第2話「未熟サキュバス、居候になります」
昨日、彼女が説明してくれた。
サキュバス界の常識と違って、人間界では“お付き合い”を経て、ようやくセックスに進むらしい。
だからまずはお友達から始めて、お互いに気に入ればお付き合いに発展、その後セックス…という流れを辿ることになった。
お友達期間は、わたしが「バカにされたくない」という一心で帰りたくないことを伝えたら、「それなら…」と一緒に住んでもいいと許しを貰えた。
ありがたく、そして図々しく家に居座ることにしたわたしは、次の日からとりあえず人間界の知識が足りなすぎるから彼女の家にある本達を使って、色々と学ぶことにした。
「わ…すごい。これえっちな本だ」
「あー…それはあたしの書いた小説だよ」
「え?」
その過程で、彼女の職業が“官能小説家”というものらしいことを知った。なにやらえっちなお話を書いてお金を貰ってるとか。
彼女の名前は
「小説家って…どうやってお仕事するの?満員電車に乗ったりする?」
「いや、家で作業することが多いから…基本的には出かけないで引きこもってるよ。満員電車なんて無縁の生活だね」
「ほぇ~…」
ってことは、ずっと一緒に家に居られるんだ。
へへ、ラッキー。それなら仲良くなるにも時間かからないし、近いうちお付き合いに発展できるよね?
なんて、呑気に考えてたわたしが甘かった。
「…お仕事、いつまでしてるの?」
「キリがいいとこまで。締め切りもうすぐなんだよ、急がないとヤバい」
作業場である机に向かって、深夜2時を過ぎてもパソコンとやらをカタカタ叩く姿に声をかけたら、やけに焦った余裕ない態度が返ってきた。
…なるほど。
そういえば人間は、特に日本人は“仕事大好き”っていう特性持ちなんだっけ。だから例に漏れずこの人もこんな遅い時間まで作業してるんだ。…やっぱりドMなのかな?
とりあえず邪魔しちゃうのは嫌だから、ベッドの上で気になる本を開いて、うつ伏せになって足をプラプラさせながら時間を潰すことにした。
それに、しても……
「おなかすいた…」
地上に来てから何も食べてなくて、ぐう、とお腹が鳴る。
わたしたちサキュバスの食事は精力で…成熟したサキュバスならセックスする事で精子ごと体内に精力を取り込んでお腹を満たすんだけど、わたしのような未熟者になるとまた変わる。
セックスが出来るようになるまでは、サキュバス協会から非常食用精力剤を定期的に配給してもらって、粒になってるそれを飲むか、インキュバスから粘膜を通じて分けてもらうことで栄養という名の精力を食べて生きている。
だけど今は…人間界。
当然のように非常食用精力剤も無ければ、残念ながらわたしみたいな雑魚サキュバスはインキュバスから相手にもされないから、恵んでくれる相手もいない。
となると……やっぱり、セックスしてもらうのが一番なんだけど。
「………深澪さん」
「今まじで良いとこだから。話しかけないで」
とてもじゃないけどえっちな雰囲気になんてなりそうもない静かで冷たい声に、しょんぼりしてまた本へと視線を落とした。
一回、バレないようにコソコソ向こうに戻って、自宅から余ってる非常食用精力剤をあるだけ持ってこようかな。
このままだとセックスに辿り着く前に餓死しちゃう。そんなのは困る。処女のまま死ぬなんて、サキュバスの世界ではご法度もいいとこ……死んでもなお死刑ものの大罪だ。
そんな罪を背負って死んでしまう前に、恥を忍んでサキュバス界へ帰ろうかと企んでいたところに、
「ん………いい、におい…」
鼻の奥にまで届いた
いったいどこから、こんな美味しそうな匂いしてるんだろ…?
