喪失4

「真意……真意……」


 山の中に流れる川で血を洗い流し、汚れた襟足を整えて山道を歩く。

 女神(仮)の言うことを信じるのであれば真意とやらを俺は理解しなくてはならない。けれどそれができず、俺は数日山の中を彷徨っていた。

 道中感じた空腹は、山の中に自生するキノコなどの植物を食べて凌いだ。死なない体でも空腹は感じるようで、しかしながら飢餓には陥らない。ただただお腹が鳴り続けるだけだった。


 目的もなく山を歩いていると、開けた場所から麓の方が見えた。それはあの領地から山二つ分離れた小さな村だった。

 土地自体はそこそこあるものの、建物は少なく、土地のほとんどは畑で住民も高齢者が多い。よくある過疎化が進んだ村だ。

 交通の便が悪いからか、自給自足の生活をしているようで、いくつもある畑にはおばあさんやおじいさんがせっせと野菜の収穫に勤しんでいた。

 彼らはもう何年何十年としたら老衰や病気などで亡くなるだろう。人なのだから当然だ。人類にとって、死とは避けられないもの。


「俺にはもう叶わぬ当たり前のことだな……」


 ぼそりとつぶやいて、踵を返す。

 このまま山を降りて麓の村に行くことも可能だが、行く必要性がなかった。

 俺は人殺しだと、そう村人たちに告白して蔑みの目で見られても、人として罪を裁かれても、たぶんだが俺にかけられた呪いは解けることはないだろう。

 ならば人と関わるだけ損だ。

 そうだ、そうなのだ。そもそも人と関わらなければ、彼女と出会わなければ、俺はこんな想いを抱かずにいられた。

 ずっと、組織の命令通りに動くただの殺戮マシーンとしていられた。

 彼女とさえ、出会わなければ。


「……」


 頬に、涙が伝う。

 ここ数日、何度も同じことを考えた。

 俺がお嬢様に出会わなかった未来。俺が恋というものを知らないままの未来。きっと、そっちの方が俺は今まで通りの感情のない機械のように動けただろう。

 しかし彼女との出会いを否定するのは、彼女を愛した自分を否定するのは、彼女そのものを否定することに思えてできなかった。


 俺は、あの人に会えて良かった。

 好きな人に想いを伝えて、同じ気持ちだと口付けられて。束の間だったかもしれない。けれど、とても幸せな時間だった。


「お嬢様……」


 今の俺の姿を彼女が見たらなんて言うだろうか。この人殺し、と蔑むだろうか。


「……」


 いや、違う。彼女はきっとそんなこと言わない。

 どうしてそんなことをしてしまったの、とあの悲しみを含んだ表情で問いかけてくるだろう。


「……そうか。俺って本当に馬鹿、だな」


 お嬢様は復讐なんて望んでいなかった。自身を殺した相手にさえ同情し、これが運命だと言い切った人が、反乱軍の死を望むはずがない。そしてなにより、俺が人を傷つけることを、彼女が望むはずがなかった。

 こんな俺を愛してくれた素敵な人が、愛する人間が誰かに害を成す姿なんて見たくはないだろう。


「……ごめん」


 こんな俺を愛してくれたのに。俺はきみのことを忘れはできないけど、それでも現実を受け止めて復讐ではない、新しい一歩を踏み出すべきだった。

 生涯独り身であろうとも、それでも殺しに手を染める行為はするべきではなかったのだ。俺が彼女の幸せを願ったように、きっと彼女は俺の幸せを願ってくれていたのだから。


「ああ」


 それに気がつくには遅すぎた。もう、すべてを壊した後だった。

 俺はもう血に塗れてしまった。こんな姿、彼女は望んでいなかったというのに。


「思いの外はやく、それに気がついたのですね」

「……またアンタか」


 気配もなく、隣に佇む女。それは以前と同じく、足音もなく隣に現れた。

 きっと前回も今回も去り際のようにさらさらと、人とは違う方法で俺の隣に姿を現したのだろう。


「ええ、私です。貴方が彼女の真意に気がついてくれたようでなによりです」

「そうか。真意というのは彼女の気持ちのことだったのか……なら、もういいだろう。彼女の願いが俺の想像通りなのだとしたら、俺はもう駄目だ。彼女の願いを叶えることはもう叶わない。すべてを、終わらせてくれ」

