第37話 金貨

 洞穴には先客がいた。トーマたちの話している声が聞こえたのか、東端の穴から男が顔を出し、アンドレイと手を挙げる挨拶を交わして引っ込んだ。

 3人はこの「岩山洞穴宿泊所」を何度も利用しているらしい。初めてのトーマに3人は上がってみろと促した。


 窪みに手をかけ、足をかけて登る。縦に並んでいる窪みをそのまま昇っていけば西の端の洞穴に着く。

 ナラの枯れ枝は荷物に突っ込んいる。荷物の重さで体が後ろに引っ張られそうになるが、手をひっかけやすいよう窪みは底をえぐるように掘られているので、問題なく登れた。


 入り口の幅は普通の家の戸口ほどだが、中は広がっていて宿の二人部屋ほどの広さがある。

 床面の中心を見ると火を焚いた跡がある。天井は外に向かって上昇するように傾斜しており、くさび形の出入り口の頂点から煙が出ていくように設計されている。

 トーマに続いて上ってきたイヴァンが背中の箱型鞄を右の隅におろした。


「凄いな。誰がどうやって掘ったんだ? きちんと考えて作られてる」

「石工が槌とタガネでこつこつ掘ったんだと思う。ここはタダで泊まれるのが素晴らしい」


 3番目に上ってきたユリーが口をはさんだ。


「地魔法では掘れないの? トーマ地魔法も使えるんでしょ?」

「地魔法でも出来なくはない、かな? 『爆地ナシーフォウ』を応用して、少しずつ砕いて…… いや割れてしまうか。とにかく俺には出来ないと思う」


 アンドレイも上って来た。どうやら一つの洞穴に4人で泊まるらしい。

 3人が携帯食で夕食を済まそうとしているので、トーマは少し待ってもらう事にした。

 荷物を左奥に置いて、穴の入り口から飛び降りる。10メルテの高さから飛び降りたくらいでトーマは怪我をしない。


 森に入って薪にする枯れ木と、上になべを置く石を探す。何度か使われているであろう焦げ跡の付いた手頃な石はすぐ見つかったが、枯れ木が無い。少し奥まで探しに入ったせいで半刻ちかくかかってしまった。太めの枯れ枝を背中に回して腰帯で固定し、懐に石を4つ入れて洞穴に帰る。


 久しぶりの鉄なべの出番である。3人が食器を持っていなかったので一人ずつ順番に食べることになったが、干し鹿肉入り大麦粥は概ね好評であった。

 水の無駄遣いにならないか心配であったが、この宿泊所を作った人間にぬかりはないようで、近くに沢があるので問題ないらしい。


 一日中限界に近い速度で移動し続けたユリー以外の3人で、夜番を回すことになった。寝て起きてを2回繰り返すことになる二番手が最もつらいが、アンドレイが引き受けた。責任感の強い男である。一番手がトーマで三番手がイヴァンだ。


 この状況での夜番で警戒しなければいけないのは魔物よりも人間だろう。トーマが薪を拾いに行っている間に、もう一組の宿泊者が3人隊でやってきて、真ん中の穴を使っている。泊まっているのは全員商いの人間だ。盗賊がここを襲えば豊富な財物がいっきに手に入る。


 夜が更けたので、アンドレイを起こした。イヴァンとユリーは一つの毛布で背中合わせで一緒に寝ている。その毛布はイヴァンの鞄から出てきたものだ。3人の時は一人が起きて二人寝るという形なので、それでよかったのだろうが、4人ではうまくいかない。アンドレイが包まっていたのはトーマが貸した毛布である。

 トーマはカザマキヒョウの外套を掛けて寝た。洞穴の中は温度が安定しており、外よりは暖かかった。




 朝食は麦粥を炊いたりせずに携帯食で済ませた。岩山の北に延びる細い道を少し進んで、使い切った飲み水を沢で補充する。

 東に延びる街道上、昇ったばかりの太陽の光がまぶしい。午前中にはライマーンに着かなければならない。


 2刻間ほど、それほど急がずに走り続けた。連日の長距離走。トーマの『耐久』で耐えられないような運動量では無いのだが、ズボンの内股が擦り切れてもう限界である。トーマは大きな荷物の中に着替えがあるのだが、3人の着替えは下着しか無い。


 先頭が「止まれっ!」と叫んだ。今はアンドレイ、ユリー、イヴァン、最後にトーマの順で走っていた。最後尾のトーマには先に何があるのか見えない。特にイヴァンのでかい背中が邪魔だ。

 【利き耳】保有者であるアンドレイがしばらくじっと耳を澄ませているようだ。「大丈夫だ、一匹だけだ」と言っている。何が一匹なのだ。

 アンドレイが曲刀を抜いたのが見えた。街道上をそのまま全力疾走で駆けてゆく。トーマのそれよりも速いだろう。39階梯肉体派の熟練戦士なので不思議はない。

 少し横に寄って何が起きているのか見てみると、25メルテほど先で曲刀をひらめかせたアンドレイが何かを切り殺したようだ。


 街道上で日向ぼっこをしていたのは毒大ガエルであった。茶色を基本として紫色のまだらが付いた、体重約40キーラムのカエルだ。皮にマヒ性の猛毒があるので、基本的に魔石以外使い道がない。

