魔法界の学生闘争

夏目海

第1話

 令治は岐阜の高山出身だった。そこはいわゆる田舎と呼ばれる場所。10人くらいの魔法使いがお互い支え合いながら生活をしていた。


 令治の両親はドラゴン養育士。奈良から鬼退治の司令がくだった時は忙しくしていたものの、普段は飼ってるドラゴンに餌でも与えながら、のんびりと夜飛びなどするような長閑な暮らしぶりだった。そのためもあってか、両親共に質素倹約に努める、欲のない穏やかな性格をしていた。令治は、そんな両親や地元の人に見守れながら、すくすくと素直な性格に育っていった。


 令治が、東京にある最高学府、日本魔法魔術学校に合格した時、村中の人々全員に祝福され、宴会が催された。


「えー、我が街から、日本魔法魔術学校合格者が輩出されたということは、大変、誉高く、日頃から私が申している教育の充実が……」と村長は校長に引けを取らない長い演説をした。


 その後、酒が振る舞われ、宴会となった。皆、東京もんに負けんなよ、いいか美味いもん食えばみんなダチだ、だなんて冗談を言いながら、ガハハと笑った。


「将来は博士か、大臣だろ!」と斜向かいに住む遠い親戚のおじさんが言った。


「いやいや僕は卒業したらここに戻ってきて、ドラゴンの養育を手伝うよ」


「何言ってんだ!せっかく東京まで行って学を修めに行ってんだから、そんなもったいないことすんな!」


 宴会が終わり、静かになった頃、母親が令治に近づいてこう言った。


「お前は私の誉だよ。ほんと鼻が高いよ。でもいいかい。一つお前に言わなきゃいけないことがある。これは、父さんしか知らないことだよ。私は、生まれながら魔法が使えないんだ。魔法が使えないものがどれだけ迫害されるか、お前もよく知っているだろう。私は疎まれ、蔑まれて育った。熱田の魔法動物研究所に勤めていた父さんと駆け落ちして、今ここにいるのさ。さもなくば私は……。いいかい。恋愛してもいい、別れてもいい。誰と結婚したっていい。でも、女性の心を踏み躙るようなことだけはしてはいけないよ」


 東京へと出発する日。皆、国旗を振りながら、令治がドラゴンに乗って出発するのを見送った。両親が見繕った、それはそれは立派なドラゴンだ。令治が乗ると、ドラゴンは姿をくらます。人間にも、もちろん魔法使いにも飛んでいるところは見られない。それがドラゴンの特色だった。


 東京に到着して驚いた。誰もドラゴンなんか使っちゃいない。皆、徒歩か、箒か、車だ。学校にドラゴンを置いておく場所もなく、泣く泣く令治はドラゴンを地元へと返した。手紙には、こいつがホームシックになった、と嘘を書いたが、本当は都会でドラゴンなど誰ももう利用していないという事実に、母親は気づいているような気がする。


 令治は入学式から積極的に声をかけて行った。明るく穏やかで、笑いをとることに長けた令治はたくさんの友人ができた。仲間意識の強い朱雀寮所属であることも相まって、令治の周りには常に大勢の人がいた。


 ある日、令治は寮の談話室の一角に、静かに座って本を読む同級生に声をかけた。その子は珍しく、魔法を使わずに手で本をめくって読んだ。魔法に頼らない様子に、少しだけ親近感を覚えた。


「竹内義人君だよね。俺、高橋令治!仲良くしようぜ!」


 突然話しかけられた義人は目を丸くしていた。空気が変に感じた令治は、あたりをきょろきょろと見渡した。他の寮生が凍りついている。


「ありがとう。でも僕と仲良くしていると、友人を失うよ」と義人。


「なんで?」と令治はまたも空気を読まず、空元気に答えた。


 義人は無言のまま本を読み続けた。令治は、友人たちのところへと戻っていった。


「あいつは竹内家のご子息だぞ。下手に刺激にするな」とある友人は言った。竹内家は日本魔法界を牛耳るお家だった。「噂では、入試の時点で既に3人消されたらしいぞ。お前もあいつを怒らせたらまずいことになる」


「でも、それって噂だろ?」と令治は取り合わなかった。


 令治は義人を見かけるたびに話しかけるようになった。初めは義人は一言二言返すくらいだったが、徐々に会話が続くようになっていった。義人は博識で、家業ゆえか魔法よりも政治に興味を持った人だった。図書館によく行き、政治学に関する本を読んでいた。その頃、魔法生物のいない都会に住むうちに、生物にすっかり興味を無くした令治は、呪文分析学に興味を持ち始めていた。2人はお互いの知識を披露し合っていた。


