遺恨5

 もちろん子供を助けるべきなのだが、なにぶん俺は殺しで生きてきた。つまり助けるという行為はあまり経験したことがない。

 誰かを守るための戦い。俺に、できるだろうか。


「……いや、しないと、だよな」


 たくさんの人を傷つけた分、俺は人を助ける。そう勝手に約束したのだ。ここで日和ってどうする。

 俺は扉のノブに手を伸ばすと、一度深呼吸して勢いよく扉を開けた。


「⁉︎」


 中には鎖で繋がれた子供二人と、こちらを見て驚いた表情を浮かべる男の姿があった。

 横たわる二人の子供は気を失っているだけでまだ怪我などはしていないようだ。

 間に合ってよかったという思いを抱きつつ、ノコギリを手にした男が驚きで動けていないうちに距離を詰めて動きを封じる。

 咄嗟の反応といい、どうやら彼は殺しを本業としているわけではないようだ。


「離せっ! 離せよ!」

「それはできないな。だって俺がお前を離したら、あそこで寝ている子供たちが危険な目にあうだろう?」

「当たり前だろ! 俺はあいつらを殺すためにここに連れてきたんだから!」


 男は拘束から逃れようとバタバタと暴れ回る。もちろんこの程度の反抗で押し負けるほど、俺は貧弱ではない。


「そいつらは殺す! 絶対に、絶対にだ! 必ず俺の手で殺して、痛がる姿を見て笑ってやる! まずは死なない程度にジリジリと痛めつけてやるんだ!」

「っ……」


 つい、気圧されそうになる。男を捕らえている手の力が緩まりそうになってしまった。

 男は血走った眼でこちらを睨んできた。それは特に問題ではない。

 ならばなぜ、俺は気圧されそうになったのか。

 それは男の目尻に涙がうっすらと浮かんでいたからだ。

 太陽の光が届かない地下室では見えずらいが、すぐそこにある男の顔は不健康そうにやつれ、目の下にはくまができていた。

 とても苦しそうな表情で、物騒な言葉を吐いている。


 ――炎だ。

 男が明かりとして持ってきた蝋燭に灯った炎がゆらりと揺れた。

 そこにはかつての自分が映っている。大切な人を亡くし、ただ壊すことだけに執着したときの、酷い形相をした俺の顔。

 男の表情はあのときの俺の顔とよく似ていた。だからつい気後れしてしまったのだ。


 人を殺す人間には種類がある。

 ただ殺すことに快楽を覚える人間。仕事だからと殺しを行う人間。恨みが故に殺そうとする人間。

 ああ、この男はそのタイプだ。

 俺と同じ、復讐のために手を汚そうとしている。

 この目はなにか大切なものを失った人の目だ。この炎は、燃え盛る復讐の心だ。

 彼は復讐者なのだ。かつての自分と同じ、恨みを晴らさんとする者。


「やめておいた方がいい。なにがあったかは知らないが、あの子供たちを殺しても恨みが晴れるとは限らない」


 俺がそうだったように。

 燃え盛る炎はすべてを燃やし尽くす。しかし最後に残るものは灰だけだ。

 達成感も、快楽も、なにも残りはしない。

 下手をすれば俺のように呪いをかけられてしまうかもしれないのだ。おすすめはできない。


「部外者は黙っていろ! 俺は必ずあのガキどもを痛めつけて……散々に痛めつけて、殺すんだ。だって、だってそうしないとローは……」

「たしかに俺は部外者だが。俺にも俺で通したい信念がある。それは元々俺の物ではなかったんだが……いや、俺の話はいい。俺が今のお前に言いたいのは一つだけだ。お前があの子供たちを殺して、そのローというやつは喜ぶのか?」

