第25話「未熟サキュバス、夏します」


























 星も見えない黒の夜空に、ひとつの火の玉が飛び上がって、静かに、盛大に弾けて火花を散らした。


 周りの風景と一緒にわたしの瞳まで輝かれたそれは、時間を置いて大きな音を鳴らして、心臓に響くような振動を全身で感じ取る。


「う、わぁ~…っ!きれい!」


 人生で初めて見る花火を目の前に、大興奮の声を漏らしてはしゃいだ。


「…お前のが、綺麗だよ」


 そんなわたしを見下ろして、優しい目をした深澪が呟く。


 お、おぉ…今の言い方は、俗に言う……


「キザだ…!」

「やめてよ、恥ずかしい」


 途端に頬を赤らめて口元を隠して、花火が打ち上がる空へと視線を逸らした深澪を、微笑ましく見上げた。


 …相変わらず、綺麗な横顔。


 いつ見ても、どこから見ても好みな整った顔立ちを眺めていたら、なんだかドキドキして落ち着かなくなってきた。…花火の光で照らされるのが、また綺麗。


 ついつい見惚れていたら、相手もこっちを向いて…自然とお互いの距離が縮まる。


「花火にカップル…風情だね」


 そこへ、感嘆とした声が届いた。


「さとりさん……あんこさんも!」


 その声に反応して窓の方を振り向けば、今は電気を消してて暗い部屋の中にいた二匹⸺今は狐の姿をしてるさとりさんと、黒猫のあんこさんが窓際からわたし達を見上げていた。


「………なんでお前がいるんだよ」


 舌打ちをして、吐き捨てるように深澪が言う。


「なんでも何も…君たちが拾ってくれたからじゃない」

「あたしはお前なんか拾った覚えはないね。てか、なんだその姿」

「こっちの方が気軽にくららちゃんに触れてもらえるからね。モフモフで可愛いでしょ?」

「うん!…もふもふ!」


 どこを触ってもモフモフなさとりさんの頭に手を乗せたら、甘えた仕草でグリグリと頭の後ろを擦り付けられる。か、かわいい…!


 深澪はものすごく嫌そうな顔をした後で、フンと鼻を鳴らして夜空を見上げた。


 わたし達の住むアパートは川沿いにあって、花火の開催地もすぐそばだし…人混みが大の苦手な深澪のためにも今日はリビングのベランダから花火を見てたんだけど、どうしてか不満そうな反応で戸惑った。楽しめてない…?


 さとりさんは楽しそうにカラカラと喉を鳴らして笑って、あんこさんは「ニャア」と鳴く。…かわいい。


 ちなみにどうしてさとりさんがこの家にいるかというと……前回、サキュバス界を騒がせたこともあって、反省してる素振りで反撃を狙ってわたしを殺そうと企む奴らもいるだろうから、事を荒立てた責任を取って守る…っていうのは仮の理由で、護衛ついでにわたしのそばで過ごしたい想いを汲んで、我が家で暮らすことになった。


