第16話「未熟サキュバス、修羅場します」



























 わたしは今、


「ほんと、相変わらず女拾ってきてんだ?」

「……人助けの一環だよ」

「うそつけ。どうせこの女ともヤッたんでしょ!」


 絶賛、修羅場というものを目の当たりにしています。


 漫画だと、この後さらに女の人の怒りが治まらなくて盛り上がって…ビンタとかが、わりと定番な流れなんだよね。大抵どのお話もそうなるから、きっと現実でもそうなるはず。


 深澪が叩かれる姿は見たくないから直前で止めるとして…でも、これはまたとないチャンス。


 サキュバス界で習った。男女の関係はこういった争いごとに発展しやすく、中でも尻軽なわたし達は特に巻き込まれやすいって。ただわたしは無能サキュバス。修羅場とは無縁と思ってたから……だからこれは、非常に貴重な体験。


 一人前のサキュバスを目指す身として、今後必ずやってくるであろうこの修羅場……なんとしてでも乗り越えてみせる。…と、闘志を燃やした。


 こんな機会、なかなか訪れないもん。経験しておいて損はないはず。


「はぁ…勘弁してよ。勝手に出て行ったと思ったら戻ってきて…迷惑なんだけど」


 頭の後ろをかいて気だるそうに呟いた深澪を見て、うんうんと頷く。そういう態度はポイント高いよ、相手の怒りを買うから。漫画だと盛り上がりに繋がるナイスパスだよ。


「勝手にってなに!?そっちが優しくしてくれないからじゃん!」


 ほら、きた!…深澪は漫画の内容なんて現実ではありえないって言ってたけど、やっぱりあるじゃんか。


 わぁ…この後、どうなっちゃうんだろ?


 ワクワクした気持ちでふたりの会話を見守る。ほんとはわたしも混ざりたいけど……ここは我慢。


「だから最初から伝えてたでしょ、あたしは優しくないって」

「そういうとこ!ほんとずるいよね!」

「ずるくていいよ、もう……天海いるから、ほんとお願いだから帰って」

「っ…だいたい、こいつはなんなのよ!」


 ギャルお姉さんのデコレーションが施された爪の先がわたしの方に向いて、驚いて身を引く。


「この状況でなんでさっきから笑顔なわけ!?頭イカれてんの?」

「あー……その子はバカなだけだから。気にしなくていいよ」

「ひ…ひどい!わたしだって真剣に修羅場に参加しようとしてるのに」

「うん、もうその発想がバカなんだよ、天海。かわいいけどね」


 よしよし、と頭を撫でられてつい照れる。


「元カノの前でイチャイチャするとか最低!」

「…そもそも元カノですらないから」

「これは俗に言うセフレってやつだね!」

「うん、天海。今は黙ってようね」

「なんなのよ!!」


 耳を劈く、ビリビリ響いた怒声にびっくりして肩が跳ねる。


 そのわたしの反応を見て心配した深澪に抱き寄せられて、どこか守られるような仕草で腕の中に納められた。


「…そこのバカ女は、知らないんだ。可哀想」


 てっきりもっと怒り狂って怒鳴られると思ってたのに、予想と反してお姉さんは急に生気を失った顔で話し出した。


「そいつは…あんたみたいな女の子拾ってきては捨てるようなクズなんだよ」

「うんうん、それで?」

「……なんか、話しづらいんだけど。その反応」

「だって気になるから…」

「はぁ、変なやつ。まぁいいや、続けるね」

「はい!」


 そこからお姉さんは色々と話してくれたけど……内容は別に、何がひどいのか分からないものだった。


 お姉さんの場合は、一年くらい前に当時同棲していた彼氏さんと別れて路頭に迷っていたところを深澪に拾われて、そこから気が付けば入り浸る形で一緒に住んでいて……


 以下、お姉さんの一人語り。

























『家にお金入れない代わりにさ…お礼するよ』

『…いらないよ』

『深澪は女だけど、性欲はあるでしょ?お礼にヤラせてあげる』

『いらないって』

『小説のネタになるよ、きっと』

『……それなら』


 体の関係は、そうやって始まった。


 お礼とか言っといて、ほんとはただの欲求不満だったんだけど。…まぁそれは置いといて。


 金は出してくれるし、家事をやらなくても何も言われない、おまけに女のわりにイケメンで、セックスも上手で気持ちいいから…すぐにハマッた。


 だけど一緒に過ごすうちに、


『今日もしよ?』

『……ごめん、むり』

『なんでよ』

『締め切り近いから徹夜しなきゃなんだよ。だからそんなことしてる時間ない』


 性行為の頻度は減って、そういえば誘ってるのもいつも自分だということにも気付いて、虚しい思いを抱えるようになった。


 気を引くために男と遊んで朝に帰ってきたり、わざと部屋を散らかしてみたり、たまに喧嘩をふっかけてもみたけど、どれも深澪の反応はイマイチで…それどころか、ため息をつかれる回数が増えた。