「義人はすごいな。人間界の歴史、魔法使いと人間の交流の歴史、全部頭に入ってる。俺なんて、受験用に覚えた魔法史でさえ、ほぼ忘れたぞ」


「うーんそうだな。例えば第二次世界大戦で魔法使いは協力したのに、人間界から賠償金さえもらえないなんて、悔しいじゃないか。でも、まだ、人間らに認めさせるために何をするべきか僕にはわからないんだ。それがわかるまで、政治論を学ぼうと思っている。だから、こんな研究がしたいってはっきり言える令治はすごいなって思っているよ」と義人は言った。


 義人はよく授業を休んだ。噂によると、どうやら竹内家のための特別講義を受けているとのことだ。いわゆる帝王学である。一度、令治は義人にその噂が本当か聞いてみたことがある。しかし、義人は笑うばかりで答えてくれなかった。


 放課後、令治は、学校の外に繰り出すと、公園で仲間うちでバスケをするようになった。ある日、仲間の1人がパスをミスしてボールが遠くへ飛んでいった。


「おい〜」といいながら令治は走ってボールを追いかけて行った。ボールが転がった先では、女性2人がバスケをしている。


 女性のポニーテールがふわりと揺れる。女性は令治に気がつき、転がってきたボールを拾った。


「はい」女性は笑顔で令治にパスをする。


「ありがとございます……」令治の視界には突然女性しか入らなくなった。きゅっと高鳴る鼓動が、胸をぐっと締め付けてくる。おい早くしろよ令治、という声で、やっと我に返った。この魔女は、今どんな魔法を僕にかけたんだろう。


 それから令治は毎日のように公園でバスケをするようになった。女性2人組も毎日公園にやってきてはバスケをしていた。


 ある日、令治はポニーテールの女性が1人きりになったタイミングを狙って声をかけた。


「よくいますね」と令治。


「あなたたちも」と女性は笑った。


「あ、いや、僕は、学校がすぐ近くで」令治は頭をかいた。女性はふふふと笑った。


「もしかして、日本魔法魔術学校なんですか?」と女性は言った。


「え、ああ、まぁ、一応」


「すごい!」と女性は高い声で言うと、満面の笑みを浮かべた。


「あなたは?」と令治。


「私はこの近くの女子校です。本当は、呪文分析学を学びたかったのだけど、親が許さなくて」


「なら僕が教えますよ!」令治は食い気味に言った。手にはじっとりと汗をかいていた。


「ぜひ!」と女性ははにかんだ。


「あの、お名前は?」と令治。「あ、僕から名乗りますね。すみません、僕は、高橋令治です」


「高橋?不学で申し訳ない。知らぬ苗字です」


「いえ、僕は、岐阜の田舎出身なもので」


「そうなんですね。私は、高月恒子です。といっても、出身は高知です。15の年に、親戚の家に引き取られてきました」


「高知ですか!高知といえば鰹が美味しいですよね!」と令治は焦っていった。


「ふふふ、面白い方ですね」


「あの、僕、この辺来たばかりで、美味しいお店教えて欲しいです。このあととかは……」と令治。


「ごめんなさい。お稽古が入っています」


「お稽古!?」


「茶道、華道、舞踊、剣道、武術、馬術、語学、マナー、それに、いえなんでもありません……」


「すごっ」と令治は言った。


 令治と恒子は、勉強会を始めた。なぜか、やり取り方法に、恒子は手紙を指定つき。相手の顔を思い浮かべながら宛名を書き、魔法をかけると向こうに届く。魔法をかけて設定を変えれば、特定の宛名では届かないようにするなどと言った細かな設定をつけることもできる。


 恒子は差出人名を書くなとの指定をつけてきた。恒子が呪文分析学に関する質問し、令治が答える。恒子は優秀な女性で、質問はいつも的確だった。お家事情なら口を挟まないが、一緒に研究をやれたらよかったのに、と令治は残念にすら思った。ある日、ついに恒子は実家の自室へと呼んでくれた。


