『聖女』と『勇者』

 これはもう『聖女』を演り続けるのは無理だな。と腹を決めたのは王宮を旅立ったその日の夜のこと。純真無垢で聖女に惚れた好青年の役割を徹底的に貫き通し、矢鱈と好意のアピールを繰り出してくる勇者に我慢の限界を悟った。想像してみて欲しい、己を殺した男に肩を抱かれ腰を抱かれ耳元に口を寄せられ、挙げ句甘い言葉を囁かれ続ける旅路を。それがこれから幾日幾月と続くなど、想像だに恐ろしい。

「ねえ、聖女様。今日の宿は本当にこんな安宿の一室で良かったのですか」

「勇者様はご不満ですか?」

「いいえ! 聖女様の決定に不満などあるわけがない」

 私達が居る場所は、首都の外れにある寂れた安宿。勇者と聖女の旅立ちを豪勢に飾り立てようとする王様と、派手な騒ぎは魔族の耳にも入りかねない、とそれを拒む聖女こと私で問答を続け、ついに王様が折れて私達が王宮の裏門から市井に繰り出したのは日も高く昇った昼過ぎのことであった。軍資金だけは王様の申し出を僅かたりとも断らず、一般庶民の年収に匹敵するほどの金貨銀貨に換金可能な宝飾物その他を持てるだけ頂いてきていたので、比較的物価の高い首都の市場で旅に必要なものを一通り買いそろえたとて懐は一切痛んではいない。だがしかしこんな場末の寂れた宿を選んだのには、理由があった。

「私達は贅沢をするために旅に出たわけではありません」

「でも……一部屋だなんて」

 ちら、とこちらを見る勇者の甘い視線に、私の全身が強ばる。

「聖女様程の美しいお方と同じ部屋で一夜を過ごせなんて、随分と酷なことをおっしゃる。それとも……」

「勇者様は神に祝福を受けた正しきお方。人の道に悖る浅ましい行為をなさるなんて、考えも致しませんでした」

 ぴしゃりと勇者の発言を遮り、深呼吸をする。これが本気で口説いているのか、百歩譲って火遊び目的であるのならまだ良い。しかしこの男の「これ」はそのどちらにも当て嵌まらない。どうせ王様に、旅の過程で聖女を誑し込めと命じられでもしたのだろう。

 いらいらとしながら自分の寝床を整え、薄い掛け布団に包まる。が、身体の横でゆっくりと布団が沈み込み、影が横たわった私の頭上に被さってくる気配がした。

「何か、御用でしょうか」

「聖女様、せめて隣で眠らせてはいただけませんか。一人で寝るのは寂しいです……」

この身体の魔力と自身の魔法を調整するような猶予もなかったため、簡易的な防衛魔法すら張れないことが腹立たしい。いっそ魔法の誤作動による共倒れ覚悟でこいつを吹き飛ばしてやろうか、という衝動に駆られながらも、はあ、と溜息をつき、ベッドに仰向けになって真正面から勇者の顔を見据えた。この宿を選んだ理由、それは万が一『騒ぎ』が起こっても比較的簡単に対処可能である、ということ。 

「一つ、提案なのだが」

 聖女の仮面をかなぐり捨てた私の口調と声に、勇者はその顔に浮かべていた甘い笑みを消し、怪訝そうに眉根を寄せる。

「下手な芝居を打つのはこれぐらいにして、お互いもう少し楽にしないか。お前も共に旅する相手の前で、寝ても覚めても優等生な聖女に惚れてる勇者様を演じるのは大変だろう」

 言って、勇者の反応を窺う。とはいえ勇者がこの提案に乗らない、という心配はしていなかった。この男は、目の前で『聖女』がこんな口を聞いているのを目にして、黙って勇者の仮面を被り続けるようなタマではない。あとは「素顔」の名目でこの男がどんな顔を見せてくるか、それが問題であるのだが。さあどう出るか。

勇者は暫し表情を消して私を見下ろした後、ふっと形の良い唇を歪めて笑い、片眉を跳ね上げた。

「下手な芝居してたのはテメェだけだろ。こちとらガキの頃から風呂もトイレも、なんなら屁をこくタイミングまで教育係に見張られながら『勇者』やってんだぜ。小娘一人の前で完全な勇者様演じてみせることくらい訳はねぇんだわ」

 おやまあ、いきなり随分と開けっぴろげに曝け出したものだ。

 内心呟き、私も勇者に習い片眉を上げて挑発的に笑ってみせる。

「その『小娘』とやらにお得意の演技を見破られているのだから世話ないな。まあ靡かぬ女に必死な勇者様の絵面は、中々面白い見世物であったよ」

「ハ、あんなん途中から全部テメェに対する嫌がらせに決まってんだろ。俺が迫る度に本気で嫌がりながらも聖女演ろうと必死になってるお前の姿も飛んだお笑いぐさだったぜ。聖女から道化にでも転身したらどうだ?」

