第4話「未熟サキュバス、興奮させます」
えっちなことしよ。
なんて、誘ってみたはいいものの。
……なにしたらいいんだろ。
深澪の膝に手を置いたまま、あまりに初歩的なところでつまづいて、どうしたもんか…と顎を指で挟んで思案した。
今まで試験のために勉強してきた数々の知識を脳裏に巡らせてみる。
たしか、人間はえっちなムードを大切にする人も多いから、いきなり挿入とかはしなくて、まずはキスとか…軽い触れ合いから始めるんだったよね。男女の場合だけど。
きっと女同士も、同じ風に進めていいはず。
そうと決まれば…さっそく実践だ。
「深澪…」
まずはキスをしてみようと、顔を上げたはいいものの。
「?…なに」
視界を埋めた顔があまりにもタイプ過ぎて、すぐに照れて俯いた。
……いや無理。むりです。こんな整った顔の人とかキスするとか…それもうえっちすぎてセックスしてるみたいなもんじゃない。もはやそれだけでイッちゃいそう。いや、逝っちゃう。心臓止まっちゃう。
ただでさえ経験値が皆無だっていうのに、とてもじゃないけどわたしの方からキスなんてできるわけない。
…緊張しすぎて吐き気してきた。
「サキュバスとえっちなことって…具体的に何すりゃいいの」
わたしがなかなか行動しないからか、ちょっと呆れた感じで聞かれて言葉に詰まる。
「それは……なにしたら、いいんだろ」
とりあえずキス、それは確定。…だけど、出来る気がしない。
しばらく、お互い困って黙って、気まずすぎる沈黙の時間が続いた。
「…分かんないから、まぁいいや」
先に諦めたのは深澪で、開き直ったようにわたしの腰を抱いた。
「とりあえず、におい嗅がせて」
「へ…?」
「天海のにおい…好きだからさ。嗅いでればなんとかなりそう」
そっ…か、なるほど。
仮にもわたしだってサキュバス。
欲情してない状態でも体臭のほとんどにフェロモンが含まれていて、たとえ微量すぎるくらいの量だったとしても、人間にはちょっとくらい効果はあるはず。
ほんとはムラムラしてたらもっと効果的なんだけど、今は緊張が勝っちゃってどうにもムラムラなんてできないし…それならほぼ効果がないとしてもフェロモンを嗅ぐことで体内に取り入れてもらって欲情してもらう方が手っ取り早い。
「う…ん、嗅いで…?」
「そんじゃ、遠慮なく」
了承を得ると同時に深澪は言葉通り無遠慮に距離を詰めて、ほとんど抱き寄せる形でわたしの髪に口元をうずめた。
「…はぁ……ほんと、いいにおいする」
「そ、そんなに…?」
「うん…なんだろ、この感じ。とにかくえろい」
そう思えてもらえてるってことは…サキュバス特有のフェロモンがちゃんと機能してるのかな。
なんにせよ、わたしで深澪がえっちな気分になってくれるのは嬉しい。…にしても匂いだけでそんな風に強く思うなんてあんまり聞いたことない事例だな……相性がいいとか?
「いい感じにムラムラしてきた…」
「ん…っ」
すぐ耳元でハスキーな声がして、吐息が肌を刺激して、それだけで肩が小さく震える。
こ、れ…わたしの方が、興奮しちゃうかも。
むず痒いような、物足りないような感覚に包まれて、思わずそばにあった服を弱々しく掴む。それに対して、相手は熱い吐息を吐きながらわたしの手を握ってくれた。
甘い香りが、体を包む。
あ……今、深澪…欲情してるんだ。
そう思うだけで、もう。
「だ…め、もう…このまま」
「うん、よし!イケそう」
布を引っ張ったわたしの肩に手を置いて体を離した深澪は勢いよく立ち上がって、勢いをそのままに作業場の椅子へと移動する。
そして、ものすごい速さでパソコンを触り始めた。
「あ……え、これで、終わり…?」
「ごめん、集中するから先に寝てて」
そんなこと、言われたって………無理に、決まってるんですけど。
あっさり離れた体温と香りが頭から離れなくて、一周回ってイライラした気持ちで、だけどどうすることもできないからおとなしく毛布に潜った。
小説を書いてる間はこれが続くって……もう生殺しでしかない。
すでに初日から心折れそうになったわたしは、色んな疲れも相まってか…その日は早々に瞼を下ろして、暗闇の中へと意識を放り投げた。
起きてからもまだ、深澪はパソコンに向かっていた。
昨晩のムラムラもすっかり治まったわたしだったけど…お腹は減るもので。
余韻なのか、それとも未だに興奮しながら書いてるのか…部屋はまだ食欲をそそる香りで満たされていて、だめだと分かっててもウズウズしてしまう。
「み、深澪さん…」
ちょっと、だけ。ほんの少しだけ、また汗を舐めさせてもらえないかな?なんて企んでベッドを降りて声をかけた。
「あぁ…起きた?おはよ」
「あ、お…おはよう」
「少し待って。思ったより捗ったから…もう終わりそうなんだ」
「そ…そっか。わかった」
それも優しく声をかけられて、すぐに諦めた。
変にソワソワしながら待って……その間、少しでも気と空腹を紛らわせるためにカップ麺をまた食べてみようと部屋を出る。
…深澪も、お腹すいてるかな。
ふとそんな事を思って、せっかくだからとふたつ作ってみた。
「朝ごはん…食べる?」
「……徹夜明けの朝からラーメンは重いって」
「あ…ごめんなさい。食べれなさそう?」
