第93話 クローヴィス

 アクラ川源流域。周囲の木を伐り払い、積雪も踏み固められた高台の上。

 クローヴィスはその大きな体には似合わない華奢な椅子に腰掛けて、昼の軽食とともにお茶を飲んでいた。東方で作られた黒い葉は淹れると赤褐色のお茶になり、独特の風味がある。


 紫色の外套を翻しながらレイアが駆けてきた。補給部隊の一般兵が踏み固めた雪道上なら雪板は必要ない。


「閣下、見つかりました。北北西に1キーメルテほど。地竜の寝床で間違いないとのこと」


 クローヴィスは立ち上がり、中年の一般兵の男が用意した雪板に足を乗せた。


 木製の雪板とは違う自分専用の白い雪板。木製のものは脂を塗らなければ雪が付着してコブができてしまうが、地竜の大腿骨を削りだしたこの雪板はその手間が無かった。


 北北西に向かって高台を滑り降りるクローヴィスのあとをレイアがついてくる。レイアの黒テンの毛皮帽はクローヴィスの今かぶっている物と同じだ。

 別にクローヴィスが与えたものではない。わざわざ毛皮屋に言って同じものを作らせたらしい。髪が生えていないクローヴィスほど防寒性の高い帽子はレイアには必要ないと思うのだが。


 レイアはクローヴィスが立ち上げた「グロロウ精鋭養成所」の最初の入所者の一人である。【豊魔】のアールヴィリティに目覚めたレイアに、当時まだ民との距離の取り方を分かっていなかったクローヴィスが自ら風魔法を教えた。

 そのせいなのかレイアは馴れ馴れしくなり過ぎる時があり、その都度クローヴィスはたしなめてきた。火魔法の適正もあるのだから師を見つけて習えとも言ってきたのに、戦闘魔法としては一向に覚えようとしなかった。

 地竜狩りで火魔法は使わないので、今それを言っても仕方ない。



 下り坂はすぐに終わり、長い杖も使って1キーメルテ進んだ。衛士隊と司法官部隊の精鋭合わせて90人以上が、高く積みあがった雪山の周りを雪板で踏み固めている。

 辺りには針葉樹を中心としてたくさんの木が生えている。地竜にとっては軽くへし折れる程度の物でしかないので防御の役には立たないだろう。


「確かに居るんだな?」

「【耳利き】が寝息を聞いています」



 地竜は冬眠しない。むしろ冬眠するクマなどを掘り起こして食う側だ。

 だが世界で最も強大な生き物、『竜』の一角であるために、敵に対する警戒心は弱く日常の眠りが深い。



「いよいよですね、閣下」


 60階梯に達することで≪書庫≫の異能に起きるであろう変化。

 それについてクローヴィスは何も話してないないのだが、レイアは何かを察し、何かが変わると期待している。そのための高揚を示す声音。

 この遠征。ついに3つ目の魔石を摂る機会を前にして、クローヴィス自身の精神は意外なほどに平静だった。



 記念すべき日になるはずの今日の日付は1月24日だ。

 数百キーメルテほどの範囲に広がっているアクラ川源流域に到着したのが17日。

 吹雪や急激な気温低下などに見舞われたが、それは毎年のことである。


 着いて早々に子育て中のつがいに出くわしたのは幸運だった。

 子を乗せて逃げる雌をかばって立ちふさがる巨大な雄を、クローヴィス自身が倒した。2日間の追跡の末に、背中にしがみついていた子もろとも雌を倒した。

 一気に3つの魔石を獲得して遠征は終わりかとも思ったが、親に比べて3分の1程の大きさの子地竜にはまだ魔石が形成されていなかった。

 切り開いた胸部を探って血塗れになった兵の落胆の表情が思い出される。



「閣下ぁ! 準備が整いまして御座いますぅ!」


 新たに衛士隊長となったフョードルとかいう男が無駄にでかい声を出す。司法官部隊の中隊長だったというフョードルは口髭を左右に長く伸ばした中年だ。腹が出ているのが気になるが、これでも49階梯の【剣士】である。

 その隣に控える平凡な容姿の男。赤銅色の髪を刈り上げ、革鎧を着こみ、本来衛士隊の装備である刺槍を携えている。

 前領主賢者ブルスタによって声を奪われた【妙手】のカレル。普段は非公表の形でクローヴィスの護衛の役目を果たしてくれている。

 クローヴィスは二人に最後の指示を出した。


「始めろ」




 調理にも使う大鍋に山盛りにされた雪に、優秀な水魔法の使い手がマナを込めて呪文を思考詠唱。温度が低いままで氷の粒から水に戻った魔法媒介は、帯のようになって鍋のふちを滑り出し、地竜の眠る巨大な雪山に向かって飛んでいく。


 4つの鍋から順次飛んでいき、雪山の内部深くまで突き刺さる。ぶつかった固形物に纏わりつき、氷に戻る。

 『氷瀑ヒッツヴァギア』の魔法はこの地方、この気候下で最大の効果を発揮する。雪山の寝床の中でのんびり寝ていた地竜はさぞ冷たい思いをしているだろう。もちろんこんなものは決定打などではない。


