第17話「未熟サキュバス、引っ越します」
先日、深澪とお付き合いする事になりました。
プロポーズして、告白されたその日はお互い修羅場を無事に乗り越えられた安堵と疲れもあって、セックスせずに寝ちゃって…だから未だ、わたしは処女である。
そこから数日、なんとなくえっちな雰囲気にもならなくて、夜はわたしが早めに寝ちゃってタイミングも合わなくて…いつも通りえっちなことは何もない平和な日常に戻ってしまったある日の夜。
「…お引っ越し、しよっか」
ご飯中に、深澪の方からそんな提案をされた。
「ふたりで住むにはこの家は狭すぎるからさ、新しい家借りて…そこで一緒に住まない?」
「わたしは別に…ここでもいいけど」
「それにほら、この家にいたらまたこの間みたいに女の人が来て修羅場になるかもしれないから」
「修羅場……サキュバスとしての宿命だもん、甘んじて受けるよ」
「だめだよ。天海のこと危険な目に遭わせたくないから…お引っ越ししよう?あたしがいない時に来たらどうしようって心配になっちゃうんだ、だからお願い」
「うん…そっか。そういうことなら」
こうした会話の流れを経て、わたし達のお引っ越しは決まった。
かなり乗り気らしい深澪は、翌日には不動産屋さんから予算内の賃貸情報?の資料を貰ってきて、さっそくそれをテーブルに広げてふたりで見る。
「天海はどんな部屋がいい?」
「う、うぅん……よく分からないから、どんな部屋でも大丈夫」
「…生活してて、不便なことはある?もっと部屋のここがこうなってほしいとか」
わたしが考えやすいようにか質問の仕方を変えて聞いてくれた深澪に応えるため、思考を巡らした。
生活してて、不便なこと…
「食材を切る場所は、もう少し広い方が料理しやすくていいかも」
「キッチンは広めがいいってことね。他には?」
「お布団とか大きいものを干す時に、今だと狭くてけっこう大変で…」
「ベランダも広い方がいい、と……他は?」
「キッチンとか、トイレとかの棚の位置が高すぎると届かないから、低いと助かる」
「そこは困ったらあたしが取ったりするから頼ってね。まだある?」
「うーん…収納は多い方がいいな。これから初めての衣替えも控えてるし、物が部屋に多いと掃除しづらいから、普段はしまっておきたい」
「おっけー、わかった。…そのくらいかな?他にあればどんどん教えて」
「あとスーパーは近い方がいい…」
「……なんか、要望がやたら主婦っぽいな」
そんな感じでひとつひとつ挙げていって、深澪はそれに合わせて物件の候補を選んでいった。
最後の最後に出した「いずれ猫さんを迎えたい」というわたしの意見も汲んでくれて、ペット可?のところを重点的に探してくれた。
途中、家を買うことも検討してたみたいなんだけど…見せてもらった一軒家は広すぎて掃除が大変そうだったから嫌だと伝えたらすんなり諦めていた。
「何もない…!もぬけのから!夜逃げか!?」
「そりゃまだ誰も住んでないからね。……てか夜逃げって。変なことばっかり覚えて…まったく。それより、部屋の広さはどう?」
「家具がないとこんなにも広いんだね…」
「気に入った?」
「いいなって思うけど、先住民がいるからなー…」
「先住民?おかしいな、空き物件って聞いてたんだけど…」
「ここは幽霊族のナワバリみたい。でも、わたし達を歓迎してくれてるよ!」
「うん、別のところにしよっか」
人生で初めての内見?も済ませて、家具も何もない部屋の新鮮な空気に感動を覚えつつ新居選びはとんとん拍子に進んで。
最終的に、1LDKと呼ばれる…広めのキッチンが壁に隔たれる形である部屋と、もうひとつ部屋があるところに決まった。収納はかなり多め。
「そういえば、サキュバスって住所とかどうなってんの」
「みんな試験に合格した時に、サキュバス協会発行の人間界に基づいた戸籍が与えられるの。住所もその中に含まれてるよ」
「へぇ…じゃあ、住所変更しに行こっか」
「うん!」
本格的に始まったお引っ越しの期間は、荷物をまとめたり、かと思えば今度は新居で荷解きしたりなんだりでバタバタしていて……気が付けば二ヶ月近い月日が経過していた。
季節は春へと移り変わって、冬とは違う暖かな太陽の陽射しに照らされながら、希望通りの広いベランダでお布団を干す。
「…わぁ、桜だ」
見下ろしてみれば、川沿いの道路の端に並ぶ気が綺麗なピンクに色付いていて、思わず感激の声を漏らした。
「……散歩がてら、お花見行く?」
「行く!」
掃除も終えて何もやることのなくなった平日の昼間、深澪の提案に乗っかって人生初のお花見をする事になった。
春用の薄手の服にお着替えして、出かける前に髪を梳かしてもらう。
深澪の準備も整って、るんるん気分へ外の世界へと飛び出した。
「わ…!花びら落ちてきた!」
マンションのロビーを出てすぐ、ひらりと風に舞う薄桃色の小さなそれが視界に入ってきて、思わず手を伸ばして追いかける。
そのまま道路へ出てみれば、一枚だけじゃない無数の花びらが空気中に舞っては落ちていて、テンションは舞い上がった。
「あっ…つかまえた!」
何度か手を叩き合わせるように空を掴んでいたら、上手い具合に手の中へと入ってきてくれた花弁のひとつを覗き込む。
「見て、深澪!桜の花びらつかまえたよ!」
「……子供みたいだなぁ、お前」
嬉しさを共有したくて深澪にも見せに行ったら、彼女は砕けた顔で苦笑した。
