星に恋焦がれた導きの使徒

西條セン

喪失の復讐者

喪失1

 物心がついた頃には盗みや殺しの技を覚えされられていた。

 親に捨てられたエルガーは裏社会の人間に拾われ、組織の一員として育てられた。

 今まで、たくさんの悪事を成した。上に命令されるまま、何度でも。

 そんな薄暗い毎日を送っていたある日、運命に出会った。

 それは薄がりの路地裏を照らす、星のように眩く輝く逞しい人だった。


 俺に下された命令は、とある領地のお嬢様を誘拐し、殺すこと。

 それに伴う、彼女の両親の苦痛な表情。それを依頼主に見せることで、今回の仕事は完了する。

 なんてことのない、今までとたいして変わらない汚れ仕事。もうとっくに慣れたものだ。


 まずは目的のお嬢様の住む、屋敷に使用人として潜り込んだ。

 その領地は屋敷以外の土地が痩せ細った、言うならば領主の圧税に苦しむ町だった。

 生まれた時点で勝ち組のお嬢様は、利己的な両親と同じくとても豊かなでそれはそれは楽しい暮らしを送っているらしい。

 周囲の人が苦しむ中、そんな贅沢な暮らしをしていればヘイトが向くのは当然のことであった。


 今回の仕事の依頼人は随分とおひとが悪いようで、民を困らせる領主本人ではなく、その人たちが大層かわいがっている娘を攫い、そして娘を一度返すふりをして殺せという、領主が一番悲しむであろう方法を提案した。

 下げて、一度希望を見せて、また落とす。

 ただ娘が死ぬよりも、一度娘が帰ってくると思い上がったその瞬間に娘を殺した方が深く傷に残る。彼は性格の悪そうな笑みを浮かべてそう言っていた。


 まあ、方法も殺しの理由もどうでもいい。いつものように片付けるだけ。

 そこに感情などなく、ただ仕事だからやる。仕事をこなさなければ、俺が殺されてしまうからやる。本当にたったどれだけの理由で俺は動く。

 反乱など考えたこともないのか、それとも周囲の人を舐めているのか、ガードの緩い屋敷に潜り込むのは簡単だった。


 使用人として潜り込み、目的のお嬢様に近づく。

 太陽の光を反射して輝くゴールドの髪は長く、腰丈くらい。あまり日焼けのしていない綺麗な肌に付いた晴天を思い出させるような青色の瞳は、汚れなどなく前を見据えていた。


「あら、新入りさんかしら」

「はい。初めまして、お嬢様。エルガーと申します。精一杯努めさせていただきますので、どうぞよろしくお願い致します」


 俺を視界にとらえて、にこりと微笑む綺麗な人。

 標的に頭を下げて、俺は彼女の近くで機会を窺うことにした。

 噂によれば、彼女は両親と同じく利己的な人間。この優しそうな風貌からはわからない、わがままで溢れたお嬢様なのだろう。

 そう思って、彼女の使用人として日々を過ごす。すぐ隣で、時には少し離れて彼女を観察して、そして首を傾げる。


「ほら、この脚立を使って?」

「これくらい私がやっておくわ」

「大丈夫よ、お父様もお母様も買った時点で満足しているから、一つくらいコレクションが割れて無くなってしまっても気がつかないはず。だから気にしないで? それよりほら、手に破片が入っていたら大変だわ。すぐに治療しましょう」