 令治ら瞬間移動で直接、彼女の部屋へと来た。

「今日は家のものがいないの」と恒子が言った。「たまには手紙ではなくて直接教えてほしくて」


 窓が空いている。おそらく窓を開けることで、彼女の部屋へ瞬間移動ができるようになるのだろう。


 彼女は一旦外に出ると、紅茶とクッキーを持って再びやってきた。令治はありがとう、と言ってクッキーを頬張った。


 令治は恒子に呪文分析学を教えた。複雑な構造式をノートに書きなぐる。手紙では教えきれなかった部分だ。令治は、ギルド・ストラッドフォード著作のわかりやすい呪文分析、という本を持ってきていた。本のページをめくる瞬間、2人の手が当たった。


「ごめん!」と言って令治は急いで手を引っ込めた。いいえ、と言って、恒子は令治を見た。


「令治さん、ついている」恒子は、令治の口についたクッキーのカスをそっととった。恒子の顔が令治に近づく。2人は見つめ合った。


 令治は、恒子にゆっくりと唇を近づけた。


「いいなづけがいるんです」唇が触れる寸前、恒子はそう言った。


「そうですよね……って、いいなづけ!?」


「はい。私は高月家の人間なのです。彼のお母様もとてもお優しい方。だから裏切らない。ごめんなさい」


 それなら仕方ない、と令治は言った。なんてことだ。東京怖い、と令治は思った。その日以降、令治は恒子と会わなくなり、手紙のやり取りも無くなった。


 一部始終を義人に話した。「ってわけでさ、結局ヤレなかったんだよ」


「まぁ仕方ないだろ。僕にも許嫁がいるから向こうの気持ちもよくわかるよ」


「そんな許嫁とか普通いるもんなの?東京ってすごいんだな」


「やめてよ。主語が大きいって」と義人は笑った。


「ちなみにその子の苗字は?」


「なんでみんな苗字聞くんだよ」


「苗字がわかればどの家かわかるし」


「えー、なんだったかな」と令治は考えた。恒子と合わなくなってから時間が経っており、すっかり忘れてしまっていた。


「時に苗字を忘れる方が失礼なこともあるよ」と義人は言った。


「というわけでさ、慰めてよ」と令治は義人な冗談ぽく言った。


「いいけど、どうやって?」


「そうじゃないって。義人って本当、遊び慣れてないんだな。わかった!俺が田舎人の遊び方、一から教えてやるよ」


 令治は義人を街へと連れ出した。義人はきょろきょろとまるで遊園地に来た子供のように目を輝かせて辺りを見渡した。


「お前、地元ここなんだからよく見る景色だろ?」と令治は呆れていった。


「移動は車だから、降りたことなかったんだ」


 魔法界で車は1億を超える代物。人間界でいうところの、プライベートジェットのような感覚だ。令治は爆笑した。生活のスケールが違いすぎて、もはや何を言われても驚かなくなった。


「よぉっし、義人。これからの時代、許嫁がいようといなかろうと、クレープひとつスマートに奢れない男はダメだ」


「わかった。何味がいい?」


「待て待て待て、そうじゃない。それに奢って欲しいわけじゃない」


 令治は義人に向けてグーをだした。


「ほら、義人、ジャンケンだよ」


 2人はジャンケンをした。義人が勝った。


「くっそー、負けるなんて、俺失恋したばかりだし、お前に奢ってやりたかったのに……」


「え、ごめん」


「だから違うって!」と令治は笑った。義人は戸惑った顔でクスッと上品に笑った。


「よくわからないけれど、ありがとう。街を案内してくれたお礼に、今日は僕に奢らせて」そういうと義人はお店の前ですみませーん、と大声を出した。


 店員はムスッとした顔で出てきた。「お客さん、クレープは自分で作れってここに書いてありますよね?今回はサービスですよ」


 そういうと店員は気だるそうにクレープを使った。しかし義人は、宙に浮いたクレープを受け取ろうとしない。店員は怒って、浮いたクレープを手で直接掴みとると、押しつけるようにして渡した。


 クレープを学校に持って帰って2人で廊下を歩きながら食べた。


「いやぁ、お前が見た街はほんの一部だぞ。東京ってマジですげえんだから。今度さ、裏通りの風俗いこうぜ」


「ちょっと!義人に変なこと教えないでよ!それに食べ歩きなんてみっともない!」令治に話しかけた女性は青龍寮の制服を着ていた。いつも公園で、恒子とバスケをしていた女性だ。


