第8話「未熟サキュバス、おつかいします」
役に立ちたい。
その一心で。
「ひとりで買い物?」
「うん!今度からは深澪についてきてもらわなくても平気なように、ひとりでも出歩けるようになりたいの」
ある日の朝、ご飯時にそんなお願いをしてみた。
深澪はあからさまに心配な顔をしていて、まだ早かったかな?断られちゃうかな?なんて思ったけど、最終的には「いいよ」と許してくれた。
さすがに手放しで行かせることはできないと判断したのか、念のための忠告も受けた。
それは、お着替えをして出かける直前になっても言われた。
「まず…知らない人についていかない、自分から声もかけない」
「はい!」
「気になるものがあっても、ひとりの時は我慢」
「うん!」
「道に迷ったら、そこら辺の人じゃなくて交番ってところに行くかお巡りさんって人に聞く」
「わかった!」
「買いたい物の場所が分からなかったら、店員さんに話しかける。店員さんには敬語で接するように」
「任せて!」
「…店までの地図は持った?地図の見方は分かる?お巡りさんの格好は覚えた?店員さんは基本的にエプロンとか着けてる人ね。何か不安なことある?」
「全部ちゃんと分かるから大丈夫!不安なことない!」
「……ほんとかなぁ」
元気いっぱいに返事をしたわたしを、深澪は不安の残る表情で……それでもちゃんと見送ってくれた。
渡された手書きの地図と、お店の住所や名前が書かれた紙、それからお財布の入った鞄を持って、意気揚々と玄関を出る。
エレベーターに乗ってマンションを出て…たしか、すぐ左に進むんだったよね。あとは基本的にずっと真っ直ぐ行けばいいって言ってた。
「ふふん、お買いもの楽しみ」
るんるん気分で歩いていたら、
「ニャア…」
途中、人間界図鑑で見て造形を気に入っていた愛らしい小動物に出くわした。
「ね、ねこだ…」
わたしの前を横切ろうとした猫さんは、どうしてかこちらを向いて立ち止まる。…もしかして仲良くなりたいのかな?
深澪には「ひとりの時は我慢」って言われたけど…猫さんとお友達になるくらいなら、平気かな?これも怒られちゃう?だめ…?
「にゃ…」
「かわいい~…!」
不安に思う気持ちは、目の前のクリクリおめめの可愛い姿によって吹き飛んだ。
だけど、思わず飛びつくように近付いたら、それに驚いちゃったのか走って逃げられてしまった。…残念。
ここで深追いしたらさすがに怒られるよね…とそれ以上追いかけるのはやめて、気を取り直して真っ直ぐに歩き出す。確かこの後は、ふたつ目の十字の交差点を…右だったかな。
「あ……着いた!」
地図を頼りに歩き進めて、案外サクッと目的のスーパーまで来れた。へへん、初めてでこれはなかなか上出来なのでは?
「えっと…今日買うのは、トマトと……豚挽き肉、それから…」
まだまだ名前と見た目が一致しないから、買い物リストは深澪がわざわざ画像付きのを作って印刷?しておいてくれたらしい。それを確認しながら、店内を巡る。
トマトは……たくさん置いてあるけど、これ勝手に持って行っていいのかな?手前から取る、みたいなルールとかない?
わたしの知らない常識が潜んでそうで、たじろいで取れずにいたら、後からやってきた中年女性が無遠慮にいくつか持って目視してみては戻し…最後にひとつ、すぐそばにあった透明の袋を取ってそこに入れてたのを横目で見て、わたしもとりあえずその動作をまるまる真似してみた。
目視で…何を確認してたんだろ?毒とかは、ないよね。…うん、匂いはあんまりしない。
よく分かってないまま、赤くつやつやでハリのあるトマトの表面を手に取っては眺める。どれもおいしそう……なんとなく、赤は食欲そそられる気がする。
一番おいしそうだった、赤色が濃くて綺麗な形のものを選んで、透明の袋へ二個詰めた。
店内には商品の下らへんに必ず数字の書かれたやつがあって、それが金額かな?と推測できたはいいものの…高いか安いかなんて分からないから気にせずカゴに入れといた。
そんな感じで、慣れないながらもなんとか目的の物を店内をあちこち巡って集めていって、最後の最後の最難関…レジへとやってきた。
か、カゴを置いたら勝手にピッピしてくれるらしいから、それを待って、金額を伝えられたらその金額通りのお金を払う。……この流れで、いいんだよね。
ドキドキしながら脳内で最終確認をして、店員さんの立つ場所までかごを運ぶ。
店員さんには敬語、店員さんには敬語……
「お、お願い申し上げます」
「はい!いらっしゃいませ、お預かりします」
よし。第一関門突破。
あとはピッピを待つだけ……あ、打つたびに金額も教えてくれるんだ。親切。
「お会計、1398円です」
「は…はい!」
せんさんびゃく、きゅうじゅうはちえん…は、確か。
一番小さいお札…千円札が1枚に、銀色でフチがギザギザしてる硬貨…100円玉が三枚……あれ、どうしよ。100円玉が二枚しかない。
ど、どうしよ。これって…お金足りないやつ?
千円と98円はあったから、とりあえずそれは出しておいて、青いトレーに乗せて………あと300円、どうしよう。金額ピッタリじゃないときっと受け付けてもらえないよね…あれ、平気なんだっけ?あぁもう…!テンパりすぎて思い出せない。
お金足りなくて買えないと、どうなっちゃうの?
泥棒ってやつだと思われちゃう…?
