第23話「未熟サキュバス、復讐します…?」
さとりさんを家に連れて帰ってすぐ、とある異変に気が付いた。
「あんこさん…?どうしたの」
いつもは玄関先でお出迎えしてくれて、足元にすり寄ってくるあんこさんが、リビングに続く扉の影に隠れて、毛を逆立てて威嚇していた。
なんでだろう…?
元は猫カフェにいた子だから人見知りなんかもしないはずなのに、どうしたのかな。
「…飼い主に似て勘がいいね」
心配で仕方なくなってたわたしの後ろで、さとりさんは楽しそうに喉を鳴らして笑った。
「だけど今は困る。……ここは仲良くしようか、猫又」
さっきからずっと、何を言ってるんだろ。
靴を脱いださとりさんは無遠慮に廊下を進んで、未だ威嚇をやめないあんこさんへと手を伸ばしたと思ったら……あんこさんのクリクリの瞳が、一瞬だけ収縮したあとですぐ戻った。
その後からはいつものあんこさんに戻って、むしろ本当に珍しくわたし以外の人にすり寄るまでしていた。…ちょっと嫉妬しちゃう。
「来て早々、ごめんね」
「いえいえ!…さ、どうぞ!お入りください!」
まぁみんな仲良しな方がいいもんね、と気持ちを切り替えてリビングへさとりさんを招き入れる。
「…どうも」
人見知りな深澪はソファに座った状態で、首を軽く落として会釈をした。それを見て、さとりさんは「なるほどね」と小さく呟いていた。
テーブルのそばに座ってもらって、お茶を用意するためにキッチンに戻る。
今日は……和紅茶にしよ。いや、でも…好き嫌い分かれるかな。ここは緑茶…うーん、悩む。
人を招くなんて今までなかったから、こういう時どうしたらいいのか分からなくて、とりあえず今回は無難な緑茶にしておいた。…んー、茶葉のいい香り。
「さとりさん、緑茶は飲めますか?」
「好きだよ、ありがとね」
「よかった!お団子とすまた……じゃない、すあまもあります」
「いいね、和菓子は大好き」
「うん、天海…何をどう間違えたらすあまを素股って言っちゃうの?」
「つ、つい…ごめんなさい」
「ったく。お客さんの前なんだから…」
「私は気にしないから大丈夫。むしろ面白くて良いと思うよ」
さっそく失態を晒して嫌われちゃったかな?と思ったけどさとりさんは余裕ある広い心で受け入れてくれた。…優しい人でよかった。
そこから雑談を交わして、話の流れで夜ご飯も食べていくことになったから、会話も程々に終わらせてわたしはふたりを残してキッチンで料理を始めた。
「…手伝うよ、くららちゃん」
「いやいや、座っててください」
「……どうやら嫌われてるみたいだから。こっちに居たいんだ。だめかな?」
「え?いいです…けど」
嫌われるって…深澪に、だよね。
今の一瞬で喧嘩でもしちゃったのかな、大丈夫かな。
不安に思うものの聞いていいのかまでは分からなくて、もはや趣味と化している料理という作業を進めていく。さとりさんはずっとそばで眺めていた。
「……慣れてるね」
「えへへ、もう何ヶ月も作ってますから。だけど、最初は全然だめだめで……前はよくお魚を焦がしたりしてました」
「ふぅん…ここに来るまではどうしてたの?」
「あ…」
どう…しよ。
わたしがサキュバスってことは、隠してた方がいいのかな。深澪も出会いたての頃は頭おかしい扱いしてたくらいだから、話したら変なやつだと思われちゃうかも。
さとりさんとはお友達になりたいから、それで引かれて仲悪くなっちゃうのはいやだな…
いや…だけど。
「わたし、その…サキュバスで」
ここはちゃんと、正直に話そう。
自分を偽って仲良くなっても、そんなの虚しいだけだし…何よりも嘘ついて関わり続けるのは相手にも失礼だと思うから。
わたしが包み隠さず自分の正体を告げたら、予想通りさとりさんのクールな瞳が驚きの色へと変わって、大きく開いた。やっぱりびっくりするよね…
「君って…すごいね」
「え?」
「話の続き、ぜひ聞かせて。サキュバスで……その後は?」
