遺恨2
王都近郊はやはり都心部ということもあって、人が多い。そしてなにより聖職者の数も地方よりは増える。
絶対にフードを外さないように気をつけながら、少し大型の犬くらいの大きさになったディーと共に、王都近辺で一番小さな街を歩いていた。
小さな街、といっても王都の周囲では、であって、当然村などに比べると普通に大きい。お嬢様のいた領地二つ分はあるだろう。
そこを歩いて、普段ならゆっくり見ないであろう建物の外見や街の風貌を眺めた。
「ここでなにをする気だ?」
頭の中に声が響く。この声はディーのものだ。しかし俺がディーの方に向いても、彼は口を開いていなかった。
おとなしく俺の隣で立ち止まって、こちらを見つめていた。
「ん? なんだ、お前今しゃべったか?」
「ああ。人は我がしゃべると驚くのであろう。だから貴様の脳内に直接声を届けている」
「へぇ、そんなこともできるのか。神獣というのはすごいんだな」
「まぁな」
少し誇らしげに鼻を鳴らすディーに、俺は口を開いた。
「ディーが助言通り、俺はお嬢様の好きそうなところを回ろうと思っている。星のかけらというのはお嬢様の生前の記憶だとあの女神は言っていた。それなら、お嬢様に関係がある場所に星のかけらがある可能性が高い」
「なるほど、そういった見解か。まあ妥当ではあるな」
なんでこいつはこんな上から目線なんだ、と思ったが相手が神獣なのだと思い出して苦笑した。
口を開かず、特定の相手にだけ声を届けることができる神獣は、神々と同じく長寿である。そんな存在のものが、不老不死になったとはいえ、ただの人間に謙る方がおかしいのだ。
「ま、お嬢様は亡くなられるまで一度も自身の領地の外には出たことが無かったらしいから、直接的に関係のある場所はそうないだろうけど」
「あの領地は貴様がそのほとんどを燃やし尽くし、荒野にしてしまったようだしな」
「うっ、そ、そうだな」
お嬢様の記憶だという星のかけらは、本来ならお嬢様に関わるところにあるのだろうが、あいにくと彼女が生前暮らしていた場所は俺が壊してしまった。
だからか、それともこれも神々の試練なのか、星のかけらは世界中のどこかへと飛び散っている。それを集めるには、やはりお嬢様が好きそうなところを回る方がいいと結論づけた。
星のかけらがお嬢様の記憶に近しい物なら、お嬢様と同じように綺麗な景色を見たがっているのではないか、などという勝手な憶測でしかないが。
「あっ」
街の大通りを歩きながら周囲に視線を配っていると、視界の端でお年寄りが転んだ。
老婆の持っていた紙袋からフルーツがころころと転がっていく。ここはなだらかではあるが、傾斜になっているのだ。
転がってきたフルーツの一つが、俺の足に当たって止まった。
『ほら、遠慮しないで。こんなときは一人で拾うより二人で拾った方が早く終わるわ。助け合いは大切に、ね』
自分が使用人として屋敷に潜入したときのことを思い出す。
俺がまだお嬢様の本性を見極めようと監視していた頃、彼女はそう言って運んでいたたくさんの本を廊下に散らかした使用人に優しく手を差し伸べていた。
床に膝をつき、埃が付いた本を集めて、申し訳なさそうにしている使用人に笑顔を浮かべていた。
あの時はまだ、彼女には裏の顔があるはずだと疑っていたが、あれは嘘偽りのないただの優しさだった。
身分もなにも関係ない、誰にでも差し伸べるお嬢様の無限の優しさ。
「こら、ディー。これはあのおばあさんの物なんだから、食べるなよ」
「わ、わかっている」
ころころと転がってきたフルーツにくんくんと鼻を寄せたディーの動きを制して、周囲に転がるフルーツを集めた。
「あっ、あの、それは私の」
「はい、どうぞ。転がった際に少し傷ができてしまったようなので、傷んでしまう前に早めに食べることをおすすめします」
「ああ、ありがとうございます」
空になった紙袋を抱えて小走りで駆け寄ってきた老婆に、回収した果物を渡す。老婆は礼を言って何度も頭を下げるとその場を去っていった。
「……なぁ、さっきの俺はお嬢様みたいに振る舞えていたのかな」
「知らん。俺は貴様のいうお嬢様とやらをこの目で見たことがない。だからどんな人間なのか知らぬのだ」
「とにかく優しい素敵な人だったよ」
「そうか、なら……まぁ、一割くらいは真似できていたのではないか」
「ははは、そうか」
ディーはつんとどこかを見たまま、淡々と答えた。思わず笑みが溢れる。