…お巡りさんに連れて行かれちゃうかも。深澪が言ってた、悪いことする人はお巡りさんに罰してもらえるから、だから困った時は頼るんだよって。
ま、まさか……自分がその“悪い人”になっちゃうなんて。
「?…お客様?」
「あっ…も、申し訳ございません!あの、100円玉が二枚しかなくて」
「は、はぁ…?千円札や500円玉はありますか?」
「あ……あります!」
「じゃあ、そちら出してもらえれば…」
え。
でもそれだと、二千円と98円とかになって金額変わっちゃう……でも、店員さんが良いって言ってるんだから、きっと良いのかな?
おとなしく、おそるおそる千円札を青いトレーの上に一枚足してみたら、店員さんは慣れた手つきでそれを回収して、
「お釣り700円のお返しです」
おそらく差額分?を瞬時に計算して返してくれた。て、店員さんって暗算得意なんだ…すごい。
お金を受け取ってしっかり財布にしまって、カゴを持つ。…そういえば、買った商品はどうやって持ち帰ったらいいんだろ?
本屋さんと服屋さんみたいに袋に入れてもらえなかったから…このまま手持ちで帰るのかな。
分からないから周りの人を参考にしようと見てみたら、レジの奥にあったテーブルの上にみんなカゴを乗せて、貰える袋の中に自分で詰めていた。…なるほど!
見よう見まねでわたしもそこにかごを置いて、なんか適当に詰めていく。トマトは潰れちゃいそうだから…上に入れとこ。
うん、よし。
ここまではわりと順調…後は、お家に帰るだけ。
袋を持ってお店を後にして、来た道をそのまま戻ればお買い物は無事に完了。この調子なら今度からはひとりでも来れそうでよかった。
なんだ、思ったよりお買い物って簡単じゃない。
そんな風に油断しきっていたわたしの元に、魔の手はゆっくり忍び寄っていた。
「…あれ、道に迷ったかな」
行きと帰りでは見える景色が違うからか、順当に歩いていたはずなのに人気の少ない閑静な住宅地に入り込んでしまって、足を止めて小首を傾げる。
「うん…一旦、引き返そ」
と、体ごと振り返ったところに、
「はぁ…はぁ…」
「へ?」
コートを交差させて体を隠すように立った、小太りな中年男性?の姿が視界に飛び込んできた。…な、何してるんだろ?
気になるけど、深澪に知らない人には声をかけないって言われたから…その教えを守って、男性の隣を横切るため一歩足を前に踏み出したら、
「へっ…?」
バッと、コートの布が開かれた。
途端に現れた肌色に驚いて目を丸くする。さ、寒くないのかな?
着てくる服装…間違えちゃったとか?
もしかしてわたしと同じ、人間界に慣れてないサキュバス…彼は男性だからインキュバス?なんて謎の親近感を覚えると同じくらいのタイミングで、つい視線は下へと向いた。
……あれ。
「小さい…それに、皮も剥けてない」
わたしの知るインキュバスの立派なお○んちんとはまるで形状も大きさも違うそれを、まじまじと見つめる。
「赤ちゃんみたい…」
そっか。
13歳になる前に地上に間違えて降りてきちゃったパターンかな?にしても……見た目は若くないのが不思議。サキュバスもインキュバスも基本はどの年齢でも若さを保ってるはずなのに。…亜種?
上と下に視線を何度か移動させていたら、最初は興奮してそうだった同族さんの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
…やっぱり寒いから、冷えちゃったのかな。わたしも冷水で洗い物すると手が冷えて赤くなるからとても分かる。あれ痛くて辛いんだよね。
知らない人には話しかけるなって言われてるけど、彼はきっとインキュバスだもん。人じゃないから大丈夫だよね。
「その格好…寒くないですか?」
心配になって聞いたら、彼の顔は途端に悔しそうに歪んだ。…分かる、分かるよ。わたしも人間界に降り立った時は恥ずかしかったし、悔しいような気持ちにもなったから。もはや屈辱的だったもん、あの時は。
心の中で同情して、一歩足を前に出した。
「っ…何してんだ、くらら!」
そこへよく知ってる声が響いたと思ったら、後ろから腕を引っ張られて抱き寄せられた。そしてあっという間にお巡りさんたちが中年男性の元へと駆け寄って取り囲む。
そしてそのまま逃げる隙も与えられず、男性は手錠をかけられていた。…SMプレイ?なわけないか。
いわゆる逮捕現場?を目前に、言葉を失う。
「え……え?なにして…」
「それはこっちのセリフだ!不審者に自分から近付いてくなんて…なに考えてんだよ!」
「ふ、ふしんしゃ?」
「どっからどう見ても不審者じゃん。警察に電話したらすぐ来てくれたからよかったけど……危ないからあんな事もうすんな」
「あぅ…っ、ご…ごめんなさい」
ペチンとほぼ叩いてないような力加減で頬に手を当てられて、それでも怒られた事にしょんぼりして謝った。
「でも…どうして、深澪がここに?」
すぐに湧き上がった疑問を口にしたら、肩越しに見上げた深澪の瞳が泳いで、唇が尖る。
「……心配だったから、ずっと後ろついていってたんだよ」
貰えた質問の答えは相変わらず優しい彼女らしいもので、心配させちゃった罪悪感よりも嬉しくなって頬が緩んだ。
「…ほら、もう帰ろう。天海」
「うん!」
自然な流れで、手を繋いで歩き出す。
こうして、わたしの初めてのおつかいは無事に終わったんだけど……
「次からは、ひとりじゃ行かせないから」
「はい…ごめんなさい…」
帰ってから、冷たくそう怒られて…結局、今後のお出かけは深澪の付き添いなしでは許してもらえなくなってしまった。
いつかそのうち、ひとりでも大丈夫って思ってもらえるように…もっともっと頑張らなくちゃ。
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