「負け惜しみもここまでくると清々しいな。次は最初からお前の本性は見抜いていた、とでも言うつもりか?」

「まさにその通り、大正解。道化師よりも占い師の方が向いてそうだな。ただ一つ違うのは、負け惜しみではなく俺は本気で最初からテメェを怪しんでいた、ってとこだな」

 スッと勇者が私の身体から身を引いて向かいのベッドに腰かける。そのやさぐれた姿勢と人を小馬鹿にした表情からは、今までの完璧な勇者の面影は微塵も感じ取れない。

「見栄など張らずとも良いのだぞ。別に恥じることなどないのだあら」

「これはマジだぜ、聖女様。ま、演技素人丸出しのテメェにゃ分からねぇだろうが」

 私もベッドから身を起こして、勇者に視線を送る。

「一応聞いてやる。何故」

「俺に惚れなかった」

「阿呆らしい。そんなに顔に自信があるのならそこらのスライムでも口説いてこい」

「俺の演技技術舐めんなよ」

「スライムハーレムでも作って私の前に連れてきたら、その時はまた話を聞いてやる」

 言って布団に包まろうとした瞬間、予備動作なくスッと立ち上がった勇者が私の手首を掴んで引き寄せた。

「……ッ!」

 一気に全身が粟立つ。死の痛みと恐怖が蘇り、空いた反対の掌に咄嗟に魔力を集めようとした瞬間、今度は突き放すようにベッドに放り投げられた。

「お前、今俺を殺そうとしたろ」

 勇者の視線はつい今さっきまで魔力が集まりかけていた私の掌に向けられている。

「客観的なお前の姿はな、意味も分からず右も左も分からねぇ異世界に連れてこられた可哀想な小娘だ。そこに現れたびっくりするほどツラも性格も態度も良くて何故かお前に好意的にすり寄ってくる男。しかもだ、そいつは訳も分からずおっかぶせられた聖女とかいう重たいお役目を共に背負ってくれる役割だ」

「……」

「俺のツラと技術があれば本来そんな可哀想な女の心の隙間に入り込んで誑し込むなんざ赤子の手を捻るより簡単なんだ、本来な。それで落ちねぇなら相手がおかしい。落ちねぇどころか警戒を飛び越えて殺気飛ばしてくるのはおかしい越して最早異常」

「……大した自信だ」

 前の聖女は恐らくこの男の思惑通り勇者に絡め取られていったのだろう。空恐ろしいものを感じつつ、呆れた風情で返してやれば、勇者はふんと鼻を鳴らし、

「演技に何より必要なのは自信だよ。自分は今完璧に求められている役割を演じているっていうな」

「中々為になるアドバイスをどうもありがとう。次、からは私も自信を持つことを心がけてみるとしよう」

「嫌みったらしいヤツだな。それよか、聖女様?」

 勇者は腰からすらりと剣を抜き放ち、私に突きつける。よく見れば先程まで私の寝床に潜り込もうとしていた癖に、勇者は防具や武器を一片たりとも身から外してはいなかった。ハナから私を疑っていた、というのはあながちただのはったりではないようだ。突きつけられた剣に反射的に身体が逃げようとするのを、私は全身全霊で押し止める。この男に弱みや弱点を悟られるのはあまり望ましいことではない。

「聖女じゃないなら、アンタ何者だ? 異世界から呼ばれたという割には、今までの行動を見るにこの世界について無知という訳ではないだろう。事と次第によっちゃあ俺はこの場でお前を切り捨てなきゃいけなくなるが」

「世界の平和の為に、か?」

「まあ俺も一応勇者サマやらせてもらってるんでね。世界の敵は俺の敵――」

「ハ、まさかお前はそんな殊勝な男ではないだろう」

 私の言葉に勇者は不愉快そうに顔を顰める。

「それだよ、それ。俺のことなら何でも知ってると言いたげな、その態度。しかもそれが実際のとこそこまで外れちゃいねぇってのもまた気に障る。答えろ、お前の正体はなんだ。どこから来て、何をするつもりで『聖女』の振りをしている」

「悪いがお前の問い全てに馬鹿正直に答えるつもりはない。何を話し何を秘するかは私が決めることだ。故に私の正体と来し方については口を噤ませて貰おう。どうせ話そうとしたところで、そうそう理解出来る事柄でもないしな。最後の質問、何をするつもりかについてだが」

 私は一旦口を閉じて勇者の反応を窺う。勇者は無言で眉を上げ、早く話せとでも言うように剣先をくいと跳ね上げた。

「――私の目的はこの世界の『神』だ」

「神、と?」

 スッと勇者は目を細める。

「お前は神についてどう聞いている」

「……この世に光を齎し、闇を退ける力を定期的に人に授ける光の守護者と」

「魔族の側では神は魔族を愛し魔王を眷属としたとまで語られている。おかしいと思わないか?」

「……確かにおかしいが、ちょっと待て」

 話を遮り、勇者は剣を収めて呆れたような表情で私を見つめた。

「その話しぶり、お前の正体は魔族なんだな? んだよ、正体は話す気が無いと言うくせに隠す気もねぇんじゃねえか。それともなんだ、俺は目の前の女が三秒前の発言すらも忘れるバカと認識しながら話を聞くべきと、そういうことか?」