食欲をそそる香りにつられるように起き上がって、ベッドを降りる。そしてそのまま、スンスンと嗅ぎながらより香りが強くなる方へと進んだら、
「……邪魔すんなって、言ったよね?」
気が付けば、深澪さんのつむじ辺りに鼻を乗せていた。
怒りを含んだ低い声にびっくりして、慌てて体ごと身を引いて顔を離す。
「ご、ごめんなさい…邪魔するつもりじゃ」
「お腹空いたならカップ麺あるから、それ食べて」
「かっぷめん?」
「…………はぁ。あたし作るよ、座ってて」
ため息をついた後で立ち上がって、深澪さんはわざわざ部屋の隅から隅へ移動する形で扉の向こうのキッチンへと移動した。
気になって、後を追う。
「…ついでに作り方も教えとくか」
そう言って、人間界図鑑で見たことがある形状の、カップのような何かを取り出した。
そこから、深澪さんによるカップ麺講座が始まって、順を追って説明しながら作るところを見せてくれる。
まず、電気ケトル?に水を入れて、スイッチをオンにしてお湯を沸かす。お湯が沸騰したら蓋を半分辺りまで剥がしたカップの中に注いで、蓋を閉じて三分待機。…これだけで、完成するとか。
「うわぁ…!美味しそうな香り…」
「熱いから気を付けて食えよ。箸の使い方は分かる?」
「……ちょっとしか、わからない」
「じゃあしばらくはフォーク使っとけ。…ここに置いとくから。食べ終わっても片さなくていいよ、あたしが後でやっとく」
銀色のフォークとカップ麺をテーブルの上に置いて、彼女はすぐに作業場へと戻る。
その後ろ姿を見送って、どうやって食べたらいいのかも分からないまましばらくカップ麺を見下ろして、とりあえずフォークを持った。
「い…いただきます」
おそるおそる茶色いお湯の中にフォークの先を沈めて、掬い取るように浮かせたら、白くて細い麺が滑りながらも数本、銀と銀の間に残った。
それを、ひとくち。
「あつ…っ」
食べようと思ったけど、失敗した。
涙が出るくらいの熱さに驚いてフォークを離したら、せっかく取れた麺はまたスープの中へと落ちてしまった。
「…熱い時は、息吹きかけて食べな」
パソコンを操作したまま、わたしの方は見ずに教えてくれる。
気を取り直してさっきと同じように掬い上げて、今度は何度か息を吹きかけてみてから、熱くありませんように…と密かに願ってフォークごと口に入れた。
「んっ…!しょっぱくておいしい…」
なんとも言えない、パンチの強いような香りとちょっとばかし強すぎる気もする塩味が鼻と口いっぱいに広がって、クセになる麺の滑らかな食感を気に入って、拙いながらに一生懸命食べ進める。
「っは……ん、ん…ふ…あつ…」
必死に、美味しすぎて鼻息を荒くしながらパクパク食べた。
サキュバスの肉体は人間とほとんど同じだから、人間の食事にも適応できるらしい。
満腹とはまた違った満足感に心包まれて、汁まで全て余すことなく食べ終わる頃には、お腹がすいて仕方なかった欲の一部も見事に解消されていた。
「ふはぁ~…おいしかった」
ベッドを背もたれにして、いっぱいになったお腹をさする。人間ってすごい…あんな美味しいものをあんな簡単に作り出せちゃうなんて。
サキュバス界ではありえない物だから素直に尊敬しつつ……だけどやっぱり、物足りない。
部屋の中には今もさっき嗅いだ甘く芳醇なような香りが漂っていて、なんならさっきよりも匂いが濃くなってるかも。
小腹が満たされて冷静になった今なら分かるけど…あれは明らかに欲情の香りだった。サキュバスのこのわたしが食欲をそそられる香りなんて、このカップ麺かそれくらいしかない。
だから理由は分からないものの、深澪さんが今…謎に欲情してるのは分かる。
ゴクリ、と勝手に喉が動いた。
そ、それなら……えっちなこと、してもらえるんじゃ…?