「っ!」


 男の肩がびくりと揺れた。

 抵抗する力がどんどんと弱くなる。


「ローは……あの子は、俺の家族だった。ずっと独り身だった俺に優しく寄り添ってくれた。なのに……なのに!」

「⁉︎」


 男の抵抗が止まって気が緩んでいたのだろう。

 急に暴れ出した男に押し飛ばされて、拘束を解いてしまった。


「待て!」


 俺の静止なんて耳には届かない様子で、男は一目散に俺が落としたナイフを拾うと子供たちの方へと走り出した。

 このままでは間に合わない。男のナイフが子供たちに突き刺さる――


「ムッ」

「ぐわっ!」


 ことは無く、男は急に横へ吹き飛んだ。

 男が先程までいた場所には白い毛並みが、ディーが立っていた。


「なっ、ディー! なんでここにいるんだ? というか、どうやってあの小さな扉を抜けてこれたんだ?」


 地下室への扉はディーが街中を歩く時の格好でも入れないほどの大きさだ。それなのになぜここにいるのかと問うと、ディーは鼻で笑った。


「今、気にすることはそこではないだろう。それよりその男から武器を取り上げろ」

「あ、ああ」


 ディーに突き飛ばされて壁に激突した男からナイフをひったくる。

 その上で男が用意していたらしい縄を使って身柄を拘束した。


「う……」


 男は壁に衝突した勢いで気を失ったようだ。

 その好きに子供たちに繋がれた鎖を解いた。全体的に悪趣味な部屋だ。

 元々は物置として使われていたようだが、男が持ってきたノコギリや斧などの大量の刃物で、まるで拷問部屋のような雰囲気を醸し出していた。


「なんで……」

「エルガー、こやつ目を覚ましたようだぞ」

「思ったより早かったな。できればこの子供たちを外に出したかったんだが」


 薬で眠らされているのか、あれだけの騒ぎがあったというのに子供たちが目を覚ます気配はない。

 この場で意識があるのは俺とディー、そしてこの復讐に手を染めようとしていた男だけだ。


「……なぁ、俺はどこで間違えたんだ?」

「知らん」

「お前のその即答やめろよな」


 力なく項垂れた男の問いに即答するディーを制しながら、俺は男の前にしゃがみ込んだ。


「もしよかったら名前とか、聞いてもいいか?」

「……グロー」

「へぇ、グローか。俺はエルガー」


 名前を聞いたら、少し時間を空けてだが答えてくれた。しかし俺が名乗り返しても、こちらを見る様子はない。

 ずっと力なく項垂れている。


「俺は独り身だ。けど、結構幸せだったんだ。かわいい愛犬がいたからな」

「もしかしてそれがローか?」

「ああ」


 捨て犬に俺の名前の一部を付けたんだとグローは呟いた。


「ローは捨て犬のわりには警戒心が薄くて人懐っこい子だった。特に子供が好きで、近所の子供たちとよく遊んでいた」


 グローがスッと顔を上げる。くまのできた顔には覇気がない。


「その日もいつものように子供たちと遊んでいたんだ。俺は夕食の準備があったから、ローを公園に置いて一人で先に帰った。しばらくすれば、ローは一人で家まで帰ってくるお利口さんだったから」


 けど、とグローは言葉を続ける。


「その日はいつまで待ってもローは帰ってこなかったんだ。おかしいって思ってすぐに外を探した。だけど公園にもどこにもいなかった。それでローとよく遊んでいた子供に話を聞きに行ったんだ。そうしたらいつものようにローと遊んでいたら、急に他の子がローと遊ぶと言って無理やり別のところに連れて行ってしまったと教えてくれたよ」

「それが」

「ああ、あそこでぐうすか寝てるクソガキどもだ」


 グローは子供たちの方を恨めしそうな目で睨みつけた。


「あいつらは近所でも有名な悪ガキどもで、今までもうちのローに何度かちょっかいをかけていた。それがあの日一線を越えたんだ」


 グローは下唇を噛むと、また俯いた。

 ぽたりとグローから血が垂れる。唇が切れたのだろう。


「あの日クソガキどもはローを自身の敷地内の小屋に連れて虐待したんだ。あのガキの片方はこの辺では結構な金持ちだからな。誰もあいつらに悪戯されても注意できなかった理由もそこにある。それで……ローはその小屋で散々痛ぶられた挙句、放置されて殺された!」


 怒りが再熱したのか、グローの声色が上がった。


「もしすぐに怪我の手当てをしていたら助かったかもしれないのに! いや、そもそもあのクソガキどもがローを虐めなかったら! あの子は死なずに済んだ!」


 グローは瞳いっぱいに涙を溜めて叫んだ。

 小さく湿っぽい地下室にグローの声が響く。


「なんで……なんでローが殺されないといけなかったんだ? あの子は自身を虐めてくるあのクソガキどもにすら懐いていたのに……」


 俺が警戒心を持つように躾をしなかったから、いや、先に帰らずにちゃんと家まで一緒に帰るべきだった、などとグローはうわごとのようにボソボソと呟き始めた。

 その表情は苦痛で歪んでいる。

 自分がもっとしっかりしていればという後悔。

 その気持ちは痛いほどわかる。俺だってもっと強ければ、彼女を助けられたかもしれないと何度も思ったから。


「……俺に、似ているんだろうな」

「ああ?」


 グローの姿がかつての自分と重なる。

 大切なものを失って、その恨みを暴力という手段で解決しようとしている。殺されたのが人であるか犬であるかの違いはあれど、殺された対象を大切に思っていたところは同じだ。

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