「……申し訳ありませんが、それはできません。何百年の時を経て彼女の真意に気がつくと思っていましたが、貴方は私たちの想像以上の速度で真意に気がついた。たしかに私は真意に気がつければ呪いが解けるだろうと言いましたが、さすがに数日で無辜の民を虐殺した罪は償いきれないと知ってください」

「……そうか。それもそうだな」


 きっとここにお嬢様がいれば、同じことを言うだろう。悪いことをしたのなら、それと同じくらい良いことをしないと駄目よ、と。

 言うならば懺悔をしろと、そういうことなのだろう。


「……星を」


 これが俺の運命というやつなのだろうと、俯いて、彼女の顔を思い出して唇を噛む。

 ぷつりと切れた皮膚から血が出て、すぐに止まった。

 そんな俺に女神がそっと口を開いてつぶやく。


「星のかけらを集めなさい。そうすれば……ええ、そうすれば、きっと。貴方はまた、愛する人と巡り会えます」

「……え?」

「星のかけら、それは貴方の愛する人の思い出。この世界の各地に飛散しています。それをこの瓶に集めていくのです。そうすればいつかは……」


 その先は音にせず、女神は瓶を手渡してきた。なんの変哲もない、ガラスでできた透明の瓶だ。


「さすがに一人きりは寂しいでしょう。ですので貴方に私の神獣を預けます。いつかの終わりの日に、必ず返してくださいね」


 そう言った女神の後ろにはいつの間にか大型の犬、いや狼が立っていた。

 白い毛並みは美しく、表情も凛としていて獣のくせに品格がある。


「悲しみも怒りも超えたその先で、ただ光を求めるあなたの旅に祝福があらんことを」

「あっ」


 瞬く間に女の姿が見えなくなる。

 女神は瓶と神獣と呼んだ狼を残してその姿を完全に消してしまった。


「……愛する人に巡り会える」


 女神に渡された瓶を見つめて、ぐっと握りしめると先程の会話を思い出す。

 あの女神の言うことが正しければ、星のかけらとやらを集めていけば、また彼女に会える。

 もうこの世からいなくなってしまった彼女に会えるらしい。


「……」


 会える、といってもそれは言うなればただの陽炎のようなものなのかもしれない。死人に会えるはずがないのだ。だからきっと、幻かなにかなのだろう。

 それでも。

 もし影だとしても、また彼女に会えるのなら。一目だけでも見ることができるのなら、俺は旅に出ようと思う。


「俺は裁かれるべき罪人だってのに、こんなに世話を焼いてくるなんて、案外お節介焼きなんだな、あの女神」

「まあな」

「うわっ、犬がしゃべった!」

「犬ではない」


 瓶を握りしめて、女神が姿を消したであろう空に視線を向けると、前方から声がして飛び退けた。

 狼だと思っていたそれが人の言葉を話したのだ。


「な、なんで喋れるんだ……?」

「我は神獣なり。故に人の言葉を話すことなど容易だ」

「……は」


 どうやら世話焼きの女神様は、相当俺のことを気にかけてくれているらしい。人の言葉を話せる魔獣、いや神獣をこうも易々と俺に貸し出してくれたのだ。


「……俺はあの女神様が言ってた星のかけらとやらを集める旅に出る予定だけど、お前はどうする?」

「我は貴様についていく。ただし勘違いするな、我はただついていくだけであって、貴様の配下に与したのではない」

「あ、ああ、そう、ですか」


 よくはわからないが、女神の気遣いで旅の相棒ができたらしい。呪いを受けた俺を不憫に思ったのか、いや神獣なんて連れていたらむしろ注目を浴びて旅がしずらくなると思うのだが。


「……まぁ、俺はもう一度あの人に会えるのなら、他のことはどうでもいい……いや、それは違うか」


 彼女に会いたい。それは心の底からの願望だ。せっかく女神がチャンスを与えてくれたのだから、これを逃す手はない。

 しかし他人がどうなろうとどうでもいいという考えは許されない。これは神々に罰を与えられたからではない。俺が、彼女の願いを無下にしてしまったから。

 罪を犯した分、彼女なら人に優しくするようにと言いそうだと思ったから。

 たとえ星のかけらを集めた先で会える彼女が物言わぬ影だとしても、それでも胸を張って会えるように。

 俺の罪を軽くすることはできなくても、これ以上は重くしないように。彼女ならそうする、そんな理由で困っている人を救うべきだと思った。

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