「随分と性急だな。魔族の神話は巷説として人の間にも広く広まっているだろう。無論、一笑に付すべき世迷い言であり、愚かで思い上がりの激しい魔族の唱える、神への冒涜的な言説として、ではあるが。魔王が神の眷属を名乗っていることはこの国の王ですら知っているぞ。カマかけにしては少々詰めが甘いな」

「だが少なくともお前が多少なりと魔族側に肩入れをしている、って事は分かったな。上手く躱したつもりで、おまえも中々どうして詰めが甘い」

 挑発的に言い返す勇者に、まったく食えない男だ。内心呟き、私は思考を巡らす。底の知れない危険な男だという事は重々気を付けていたつもりだが、実際こうして言葉を交わすのは始めてのことだ。私は少しばかりこの男を侮っていたようだ。この男はその軽薄な振る舞いに似合わず頭の回転が速く洞察力に優れている。迂闊なことを言えば、その裏にある隠し事をいとも容易く暴いていくだろう。

「しかしそう分かった上で剣を引くとはな。例え敵対されても負けることは無いという思い上がりの表れか?」

「いや、まあそれもあるが、そうじゃない」

 勇者は笑い、言葉を続ける。

「神の存在については――まあ俺自身が神託を受けちまったんだから信じるほかねえわな。だがだとしたら余計に、その神話の食い違いについては違和感が強まる。まるで――」

「意図して人と魔族を対立させているかのような」

 私の言葉に勇者は頷き、

「ま、一番あり得るのは神が二人居るって線だが。だとしたらそれはそれでむかっ腹の立つだァな。要するに俺達は神の代理戦争か、はたまたお遊びに付き合わされてるって可能性が出てくるんだから」

「勿論どちらかの神話が嘘を語っているという可能性を捨てきれる訳ではない。だが、そうではなかったら?」

「で、目的は神と、そういうことか」

 ああ、と短く答えて私は勇者の目を真っ直ぐ見据える。

「私の目的は神にお会いすること。そして事と次第によっては、神を殺す。そこで、お前だ」

「神の祝福を受けた、人間の中で一番神に近い存在。それが勇者である俺」

「なあ、随分と面白いと思わないか。今まで誰も疑わず信じ続けてきた神に疑念をぶつけ場合によっては神の首を取りに行くんだ。こういったことは大好きだろう。お前は」

 勇者は一瞬不愉快そうに顔を歪め、しかしすぐに口角を吊り上げ笑みを浮かべる。

「知ったような口をきかれんのは気に食わねぇが、そうだな。確かに面白そうだ。だが勝算はあんのか?」

「私自身の存在だ」

「大概テメェも自己評価高ぇなぁおい」

「話は最後まで聞け。この世界の理を外れた異世界より至りし聖女。それこそが神の創った理を外れ、神を殺す力となる。逆に言えば、私でなければ神は殺せぬと、そういうことだ」

「……なるほど。信じる信じねぇは兎も角、説得力はある話だな」

 勇者は言い、

「まあいい。このまま王の言いなりに魔王とやらを殺しに行くよりは断然面白そうだ。一先ずお前の話に乗ってやる。……それに、神殺しの旅に付き合えばお前の正体も分かるかもしれねぇしな」

 それじゃ、と勇者は言葉を続け、

「目的地はとりあえず霊峰キリズィアでいいのか? 人間の神話じゃあそこに神が御座し世界を見守ってるって話だが」

「そうだな。とりあえず、そこを目指すことにしよう」

「……とりあえず、ね」

「話は終わりだ。明日は首都を出て外れのスバウの森に入るぞ」

「あそこ魔物の巣窟じゃねえか。真っ直ぐキリズィア目指せばいいじゃねえかよ」

 ぼやく勇者に、

「一つ言い忘れていた。今の私は魔法をまともに使えぬ足手まといだ。無論それを守りながら戦える実力があるというのなら頼もしい限りだが」

 と言えば勇者は目を丸くし、

「仮にも聖女を名乗っていながら?」

「この身体になってから魔法を使っていない。故に、手慣らしと調整が必要だ」

 はあ、と間抜けな声を出す勇者を見て、私は始めてこの男が心底驚いた顔を見たかもな、と妙におかしな気分になる。

「なあ、一つ聞いていいか」

「何だ」

「魔法使えねぇってことは、今俺がお前を縛り上げて拷問しながら全部の事情聞き出そうとしても、お前は手も足も出ねぇってことか?」

 物騒なことを言いつつ、すぐには動けぬ姿勢のまま武器に手をかけていないことから、その言動は本気ではないことが窺える。それはそれとして不愉快な発言であることには変わりがない。私は顔を顰め、

「魔力の暴発に巻き込まれ二人揃って肉片になってもいいというのなら、好きにしろ」

「それは御免被るな」

 ケラケラと笑いながら、勇者は手早く防具を脱ぎ始める。その背中が完全に寝床に入るのを見届けて、私は自分の寝床に横たわって目を閉じた。

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