 捌きようによっては肉が食えるのかもしれないが、わざわざそんな挑戦をしている場合でもない。


 ユリーが一番階梯の低い自分に魔石をくれと主張した。

 頭を割られて、マナの恩恵を失ってぐよぐよになってしまっている死体から、毒が付かないよう丁寧に魔石部分を切り出す。水で厳密に洗浄して、アンドレイがユリーに魔石を与えた。赤の混じった黄色の魔石をうれしそうに齧る。


「プハッ。ペッペッ。ペッ! なんだよもう! 砂になっちゃった!」


 やはり毒大ガエルは32階梯のユリーには見合わないようだ。


 『魂の器』に関する一般的な知識として、『階梯相当格』というものがある。

 成長素が十分に摂れる魔物を『見合う魔物』と呼ぶが、もう少し厳密な考え方。いくらか学術的な概念として知られているのが『階梯相当格』だ。


 任意の階梯に対し、階梯上昇必要分の成長素の2割を得られる魔石、及びそれを持つ魔物を『階梯相当格』と定義する。

 トーマの場合、全く成長素の溜まっていない状態から大クロジシの魔石を5つ摂取すれば41階梯になれる。だから大クロジシは40階梯相当格の魔物となる。

 どの魔物がどれくらいの階梯相当格に当たるのかという研究は魔物学の重要な研究主題で、研究の成果を記した書籍が大きな都市の図書館には必ずあるし、【賢者】の≪書庫≫にも多く記録されている。


 頭を使うことが好きではない『器持ち』はあまり気にせず、経験と勘で適当な魔物を狩っているが、魔石を有効に利用するには本来もっと重視すべき事だとトーマは思っている。


 ユリーにとってちょうど見合いの、32階梯相当格の魔物はタツノコモドキだろう。棘の付いた鱗を全身にまとった大きなトカゲの魔物だ。毒大ガエルは26階梯相当格であったはず。

 格が一つでも落ちれば摂れる成長素はどんどん少なくなる。5つ下が限界で階梯相当の魔石の半分程度しか摂れなくなる。だが6つ違うと砂に変わるだけ。成長素は少しも摂れなくなってしまうのだ。

 最近までは成長の足しになっていたはずの毒大ガエルの魔石が無駄になってしまって、ユリーは悲しそうであった。




 しばらく走っていると徐々に木の密度が減ってゆく。ついに森がきれ、南に再び大湖海の青い海面が見えた。まだらに草藪の生い茂る黒い大地に、少し凹んだ街道がまっすぐ伸びている。もうちょっとでライマーンだと、アンドレイが叫んだ。


 新興商業都市ライマーンは20年前、誰も住んでいないアクラ川河口の西岸に作りだされた街だ。川から水を引いて幅10メルテの水堀が二重に作られ、囲まれた市街の大きさは700メルテ四方に及ぶという。


 街壁が存在しないので、遠くからでも密集した石造りの建物が見て取れた。塩の影響が強い土地であるにも関わらず周辺に畑地が広がっているのは、やはりアクラの水を上手く使っているのだろうか。

 弓なりになった石橋を渡った先に関所が設置されている。街道上で数組、狩りに出る者や旅商隊とすれ違ったが、今日西門の入街審査はトーマたちが最初だろう。

 白銀色の交易商証の効力で入街税は取られなかった。


「さっそくタルガットの所に行くぞ。あーっと、例の協力者。タルガットと名乗る東方商人で、北西区で屋敷を借りて住んでる」


 ライマーンの町の道路は、まるで格子模様のように縦横きっちりと揃っている。新興の都市ならではの人工的な構造だ。広い中央通りはまるで市場のようで、店舗からあふれ出るように商品が並べられている。

 そちらには進まずに西門前広場からすぐ北に向かう。少し歩くと周りの建物は段々大きくなり、高級宅地といった風情になってきた。


 木の柵で敷地が囲まれて、南向きにささやかだが庭のある、石造り二階建ての屋敷にたどり着いた。足首まである丈の長い服を着た大男が戸口を守るように立っているが、『器持ち』ではない。


「アンドレイだ。タルガット氏と約束がある」

「……タシカに。どうぞナカへ」


 交易商証を確認した小麦色の肌の大男は、歯を見せて笑いながら4人を招き入れた。

 玄関広間は特に豪華な装飾も無く、床の板張りがきれいに磨かれている以外はむしろ質素な内装である。大男は奥の漆塗りの黒い扉を叩くとアンドレイの来訪を伝えた。

 扉を開けて4人を迎えた小柄な男は、黒々とした口髭の下で最大級の笑顔を浮かべた。




 塗装もされていないのにこれまた艶のある、大きな丸卓の上にアンドレイは金貨を積み上げていく。イヴァンの背負っていた荷物から10枚ずつ取り出される黄金色の円盤は全部で250枚になった。


「これが今回集まった金貨だ。そっちのお宝も出してくれ」

「おゥ。やはりこちらのキンカは素晴らしいカガヤキですね。これだけ集まると目がくらみそうでス」


 タルガットの服装はまるでどこぞの王族のような豪奢なものだ。服全体に細かく銀や宝石の装飾が使われている。旅で汚れて、内股が透かし織りのようになっているトーマたちとはえらい違いだ。


 そして背後に控えている6人の男たちは全員30から40階梯の『器持ち』である。

 アンドレイに誘われたのは魔物対策というより、こちらの対策のためなのではないかとトーマは思った。

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