「迷惑がってた」と浅木は令治に言った。


「え?」と令治。


「あんた、あのこんち行ったでしょ?変な噂立てられたら困るのよ。これ以上、彼女を傷つけないで」


「ん、奏?なんのこと?」と義人。


「え、知り合い?」と令治。


「ああ、幼馴染の浅木奏」と義人。「ちょうど奏に用があった。今、学校内に組織を作ろうと思っているんだ。今度話し合いできないか」


「もちろんよ」浅木は義人に向けてにこりと笑うと去って行った。


「わかりやすいやつ……絶対義人のこと好きだろ。お前の許嫁だろ?」と令治。


「いや違うよ。ただの幼馴染だよ」


「お前も罪なやつだな」と令治は言った。「んで、組織ってなんだ?」


「ああ。学校内に、同じ心情を持つ人たちを集めた組織を作りたいんだ。政党みたいなものだよ」


「何をするんだ?」


「魔法の練習とかかな。組織の部屋に図書館を完備して、学びの場を作りたいんだ」


「そうか……」


 それから義人は組織作りに熱心になるようになり、令治との勉強会の頻度も少なくなっていった。同時に、義人の授業への欠席も目立つようになった。浅木は義人の右腕として、周りに恐れられるようになった。


 ある日、完成した組織の部屋に令治が伺った。


「令治。困るの。義人は今忙しくて……」


「久しぶりだな、令治」と義人が出てきた。


「義人に話したいことがあるんだ。今時間あるか?」


「おう」


 令治は、義人を人通りのない廊下へと連れていった。令治は周りに話が聞こえないように魔法をかけた。


「それで何?組織に入りたいなら、君のために研究所も作るよ…-」


「お前、魔法使えないだろ」と令治は淡々と言った。


 義人の顔は焦る様子も怒る様子もなかった。ただ無言でじっと令治の顔を見ていた。


「もしお前が、病気ではなくて、先天的に魔法が使えないのだとしたら、義人、今すぐ学校を辞めろ」


 義人は杖を向けた。


「魔法を扱えないお前が、どうやって俺に勝つんだよ」と令治は言った。


「お前のこと信じてたのに!」と義人は顔面蒼白のまま、顔を顰めて叫んだ。そんなに恐ろしい顔をする義人を令治は初めて見た。「令治は唯一無二の親友だと思っていたのに!ああ、薄々気づいていた。僕にとってはたった1人の親友。でも君にとっては大勢ある中の1人!僕のこと、魔法を使えず友人も少ないってバカにしていたんだろう」


「バカにしてないよ」令治は困った顔をした。


「表情を見ればわかる!」


「表情?表情で判断するのか?これだけ長いこと付き合ってきて!俺は、友人だからこそ、敢えて言ってるんだよ!魔法が使えないこと、バレる前に学校を辞めないと、いくら竹内家とはいえ取り返しのつかないことになるぞ」


「そうはならない。女だったら堕ちることしかできないかもしれないが、俺は違う」


「あのな、義人。ここは魔法学校だ。学問を学ぶだけの魔術院じゃない。魔法の扱い方を学ぶ学校なんだ。魔法が使えることも、入学条件にあったはずだ。バレたら、捕まる」


「僕は例外だ」


「なんでそうなる。お前が竹内家の人間だからか?」


「そうだ。だから秘密がバレれば消すまでだ。君とて例外ではない。竹内家を怒らせたらどうなるか、知らしめてやる」


「ああ勝手にしろ!俺は怖くないぞ」


「強がるなよ。君もどうせ、僕が竹内家の人間だから友人のふりをしていたんだろ。そう、奏が言ってたぞ」


「そう思うならそう思っておけばいい。でも俺はお前を人間として尊敬していたから仲良くしていたんだ。わかってくれよ。今ならまだ間に合う。誰も気がついていない。やめても何も思われない」


「もういい、聞いてられるか。覚悟しろ!」と義人は杖を向けた。


「俺は、お前を悪者にしたくないんだよ!」


 その言葉が効いたのかはわからない。義人は無言のままその場を去った。それからほどなくして、義人は授業がつまらないと言い残して学校を辞めた。竹内家のやつってスケールがでかすぎてよくわからないな、と皆が噂する言葉は、令治の耳にももちろん入った。その後、義人は魔術院にて政治学を学び、政治家となった。


 令治は学校を卒業したのち、イギリスのエジンバラ魔法魔術学校に留学することになった。日本人で初めての留学は世間を少しだけざわつかせた。その頃、令治はニュースで竹内義人と恒子が結婚したことを知った。


