第21話「未熟サキュバス、襲われます」





























 走り去って行った後ろ姿を追おうとして、腕を掴まれた。


「あんなポンコツ相手にすんのやめときなよ、お兄さんみたいなお姉さん」


 誰がお兄さんみたいなお姉さんだ、というツッコミは心の内だけに留めて、女の方を振り返った。


 会話の流れから察するに、こいつはきっとサキュバスなんだろう。


 天海とは全然違う、男慣れしてそうで余裕もありそうで男を知り尽くしてそうで無知じゃなさそうで化粧は濃いめでおっぱいは果てしなくデカい、魅力に溢れてそうな女をただただ冷たい目で見下ろす。


 天海がポンコツだと言われる理由もよく分かる。そのくらいには、目の前にいるサキュバスは雰囲気も何もかも全然違ったから。


 だけど。


「…あいつは確かにポンコツだけど、努力家で素敵な女の子だよ」

「素敵な女の子って、ふは…っサキュバスの恥だよ、あんなやつ。見る目ないね」

「サキュバスってやつは、綺麗なのは見た目だけなんだね」

「は?」

「心が醜悪すぎて、見るに耐えないな。…それに臭い」

「なん…なの、あんた」

「天海とは大違いだ」


 精子と香水の匂いを体に染み付かせたそいつの手を乱暴に振りほどいて、かまってる時間ももったいなくて走り出す。


 あたしは人より鼻がいい。


 どうしてかは分からないけど昔から、嗅覚だけは異常に優れてて……だから、空気中に微かに残る天海の香りを頼りに方向を決めてはそっちへと足を進めた。


 彼女は、あたしの心の救いだ。


 昔からお人好しな性格が災いして、嫌な思いばかり重ねてきた。それでも人間を嫌いになれなくて、また関わっては許してしまって、傷付いて傷付けられて、利用されて…結果なんかよく知らんけどいつも怒られて。


 人間なんて、そんなもんだ。


 自分勝手で汚い人間達にうんざりして心を閉ざしていた時に出会った天海は、どこまでも…何もかもが綺麗で純真無垢な女の子だった。


 今まで出会ったどんな人間よりも、ただ生きることに一生懸命で、ちゃんと自立しようと頑張ることができて、出来ない事も少しずつ時間をかけて、失敗しても諦めないで取り組んで、


『深澪…!見て、上手にできたの!』


 成功した時は、そうやって嬉しそうな笑顔で報告してくれる。


 人間関係にも生きることにも疲れて、ぼんやりと流されるがまま息をしてただけのあたしには、あまりに眩しすぎて、手の届かない存在にも思えるくらい彼女は活気と魅力に溢れていた。


 そんな天海だから、あたしは好きになったんだ。


 サキュバスだとか人間だとか、どうだっていい。そんなもんは関係ない。


 ポンコツだから、いいんだ。


 ポンコツでもいいんだ。


 本人に、ちゃんとそれを伝えてくればよかった。


 あたしまで彼女をバカにして、傷付けちゃいけなかったのに。


 こんなバカなあたしだから、天罰が下ったのかもしれない。


「天…海?」


 人気のない道に出て、遠くから歩いてきた見覚えのある服装の女の子を見かけて足を止めた。


 荒れた息を整えながら、ゆっくりと歩み寄る。相手はあたしに気付いてるのかいないのか、やけにフラついた足取りで歩を進めていた。


 道が暗くてよく見えなかったけど……徐々に距離が縮まって、街灯にその姿が照らされて見えた瞬間に絶句して足を止めた。


「っ……天海…!」


 だけどすぐ、無意識に体は天海を抱きしめに行っていた。


「どうしたんだ、お前……何があったんだよ!」


 服は雑にはだけてて、髪も乱した可哀想なくらい涙の跡を頬に残してるのを見下ろしながら声を荒げて聞いたら、天海は顔に手を当てて泣き出した。


 もしかして………と、悪い想像が頭を過ぎる。


「だ、誰かに…何かされた?」


 おそるおそる確認すると、何も言わずに首を横に振られてホッとする。


「じゃあ、なんでそんな格好…」

「わたしにも、わからないの」

「え?」


 本人も分からず服を脱がされる状況って一体、どういう……え、やっぱりアレやコレや?


「男の人に、声かけられて…」

「あ…う、うん」

「家来る?って言われたから、ついていこうとしたら」


 息が止まる。


 天海が、男と…?


 嫉妬よりも、綺麗な体が汚されてしまったんじゃないかっていう心配で、怒りが湧き上がってきた。


「そしたら、猫さんが現れて…」

「ん?」

「一匹膝に乗ってきたと思ったら、気が付いたらたくさんの猫さん達に囲まれてて」

「へ?」

「猫さんに一斉に飛びつかれて襲われて、わちゃわちゃしてたら男の人は引っかかれまくって怒ってどっか行っちゃって……それで、今こんな恰好なの」

「うん、ごめん。話聞いても全然分かんない」

「わたしも分からない…ただ、その」


 天海が言葉を続けようとした時、


「ニャア」


 と、かわいらしい声がそれを遮った。


 声がした方向⸺下へと視線を移せば、猫カフェで唯一天海の膝の上に乗っかったあの黒猫があたしを見上げていた。


 なるほど…?