「あ、はい…だからずっと、ここじゃないところで過ごしてて」
サキュバス界での試験なんかのことを話していくうちに、過去の記憶が蘇ってきて……人前だというのに気分は沈む。
『そんなこともできないの?一生、処女のまま死ぬんだろうね。どんまい!』
『きゃは!ち○こ触れないんじゃ、もう生きてる意味ないんじゃない?』
『サキュバスのくせに。もっとプライド持ちなよ、恥ずかしくないの?そんなんで生きてて楽しい?』
言われてきた言葉達が脳裏を駆け巡って、嫌になって下唇を弱く噛んだ。…いつ思い出しても、サキュバス界にいた時のわたしはどうしようもないポンコツだった。
…今も、とてもじゃないけど一人前とは言えない。
それでも、深澪と出会えてずいぶん変われた。
「色々あったけど、ここに来てからは…幸せです」
「……他のサキュバス達に復讐したいとは思わないの?ひどいこと言われて、腹は立たなかった?」
「復讐なんてそんな…考えたこともなかった。わたしがポンコツなのは本当の事だから。…それにみんな、たとえ出来て当然のことでも、わたしには出来ないから……むしろ凄いなって」
「………君は、心が綺麗だね」
真っ直ぐに見つめられて褒められて、気持ちは照れた。
…ん?
というか、あれ……わたし、「ひどいこと言われた」なんて言ったかな?そんな話…今してなかった気がする。
やっぱり、さとりさんって…もしかして。
「…用ができたから、一旦帰るね」
「え?あ…ご飯は」
「また戻ってくるかもだから、タッパーにでも詰めといて。君の手料理、食べてみたい」
「あ、はい!分かりました」
気分屋さん、なのかな。
急に帰ると言い出したさとりさんは本当にすぐ家を出て行ってしまって、戸惑いながらも一応…彼女の分のご飯も作っておいた。
深澪にも帰ったことを伝えて、結局いつものようにふたりで食卓を囲む。
「…あの人さ」
「ん?」
「ペットとか、飼ってる?」
食事中、脈絡もなく深澪にそんな質問をされた。
「どうだろ、分かんないや。…どうして?」
「……なんか、獣臭かった」
「けもの?」
「うん。…気を付けたほうがいいかも」
人が苦手な、ちょっと人間不信気味な深澪でも、こんなに警戒するなんて珍しい。
今日はなんだか、不思議な気分になることばかり起こる。
結局その日、さとりさんが家に戻ってくることはなくて、それでも料理だけは冷蔵庫にしまって明日にでも渡そうかな…バイト休みだけど会いに行っちゃお、なんて企んでたんだけど。
翌日になって、事件は起きた。
「ん……伝書鳩さん」
起きてすぐベランダで洗濯物を干していたら、1匹の鳩さんがやってきて柵の上に足を乗せた。
「…ん?」
そして、くちばしに咥えていた紙切れを渡すみたいに顔を前に突き出されて、なんだろう…?と不思議に思いながら受け取った。
紙を開いたら、サキュバス協会のマークと【緊急招集】と書かれた文字が見えて、眉をひそめる。
…サキュバス協会がこんな風に人間界にいるサキュバスを呼び出すなんて、今までにない。普段は放任主義で戻るも戻らないも自由な方針だから。
これは本当に、緊急な何かがあったんだ。
「…ごめん、深澪」
お布団を干す作業をやめて部屋に戻って、パソコンの前で作業をしていた深澪に話しかけつつソファの上に置いてあった自分の鞄を持つ。
「サキュバス界に戻るね」
「は…?」
そのまま部屋を出ようとしたら、慌てて立ち上がった深澪に腕を掴まれて止められた。
「き、急にどうしたんだよ。実家に帰るとか言わないでよ」
「え?い、言ってないよ。実家に帰らせていただきますなんて……はっ、これは…昼ドラ展開!」
「やかましい。それで?なんでいきなり…戻るなんて」
「あ。その、実は…」
事情を説明した後は何を思ってたのかホッと胸をなで下ろして、深澪は安心した顔を見せていた。…なんでだろ。そんなに向こうに帰ってほしくなかったのかな。