 俺の視界に映るお嬢様は、噂に聞くような性格ではなかった。

 誰よりも人を気遣い、ミスをした使用人にすら優しく接する。

 窓に埃が残っていた、それだけで使用人を叱りつけて簡単にクビにする両親とは大違い、あの二人と本当に血が繋がっているのかと疑問に思うくらいのお人好し。

 本当に、彼女を殺すべきなのだろうか。ふとそんな考えが頭をよぎる。

 この時点で、俺は負けていたのだと思う。心優しい彼女に。俺は――標的であるお嬢様を心から愛してしまった。



 どんな使用人にも優しく、俺に微笑みを向ける愛しい人。それは俺の標的の人で、いつかは殺さなくてはいけない。

 なのに心の中で囁く、本当にそれでいいのかと。

 本音を言えば、この子を殺したくない。誰よりも心優しい、誰かに寄り添って考えることができる素敵な人を。

 でも彼女は鈍感で、俺の想いはもちろん、俺がお嬢様を殺しにきた暗殺者だということにすら気がついていない。呑気な人。すぐにでも計画を実行に移すことができそうだ。

 それなのに出来ないのは、俺の心に迷いが生まれたから。

 殺したくないと、そう思ってしまったから。


「ありがとう、エルガー。私、この茶葉が好きなのよ」

「存じ上げています」


 目の前のテーブルに紅茶を並べると、頬を綻ばすお嬢様。汚れを知らぬ、純白の精神。俺がとうの昔に無くしたものを持っている、前を見据える彼女。


「お嬢様」

「ん?」


 声をかければ優しく微笑む彼女に近づき、抱き寄せた。


「ま!」


 突然のことに驚きの声を上げるお嬢様をぎゅっと抱きしめる。

 抵抗は、なかった。


「……お嬢様、逃げましょう。どうかお願いだから、ここではないどこかへ。俺と一緒に、逃げてください」

「逃げる? どうして?」

「……好きです。俺はお嬢様を、お慕いしております」

「あら、それは嬉しいわ。でもそれなら……どうしてあなたはそんな顔をしているのかしら」


 スッと、彼女の手が頬に触れる。青い瞳に反射する俺の顔は、今にも泣きそうな表情だった。

 きっと初めての恋に、恋した相手が標的なことに、困惑しているのだろう。


「お嬢様は今、命を狙われているんです。だから、きっとこれからも、俺がやらないなら別の誰かが、あなたの命を狙うでしょう」

「そう」


 たった一言だった。

 少しだけ悲しそうな顔をして、それでも泣き叫ぶことも騒ぎ立てることもなく、たった一言呟いて頷いた。


「逃げましょう。どこでもいい、どこか遠くへ。誰にもあなたを殺させないから。俺が絶対守るから、だから」


 逃げよう、という言葉を紡ごうとした唇が止まる。そこには彼女の唇が触れていた。


「ありがとう、私もエルガーのこと、好きよ。もちろんそういう意味でね」


 そう言ってにこりと笑うお嬢様は、逃げようという俺の提案に頷いてくれなかった。

 否定もせず、肯定もせず、ただはぐらかされた。


 それから一週間も経たない頃。

 屋敷の外は騒がしく、騒々しい雰囲気を醸し出していた。


「悪に打ち勝て!」

「悪者には死の制裁を!」

「俺たちの長年の苦しみを!」

「同じように味わえ!」


 市民による、反乱。みんな口をそろえて殺せ殺せと呟いている。

 意外ではなかった。こんな不満の溜まる環境下にいる人々が、勇気を出して立ち上がるのは時間の問題だった。

 一人の青年をリーダーとし、反乱軍は屋敷の中に押し入ってきた。

 屋敷の至る所で悲鳴が聞こえる。彼らがこの部屋にたどり着くのに、そう時間はかからないだろう。


「お嬢様、逃げましょう。俺なら窓からあなたを逃すことができます。さぁ、早く!」


 窓を開け、窓縁に足をかける。そして背後にいる彼女に手を差し出して、その手は虚空に触れた。


「……お嬢様?」


 彼女は、その場から一歩たりとも動かない。


「ありがとう」


 その代わりに、ただ笑顔を浮かべるだけ。


「……な、早くしないと、やつらは時期にここに来る! あいつらはあなたの両親だけでなく、あなたのことも殺すでしょう! そして声高らかに、悪を退治したと叫ぶはず。だから、一刻も早くここから逃げて」

「逃げないわ。だって私はこの屋敷に生まれた娘だもの」


 汚れなき瞳が、まっすぐにこちらを向く。


「お父様もお母様も、きっと彼らにとっては悪者以外の何者でもないのでしょう。恨みを買っていることくらい私だって知っています。それでも私は、ここから逃げないわ。だって、私はそんな彼らの娘なのだから」

「ち、違う! お嬢様はあいつらとは違う! だから、お嬢様が死ぬ必要なんてどこにもない!」

「いいえ、私はここから離れるわけにはいかないのです。ねぇ、わかるでしょう? 私の隣にいてくれた、私の騎士ナイト

「っ!」


 きっと、今の俺は酷い顔をしているだろう。目元には涙を浮かべて、口元は悔しさで歪み、声は震えている。

 もし俺の代わりの暗殺者がやってくるようなら、俺がそれを始末すればいいと思っていた。

 彼女に害を為す者は、俺が片付ければいいと、俺が彼女を守ればいいと。そう、思っていた。

 けど出来なかった。あまりにも多いこの軍勢を始末するにはさすがに時間が足りない。

 この部屋にやってくる者たちを一人ずつ片付けていったところで、結局は数で押し切られる。だから逃げようと提案した。けれど、彼女はその手を取ろうとしなかった。

 ああ、わかっていた。彼女は、そんな人なのだ。

 恨みも怒りも苦しみも、すべてを抱き抱えてここにいる。


「いやだ」


 子供のようなわがままが口から漏れる。


「いやだいやだいやだ」


 彼女に死んでほしくない。まだまだこれから先も、彼女と共にいたい。現実を、受け止められない。


「エルガー」


 俯く俺に、一歩足音が近づく。


「愛しているわ」


 頬に伝う涙の上から、顔に手が触れられる。

 それは最後の接吻。この結末を自身の運命と受け入れた、心優しく逞しい女性の、最後の言葉。



 屋敷に隣接する森の中から見えたのは、大きな音を立てて燃え上がる屋敷の姿。

 その屋敷を見上げて、人々は声高々にこう叫ぶ。

「ここに悪を討ち取ったり!」

 と。

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