第5話「未熟サキュバス、お出かけします」
洋服は、深澪のやつを貸してくれた。
ただけっこう身長差があるから、そのせいでだいぶオーバーサイズだったのもあって、見栄えはあんまりいい感じではなかった。
「…ついでに、何着か服も買いに行こっか」
それを見て、同じことを思ったらしい深澪は苦笑混じりに呟いた。…やさしい。
この人はどこまでいい人なんだろ…?そんな疑問を胸に抱きながら家を出て、
「…お兄さん、落としましたよ」
「お、おぉ…ありがとう」
同じマンションから急いだ様子で飛び出て行った男性が落とした何かを拾って、わざわざ渡しに追いかけたり、
「…お婆さん、一緒に渡りますよ。ゆっくりで大丈夫ですからね」
「あ…あぁ、助かるよ…」
信号のない横断歩道でびっくりするくらい時間を掛けて渡る老婆が轢かれないように、気を配りながら寄り添って歩いたり、
「もう…!泣かないで、お願い~…おねがい、大丈夫だから」
「…ほら~、音が出るおもちゃだよ。これで遊んでくれるかな?…よかったら使ってください」
「え…あ、ありがとうございます。…あ。笑った」
バス停で泣いた赤子を抱っこして、周りからの迷惑そうな目に泣きそうになりながらあやしていた女性に近づいて、赤子を泣きやませるがてらいつも持参してるらしい子供用おもちゃをあげたり、
「ちょっと、お兄さん…道を聞きたいんだけど!」
「お姉さんです。…どこ行きたいんですか?」
「ここよ、この駅!」
「あぁ…それならこの道を真っ直ぐ進んで、右に曲がったあとは…………って感じです。…今ので伝わりました?」
「ごめんなさい、もう一回」
「…うん、ここからすぐ近くだから案内しますよ」
気さくそうな中年女性に道を聞かれて、そのまま一緒に歩きだして案内したり。
本当にどこまでも良い人なんだということを知ると同時に、良い人すぎて目的の本屋まで一生辿り着かない気がしてきた。
たまたま彼女の周りで困り事を抱える人が多いのかな?って最初は思ってたけど、彼女がよく気が付くだけで外にはこんなにも些細なことで困ってる人達が多いんだって事実に驚く。
そりゃ…大変だよね。見かけた困ってる人全員にいちいちそんな風に声をかけて手を貸してたら。
だからわたしみたいなヤバ女にも声をかけてくれたんだろうな…と改めて優しさに感謝しつつ、
「つ……疲れる…」
とんでもなく疲弊してる深澪を見て、さすがに心配になった。
「声をかけるのやめたらいいのに」
「それが出来たら苦労してないんだよ。…これだから外に出るのは嫌なんだ」
「そもそもなんで、そんなに人助けするの?」
わたしの投げた素朴な疑問に、彼女はポリポリと頬を掻いた。
「世界中の人間、全員は救いきれないから……せめて、手の届く範囲の人は救いたいんだ」
なんて、慈愛に満ちた人なんだろう…と思うわたしと、
「結局、自分が疲れて人間を遠ざけるようになってたら元も子もないんだけどね。…ほんと、どうしようもないやつだよ、あたしは」
自分のことをひどく卑下して責めてる深澪では、多分見てる世界が違うんだと思った。
「優しくできるだけで…すごいと思うよ?」
「……中途半端な優しさは、人を傷付けることもあるから」
過去に何か、あったのかな。
分かりやすく、深澪の綺麗に整った顔が沈んで、暗い表情へと変わった。
…優しさは優しさに変わりないのに、彼女にとっては違うんだ。人間って難しい。
「天海も…巻き込んでごめん。早く本屋行きたいだろうに」
「わたしは平気。こうやって外の色んなところ歩いたり…色んな人間を見れるだけで楽しいから」
「…お前は、優しいんだな」
本当の事を言っただけなのに、どうしてか褒めてもらえた。人間の考えること……いや、深澪の考えることはよく分からないや。
とりあえず気分がいいことだけは分かって、るんるんな足取りで歩みを進める。
その後も深澪は癖のように困ってる人がいたら話しかけに行っていて、結局…家から徒歩十数分くらいの距離の本屋に着いたのは家を出てから1時間以上も後だった。
「わぁ…!本がたくさん!」
深澪の家にあるだけでも多いと思ってたのに…さすが本を売る専門のお店。その数はまるで比べ物にならないほど多くて、店内に入って早々にテンションは爆上がりした。
筆記試験を満点で合格するくらいには勤勉なわたしだから、必然的に本を読み漁るのも大好きで…新しい知識を取り入れるのはいつだってワクワクする。
そんな経験を与えてくれる本達を前に、キラキラと瞳を輝かせた。
「…好きなの、買っていいよ。三冊までな」
「三冊もいいの!?」
「うん。まずは欲しがってた料理本見に行こっか」
「やった!」
深澪の後に続いて、コーナー別に分けられてるらしい店内を興味深く観察しながら進む。
「完全な料理初心者なら……ここら辺とか。いいんじゃない?」
「わ…写真付きだ。カラフル~」
「三冊とも全部…料理に関するものでいい?」
「うん!今日はそうしよっかな」
「じゃあ次はこれとか…簡単に作れそうなものもあるみたいだよ」
「わぁ、すごい!……人間界って、こんなにご飯の種類が豊富なんだ…」
「日本は特に種類が多いかもしれないね」
「へぇ…!」
お勧めされた本に軽く目を通していって、それだけでもう楽しくて仕方なかった。
日本語は読み書きも完璧だから…何を書いてあるかもちゃんと理解できる。覚えるのほんとに大変だったけど、こんな風に努力が報われてよかった。
「深澪は、何が好き?ご飯」
「うーん……基本、好き嫌いはないよ。何でも美味しく食べれるタイプ」
「そうなんだ…でも、それだと困っちゃうな」
「なんで?」
「だって初めて作る料理…せっかくなら深澪の好きなやつ作ろうと思ってたの。だから…」
「いいよ、そんなの。自分が食べたいやつ食べな」
「…やだ」
わたしが料理したいのは、深澪に喜んでもらいたいからなのに。…そんな風に言われちゃうのはさびしい。
こんなにも好きな想いが、届いてない気がして。
「深澪が食べたいやつ作りたい……だめ?」
服を浅く掴んで見上げたら、相手の視線はわたしの方へ驚いた仕草で落ちた。
「…天海、今ムラムラしてる?」
そしてすぐ、怪訝な顔で引かれたような言い方でそんなことを聞かれる。…なんで?