 もしかしてこいつ、助けてくれたのかな。仲間連れて。どうやって店から抜け出したのかは分からないけど。


 しゃがみこんで手を伸ばしたら、猫はあたしの手じゃなくて天海の足へとすり寄った。…動物があたしに懐かないなんて珍しい。


「この子、わたしに懐いてくれたみたいで…ついてきちゃったの」

「あらま。お店の子だから返しに行かないと」

「え……か、飼っちゃだめ?」

「うーん…譲ってもらえるかな。今はもう夜遅くてお店やってないと思うから、明日行ってみよっか」

「う、うん…」

「とりあえず、今日は帰ろ」

「猫さんも連れて帰ってもいい…?」

「もちろんだよ。…ほら、抱っこしてあげな」

「うん!…おいで、猫さん」


 天海が手を広げたら飛びつくように猫は腕の中へと収まって、胸元にスリスリ顔を寄せたのを嫉妬心を疼かせて睨む。…さり気なく胸に触りやがって。


 あたしも後で触らせてもらお。気持ちはすぐに切替えて立ち上がった。


 ふたりと一匹で家に帰って、真っ先にお風呂へと向かう。途中、ドラッグストアに寄って猫用品を買ってきたから、それを使って泥のついた体を洗い流した。


 そのついでに、


「ゃ、ん…っや、やだ…猫さんが見て……んぅ」

「そんなの関係ないよ。体、洗ってるだけだから。問題ないよね?」

「か、関係あるっ…だ、め」

「ちゃんと綺麗にしないと。…ね、天海……いっ、だだだ!」


 調子に乗って天海の体も洗うがてら堪能しようとしたら、背中に飛び乗ってきた猫に思いっきり爪を立てられて邪魔をされた。…こ、こいつ。


「わっ…だめだよ、猫さん。爪当てたら、いたいたいしちゃうからね」


 まるで子供に伝えるみたいに優しく言葉を発した天海が抱き上げれば、憎たらしいそいつはまた胸元にすり寄る。…く、くそ。


 もはや怒りを通り越して殺意を抱きながら、さっさと風呂を済ませて寝室へ移動した。


 結局、寝る時もなぜか猫はあたし達の関係を邪魔するみたいにど真ん中に鎮座していて、思わぬライバルの予感に心を乱す。


 でもまぁ……天海のこと助けてくれたみたいだし、許してやるか…


「きゃ…っな、舐めちゃやだ、ねこさ…んっ」

「やっぱり飼うのやめるか、こいつ。今すぐ店に返してきてやる、こんなやつ」


 絶対に許さん。


 あたしの前で堂々と天海の首筋やら鎖骨やらを舐めだしたそいつの首根っこを掴んで、それ以上は好き勝手させまいと自分の腕の中に閉じ込める。


 ずっと威嚇されたけど、それも無視して片方の手で天海のことを抱き寄せた。


「ったく……なんでこう、変なやつばっか拾ってきちゃうかな。あたしもお前も」

「ふふ、深澪が優しいからだよ。わたしもそれに影響されたのかも」

「…あたしのお人好しバカも、捨てたもんじゃないってことか」


 そんな風に思えたのも、彼女が優しく慈愛に満ちた瞳であたしに微笑みかけてくれたからだった。


 しばらく見つめ合って、腹立つ猫に邪魔されないようにだけ気を配りつつ唇を奪う。…相変わらず、慣れない反応が返ってきた。


 とてもサキュバスとは思えないウブな天海が愛おしくて、何回かキスを重ねてるうちに気が付けば相手の体の上に跨っていて、猫は空気を読んだのか枕元へと移動していた。


 邪魔されないなら遠慮なく、とまたキスを落とす。


「天海…」


 どうしようもないムラムラを持って耳元に鼻筋を埋めたら、脳をとろけさせるくらい官能的な天海の香りが鼻腔いっぱいに広がった。…いつ嗅いでもえろい。


 このままセックスしたいけど、その前に。


「…なぁ、天海」

「ん…なに…?」

「愛してるよ」


 本当は会って一番に伝えたかったことを今さら伝えたら、白い頬が赤く色付いた。


 香りが増す。


「お前がたとえサキュバスでも…そうじゃなくても、天海だから好きだよ」


 言葉は勝手に続いた。


「ポンコツなお前だから、誰よりも頑張ってきたの知ってるから。…あたしは、そんなお前が大好きだよ」


 可愛い瞳に涙が浮かぶのを見て、こっちまで泣けてきた。


「…ありがとう」


 一雫、頬を伝った瞬間に思いははちきれて、


「大好きだ、天海」


 もうめちゃくちゃに抱き潰してやろうと思ったのに、その日は涙が止まらなくて泣き潰して、色々疲れ果ててふたりして気絶するように寝ちゃって……結局、いつもみたいに最後までは致せなかった。


 そして朝が来てすぐ猫カフェに行って、事情を説明したらその店は元から里親募集の猫達しかいなかったところだったのもあって、快く譲ってくれることになった。

 

 こうして、我が家にはサキュバスと……


「あれ?この子、尻尾が2本もある…」

「は!?」


 まさかの猫又だったらしいそいつを迎えて、どんどん人外ばかりが増えていく家の中。


「良い天気だねぇ…」

「そうだなぁ…」

「緑茶でも飲む?」

「あ、和菓子もあるよ。あたし用意しよっか」

「うん、ありがと。わたしはお茶淹れるね」


 開いた窓の外から射し込む日差しに包まれた明るい部屋で、暑くなってきた夏の空気を感じながら、ふたりでのほほんと時を過ごした。











 


 




 













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