 令治は、エジンバラでアーサー・パウエル指導のもと、呪文分析学の研究を行った。卒業後、ロンドンの研究所へと移り、在学時より付き合いのあったギルド・ストラッドフォードと共同研究をするようになった。


 ある雨の日のことである。


「日本人の女性が外で騒いでいる。ちょっと通訳してくれないか」と同僚が令治の元に来た。


 令治が外に出ていくと、そこにいたのは傘も持たずにずぶ濡れの恒子だった。恒子は焦った様子で令治に駆け寄っていった。


「お願いします。匿ってください」と恒子は頭を下げた。「夫が殴るんです。息子も置いてきてしまって……」


 令治はひとまず自宅に恒子を呼んだ。恒子の体は冷えて震えていた。令治は暖かいラプサンスーチョンを淹れ、ファッジと共に出した。恒子は震える手でカップを取ると、一口飲んだ。


「落ち着いたらでいい。何があったのか話してくれないか」


「……」


「話せないのなら、話さなくていい」


「夫が殴るんです。イギリスに仕事で来ていて、今しか逃げ出せないと思って、あなたを頼るしかなくて……。でも息子が、日本の自宅に……」恒子は混乱していた。声が震えている。確かに新聞には、外務大臣となった義人訪英の様子が報道されていた。


 令治は恒子を抱きしめた。「安心しろ、大丈夫だから」


「夫がここにくるかも」


「そんなことない」


「探し当てるかも」


「なぁ恒子。ここはどこだ。俺の家だ。もうお前を踏み躙る奴はいない」


 令治と恒子は見つめ合う。学生時代を思い出す。あの、恒子の部屋に行った日のこと。あの日、恒子はなぜ令治を呼ぼうと思ったのだろう。令治は恒子に口付けをし、そっと押し倒した。


 恒子が義人と正式に離婚したのを機に、令治と恒子は籍を入れた。令治、ギルド、恒子の3人で研究をするようになり、一つ、大きな成果を出した。1984年のことだった。


 国際学会で発表しようとした矢先のこと、第二次世界大戦の時に人間界に協力していたことを認めて多額の賠償金を受け取った日本は世界から締め出されることになった。日本は強烈に反発をしたが世界を説得できず、やむを得ず鎖国政策に踏み切ることとなった。


 イギリス政府から圧力がかかり、ギルド、令治、恒子3人の成果にも関わらず、日本人の名を載せてはいけないことになった。高橋夫妻はギルドの元に行ったが、会うことは許されなかった。そればかりか、使用人の妖精ジョーによって研究所の持ち物もすでに外に放り出されていた。2人は力を失ったように、地面にぐったりと座り込んだ。


「ジョー、せめて呪文分析中のノートだけでも返してくれないか」と令治は言った。


「ああ、これですか」とジョーは燃やされ灰になったノートを令治の頭の上にかけた。


 令治と恒子には、国外退去命令が出た。政府を通して何度も交渉したものの決定が覆ることはなく、令治と恒子は失意のうちに帰国することとなった。その帰国さえも魔法界の正式なルートを使えず、高額を払って飛行機を利用せざるを得なかった。


「僕の地元で、ドラゴンでも育てようか」と令治はフライト中に言った。


「ドラゴンの需要ってあるの?」


 先細りな業界であることにはもちろん令治は気が付いていた。両親も年老い、職を畳もうとしている。ドラゴンは数も多いため、天然記念物として保存されることもすらない。


「君は、僕についてくる必要はないよ」と令治。


「嫌よ。私もうどこにも居場所なんてないもの」


「義人なら君を許すよ。……ごめん。辛い記憶を思い出させてしまった」


 帰国し、税関を通り抜けてすぐ、高橋夫妻は学生たちに取り囲まれた。あれよあれよといううちに、日本魔法魔術学校へと連れていかれ、ご馳走と酒で歓待を受けた。2人は戸惑った。


「僕は悔しいです。呪文分析学の新たな法則も、ストラッドフォード法ではなく、高橋法とするべきだ。あれだけ世界を変える大発見をしたのに」と学生は令治に言った。


 向こうのほうでは、女子学生が男性陣にお酌をしているのが見える。


「まぁ仕方ない……」と令治。


「仕方なくありません。これは外交の失敗です。政府が腰抜けなんです。もっと日本政府は強気に出るべきだ。なのにそれをしない」


「いや、十分に政府はやってくれたよ……」


「あなたも洗脳されてしまったのですね」別の男子学生が泣き出した。「まさにそう言ったところです。政府は口がうまいのです。本当は何も働いていないというのに、外国がわからずやだ、と他人のせいにする。高橋さん、イギリスから出された論文を読みました。あなたが発見された新たな法則、僕は感動しました。見つけるまでにどれほどの困難があったことか。高橋ご夫妻の身を切る努力により、世紀の大発見をしたのです。認められて然るべきです!」