 元々、住所なんてあってないようなものだったらしくて…だから今はペットという体で住んでいる。


「あーあ……どんどんうちに人外が増えてく…家計の負担も増えていく…」

「賑やかでいいじゃない、わたしは楽しいよ?…お金はわたしも頑張って稼ぐよ!」

「お金はいいよ、冗談だから。それに……別にあたしだって嫌とかってわけじゃないんだけど、けどさー…」


 ベランダの柵に肘を乗せて、顎に手を置いていた深澪が、チラリと横目でわたしを見る。


「…ふたりきりでイチャイチャしたいんだと」

「人の心読むな。…分かってるなら寝室にでも行っててくんない?」

「うん、わかったよ。ふたりの邪魔をするつもりはないからね、ここは退散しよう」

「今でも充分、邪魔だっての」

「もう…邪魔とか言ったら可哀想だよ?」


 庇うためにギュッとさとりさんを抱き締めたら、深澪の顔が悔しそうに歪んだ。


 だけどすぐ、諦めたようにため息をつく。


「…はぁ。もういいよ、みんなで花火楽しもっか」

「君はなかなかに大人だね」

「天海が楽しんでくれるのが一番だからな、このくらいの我慢どうってことない」

「あんまり我慢は良くないよ。…私達は寝室に行こうか、あんこ」

「ニャア…」


 結局、さとりさんはあんこを連れてリビングから出て行った。


 扉が閉まるのを確認した後で、深澪に後ろから抱きしめられる。…わ、すごい欲情の香り。


 びっくりするくらいに濃い匂いがして、変に胸が落ち着かなくなった。深澪、今……こんなにもムラムラしてるんだ。


 ドキドキしすぎて、心臓がつらい。


「…天海」


 すぐ耳元で切ない声がして、顎を持たれて振り向かされた。


「今ここでしても、いい…?」


 肩越しに、余裕のない瞳と目が合って、呼吸を止める。


 こ、ここでって……ことは、


「青姦…?」


 ベランダ、つまり外でってことはそうだよね…と思って聞いたら深澪は吹き出すように笑った。


「初めてが青姦じゃ、嫌か」

「あ……そ、そういうわけじゃ…」

「セックスはまた今度、ゆっくり寝室でするよ」


 完全な外は公然わいせつで捕まっちゃうからだめだけど、ベランダくらいならいいのに…彼女は優しいから、ここでもまたわたしのための我慢を重ねてくれるみたいだった。


 …いつもいつも、申し訳ない。


 なんだかんだ深澪から誘ってくれてるのを、わたしは意気地なしで理由をつけては断ってしまう。…本当にタイミングが合わないことも多いけど。


 ここは、わたしが勇気を出さなきゃ。


「み…深澪」


 体ごと振り向いて、すぐそばにあった服を掴む。


「そ、ソファで……しよ…?」


 緊張しすぎて、唇の先が尖って震えた。


 相手の顔を見るのも恥ずかしくて顔を伏せたら、脇の下に手が入って抱き上げられる。そのまま、肩に担がれた。


 リビングのソファに降ろされてすぐ、言葉もなく性急な口がわたしの唇を塞いだ。


「……今日は、深いキスはしないから」


 顔が話した深澪に、忠告みたいに伝えられて首を傾げる。それって、どういう…


「あたしの精力全部、こっちで味わって」


 疑問に思う前に、スルリと伸びた手が閉じた足がY字を作り出していた部分に滑り込んで、意味を理解した途端に全身を羞恥心と期待が包み込む。


 あ……わ、わたし、ほんとに…セックスしちゃうんだ。


 心臓を痛いくらいに昂ぶらせながら、期待値は最大まで膨れ上がって、浅いキスを何度も繰り返し落とされるのを受け入れて…余裕なく服を剥がされていく。


 耳や首筋にも唇は降りていって、胸元は支え持つように手を置かれて柔く揉まれた。


 次第に漏れる声を抑える隙も与えられなくて、


「天海…」


 わたしの上で服を脱ぎ捨てたその姿を視界に入れた時、一段と心臓が跳ね上がって体内に熱い血の巡りが行き渡った。


 中性的な綺麗な顔と、襟足長めの黒髪と、あまり女性らしくはないタンクトップの細く白い体が……その後ろに広がる、開いた窓の向こうに見える空に打ち上がった花火に照らされて、逆光になった瞬間の映像が、あまりに情緒的であでやかで。


「ぁ…みれ、い…」


 夢かな?なんて思って手を伸ばしたら、やけに汗ばんだ手に捕まえられて、指がじっとり絡まった。


 唇が重なる。


 深くキスしてほしい気持ちが解消されることはなくて、もどかしさが募るたびに彼女を求める声は次第に…大きく掠れていった。


 それが、良くなかった。


「…うるせえ!」


 ドン、と思いきり壁を叩かれる音と共に小さく聞こえてきた怒声に、ふたりしてピタリと動きを止めた。


 あ…あれ、ここそんなに壁薄いわけじゃないのにな…?なんて疑問に思ったのも束の間、今度はガチャリとリビングの扉が開く。


「ごめんね、伝えようか迷ったんだけど…」


 扉の向こうから人間の姿に戻ったさとりさんが入ってきて、


「窓開けたままだと、近所迷惑になるよ」

「「言うのが遅い!」よ!」


 遠慮がちに伝えられた言葉に、わたしと深澪ふたりして八つ当たりの声を上げた。


「ごめんごめん、まさか窓も閉めずに盛り上がるだなんて思ってなくて。…続けて?」

「続けられるか!」


 脱ぎ捨てた服を掴んで、雑にソファの下へと投げつけて……また拾って着るという無駄な動作をしてから、深澪はソファに座って顔を覆い隠した。


「どうしよ…めっちゃ気まずい。ご近所さんに天海の喘ぎ声聞かれちゃったし……最悪だ、あぁもう地獄に落ちたい」

「お、落ちる時は一緒だよ!」

「やかましい!…嬉しいけど!」

「ははっ、君たちはほんと……見てて飽きないね」


 そして結局。


「すいかに花火……風物詩だね」

「そうだねぇ、風鈴の音もいい…」

「ん~、夏だなぁ。…ほら、あんこも食いな」

「にゃ!」


 三人と一匹で、窓際に座り込んですいかを片手に夜空を見上げた。


 花咲く光を瞳に映して、今この瞬間はもう人間とかサキュバスとか妖怪とか猫とか関係なく、全員が全員…夏の風物詩を心の中に焼き付ける。


 夏が過ぎれば…秋が来て。


 秋が終われば、冬を迎える。


 そうなったら……わたしがここ、日本に来てもう一年経つことになる。


 …まだ、一年経ってないんだ。いや、もう半年以上も経ってるんだ。なんだか、遅いのか早いのか…よくわからないな。


 不思議な感覚がする時の流れは、わたしを変えるには充分すぎるほどの長さだったみたいで。


「恋人も、お友達もできるだなんて…思わなかった」


 それに…ペットのあんこさんも。まさか自分が猫さんと、こうしてみんなと暮らせる日が来るなんて。


 バカにされてただけの生活が、もう遠い過去の出来事化のようにさえ感じられて、平穏すぎる日常はわたしに幸福ばかりを運んでくれる。


「こんなに幸せで……いいのかな。処女なのに」

「処女関係ある?」


 わたしの独り言を、深澪が拾った。


「だって…サキュバスとしての宿命を、ひとつも果たせてないから。こうしてる間もきっと今頃、他のサキュバスはセックスしまくってるのに……わたしは」

「君は君、雑魚共は雑魚共。何も気にする必要はないよ」


 暗く淀んでいく言葉を遮って、さとりさんが呟く。


「ニャア」


 あんこさんも、それに応えるようにかわいい鳴き声を聞かせてくれた。


「トラウマが与える影響は根強いね。だけどすぐには無理でも…そのうち、記憶は薄れていくから。何も心配はいらないよ、くららちゃん」


 途方もない時を生きてきたさとりさんだから、思うことがあるんだろう。花火を見上げながら何かを思い馳せていた。


「これからは良い思い出だけ、重ねていこうな」


 頭を持たれて、促されるまま肩に頭を置く。


「…うん、そうだね」


 たとえこの先、セックスできる日が来ても、来なくても。


 そんなの関係なく、幸せ。


 …いやでもセックスはしてみたい。


 今のところは、全然出来る気がしないけど…。








 


 


 


 







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