「そういうことなら……気を付けてな」
「うん!」
「あ。でもやっぱ待って」
また腕を掴まれる。
「あたしも、ついて行っていい?」
「え?だめ」
サキュバス界に人間が行くのは別に規定とかないから問題ないし、いいんだけど……深澪はイケメンだから、絶対にモテちゃうよね。
わたしみたいに女もイケちゃうサキュバスの目に止まったら…それに今は緊急事態だし、と考えて即断ったら深澪の膝が崩れ落ちるように床についた。
そして、手も顔も床に当てる。
「お願いします…!一緒に行かせてください!」
お、おぉ…これは。
「土下座だ…!」
いつも自分がやってるから知ってるけど、他人がしてるところを見るのは初めてでテンションが上がる。…これは確かに、人が見たら情けなくて屈辱的な体勢かも。
「もちろん!いいよ!」
土下座なんてされちゃったらもう…許すに決まってる。
さっそく深澪も連れて、まずはサキュバス協会の日本支部に向かった。そこまでは電車を使って一時間くらいの距離で、都内にある学校みたいな建物にふたりで入った。
その間にも、事態はさらに悪化していたみたいで。
『あぁ…!テアミ、やっと来たか!』
職員室と呼ばれる場所についてすぐ、ひとりのサキュバスが相当焦ってるのか人間の深澪を気にする様子もなく、いきなり母国語のサキュバス語を用いて話しかけてきた。
※以下『』内はサキュバス語での会話である。
『お前を待ってたんだ!』
『どうして私…?何があったの?』
『サキュバス界に強襲があったんだ!それで慌てて収集をかけたのが失敗だった……集まった奴らみんなボコられてる!相手はくらら…テアミの日本名を出してて、お前の知り合いらしいんだ!頼む、対処してくれ!』
『…ど、どんな人?』
『尻尾が九本もある…日本の妖怪みたいなんだ』
『そんな人、知り合いにいないけど…』
『と、とにかく!頼む、早くサキュバス界に戻ってあいつを止めてくれ…!』
『っわ、わかった』
話を聞いても詳しい事情はよく分からなかったけど、とりあえずかなりまずい状況なのは伝わって、転送装置のある部屋へと向かった。
「…さっき、なに話してたんだ?喘ぎ声みたいな発音だったけど。隠語だらけの猥談?」
「ち、ちがうよ。なんか……わたしの知り合い?がサキュバス界で暴れちゃってるみたいなの」
「昨日来た…あいつ?」
「ううん、ちがうと思う。相手は尻尾が九本もある日本の妖怪だって言ってたから」
「……九尾か、なるほど。特徴も一致するな」
深澪はその正体を知ってるみたいで、顎に手を置いて難しい顔をしてた。
転送には数分かかるから、エレベーターみたいなそれの中で少しでも情報を…と深澪から“九尾”という妖怪についての話を聞いた。
九尾は日本に存在する日本の妖怪で、妖怪はいわゆる悪魔なんかの人外と同じようなカテゴリなんだとか。…サキュバスとかと一緒ってことか。
見た目の特徴は色白の金髪で、美しい人間の女性の見た目をしていて、名前の通り尻尾が九本あって……尻尾以外は確かにさとりさんの特徴と一致していた。
だけど…
「その、九尾って…人の心を読めたりするの?」
「いやぁ……どうかな。そんな話はあんまり聞いたことないけど…」
「そっか…」
もしかしてと思ったけど、そういう固有の能力はないんだ。それならやっぱり、さとりさんじゃないのかな…?多分、彼女はただの人間だもんね。
…それにさとりさんは見た目は怖い人だけど、きっと人を襲うような人じゃないから。
違うはず。
そう信じていたわたしの期待は、
「…あ。くららちゃん、来てくれたんだ」
到着した何もない集会場の広場で、大量のサキュバスが死体のように倒れ重なった山の上に腰を下ろして、にっこり笑いかけてくれたさとりさんの姿を見て……見事に砕け散った。
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