 そう言われて、令治が、嫌な気持ちになるはずがなかった。


「まぁまぁ、ありがとう」と言って、気分を良くした令治は酒を進んで飲んだ。


 学生の案内で、令治は豪華な部屋へと案内された。恒子は、別室を用意されていた。学校にこんな宿泊施設のような場所があったのかと令治は驚いた。


 令治が部屋へと入ると、露出の高いメイド服を着た女性がいた。


「おかえりなさいませ、令治様。お風呂にいたしますか?」とメイドの女性はにこりと笑った。令治は色々と察した。


「君は帰りたまえ」


「私が叱られます」令治は酒に酔っていたこともあり、メイドを抱きしめると、体を撫で回した。


 異変に気がついたのは数日後だった。宴会はもう何日も続いていたのだ。


「先生に怒られないか?」と令治は学生のお頭に言った。


「先生は地下牢にいます。そもそも、教育の質の低下がこのような事態を引き起こした。制裁がくだるときがきたのです。僕らが世界を変えるのです」と学生の頭は急に冷たい声で言った。高橋夫妻は戸惑い、顔を見合わせた。


「奏は?今はここの先生よね?」と恒子はやっとのことで声を出した。


「浅木?ああ、彼女も地下牢で反省させています。重大な罪を犯したので制裁を行いました」


 学生は令治と恒子を学校中案内して回った。ある部屋では作戦会議が行われ、ある部屋では爆薬が作られている。ある部屋では女性たちがおにぎりを作ったり、負傷した男性を看護したり、慰安をしたりしていた。


「私たちは、戦ってくれる男性のためにできることをしましょう」と女性のリーダーが葉っぱをかけている。


「リーダー、この子、お頭を誘惑しました!」とボサボサに髪を切られた女性が連れられてきた。リーダーは、その女性の頬をを平手打ちした。「制裁を受ける覚悟をなさい!」と女性は言った。はい!と女性は力強く答えた。


 令治と恒子は屋上へと出た。そこからは驚くべき光景が見えた。学校中を、警察隊が取り囲んでいたのだ。


「ご覧ください。ほら、政府は我々が真実を知ったことに気がつき、我々の記憶を消そうとしているのです」


 この時令治は初めて、学生闘争の渦中へと放り込まれたことに気がついた。


 2人は悲劇のヒーロー、ヒロインとして学生に筋書きされ、今回の事件の首謀者とされていたようだ。白山の戦い。学生たちが皆、白い服を着ていて山のように見えることから、報道陣がそう名付けたようだ。そのことに関して書かれた新聞記事を目の前に出された。


「報道は政府の犬ですから」とお頭は言うと、リーダーになってもらえないかと懇願された。恒子の頭には銃が突きつけられていた。


「僕たちは学生。兵力こそあれど、権力はありません。国を変えるためには、力で押し倒すしかないのです。明治維新だってそうだったでしょ?そのために必要なのは、士気を挙げ、仲間を増やすことです。あなたの力が必要なのです」


「わかりました。いいでしょう」と令治は言った。


「ではまず、気になるのは竹内家の動向です。恒子様、あなたは義人に殴られていたそうですね。義人の真実を警察に伝えてやってください」


「それは誰に聞いたの?」


「浅木奏が吐きましたよ」


 奏が、と恒子は絶句した。


「浅木はどうするつもりなんだ?」


「近いうちに処刑し、屋上で見せしめに死体を晒す。カラスにでも食わせましょう。それくらいしないと、こちらの本気が伝わらない。恒子様、あなたが殺してください」


「……わかったわ。でもその前に、奏に会わせてちょうだい」


「いいでしょう」そういい、お頭は、恒子に銃を渡した。


「これで殺せと?」


「魔法を使って殺すほどの価値はありませんよ」


 令治と恒子が地下牢の浅木奏に会いにいった。奏は身ぐるみを剥がされ、両手を縛られて上から吊り下げられていた。奏は意識こそあるものの、ぐったりとして、反応する様子はなかった。