「ほんと無邪気でかわいいね」
引かれたかな…?なんて心配するよりも先に頭を撫でられて、さらに気分は浮かれる。
“無邪気”とか“ピュア”とか。
他のサキュバスに散々、嫌味混じりに言われてきて嫌な思いばかり重ねてきたけど…深澪に言われるのは嬉しいな。純粋に褒められてる感じがして、安心できた。
「…せっかくだから、団子とか買いに行くか」
「お団子…!金玉三つ並んだみたいなやつだね!」
「うん、本当にその言い方は良くない。団子製造業者に怒られろ、一回」
「ご、ごめんなさい…」
食べ物をすぐおちん○んとか下のモノに例えちゃうクセ、そろそろ治さないと。ほぼ毎回、深澪に怒られちゃう。
しょんぼり反省して、引っ越してからは少し遠くなってしまった駅まで手を繋いで歩いて向かう。深澪曰く「予算的にどうしても駅の近くは無理だった」らしい。
わたしは歩くのが好きで、外の景色を楽しめるのはもっと好きだから嬉しいんだけど、深澪は面倒くさがりだから嫌みたい。
そんなこんなで桜を眺めつつ辿り着いた駅前の和菓子屋さんでお団子と和菓子をいくつか買って、またお散歩ついでに家の方へと戻る。
「……歩き疲れた…」
「えー…まだ30分しか歩いてないよ?」
「お前と違ってあたしは不健康な人間なの」
「…それ堂々と言うことじゃないと思う」
「そこに公園あるから寄ってこ。桜見ながらお団子食べよ」
「うん!」
途中、体力のない深澪に合わせて休憩を挟むことにして、小さな公園のベンチへと腰を落ち着けた。
公園内にある自販機でお茶を買ってくれたからそれを飲みながらふたり、ベンチのすぐそばで乱れ咲く桜の花を見上げる。
「桜はね、人に見られるための花って呼ばれることもあるんだ」
「へぇ……どうして?」
「花が基本全部、下を向いてんの。だから目線の低い人間から見るのが一番綺麗で…花見向きの花なんだよ」
深澪の話を聞いて改めて見てみれば、確かにどの桜も花を下に向けている気がした。
「下から見て美しいものってのは、なんか風情があるよね。…夏で言えば花火、秋で言えば紅葉……冬は、何があるかな」
「クリスマスのイルミネーション!」
「ははっ、それがあったね。…天海はまだ桜以外は見たことないから、これから楽しみがたくさん待ってるよ」
「うん!深澪とふたりで見たいな…」
明るい未来に思い馳せて、隣にある肩に頭を置いた。
穏やかな手つきで髪を撫でてくれた感触に身を委ねて目を閉じる。春の眩い太陽の光は、それでも視界を真っ暗闇に染めることはなかった。
…なんだかどんどん、サキュバスみを失ってる気がするけど。
それも、悪くないと…最近は思えてきた。
人間みたいな恋をして、人間みたいに四季を楽しんで、心穏やかに歳を重ねて、男性を知らないまま死んでいく。…こんなの、サキュバスの世界ではありえない。最悪の人生。
「人間に…生まれたかったな」
そうすれば、この平穏な時をいくら重ねても、劣等感の欠片も抱かずに済むのに。
「あたしは、天海がサキュバスでよかったと思うよ」
沈んだ心を掬い上げてくれる声が届く。
「どうして…?」
「お前みたいなやつ、人間界にはいないからさ」
隣を見上げれば、綺麗な桜を背景にした綺麗な笑顔が見えた。
「世界中のどんな人間の女を探しても、天海には敵わないよ」
そう言ってくれただけで、わたしの心は救われた気がした。
「サキュバス界にも……わたしみたいな人はいないよ」
「じゃあどの世界巡ってもいないってことか」
「うん。…そうかも」
空を見上げれば、真っ青な中に薄い雲と散った花びらが視界いっぱいに広がる。
わたしの人生はこれでいいんだ、と。
自惚れかけていた気持ちは、少し経ったある日。
『サキュバスとして恥ずかしくないの?』
一変して、暗く淀むことになる。
と、その前に。
「お団子…おいしい!あまい…!」
「気に入った?」
「うん!もっちもち…おっぱいみたい」
「おっぱい言うな。きなこも、あんこもあるよ」
「ん、食べる!」
人生初の和菓子を前に、すっかり桜を見ることも忘れて堪能し尽くしたわたしを見て、深澪はずっと優しく微笑んでいた。
「?……深澪は食べないの?」
「甘いの、あんま好きじゃないんだ」
「え!そうだったの?知らなかった…」
「食べられないわけじゃないよ。そんなにいっぱいは要らないってだけ」
「そっかぁ…おいしいんだけどな」
「…あたしは、甘いもの食べてる天海を見てる方が好きだな」
不意に顔を覗きこまれて、近い距離で目が合って照れる。
「いいにおい…する」
匂いの元を辿るように綺麗な顔が動いて、その流れで自然と軽く唇が触れ合った。
バクン、と鼓動が荒れる。
顔が離れてすぐ、深澪は自分の口元を手で隠した。
「あー…ごめん、キスするつもりじゃなかった」
「お、お外でなんてだめだよ。公然わいせつで…逮捕されちゃう」
「どこで覚えてくんの、そんなの」
「テレビで見た」
「…別に悪い情報じゃないし、いっか。てか、サキュバスの口から公然わいせつなんて聞くと思わなかった」
「ふふん、こう見えて頭いいんだよ?」
「努力家だもんね。えらいね」
得意げに鼻を鳴らしたら素直に褒めてもらえて、それはそれで気恥ずかしくなって体を萎縮させた。
優しい深澪はそんなわたしさえも、微笑ましく眺めていた。
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