俺はずっと、人の悪意の中を生きてきた。
薄汚れた建物の、汚い部屋で、汚れきった心の人間と一緒に暮らしてきた。
光というものすら知らない、物理的ではなく精神的に汚れていることが当たり前の生活。
そこに光を差し込んでくれた人の、お嬢様の優しさを、少しは俺も真似できただろうか。
一度は汚れきった復讐者と化した俺に、お嬢様のような優しさを継ぐことはできているのだろうか。
今のところ、自信はない。けれど彼女にもう一度、胸を張って会うためには、彼女に認めてもらうためには、俺はお嬢様のように優しさを持った人間になりたい。
今は亡きお嬢様の代わりになんてはなれやしないが、それでもお嬢様のその精神性だけはどうか、引き継いで生きていたいのだ。
「いっそのこと、聖職者にでもなってみるか?」
「勘弁してくれ。さすがにそんなこと俺にはできない」
「そうか? やってみないとわからないぞ」
「どこの世界に元人殺しの聖職者がいるんだよ。どれだけ改心しましたって言っても、そんなの信じられるか。俺なら絶対そんな神父の元には通いたくないね」
「我もだ」
「おい」
自分で言っておきながら、とつっこみを入れつつ歩を進める。
この街は海辺に近いため、ふとしたときに潮の匂いが街の中を吹き付ける。
その匂いと、新鮮な魚をつかった料理が売りのレストランや屋台の横を通り抜ける。
ギュルルル
周囲に漂う匂いにつられたのか、空腹を知らせる腹の音が鳴った。俺の隣で。
「……」
「……我ではない」
「いや、お前以外誰がいるんだよ」
ディーは俺の視線を受け止めて、少し気恥ずかしそうに顔を逸らした。
そういえば先程も老婆の落とした果物に関心を寄せていた。どうやら神獣にも食事という概念は存在するようだ。
「しょうがない。金銭の余裕はさほどないから適当に屋台で安いのを買うか」
「我は別に腹を鳴らしておらん」
「はいはい」
神獣としてのプライドかなんだか知らないが、素直に腹が減ったと言えばいいのにと思いながら、財布を手にして屋台に近づいた。
串焼きにされた魚を二尾買い、お金を払う。
これは屋敷で働いていたころに稼いだ金だ。あの屋敷は使用人に払う給料はさほど高くはなく、身内以外への出費はケチっていた。
だから俺の貯金もそう多くはない。
「毎度あり!」
元気の良い店主から串焼きを受け取り、一尾をディーに渡そうと振り返る。
そのとき、海の方から建物の隙間を強風が吹きつけた。海陸風だ。
「わ」
突然の風に反応できず、少し揺らめく。
屋台が風でカタカタと揺れて、潮の匂いが周囲に立ち込めた。
「おお、アンタ、いやあなたは神父様でしたか!」
「は」
屋台の店主が目を輝かせてずいっと顔を寄せてきた。店主の声が響いたのか周囲に人が群がってくる。
「っ!」
しまった。先程の風でフードが脱げてしまったようだ。
俺のように信仰心のない者はこの世に存在する。しかし聖職者の多い王都の近辺には、熱心な信者はそう少ないくない。
「神父様!」
「いや、俺は違くて」
面倒なことになってしまった。こういったことにならないようにとフードを被っていたのに、海から吹きつけた風でいとも容易くフードが脱げ、白い髪が露わになってしまった。
周囲に人が寄たかってくる。俺は聖職者ではないというのに。
「小僧」
「っ! 失礼!」
聖職者に話を聞いてもらおうと詰め寄ってくる人々を倒さないように押し避けながらディーの元に駆け寄ると、その背に乗った。
すると先程までおとなしくおすわりをしていたディーが突如走り出した。周囲の人々は驚いたのかそのまま立ち尽くしてくれたので、簡単に撒くことができた。
「次からは気をつけろ」
「ああ、悪い」
ディーのおかげで人混みから逃げ切ることができた。
フードをしっかりと被り直すと、握っていた串焼きをディーに手渡した。
「はぐ」
全長十五センチ程度の焼き魚は、たったの一口でその姿を消した。
「おお……」
これは一尾だけでは足りなかったかもしれない。現にディーは物足りなさそうにこちらを見ていた。
「釣り……するか」
ある程度のサバイバル術なら習っている。街を出ると砂浜に打ち上がった木を適当に見繕って、釣竿を作る。
相手は体の大きな神獣様だ。一匹や二匹では満足してくれないだろう。
俺は串焼きを口に咥えると、ディーの分の食費を浮かせるために釣りに勤しんだ。
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