 雪山が内部から爆発するようにはじけ飛んだ。鍋をつかんで大急ぎで退避する水魔法の使い手たち。

 姿を現した地竜はその巨体に比べて小さな口を開き、距離を取る遠征大隊の兵たちを見回した。その口には歯が生えていない。強力な吸引力によって獲物の肉を吸って喰らうのである。


 鳴いたり吠えたりしない地竜だが、体を動かして発せられる騒音は衛士隊長や各中隊長の指示の声がかき消されるほどだ。頭の先から長い尾の先まで、平均で12メルテを超える。今回の地竜も特に大きくも小さくも無い。

 雪に埋もれているが、脚の一本一本が人間の背丈を超える長さ。

 何よりも特徴的な全身を覆う巨大な鱗。

 マナの恩恵で鉄のように、あるいはそれ以上に硬い鱗どうしがぶつかり、擦れあうことで、まるで千の軍隊が武具をぶつかり合わせるような音がする。


「囲めぇえ! 絶っ対に包囲から逃がすなよぉ! 近づかれたら目を狙え!」


 フョードルが叫んでいる。相対的に小さいとはいえ地竜の口は人を丸呑みにできるくらいはある。だが警戒すべきは口だけではない。


 体長の4割ほどを占める長大な尾。横なぎが直撃すれば高階梯の前衛でも負傷は免れない。前足の形状はモグラのようで、長剣のような頑丈な爪が三本揃って伸びている。この爪に突かれても死ぬだろう。

 巨体であっても、マナの恩恵をその身にふんだんに受けている地竜は十分に俊敏だ。


 後ろから強靭化した刺槍で鱗の隙間を突こうとした衛士。素早く振り返った地竜の左の前足に吹き飛ばされた。爪の直撃ではない。ほとんど風圧だけで吹き飛ばされたのだ。


 衛士隊は総勢45名。つがいの地竜との戦いで2名死亡。3名が負傷しもちまわりの補給部隊とともに帰還している。

 司法官部隊は47名が残っている。1名死亡2名が離脱。死亡者は地竜ではなく途中襲ってきた魔物との戦いで命を落としていた。

 遠征での死者数として多くは無い。この先グロロウの勢力拡大のための戦争を思えばこれくらいの被害で躊躇ってはいられない。


 兵たちは武技系の『器持ち』が前衛で戦線を組み、その後ろ、射程距離ぎりぎりから魔法巧者が攻撃し続ける。風魔法や水魔法の単精霊魔法。複合精霊魔法『極氷寒気ヒストセヤーマ』を放つ者も居る。鱗のない口や目や耳の部分であっても、『水鞭ニーロヴィーポ』などで切り裂けるようなことはない。相手は竜なのだ。


 地竜の色は基本的に茶色だ。

 近くで見れば青いまだらの細かい模様がある鱗は一枚の大きさが中型の盾ほどもある。


 先端が細く尖った鱗で全身覆われている様が地竜に似ているということで、タツノコモドキと呼ばれているトカゲの魔物がいる。

 だが地竜はトカゲではなく獣に近い魔物だと思われる。トカゲは子育てなどしないし、5日前に切り裂いた母地竜の腹には乳房があった。

 魔法を当てられ続け、鱗の隙間を突かれた地竜はわずかに疲弊してきたようだ。

 決定打にならない攻撃でも百、二百と喰らい続ければ体温が低下し、わずかな出血とともに体力が流れ出る。


「私が出る」

「お待ちを、まだ危険です」


 レイアはクローヴィスの白ヤシャネコの毛皮外套に、めり込むようにして押しとどめてきた。

 狩りが始まって既に四半刻。できれば最後くらい死傷者無しで終えてみたい。


「……なんだ? なにをしている⁉」

「え?」


 戦列の兵たちの中に火魔法を放っている者がいる。10人以上だ。『火射アムフィオム』が撃ち込まれ、『火炎鞭フィオンヴィポ』が竜の足元をえぐり、『火炎旋風フィオムベンティゴ』が雪を蒸発させていく。

 振り返ったレイアが状況を把握して金切り声をあげた。


「……なにをしているっ! 貴様ら! 話を聞いていなかったのかー!!」


 水蒸気が立ち、それが冷え切った空気の中で凝結し靄になる。見通しが利かない。



 地鳴りが起きた。魔境の森の幾百の巨樹が揺れ、軋む音がする。直後。

 地竜をぐるりと囲んでいる範囲の雪原が、遠征大隊の兵もろとも上空に打ち上げられた。『大爆地アイナシーフォウ』を10倍にしたような爆発音。宙を舞う雪には真っ黒な土塊が混じっている。


 クローヴィスは7年前、初めて地竜狩りの遠征に出た時の事を思い出した。

 夏に行われたあの遠征では、20名を超える参加者が命を落としていた。

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