 はじめは優しいやつと思ってたけど、だんだんと物足りなくなった。


 どこまでも受け身なことに、イライラもした。


『…今までもさ、そんな感じだったの?』

『そんな感じ…って?』

『女拾ってきて、釣った魚に餌やらないっていうか』

『……うん。みんなだいたい、そう言うね。だからそうなんじゃない?』

『なにその他人事みたいな感じ。腹立つ』

『…痛いな。蹴るのはやめてよ』

『うっさい!』


 感情に身を任せて蹴りつけても、深澪は抵抗することすらせず静かにため息を吐き出すだけだった。


 そういうのも受け止めてくれるから、てっきりわたしのこと好きなのかな?なんて思ってた。だって好きじゃないと、嫌な事になんて耐えられないと思ったから。


 なのに。


『わたしのこと、どう思ってんの』

『…どうって、同居人』

『かわいいとか好きとかさ!いつも言わないじゃん、そういうの。たまには言ってよ!』

『……ごめんだけど、そういう期待は持たないで』

『は?それ、どういうこと?』

『…付き合うとかは、できないから』


 あっさりと、好意的だと思ってた深澪の口から拒絶の言葉が出てきた。


『っ…ふざけないで!』


 物を投げつけたら、相手は避けることすらせずに体で受け止めた。


 それがどうしようもなく、虚しくて。


『もう、出ていく!』

『……うん』


 傷付いた心で家を飛び出したわたしを、深澪は引き止めることもしなかった。


 その後は数回、荷物を取りに家に寄ったけど、


『これで最後になるから』

『…うん』

『深澪とはもう会わないから!』

『…その方が、いいよ』

『っ~…このクズ!』

『……ごめん、こんなやつで』


 結局、最後には開き直ったそいつに失望して、わたしはその家から出て行った。





























「…そいつは過去にもこんな風に色んな女を泣かせてきたんだよ」


 話を聞き終わった後で、わたしは小首を傾げた。


「それは泣かせたっていうか、勝手に泣いただけじゃ…?」


 彼女は深澪を責めてるみたいだけど、正直どこに責められる要素があるのか分からなすぎて戸惑った。


 拾われたとはいえ勝手に住みはじめたのは自分で、体の関係は自分から迫ってて、仕事で忙しい深澪に断られてセックスの頻度が減るのは仕方ないことだし、住まわせてもらって部屋を散らかすなんて言語道断だし、いつも喧嘩ふっかけてるのもお姉さんの方だし…暴力反対だし……他にも色々。どこをどう切り取っても深澪は悪くない気がする。


 も、もしかしたら、わたしがサキュバスだからこう思うだけなのかな。人間界では違うとか?


 不安になる。サキュバスの倫理観は崩壊してるようなものだから、自分でも自覚ないうちに人間の持つ常識とはかけ離れてるかもしれない。


「…あんた、いくつ?」

「え?……あ、18歳です」

「やば。未成年にまで手出してんの?」


 わたしの未熟さを察してか年齢を聞かれて、素直に答えたらお姉さんの顔が少し青ざめた。


「警察呼ぼうか?未成年はアウトでしょ、さすがに」

「あ、いや…こう見えてサキュ」

「呼んでも意味ないよ。そもそも18歳は成人済みだし…それ以前にこの子とはまだ何もないから」


 サキュバス界では成人済なんです、と言おうとしたわたしの口をやんわり塞いで、代わりに深澪が返事をした。


「でもいつもこんなことしてたら、そのうち逮捕されるよ。未成年捕まえて」

「はぁー…未成年の場合はちゃんと警察に預けるようにしてるから。これでも一応、大人としての責任は果たしてる」

「へぇ…ライン引きしてるんだ。犯罪者みたいなことしてるくせに」

「犯罪者って……こう見えてまともな大人だから手を出さないよ、18歳未満の子には」

「…わ、わたしは18歳だからギリギリセーフ?」

「………純粋すぎるから精神年齢的に微妙かも。ギリアウトかも。やっぱりあたしまともな大人じゃなかったかも、ロリコンだったのかも」

「えー……これでも成熟してるのに。大人の女なのに…」

「ははっ、冗談だよ。…天海はそこら辺の大人の女よりしっかりしてるから大丈夫」


 苦笑して優しく頭を撫でてくれた深澪は、お姉さんの方へ顔を上げてみた時には怖いくらいに冷たい目に戻っていた。


「…逆にお前は子供すぎるよ」

「な、なによ急に」

「お前みたいな女ばっかでうんざりする。自分のことしか考えないで、そのくせ傷付けられたって……被害者妄想もいい加減にしてよ」


 こんなにも怒りを滲ませた深澪を見たのは、初めてだった。


 さすがのわたしも、空気を読んで口を噤む。


「お願いだからもう…関わらないで。出て行って」


 だけどすぐ、感情を殺した声で深澪は言い放った。


 その言葉に強い拒絶が含まれてるのは誰が聞いても分かることで、お姉さんも例に漏れず察して「もういい」と諦めた寂しい顔で玄関の扉を開けた。


「あんたみたいなやつ、地獄に落ちればいいんだ」


 そう捨て台詞を残してお姉さんは去っていった。


「地獄……社会見学で行ったことあるけど、けっこう素敵な場所だったよ?灼熱だけど…」

「ははっ…そうなんだ。そりゃ死んでからが楽しみ」

「行く時は一緒に行こう?」

「…プロポーズ?」


 全然そんなつもりなかったけど…そっか、人間界だと一緒に地獄に行くのはプロポーズになるんだ。なるほど。


「うん!ふたりで地獄に落ちようね」


 満面の笑みでそう伝えたら、どうしてか深澪は今までにないくらい嬉しそうな顔をして、


「その前に、付き合おっか」


 すっかり忘れていた交際についての話を切り出してくれた。
























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