「いや。貰うよ、ありがと」
余計なことして怒られちゃうかな?って思ったけど、予想と反して深澪はテーブルの方まで来てくれて、さっそく「いただきます」も無しに麺をすすり始めた。
…日本人は挨拶や礼節に厳しいって、人間界図鑑には載ってたんだけどな。深澪は違うみたい。
そういうところでもカルチャーショックを受けつつ、わたしはちゃんと「いただきます」を言って食べ進めた。
「んー…やっぱ朝のカップ麺はキツいな」
「……人間はいつも、朝に何を食べるの?」
「人それぞれだよ。米派とパン派で分かれるけど…和食のが多いんじゃない?」
「わしょく…」
それは、図鑑で見たことがある。
一汁三菜と呼ばれるもので、主食のご飯にお味噌汁なんかの汁物と、おかずが三品だったよね。…彩りが豊かで美味しそうに見えた記憶。
「まぁでも、こうやって人になんか作ってもらえるのは初めてだから嬉しかったよ。ありがと、天海」
「あ……うん…」
ふわりとした笑顔を向けられて、単純な心臓は喜んで跳ねた。
そっか…ご飯作ると、こんな風に喜んでもらえるんだ。
なんだか胸がじんわり熱くなるような感覚を得て、気分が良くなるついでに、それならもっと色んなものを作って食べさせてみたいと欲が湧く。
だけどわたしは人間界初心者。サキュバス界では料理なんてしたこともなければ必要もなかったから、料理に関しては初心者どころかまだ産まれてすらない。…勉強しよ。
人間界には書籍や資料となる本が溢れてるから、きっと料理についての本もあるはず。
「…本が、欲しいな」
ぽつりと、独り言混じりにお願いしてみたら深澪は「なんの本?」と聞き返してくれた。
「料理のやつ……それ読んで勉強して、深澪にたくさんご飯作りたいの」
「あー…別にいいよ。居候してるからって気使わなくて。お金とかもそんな裕福ではないけど、人ひとりくらい養えるからさ」
「それもあるけど…そうじゃなくて。純粋に、喜んでほしくて…」
気恥ずかしながらも思いの丈を話せば、優しい彼女は「そっか」と微笑んで頷いてくれる。…すき。
「欲しいのあれば、ネット通販で買っとくよ」
「ねっとつうはん?」
「うん。家に届けてくれんの。だから出かけなくても買い物できる…」
「っや、やだ!お出かけできないなんて」
まだまだ人間界については知らないことが多い。だからこそ、これからはたくさん色んなところに行って学んでいこうと思ってたのに。
わたしのそんなわがままな気持ちは、深澪を困らせちゃったみたいで。
「あんまり外…出たくないんだよ」
何か嫌なことがあるのか、ため息まじりにそう言われた。
「…どうして?」
「自分で言うのもなんだけど、あたし……超がつくほどのお人好しなんだ」
そんな感じは、する。
初めての出会いも、誰も声をかけてくれなかった中で唯一話しかけてくれて、寒くないようにまでしてくれたのは深澪たけだったし…その上、こうして素性も分からないわたしを住ませることまでしてくれてるから。
「だから外に出ると…困ってる人がいるたび話しかけたり、逆に話しかけられたりで、大変なんだよ」
そう聞いても、何も大きな驚きはなかった。
「全員を救えるわけでもないからさ……そういうのも、いちいち心苦しくて。人は好きだけど、一緒にいると苦しくなるんだ」
深澪は多分、人間の中でもかなり…愛情深い人なんだと思う。個体差はあるとは知ってたけど、こんな人…資料には載ってなかったな。
「大人になって、さすがに断ることは断れるようにはなってきたけど…昔はもっと大変だったよ。大学時代は宗教やらマルチの勧誘に追われて……だから引きこもりたくて小説家を目指したんだ」
そこから簡単に、深澪は自分のことについて教えてくれた。
小説を書くのは元からの趣味で、自分だけの世界に潜り込めるのが好きで、安心できる心の拠り所でもあったんだとか。
どうして官能小説家になったのかは…とにかく色んなジャンルの小説を書いてみては出版社?とやらに送りつけて、そのうち目に止まったものが官能小説だったからと言ってた。
「あたしはそんなに性欲が強い方でもないからさ、ムラムラした時じゃないと書けなくて…無理やりムラムラを誘発させて書くことが多いかな」
「ムラムラを誘発………どうやって?」
「とにかくエロに触れる。AV見たり、エロ本読んだり」
「それ知ってる、えっちな映像とかのやつだ」
「そうそう。…そのおかげもあって、まぁなんとかやっていけてるよ」
人間界で生活する上で必須なお金も、今ではそこそこ持ってるらしい。
「だから欲しいものあったら言って。買うから」
「ネット通販で?」
「うん」
「やだ」
「…やだと言われましても」
と、言われましても。…わたしだって、いつまでも世間知らずでいるわけにはいかない。
一緒に住むんだったら余計に、たたでさえ迷惑かけてるのにこれ以上…無知故のおバカを晒してさらに迷惑かけるなんてムリ。
外の世界を知るためにも、どうしてもと土下座して頼み込んだら、
「分かったよ……本屋、連れてくから」
やっぱり土下座には弱い深澪は、ため息をつきながらも外出することを許してくれた。
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