喪失2

 燃え盛るのは、多くの民家。

 町中に響き渡るのは、悲鳴。

 男も女も、子供も年寄りもペットすらも、例外なく血を流し、許しを乞う。


「お、お願いします。どうかこの子だけでも見逃して……殺さないでください……」


 赤ん坊を抱いた女性が足元にしがみ付き、必死に懇願する。それを無視して、ナイフを振り下ろした。

 母親を亡くした赤ん坊が、泣き叫ぶ。うあんうあんと大声をあげて、そして黙り込んだ。喉を掻き切られ、息の根を止められたからだ。


 もう、相手が誰であろうと関係ない。

 この赤ん坊が、先の母親が、反乱軍に与していたかなど関係のないことだった。

 この町には彼女を殺した反乱軍がいる。それだけで町の人間すべてを殺すだけの理由になった。


 殺すのは得意だ。組織で学ばされていたから。

 目下の仕事は暗殺が多かったが、だからといって正面切っての殺し合いが出来ないわけではない。組織もそれほどには俺の腕前を買ってくれていた。

 世の中の、闇に隠れた裏社会の組織で教育された力をふんだんに使い、町の中を蹂躙する。

 家畜だろうと、許しはしない。

 すべてを殺し、燃やし尽くして、俺も灰へと化そう。



 悪を討ち取ったと悦に浸る反乱軍の寝首を狩るのは簡単だった。

 お嬢様の屋敷から盗み出していた酒をたらふく呑み、酔いどれる男たちなど捕まえた蛙を握り殺すことよりも容易だ。

 たった一晩で反乱軍のリーダー格の人間たちは死に絶え、その家族も殺した。

 人を殺して、彼らが屋敷に火を放ったように、俺も彼らの家に火を放った。

 それは瞬く間に大きな火柱を上げ、周囲の家に引火する。そうして徐々に火は広がっていく。

 家から家へ、家から森へ。燃えていく。広がっていく。

 悲鳴は徐々に火の音に消えていき、最後にはごうごうと燃え盛る領地の姿だけがそこにあった。


「ここに、悪を……」


 反乱軍が燃える屋敷に宣言したように、俺も同じことを言おうとして、動きを止めた。

 視線の先、燃え盛る町に動く人影はもうない。炎の隙間から見える人は全員血を流して倒れており、もう息はしていないことなど一目瞭然だった。


 あれは、悪か。

 少なくとも大切な人を殺した反乱軍は、俺にとっては悪だった。けれど、ただ子供の未来を憂いた母親の、あの縋り付く瞳は悪だったのかと疑問に思う。


「……いや。否」


 もう、関係のないことだ。

 誰であろうと、この町に住んでいた以上、見過ごす気ははなからなかった。もし仮にあの親子が反乱軍にいっさいの関係がない人間だったとしても、それでもこの町に住んでいる以上死は約束されていた。

 そうなのだ、俺はもはや止まることは出来ず、ただ恨みのままに理不尽にその力を使うことしかできなかった。

 愛する人を、失ってしまったから。

 彼女さえいれば、たとえそこが地獄であろうとも良かった。彼女が生きてくれていたならば、たとえ俺が死んでも良かった。

 なのに彼女は死に、俺はこうして生きている。誰よりも幸せになるべきだった人がいなくて、俺のような悪人が生き続けている。

 憎い、彼女を殺した人間が。

 憎い、それを止められなかった自分が。

 憎い、憎い憎い。


「どうして、俺の手をとってくれなかったんだ」


 そうすれば、たとえ地の果てだろうときみを逃がしてみせたのに。

 ただぽつりと、眼前に広がる炎を見つめながら俺は己の無力さを悔やむことしかできなかった。


「あの炎はあなたのものなのでしょうか」

「っ⁉︎」


 町全体を見渡せる、領地外れの小さな丘の上。

 そこで奥歯を噛み締めていたのは俺一人。

 他に生きている人間なんているはずがない。だって、この町の人間はすべて俺が片付けたのだから。

 それなのに隣からリンと、鈴のような声が聞こえて飛び退けた。

 そこにいたのは色素の薄い青い髪をした女。

 いつの間にか俺のすぐ隣にいて、それでいてまったく気配を感じさせなかった。

 気配の殺し方が上手い。新手の暗殺者かなにかだろうか。


「悪いが、この町にターゲットがいたなら諦めろ。すべて俺が殺した」

「ええ、知っています」


 女はスッとこちらに顔を向けると、儚げな笑顔を浮かべて俺を見つめた。


「胸を燻る、復讐の炎。もう、それ以外はどうでもよくて、なんなら相手が復讐の相手じゃなくてもどうでもいい。ただ、怒りのままにその力を振るう」

「……なにが、言いたい」

「貴方に神の裁きが下ります」

「なんだ、アンタは聖職者さまか」


 聖職者。それは聖女や神官のような、神に仕える熱心な神々の信者たち。

 彼らは総じて神の加護を受け、その髪色を白く染めるという。この女もそのタチなのだろう。悪事を成した俺に、罪を問いにきた。


「死刑でもなんでも好きにすればいい」

「あら、抵抗はなさらないので?」

「俺の中に炎なんて立派なものはない。現に、恨んでいた人間を殺し尽くしてなお、この心は晴れやしない。恨みを晴らしたという愉悦も、殺人の快楽も、なにもない。感じるものなどなにもなかった」

「それは虚しい。貴方は復讐を成したことによって一時的な快楽を感じることも無いのですね」

「ああ、きっと俺は人の欠陥品なんだろう。この心には悲しみと怒り、そして彼女にたいする愛おしさしか感じられない」

「まあまあ」


 目の前の女は大袈裟に、こちらを憐れむような瞳を向けて、瞼を下ろした。


「かわいそう。私なんかよりも、もっと……」


 そう言って、口を噤む。

 聖職者など、俺とは真反対の位置にいるような人間だ。

 この女がなにを考えているかなどわからないし、理解する気にもなれなかった。


「……貴方は愛する人を失い、復讐者へと成り果てました。怒りや憎しみのままに理不尽を振るい、相手を抹殺して、そしてその際に無辜な民まで傷つけ殺した」


 再び上げられた瞼から、赤い瞳がこちらを見つめる。


「貴方は神々から罰を与えられます。私はあくまでその遣いでしかありません」

「好きにすればいい。もとより死ぬ気だったのだから」

「いいえ、貴方に死は認められません。貴方は死ぬことを許されず、永遠にこの世を彷徨い続けるでしょう」

「……は?」


 聖職者に死刑と宣言されても、文句を言う気はなかった。はなからこれが終わったら俺は死ぬ気でいたのだ。だから死刑判決を受けても結果は変わらない。そう思っていたのに。


「死を許されないって、どういうことだよ」

「そのままの意味です。貴方は死ぬことを許されず、生き続けなければなりません。その罪を背負ったまま、何年何十年何百年と」

「……ああ、そういえば生き地獄とかいう言葉があったな」


 きっとこの女はこう言いたいのだろう。

 お前は罪を犯した。それを民前で晒しながら、罪を犯したことを後悔して生きていろ。死ぬよりもつらい暴言を周囲に浴びせられながら生き続けるといい、と。


「ハッ、神様とやらも性格が悪い。彼女の死に際に助けなんて出さなかったのに、罪人を裁くときだけ顔を出すのか」


 本当に神様とやらが存在するのであれば、彼女のような優しい人は死なずにすんだだろうに。

 役立たず、の言葉がお似合いだ。


「それはすみませんでしたね。ですが、ほら、私はただの遣いですので。私の行動には制限が課されているのです。自由に動き回ることは他の神々に禁じられている」

「あっそ」


 どうでもいい。たとえなにを言われようとも、それに従う義理はない。

 そもそも俺は殺人鬼だ。どんな理由があろうとも、それは変わらない。悪人が聖職者の言葉をはいはい聞く方がおかしいのだ。


 女の前で、ナイフを取り出し首に当てる。

 頸動脈を切る、炎の中に投身する。どうでもいい。

 この世に未練を持つほど、俺の感情は発達していなかった。

 ナイフが首の皮膚を切り裂く。血管から止めどなく血が溢れてくる。痛みが脈打ち、意識が遠のく。


 ああ、最初から、こんなことなら最初から。ずっとこうして目を閉じていればよかった。

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