「してないよ?」
「あ。そっか……じゃあ、気のせいかな」
「?…もしかして、なんか匂った?」
「うーん…うん。なんでもない」
天井を仰ぎながら口元に手を置いた深澪は、しばらく何かを思案して、すぐにまたわたしを見て首を横に振った。
く、臭かったかな。そういえば昨日、お風呂入ってなかったから、それかも。
心配になって、自分の腕を持ち上げて匂いを確認する。…自分じゃ分からないや。
「臭くないから、大丈夫だよ」
ひとりクンカクンカ必死で嗅いでいたら、苦笑しながら頭の上に手を置かれた。
人間の女性にしては多分大きめな手のひらから伝わる体温にも、優しい声にもホッとして、悪臭確認の作業をやめる。
「…ほら、どれが良いか決めちゃいな」
「うん!えぇ…と」
結局、深澪の食べたいものは教えてもらえなかったから諦めて…料理の本は初心者向けのものを三冊選んだ。
途中…高いところの本が取れない人の手助けをしたりと、ここでも親切を遺憾なく発揮していた深澪に連れられてレジへ向かう。
店員と呼ばれる女性がよく分からない機械片手にピッてするのを、いちいち「おぉ…!」と感極まって声を出しながら眺めた。さすがに店員さんもちょっとやりづらそうだった。ごめんなさい。
「…ほんとに何も知らないんだね」
「う、うん……ごめん、変なやつで」
「面白いからいいよ。…次は服買いに行くか」
高いのか安いのか分からない金額を支払ってくれた深澪にお礼を伝えて、一緒にお店を出る。
服屋へは意外と、道中困った人もいなくて難なく辿り着けた。周りをキョロキョロ見回して忙しないわたしを放っておけなくて見守ってくれてたからっていうのもあるかもしれない。
「すごい…お洋服がこんなに……」
本屋同様、やっぱりそれだけを扱ってるところだからか店内には想像以上に多種多様な形や色をした衣服が並べられていて、またテンションは上がる。
「…サイズとか分かんないだろうから、最初はあたしが選ぶよ」
「う、うん!お願いします」
目測でサイズを判断して、何着か手渡される。それを試着室?まで運んで、慣れない形状の服にもたつきながら着替えた。
サキュバス界は基本的に、13歳までは全裸で過ごしたりもするから…そもそも服を着るってあんまりない経験かも。
「ど…どう?これ、ちゃんと着れてるかな?」
「うん。いいんじゃん?それにしよっか」
カーテンを開けて確認してもらったら、適当な返事を貰って少し落ち込む。
「か…かわいい?」
「似合ってるから大丈夫だよ。それ気に入った?」
「…深澪にかわいいって思われる服が良い」
寂しくなってポツリと呟いたら、困らせる発言だったらしくため息をつかれた。
「ごめんだけど…そういうのは、言わないようにしてるから。あんまり期待しないで」
「?…なんで、言わないようにしてるの?」
「…気を持たせることは言わないって、決めてるの」
何か、事情があるっぽい。
「あたしの性格的に……勘違いさせやすいから。口説くみたいな褒め言葉と体と金は差し出さないって、基本そう決めてんの」
「………わたし、本とか洋服とか買ってもらっちゃってるけど、平気?」
「…お前は仕方ないよ。バイトなんてできないだろうから」
深澪なりに決めごとがあるみたいだけど、それもけっこう臨機応変に対応しちゃってるから…あんまり意味ない気もした。
でも、迷惑をかけないためにもせめて彼女の意思には従おうと心に決めて、服は可愛いって言われなくて凹んだけど気にしないように努めて服選びは早めに終わらせた。
その後は、帰ってさっそく料理してみよう!と意気込んで初めて行ったスーパーで目的のものを買ってもらって、
「…ごめん、疲れたから寝る」
徹夜明けで買い出しにまで付き合ってくれていた深澪は帰宅して早々に、倒れるようにベッドの上へと横になった。
睡眠の邪魔をしないように、わたしはまずお風呂に入って…買ってくれた下着と部屋着に着替えて、料理本をひと通り静かに読んで目を通してから、キッチンへ立った。
「…よし」
エプロンの紐を固く結んで、気合を入れる。
初の料理……成功するといいな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます