第14話「未熟サキュバス、バレンタインします」
世間は、バレンタインというイベントで盛り上がる時期らしい。
朝ご飯を食べてる時に深澪のスマホをお借りしてニュース番組っていうやつを見ていたら、何度もその“バレンタインデー”という単語が出てきた。
どうやら好きな人にチョコレートを渡して好意を示すらしいそれに、わたしはもう興味津々だった。
深澪へ日頃のお礼に渡したい気持ちと……なにより、チョコレート…!人間界に来たら食べてみたかったんだよね。…なんでもとても甘くて美味しいんだとか。
これはもう…やるしかない、バレンタイン!
「ってことだから、チョコ買いに行く!」
「待った」
髪を整えてお着替えもして、少し前に買ってもらった肩にかける鞄も持って準備万端、意気揚々とお出かけしに行こうとしたわたしを深澪の低い声が止めた。
「まさか…ひとりで行こうとしてる?」
「?…うん!」
「だめだよ」
「…なんで?」
「まだ危ないから。あれから一回もひとりで出かけてないのに、急には無理だって…」
「大丈夫だよ!前より知識も身についたし、外の世界にも慣れてきたもん」
「はぁ………前も大丈夫って言って大丈夫じゃなかったろ」
「でも…ひとりでちゃんとお店行って、お買い物できたよ?」
「帰り道に不審者に会ったの忘れたの?」
そういえば、そうだった。
深澪の心配してくれる気持ちはありがたいけど…でも、今は困っちゃうな。バレンタインは基本的にひとりで買いに行くものって聞いたから、ひとりで行かなきゃいけないのに。
いつもみたいに一緒にお出かけも嬉しいけど、今回ばかりはどうしてもひとりで行きたい。
となったら、ここは……
「お願いします!今日はひとりの外出許可をください!後生ですから…!」
滑り込むように土下座の体勢を取ったわたしを、深澪は盛大なため息を吐き出した後で、
「分かったよ……そこまで言うなら、いいよ。行っておいで」
しぶしぶではあるものの、許してくれた。
さすが土下座…効果てきめんである。
今後も困ったらとりあえず土下座しよう、と改めて使い勝手の良さを確認して、深澪がお小遣いをくれたからそれを財布にしまって家を出た。
行く先はもう決まっていて、テレビに映ってた場所と同じような建物が駅にあるから、今日はそこに行く。
駅までの道はちゃんと覚えてるから、地図なんて見なくても徒歩数分であっさり辿り着けた。…ふふん、これが成長ってもんよ。わたしももう慣れたものね。
「たしか…食品類は地下一階だから……」
迷路みたいな、駅と一体型になってる建物の中をなんとか進んで、途中エスカレーターにお世話になったりして無事に地下一階の食品を扱ったお店が立ち並ぶフロアへとやってきた。
やっぱりバレンタインを意識してか、店内はどこも赤色のデザインの装飾が散りばめられていて、目的のチョコレートはそこかしこに置かれていた。
「んん~…いっぱいあって悩む。どれがいいんだろ」
形も大きさも何もかも様々な種類のチョコを前に、しばらく頭を悩ませた。どれもかわいくて…きっとおいしいんだろうなって見た目をしてる。中にはお花の形をしてるものなんかもあった。
店内をぐるりと周りながら悩みに悩んで、ふと。
「猫さん…!」
愛らしいフォルムをした、猫さんモチーフのチョコを見つけてしまった。これはもう……買うしかない…!
さっそく手に取って、そばにいたガラスケース越しの店員さんにお会計をお願いして、言われた通りの金額…じゃなくても、たしか多くても差額分を返してもらえるから……前回の反省を活かして無事にお買い物を済ませた。
あとは帰るだけ。
前回も平和に終えて帰れると思ったらトラブルに巻き込まれちゃったから、今回はちゃんと最後まで気を抜かずに……
「あの、すみません…」
買い物袋を両手に抱えて建物から外へと出た辺りで、ひとりの男性に声をかけられて足を止めた。
「道に迷っちゃって…今、時間いいですか?」
これ…は、どうしたらいいんだろ。
困り果てた様子の男性を見上げて、わたしも困り果てる。ここで返事をしたら、深澪に怒られちゃうかな?
「どうしても行きたいところがあって……行けないと困るんです」
う、うーん…ほんとに困ってるみたい。
深澪もこういう人がいたら率先して声をかけてるし、わたしもそれを見習って優しく対応した方が…いいよね。うん、そうしよ。
日頃の深澪の行動を思い返して、それを参考に口を開く。
「どこに行きたいんですか?」
「君と、ラブホに。…とか言って」
「へ?」
思いもしてなかった発言をされて、思考が止まった。
あ、れ…?道に迷ってたんじゃなかったのかな。それなのにわたしとラブホテルに行きたいって…どういうことだろ?なにがしたいんだろ、この人。
不思議だなぁ…と思いかけて、ふと。
もしかして、これって…
「ナンパだ…!」
漫画で培った、頭に浮かんだ知識をそのままテンション高く言ったら、男性は面食らって目を見開いていた。
まさか自分が体験できるなんて…
「ナンパだ、じゃない…このバカ!」
今にも飛んではしゃぎそうだったわたしの体は、どこからともなく現れた深澪の手によって後ろから抱き止められる。
「あ……連れ、いたんだ…?」
「深澪…!聞いて聞いて」
せっかくだからと、男性を指差して、
「この人がね、わたしとラブホテル行きたいんだって!初対面なのに…すごいね!」
「えっ………あ、君、あんまり大きい声で、そういうのは…」
「あんな若い子に…ナンパ?やば…」
「うわぁ…キショ」
ただただ褒める気持ちで深澪に報告しただけなのに、それを聞いていた周りの女性達数人から軽蔑の眼差しを向けられた男性は居心地悪そうに身を縮ませた。
そしてそのまま、数秒後には耐えかねたのか猛ダッシュで去っていってしまった。…ナンパの続き気になってたのに、残念。
「はぁー……お前がバカでよかった」
心底安堵して深く息を吐いた深澪が、頭の上に顎を乗せる。
「けど、バカすぎるからひとりで出かけるのはもう禁止な。土下座されても今度からは許さん」
「えー…今回もちゃんとお買い物できたよ?」
「そういう問題じゃないの。…ほら、もう帰るよ」
「はーい…」
結局、前回と同じく怒られちゃって…凹みながら手を引かれて家へと帰った。
帰宅してからは深澪にチョコを手渡して、わたしの分も実は買ってきてたから一緒に食べようと紅茶を入れるためキッチンに立つ。
「今日は~……ダージリン!」
茶葉を決めて、電気ポットにお水を注ぐ。待ってる間にティーカップなんかの準備を進めて、
「…天海」
その途中で、深澪がやってきて背後から包むように抱き締められた。
「どうしたの?」
「……バレンタインのチョコ、どういう気持ちで渡してんの?あれ」
突然された質問に、なんて答えようかと天井を仰ぐ。
「好きな人に渡すやつって…知ってる?」
答えるよりも先に、質問を重ねられた。
「うん、もちろん!テレビで見たもん、知ってるよ」
「天海の好き…あたしと付き合いたいって意味も、含まれてる?」
「?……うん!お付き合いしたいよ」
「なんで?」
な、なんで…って。
今さらすぎることを聞いてくる深澪を不思議に思って小首を傾げつつ、ちゃんと答える。
「だってお付き合いしたら、深澪とセックスできるから!」
そう伝えたら、すぐ耳元で「そうだよね…」と小さな呟きが聞こえた。
「天海はさ、セックスしたいからあたしのことが好きなの?」
横から顔を覗き込むように聞かれて、首を横に振る。
「セックスできなくても好きだよ?一緒にいられるだけで幸せ」
「……謙虚だね、お前は。ほんとにサキュバスかよ」
ため息混じりに呟いて肩に額を乗せた深澪の言葉に、サキュバスとしてのプライドが傷付く。
…自分でも自覚はある。他のサキュバスならこんな風には思わないって。
しょんぼりしてる間、深澪にしては珍しく甘えた仕草でこめかみの辺りにスリスリと頬を寄せて、手はわたしの顎を半ば掴むようにして顔を触っていた。
「あーあ。…お前がもっとサキュバスぽかったら、遠慮しないんだけどな」
「それって、どういう…」
「かわいすぎて困る。なんでそんなピュアなんだよ」
「さっきから貶されてる?」
「褒めてる。純粋でかわいいねって」
「…嬉しいけど、サキュバス失格な気がする」
きっとわたしが人間の女の子なら素直に喜べてたであろう言葉が続いて、複雑な感情が重なる。…生まれてくる場所、間違えちゃったかな。
変えられない宿命に落ち込んでても仕方ないからチョコを楽しもうと紅茶を淹れておぼんに乗せて、深澪が運ぶよと言ってくれたからお言葉に甘えて…その後ろをついていく。
テーブルの上に並んだチョコと紅茶の組み合わせを見て、いくばくか沈んでいた気分も晴れた。
「おいしそう~…!」
「いっぱい食べな。買ってきてくれてありがとね」
「うん!…いただきます!」
ほとんど黒みたいな茶色のひと粒を、ワクワクドキドキしながらつまみ上げて、口の中へと放り込んだ。
「っ…ん!すごい、甘い……精力みたいな味する」
舌の中に乗った瞬間に表面からとろけていった食感も相まって、余計にそう感じた。違うのは、鼻から抜ける咽返りそうな香りくらいだった。
なんなら味だけなら精力よりも甘くて好きかもしれない。
…あれ。
人間界の食べ物があれば、セックスいらない説出てきた。
いやでも、精力は粘膜の接触…キスも含めて楽しむものだから、あのドキドキや温もりには勝てない…よね。そうであってほしい。
危うく、唯一残されたサキュバスとしての特徴さえも放棄しかけた思考を元に戻して、内心焦る。さすがにそこまで来たら人間を目指した方が早い。危ない危ない…
そもそも、わたしは一人前のサキュバスになるために人間界に来たんだった。
日本に降り立って数カ月。
そこでようやく、本来の目的を思い出した。
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