「ここでは掃除が大変よ。外で始末するわ」と恒子。


 学生はニヤリと笑った。奏を強引に引きずり下ろすと、縄をかけ、外へと引き立てていった。


「ではここでお待ちしています」


 学生は内扉で待機した。もちろん、外にも学生が配備されており、逃げられはしない。しかし、こちらの様子を伺うものはいない。


「あなたは、義人を頼って。自宅は、劇場の隣よ」と恒子は囁いた。


 竹内家は知っている人だけが入れる領域となるよう魔法がかけられている。実家の自室の窓と同じだ。今、その領域を、恒子は奏に教えたのだ。もしかしたら恒子には入らないようにセキュリティを変えているかもしれない。でも、恒子は、義人が恒子の帰りを待ち続け、変えていないことに賭けた。


 魔法で奏を動物に変えたのち、地面に向かって、銃を撃った。学生のやること。奏を逃げさせるだけの隙は十分にあった。


 学生が外に出てきてあたりを見渡した。


「浅木はどこだ!」と学生は叫んだ。


「しまった。外してしまったわ。最後の体力で逃げられてしまった。女の生命力はすごいわね」と恒子は白々しく言った。


 奏が義人と落ち合えたかわからない。ただ、竹内家は私設軍を学校に派遣しようとする動きはなかった。


「おい。このおにぎり、お前が作っただろ!」と男性が形の悪いおにぎりを持って、ゲラゲラと笑った。


「ちげえよ!」と言ったのは、男装した女性だった。


 そんな様子を傍目に、令治と恒子はあるニュースを見つけた。どうやら、義人が、父親の春人を拘束し、政界を乗っ取ったというのだ。お頭は新聞を取り上げた。


「そんなに長い時間をかけて読む必要はないでしょう。あなた方は賢いのですから」とトップは言った。「あなたがきてくれてよかった。あなたの戦術のおかげで、もう一年ももっている。爆薬も治療薬も倍の性能になった」


「そろそろ手紙を読ませてください」と令治。高橋令治あての手紙は全て学生側が先に読めるよう、魔法を変えられていた。


「検閲が終わってからだ」とお頭は言った。


 令治は手紙を読ませる気がないことを察し、魔法で、『令治』あての手紙のみ、自分に直接届くように設定しなおした。本当に手紙を送りたいものが、宛先を探し当ててくれるように。そう期待した。それに、設定を変えたことに気がつくだけの力は、学を得られていない学生が持っているはずがない。


「さぁ、お時間です」とお頭は、令治の背に銃を突きつけた。


 講堂に大勢の学生が集まっていた。令治と恒子は舞台の上へと連れて行かれた。お頭が叫んだ。「こちらにおわすは、令治様と恒子様である。お二方は、神より授けられし力によって、魔法使いが人間より優れていることを証明した。国際社会はそれを認めず日本を追い落とそうと企んでいる。また、日本政府も、それを黙認している。今こそ、我々が力を持つときである!」


 お頭には、恒子が高知のいざなぎ流という特殊流派の出身であること、また神主の家系である高月の血を引いていることも利用し、話に説得力を持たせた。


 令治には、お頭から毎日のように女があてがわれた。女も神のつかいは名誉なことだと、ありがたそうにした。手をつけないと、女性の方がお頭から制裁がくだされる。令治が毎夜他の女性といることに恒子も薄々気がついていたのか、時折、令治の部屋の前で、唸り声を上げるようになった。


 一年が経ち、恒子が妊娠した頃、義人から令治に直接手紙が届いた。


「宛先を探すのに苦労しました。会いたいです」と手紙には書かれていた。令治は恒子を置いていき、学生の目をかいくぐって、学校の外で落ち合った。


「なんで竹内家は俺らを攻めないんだ」と令治はいった。


「久しぶりの再会なのに、開口一番にそれか」と義人は言った。


「何を期待していた」


「別に何も。君に伝えたいことは一つだけ。明日、私設軍に、学校を攻めさせる」と義人は言った。


「そうか」


「何か俺に言いたいことはないのか?」


「ない」


 義人はグッと拳に力を入れた。


「令治。お前、なんでこんなことをした!もう取り返しがつかないじゃかいか!何人が傷つき、何人が死んだと思ってるんだ。お前らしくないぞ」と義人は叫んだ。


「お前が僕を勘違いしていただけだ」


「奏から聞いた。恒子が、奏を逃がしてくれたらしいな」


「奏はどうした!生きてるのか!?」


「色々助けてもらったよ。でも、姿を消した。死んだことになってる自分は迷惑をかけられないと、うちに学生の襲来があった翌日にね。待て、そう言うってことは奏が心配なんだな?そうだな?」