「み、深澪さん…」
カップ麺のおかげで空腹感はだいぶマシになったものの、まだまだ食べたい。それに、早くセックスして一人前にもなりたいし、単に深澪さんに触ってもらいたいのもある。
特大の下心を疼かせて、作業に集中しすぎてるのか声も聞こえてない様子の深澪さんの後ろへと歩み寄った。
「はぁ……いい、香り」
近付けば近付くほど、頭をとろけさせるような甘い香りが鼻腔を刺激する。
興奮して浅く息を荒げながら、ハートマークを浮かべてぼんやりとした瞳で綺麗な白いうなじをじっと見つめた。
ちょっと汗ばんでるのが、また…
「い…ただき、ます」
もう辛抱たまらんと、思わずうなじめがけて顔を落とした。
「は、ぁ…おいし」
皮膚の表面に浮かんでいた、粒にもならない体液を舌先で掬い上げたら、そのほんの少しの量でも充分に腹が膨れるほど、心も体も満たされた。味も、たまらなく甘く濃厚で美味しい。
「はっ?何して……」
わたしの行動に、咄嗟に首の後ろを押さえて振り向いた深澪さんは驚いた顔をした後で……どうしてか、顔を青ざめさせていた。
そしてすぐ何かを確認するみたいにパソコンに向き直って、手元を動かそうとして……ピタリと微動だにしなくなる。
「う…わ、最悪…」
頭を抱えはじめた深澪さんを、終始なにしてるのか分からなくて小首を傾げて見守った。
「まじかよ……うわぁ…興奮どっか行った」
そりゃ精力を、体液を通して一部貰っちゃったからその分の欲望が消えてなくなるのは当たり前なんだけど…何をそんなに落ち込んでるんだろ?
なんて、さらに首をひねっていたら、深澪さんの体がまた振り向いてわたしを見上げた。
「お前、何した?」
見上げるというよりは睨むに近い視線に、怖くなって肩を竦ませる。
「あ、汗から滲み出てた精力をちょっとだけ……舐めて貰っちゃいまし、た…」
「ふざけんな!」
「ひっ…」
突然の怒鳴り声に体をビクンと大きく跳ねさせて、反射的に後ろへ身を引いた。お、怒ってる…
「せっかくセックスシーンも盛り上がってきたところだったのに…お前のせいでムラムラ無くなったじゃんか!こんなんじゃ続き書けない……どうしてくれんだ」
ど、どうやらちょうどえっちなシーンを書いてたみたいで…わたしが精力を吸い取っちゃったばっかりに、欲情が治まって仕事の続きが出来なくなってしまったらしい。
「ご…ごめん、なさい」
よりによって仕事に弊害をきたすだなんて思ってもみなくて、怒られた事と邪魔しちゃったことの罪悪感に押しつぶされたわたしは、目に涙を浮かべて謝った。
「っはぁ…!いいよ、なんとかするから。…怒鳴ってごめん」
盛大なため息と一緒に怒りも発散して、深澪さんはまたパソコンへと向き直った。
「あー、クソ……だめだ。全然、興奮しない」
だけど数分後には、また頭を抱えていた。
完全に、わたしのせい…だよね。わたしのせい以外のなにものでもないよね。
「あの……何か、手伝います…か?」
せめて力になれる事があれば…と、縋る思いで声をかけたら、椅子ごと振り向いた深澪さんが何かを見定めるようにわたしの頭から足先までを視線を流して観察してきた。
「………うん、賭けてみるか」
ポツリと呟いて、立ち上がる。
改めて立たれると、その身長差に圧倒されて足を一歩後ろへと下げた。
「お前…サキュバスなんでしょ?」
「え……う、うん」
「じゃあさ…人間を興奮させるのには慣れてるはずだよね」
わたしが下がったら、深澪さんはさらに距離を縮めるくらい大きな一歩を踏み出した。
目の前に、体の前方を覆うような影が出来上がる。
「あたしのこと、興奮させてくんない?」
見上げれば、とてもじゃないけど興奮とは程遠いクールで冷え切った瞳と目が合った。
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