑しつつ首を横に降って、窓の外を見た。曇り空の下、傘をさした人々が町の中を足早に進んでいる。

 向こうの家の窓にてるてる坊主が吊るされているのを見て、祭りの日は晴れますようにとの願いを込めた子供が作ったのだと分かった。

 この天気だと明日晴れるかはわからないが、天気は気まぐれ。もしかしたら晴れてくれるかもしれない。

 俺は祭りに参加する気はないが、頑張っててるてる坊主を作った子供の願いが叶えばいいなと思いながら就寝した。



 朝はビュッフェが用意されており、俺は適当に皿に盛り付けてそれを食べた。

 ディーは朝食も取らずに散歩に出かけた。朝食の方は多分適当に狩りでもして食べるのだろう。


「これは急ぎで。ああ、それはいつもより多めに作っておいて」

「倉庫からあれをとってきて」

「商店街の方が――」


 食事を作っている調理場や、スタッフルームから忙しなさそうな声が漏れていた。おおかた今日の祭りの準備でてんてこ舞いなのだろう。

 祭りは町をあげての大規模なものだ。周囲の店などとも連携しているようで、大忙しで業務を片付けていた。

 視界の端で、ゆらりと炎が揺れた。


「……? ああ、ガラスに燭台の炎が映っていたのか」


 テーブルの上に置かれた燭台の炎が、窓ガラスに反射してゆらゆらと燃えている。

 その奥には駆け足で祭りの準備にあたる従業員の姿が見えた。

 俺は食事を終えると宿の外に出た。チェックアウトはすでに済ませてある。

 この後は少しだけ祭りの様子を見て、町を立つ予定でいる。その頃にはディーも戻ってくるだろう。

 花火までは居座る気はないが、晴れた空の下で活気あふれる人の姿を見るのはそう悪くはない。

 誰も彼もが楽しそうな笑顔を浮かべている。店の人は少し忙しそうだが、それでも楽しげに祭りの準備をしていた。

 開催する側も、参加する側も楽しめる祭り。悪くないものだろう。少なくとも争いなんかよりはよっぽど良いものだ。


「おい」

「いて」


 周りの景色を見ていると、背後から腰の辺りをこ突かれた。


「ディー」


 思ったより早い帰宅だった。

 もう少し祭りの様子を見ている気なのだと思ったのだが、思いの外はやくディーはこちらに戻ってきた。


「今日は祭りだな」

「そうだな」

「不埒な輩が迷い込んでいる、と言ったらどうする?」

「……それ、俺がなんて答えるかわかってて言ってるだろ」


 ため息をついて、一目につかない路地裏に身を潜めた。

 ディーは話の続きを話し始めた。


「我は祭りの準備をしている者たちを見て回っていたのだが、その中に不穏なことを画策しているものがいてな。奴らはどうやらこの祭りを盛大に邪魔する気のようだ」

「なんでまたそんなことを」

「話の内容から僻みのようなものを感じた」

「八つ当たりかよ」


 ディーの話によると、町の若者の一部が祭りをしっちゃかめっちゃかにする気らしい。理不尽な八つ当たりで。


「むしゃくしゃしたからって、人の邪魔をして生きるのはいいことないぞー」

「我もそう思う」


 ディーからその若者たちが拠点にしている場所を聞き、そこに乗り込む。

 彼らは裏社会と繋がっているわけではないようで、ただの半グレ集団だ。それくらいなら俺一人で片がつく。


 急に仲間以外の人間が拠点に入ってきたことに驚く若者を適当に押さえつけ、彼らの身元を近衛兵たちに引き渡した。

 近衛兵たちも町の半グレ集団には悩まされていたようで、今日の祭りも一応彼らのことを警戒していたらしい。

 祭りを邪魔するものを事前に排除できて助かった、と近衛兵の感謝されて、祭り当日にだけ使える金券を謝礼にと無理矢理押し付けられてしまった。


「……しょうがない。かけら探しに行くつもりだったけど、今日は祭りの食事でも楽しむか」

「うむ。そうするといい。しかし人間はよくそれだけの量で満足するな」

「いや、ディーの胃袋が大き過ぎるんだろ」


 ディーはよく食べる。だから屋台などで出される料理の量に納得がいっていないようだった。そこは神獣と人の差だ。しかたがないと思ってもらう他ない。


「……ん?」


 昼時になると、祭りが始まった。この祭りのメインは夜の花火大会なのだが、それでも昼間から屋台で食事を楽しむ人々は少なくない。

 間違いなく朝よりも人の数が増えていた。


 そんな中、制服をきた女性がこそこそと隠れるように人混みをかき分けて移動しているのが視界に映った。

 あの服には見覚えがある。昨晩泊まった高級宿のスタッフの制服だ。

 今頃宿内にあるレストランにも人が殺到して大忙しだろうに、あの子はなぜこんなことろにいるのだろうか。


「どうかしたか?」

「ん、いや、なんでもない」


 おおかた食材が足りなくなって買い出しにでも駆り出されたのだろう。

 ディーに首を降って、人で溢れかえった町の中を歩いた。


 屋台やレストラン、その他の店でも祭りに便乗した商売が行われれおり、近衛兵にもらった謝礼の金券は食事代へと消えた。

 普段は自分で採取した山草などを食べているが、たまには人が作ってくれた料理を食べるのも悪くない。

 食事こだわりがあるわけではないが、味覚がないわけではない。美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、俺は気がつけば人のあとを追っていた。


「なんでこうなったんだっけ」

「貴様があの娘の挙動がおかしいと凝視しておったからだろう」


 俺とディーの視線の先には昨夜お邪魔した宿の制服をきた女性の姿があった。

 最初は買い出しに出かけたのだと思っていたのだが、なかなか宿に戻る気配がなく、ずっと町中を彷徨っているようだった。

 それで気になってあとをつけていたのだ。

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