「だとしたらなんだ」


「だからずっと、俺はお前を信じていたんだ。間違っていなかった。お前は絶対に悪くないって。お前は嵌められて……」


「お前お前って、僕にはちゃんとした名前があるんだ」


「かつて君は、僕にお前と言った。立場が変わっただけだ」と義人は言った。「なぁだから、だから、なんでこんなことに」


「僕だってわからない。君の政策の失敗が原因だろう」


「君までそういうのか?なぁ、令治帰ってきてくれよ。賢い君ならわかるだろう。そうするしかなかったって。賠償金をもらえるか否かは、この国の名誉に関わる。それで国際魔法使い連盟から非難されようとも、実行せざるを得なかったんだって」


「ああわかるさ。実際賠償金をもらったからこそ、これだけインフラが整った。いまや街には車もバスも通っている。箒を持ってる学生もいる。もう、ドラゴンやらに頼る必要はなくなったんだ」


「わかっていてなんで学生に加担した……」


「わかっていたからこそだよ」と令治はつぶやいた。「僕はそれで研究の職を失った。名誉も。実績も。でもたった1人の損害だ。その1人の犠牲で、多くの人が救われたんだ」


「逃げろ」と義人は耐えきれずに言った。「逃げてくれ。お願いだ。明日、攻める。お前は強い。だが、お前の力をもってしても勝てない軍勢を投入する。想像の何百倍の数だ。だから先に逃げてくれ」


「学生たちを置いて逃げれるわけないだろ!俺はもう共犯者だ。良い思いもしたし、大勢の人を殺してしまった。説得一つできなかった。恒子も傷つけた。僕は責任を取る必要がある」


「死ぬつもりだというのか!」


「そうだ。だからお願いだ。恒子は僕とは別だ。僕が着いてこいって脅迫したんだ。あいつのお腹には僕の子がいる。どうか逃してやってくれ」


「俺から恒子を奪ったくせに」


「お前が殴ったからだろ!」


「ああ。だがな、いやだからこそ、お前の勝手で恒子を未亡人にするなよ。それが、命懸けで奪った女に対する結末かよ。子供を、刑死した罪人の子にするつもりなのか」


「……。そんなこと言うなら、軍に踏み込ませないでくれよ。彼らだって引くに引けなくなってしまい、暴走を始めただけだ。もう、彼らにこれ以上殺させたくないんだ」


「無理だ。君たちの所業は、多くの国民の知っている。これでも、批判に晒されながら、もう一年も待った。これ以上は待てない。それともお前に何か策はあるのか?ないだろう。君の母親が僕のところに、このところ毎日くる。頭を地面にこすりつけて、どうか命だけでも助けてやって欲しいって、泣きながら懇願するんだよ」


 令治は天を仰いだ。


「ああ、それがなんだ。それでもお前は痺れを切らして踏み込むっていうのに」


「竹内家として、政府として、法治国家として、それこそもう国際社会に対して、踏みこないとメンツが立たないだろ」


「主語がでかいな。なら、なんで一年も待ったんだ……早く踏み込んでいれば、もっと、いくらでもやりようがあったのに」


「君が、俺に学校を辞めろと言ったのと同じ理由だよ」


「よくわからないな」


「わからない?君にとって俺はなんなんだよ」


「大切な友人の1人さ」


 その日の夜、令治と恒子は学校を抜け出した。次の日の朝、軍が学校へと踏み込んだ。高橋夫妻がいないことに気がついた学生は大崩れになり、学生の半数は逮捕され、半数は衝突や自殺によって死んだ。


 高橋夫妻は、令治の母親の用意したドラゴンに乗り、姿をくらましつつ、イギリスへと渡った。2人はディーンの森の奥深くで、隠れて暮らし始めた。


 程なくして高橋夫妻は死亡した。死因は病死と伝えられているが、実際のところはわかっていない。始めこそ、その死が報道されていたものの、竹内義人の指図により、一斉に報道が止んだ。義人は2度とこのようなことが起きないよう、学生闘争の歴史そのものを、なかったものとして扱うと、閣議決定を行なった。

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魔法界の学生闘争 夏目海 @alicenatsuho

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